第一章 ヴェリスの金融商人 その④
表通りに面した場所にある【
二人が来店したとき、まだランチの時間には早いということもあって店内は空いており、外の通りが一望できる窓際の上席に案内され、必然的に注文したステーキ主体の料理もそれほど待つことなく出てきた。食欲をこれでもかと刺激するソースの香りもさることながら、灼かれた肉の厚さにラモンは一人胸の内で感動していた。
思えば故郷にいた頃は、肉など一ヶ月に一度食べれればいい方で、それもほとんどが鶏肉であり、牛肉など口に出来るのは年に一度おこなわれる、五穀豊穣を祈願する村の例大祭の日くらいであった。
しかもその肉は薄い割にはまるで靴底みたいに硬くて、ナイフで切るのも歯で噛みきるのも苦労したものだが、この店の肉は厚さは四倍以上あるのにもかかわらず、ナイフがスッと入ってあっさりと切れ、口に運んでみるとこれが信じられないくらい柔らかく、噛むたびに肉汁が口の中に溢れてくる。
「どう、ラモン君。ここのステーキは旨いだろう?」
「はい、最高です!」
故郷で食べていた肉もどきとは大違いだよ。ラモンは胸の中で付け加えた。
「ところでカイルさんは、この店にはよく来るんですか? 店に入ったとき、ウェイターの人と何だか親しそうに話していましたけど」
「うん。営業で外回りに出ているときは別だが、店内で仕事をしているときはこの店を利用することが多いね。店のオーナーとも顔見知りだしね」
「へえ……こんなお店によく来れるなんて、さぞかし俸給もいいんでしょうね?」
われながら下世話な質問かなとラモンは思ったが、問われた方はそうは思わなかったようだ。
脂で汚れた口もとをナプキンで拭いつつカイルが応じた。
「いや、俸給自体はそれほどでもない。むしろ大きいのは歩合のほうだね」
「ブアイ?」
「そう。支店長も君の待遇の件で少し触れていたけど、簡単に言えば、仕事における成果や成績次第で俸給とは別に支払われる報酬のことだよ」
「例えばある客に金貨を一枚、十ヶ月返済で貸しつけたとする。うちの店は月七分の利率で客に貸付けているんだが……」
そこでカイルは、なにやら興がったような表情でラモンを見やり、
「さあ、ここでラモン君に質問だ。金貨一枚は銀貨に換算すると何枚になる?」
「えっ、銀貨にカンサン?」
思わぬ質問を受けて、ラモンは肉を切る両手を即座に停止させた。そして考える――考えようとしたのだがすぐに断念した。
当然である。生まれてこの方、金貨はもちろん銀貨すら使ったことのないラモンに、貨幣の価値などわかるはずもない。
「す、すみません、わからないです……」
「まあ、国々によって価値は異なるけど、わが国の通貨制度では金貨一枚は銀貨二十枚分と決められている。そこでまたまた質問だが、銀貨二十枚の七分とは何枚になるかな?」
「ぎ、銀貨二十枚の七分……?」
立て続けに問われてラモンは必死で頭を回転させた。
何も答えられないままだと「教養からっきしな農村出のカッペ野郎」という自分の正体がバレてしまう――とっくにバレているが――のが嫌だったからだ。「ええと、銀貨の七分は七分になるからして……」などと、要領の得ないことをブツブツと呟きながら必死に計算することしばし、ラモンは重要な事実に気づいた。
「あれ、なんだか割りきれないですけど?」
手慣れた動作で肉にナイフを入れながらカイルは小さく頷いた。
「そう。一割とか二割とか、割数であれば銀貨そのもので利率計算はできるが、分数である場合は銀貨をさらに銅貨に換算しないと利率額はだせない。ちなみに銀貨一枚の価値は、銅貨に換算すると三十枚になる。さあ、これなら計算できるだろう?」
「え、ええと……銀貨一枚は銅貨三十枚になるのだから、銀貨二十枚はその三十倍であるからして……」
両の目玉をぐるぐるさせながら必死で頭の中で計算するラモンはこの時、もはや卒倒寸前であった。
生まれてこの方「計算」というものとは無縁の――というより頭を使うこととは無縁の――人生を歩んできたラモンにとって、カイルから繰り返して出される計算問題は、もはや問いかけではなく拷問に近かった。
他方、そのカイルはというと、今にも口角から泡を噴いて卒倒しそうなラモンを危惧したわけではないだろうが、温雅な微笑まじりに助け船を出してくれた。
「ようするに金貨一枚の価値とは、銀貨に直せば二十枚、銅貨に直せば六百枚になる金額なんだ。つまり金貨一枚の月利七分の額とは、銅貨四十二枚になる。ここまではわかるね?」
「は、はい。なんとか……」
「金貨一枚を月七分の金利で貸しつけ、それを十回払いで返却させるということは、借りた客は元金である金貨一枚の十回分割額、すなわち銀貨二枚に加えて銅貨四十二枚を利息分として支払うことになる。となると、毎月の支払額はいくらになるかな?」
この程度の計算はラモンにも出来るようになったらしく、
「ええと……銀貨二枚と銅貨四十二枚だから……銀貨三枚と銅貨十二枚になります」
「そのとおり。となると、十回払いでの支払総額は銀貨三十四枚となり、これは金貨一枚と銀貨十四枚という額になる。これから元金を差し引いた銀貨十四枚を貸し付け純益というのだが……」
喉の渇きを潤すように檸檬水を一口飲み、カイルはさらに語を継いだ。
「さて、ここでさっきの歩合の話に戻るけど、今言った貸し付け純益の内、その一割が成功報酬として契約を取った者に与えられる。さっきの例で言えば銀貨十四枚の一割、すなわち銀貨一枚と銅貨十二枚が月の俸給とは別に貰える。これが歩合の魅力だよ」
「なるほど……」
カイルの説明を聞きながら、ラモンはまたしても胸の鼓動が激しくなるのを自覚した。
(するとなにか、今の話で言えば金貨一枚を貸し付ける相手を一人見つけるだけで、月の俸給とは別に銀貨一枚と銅貨十二枚も貰えるっていうのか?)
(しかも一つの契約ごとにってことは、仮に同じ契約の客を十人見つけたとしたら、歩合だけで銀貨十枚と銅貨百二十枚――つまり銀貨十四枚も貰えるのかよ。月の俸給が銀貨二枚なのに!)
(すげぇ、これが
この短時間の内に「計算力」というものがそれなりに身についたらしく、欲の皮の突っ張った「皮算用」が脳内に広がり続けるラモンであったが、このとき、カイルの話で最も重要な一面をラモンは見落としていた。
すなわち、客が借りた金を返済できればいいが、できなかった場合はどうなるのか、という点である。
カイルは話の中でその点には触れておらず、触れていないことも本人は承知していたが、カイルが説明を補足するようなことはなかった。口に出したのは別のことである。
「ちなみにこの歩合制は、われわれ高利貸し商だけではなく普通の銀行にもある制度だ。ただ銀行は、どんなに高くても月利一分くらいだからね。われわれほど歩合の旨みはないだろう」
肉を口に運びながら黙して話を聞いていたラモンであったが、ふと心づき、
「今、銀行は金利が低いと言いましたけど、じゃあ、どうしてみんな、銀行から借りようとしないんですかね?」
わざわざ高利貸しなんかからお金を借りる理由って何なの? そう言いたげなラモンの疑問を受けてカイルは薄く笑った。
「いい質問だ、ラモン君。実はその疑問の中に、我々のような高利貸し商が銀行という強大なライバルが存在する金融業の世界で、十分に商売をやっていける答えがあるんだ」
「と、言いますと?」
「ひとつは、銀行筋は金利は低いが審査が厳しいということがある。とてもね」
「審査……ですか?」
「そう。むろん銀行によって差はあるだろうけど、借り主がどんな職業で、どんな家族構成で、どんな場所に住んでいて、過去、どれだけ金額を借りたことがあるとか、とにかく事細かに借り主の素性調査をしてからでないと、まず貸し出すことはないからね。その点、われわれのような高利貸し商はそこまで審査することはない。どんな人間だろうと職業だろうと、二つの保障があればたいてい貸しつける」
「それは何ですか?」
「ひとつは所有する土地や邸宅といった物的担保。もうひとつは借り主が返済不可能となった場合、代わりに弁済してくれる人的担保。いわゆる債務連帯保証人というものだ。このいずれかがあれば、うちにかぎらず高利貸し商はお金を貸すよ」
「何ですか、そのナンチャラ保証人というのは?」
「わかりやすく言えば、借金の返済を当事者とともに誓約した人間のことだよ。借りたお金は何があっても返させます、万が一返せ無かったときは自分が立て替えて返します、という誓約をね。たとえ借りた人間が家族でも親族でもない、赤の他人であっても……」
「赤の他人でも……?」
ラモンは軽く小首をかしげ、「そんな人がいるんですか?」
ラモンの疑問に、カイルは直接の返答はしなかった。
「ま、おいおいわかってくると思うよ。とりあえずしばらくは、私について助手の仕事をしてもらう。いいね」
「はい。よろしくお願いします、カイルさん」
やがてラモンが食べ終えたのを見計らい、カイルは手にしていたグラスをテーブルに戻し、伝票の紙を指先でつまみながら椅子から立ち上がった。
「じゃあ、そろそろ行こうか。ラモン君」
「どこに行くんですか?」
同じように椅子から立ち上がったラモンに、カイルは何とも含みのある笑みを向けた。
「君の初仕事さ」
異世界金融道立志録マモン ~高利貸しだっていいじゃない、商売だもの~ @qbry
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