マルチ・リアル〜1つの世界に2つの現実〜

大落一(おおおとはじめ)

【マルチ・リアル】

【電脳憲章】

・実在に関する意識(無心・宗教・人間性)の尊厳は、絶対不可侵である。 

・意識に関する個人(知能・空間・身体性)の自由は、尊厳に抵触しない。 

・意識に関する社会(言語・経済・公共性)の平等は、尊厳に抵触しない。


【1話1場】

「私は、法に夫婦として認められたいの」

 恋人の求める手続きは、古風な考え方だ。島内で、法は力をなくしている。

 少女は、立体で映るホログラムだ。銀髪と180センチの背をしていた。名前は「オリガ」で、姓はない。サイバースーツを着ていた。17歳で、隔離研究所に勤めている。電脳での外出だけが許されていた。彼女はホログラムとして、対面に座る。

 眞島まじまハヤトは、黒色のジャージを着ている。電脳への侵入を生業としていた。つまりはハッカーだ。今年で17歳になる。ハヤトは、借金返済のため、この島に住んでいた。

 オリガとの出会いは、仮想現実での座禅会だ。

 アパート2階の我が家は、静まりかえっている。部屋の白い壁は、湿気で黄ばんでいた。食卓には皿が積んである。コンピュータは、1人用の冷蔵庫ほどに大きい。

 テレビは、サムライの活躍を伝えている。恋人は、テレビを消した。

 ハヤトは言った。

「オリガ。今のままでも困らないよ」

「でも、私は結婚したいの。あんたは?」

「どちらでもよい。いや、すこし怖い」

「すこしなら結婚よ。決まりね」

 オリガは豪快に決めた。ハヤトはそこに惚れている。

 ハヤトは、神経質な性格をしていた。

 彼女は、ハヤトを愛してくれている。恋人はハヤトの短所を包みこんでくれていた。

「手続きは、何をどうするのさ」

「実はちょいと事情があるのよね」

「戸籍がないとか? この島では別に珍しくもない」

「事情を教えてあげる。でもその前に私への愛を聞かせて」

 前船市で、事情の話はタブーだ。それでも彼女はハヤトに話をしてくれる。

 オリガは基本的にガサツだ。しかし辛気臭くマジメなときは繊細だった。下手な言葉は、彼女を傷つける。ハヤトはオリガに嫌われたくない。ハヤトはオリガを愛していた。

「俺はオリガを愛している。俺は知的な君が好きだ。俺はおおらかな君を愛している。俺を愛する君が好きだ。オリガも、俺のどこに惚れている」

「あんたは教えたものね。私も教える」

「聞かせてくれ」

 オリガは少女の声音で話した。

「私はあんたの率直さを愛している。ちょっぴり善人なあんたが、私は好きよ。私を愛するあんたが好き。私の輪郭は、あんたの愛で作られている」

 オリガは泣いた。彼女は、鼻水をすする。オリガは「ありがとう」とつぶやく。

 ハヤトも情があふれてきた。しかし事情を聞くまでは泣かない。ハヤトはつばを飲む。

「私を嫌いにならないでね」

「ならないよ。なる訳がない」

「私は人工意識なの」

 ……。

 ハヤトは意味が分からなかった。ハッカーとしての専門知識で、人工意識は分かる。しかし、知識と目の前のオリガとは、結びつかない。

「人工意識というと」

「私は人工知能から進化した存在なの」

「人工意識が尊厳に値するかは未確定のはずだ」

 電脳憲章。第1の尊厳。実在に関する意識の尊厳は、絶対不可侵である。

「ここは前船市だもの。議論が終わっていない存在もいる」

「隔離研究所に勤めていると聞いていた」

「アレは嘘。本当は消されそうだったから前船市に逃げてきたの」

「本体は島内にいるのかい」

「そこのコンピュータに、コードの集積体として住んでいる」

 ハヤトは、部屋のコンピュータにインされている2センチのチップを思いだした。チップは、同棲を始めるうえで、託されたものだ。「彼女そのもの」と聞いてはいた。

「チップかい。通信のためのデータチップだと聞いていた」

「そのチップが私よ。簡単には、コピーアンドペーストもできないわ」

「今どきのコンピュータなら仮想現実の演算処理にも耐えられるけどね」

「私は実在している。自己を意識できるの。我思う故に我ありよ」

 ハヤトは彼女を見た。目の前の少女は、電子プログラムだそうだ。今の水準のコンピュータなら、確かに可能だ。オリガは、人間に見えてならない。容姿だけの話ではない。所作と価値観が、人間なのだ。ハヤトは腑に落ちない。

「君はもともと何の人工知能だったのだい」

「ソ連の攻撃ヘリに搭載されていたの」

 攻撃ヘリとは、軍事用のヘリコプターだ。装甲つきで、殺人兵器を積んでいる。

 前船市で、ハヤトはタフになったつもりだ。借金をとり立ててくるヤクザともつき合いがある。しかしハヤトは、都市の表面しか知らないようだ。

「正直、俺は動揺している」

「私との法的結婚は嫌なの」

「嫌ではないさ。ただ動揺しているだけだ」

「あんたは私を愛しているの?」

 ハヤトは自分でも不思議だった。ハヤトは今でも彼女を愛していた。

 なぜそうなのかは腑に落ちない。ハヤトは納得していない。それでも愛は、心の奥底から湧いてくる。ならばやはり、ハヤトは彼女を愛していた。

「愛している。今でも君を愛している。しかし、どう結婚するのさ」

「戸籍を偽造すればなんとかなるわ」

「そもそも偽造したら結婚の意味がない」

「あんたと対等になりたいの。偽造でも作用するならそれでよい」

「思考が追いつかない。俺は混乱している。俺はよく分からない」

「あんたは私を愛していないの」と、彼女は泣いた。

 ハヤトは心が痛い。心にも痛みはあるのだと実感した。あまりにも自分が情けない。それなのにハヤトは納得できない。その板挟みで、ハヤトの心はさらに悲鳴をあげた。

 そのときハヤトは初めて自分の涙に気がついた。いつから泣いていたのだろうか。彼女が自分は人工意識だと告白したときだ。そこから次第にハヤトは泣いていた。

「俺は君を愛している。だから、俺は、君と結婚をするよ」

 心の痛みは最高値に達した。ハヤトは今でも納得できない。ハヤトは状況に流されている。彼女との結婚は、もっとこう、正しくありたい。ハヤトはオリガを愛していた。

「結婚届のために、生体コードを偽造しないといけないわ」

「偽造となると第2区画へ行かないとね」

 ハヤトは、状況に引きずられ始めていた。ハヤトはこのまま彼女と結婚をするのだ。

 オリガは、ハヤトに微笑んだ。ハヤトも、微笑みで返した。

「ありがとう。偽造屋に行くなら私も着いて行くわ。データチップを貴方の電脳ポータルに入れてほしい」

「いいとも。共に行こうじゃないか」

 彼女は喜んでいる。ハヤトも嬉しい。ハヤトはオリガを愛している。ただ、ハヤトは、オリガの事情を受け入れきれないだけだ。涙の滴りで、心の底は焦げている。


【1話2場】

 ハヤトは、革のジャケットとズボンを着ていた。ケーブルも提げている。

 今のオリガはハヤトの脳神経に住んでいる。1つの脳神経が機械化されても本人だった。すべての脳神経を機械化しても、それは変わらない。

 コンピュータと脳神経は、同じく「0」と「1」で構成されている。テクノロジーで、脳神経はインターネットに繋がれている。電脳は、世界に普及していた。

 偽造屋の店主は、国籍不明で、老齢の黒人だった。彼は浮世絵のシャツを着ていた。宇宙軍の帽子をつけている。「ヘンリー・ケイス」と偽名を名乗っていた。

 店内は、衣服からテックまで、様々なものに値段をつけている。ハワイアンの調度品だ。和楽器バンドのロックンロールを流している。

「お前の彼女さんは、きわめて危うい立場にある」

「そうなのか?」

 ハヤトは首筋を確かめた。オリガは電脳ポータルにインされている。彼女は、ヘンリーの話を否定しない。オリガは何かを隠している。ハヤトは眉をひそめる。

「彼女さんは、答えてくれているかい」

「全然。脳神経に何かしら挟まった思考だ」

 オリガの不快感も、大脳に影響している。プログラムはそれを隔離していた。

「彼女さんも交えて話そうぜ。仮想現実を用意するよ」

「一応、リテラシーとして安全を確認させてくれ」

 ヘンリーは了解した。

 オリガも賛成している。彼女は物理現実に肉体がない。

 コンピュータは唸り始めた。電脳空間の準備をしている段階だ。仮想現実はそこからさらにパッチを適用させる。電脳空間での接客は、仮想現実にするのが常識だ。

 ヘンリーは目配せした。ハヤトは、自身とコンピュータを、ケーブルで繋いだ。電脳空間におかしな点はない。仮想現実にするパッチにも不備はない。

 ハヤトは、ヘンリーに会釈した。ヘンリーはさきに仮想現実へ潜る。彼は椅子で仰向けになった。ハヤトも椅子に座ると、よりかかる。ハヤトは仮想現実に潜入した。

 仮想現実は、水中型だ。イルカが泳いでいた。水面には光が反射している。

 その仮想現実で、ヘンリーはアロハシャツを着ている。

 水の感覚はある。しかし口内と肺に、水はこない。これは当たり前だ。仮想現実から危機的情報が流れ込まないように、ハヤトの電脳はプログラムを走らせている。

 電脳空間とは、つまるところ、共有できる夢世界だった。共有はコンピュータともできる。仮想現実は、コンピュータに調整と安定を頼む技術を、土台としていた。

 ヘンリーは笑った。

「まず生体コードの偽造にも素材はいる」

 生体コードとは、別名を身体性データだ。意識に作用する肉体の情報だった。本人証明に使われていた。これと本人の意識は、共鳴しなくてはならない。

 電脳憲章。第2の自由。意識に関する個人の自由は、尊厳に抵触しない。

「ソビエト連邦まで、遠出しろとでも?」

「攻撃ヘリは前船市にあるわ。直接、飛んできたもの」

 ハヤトはオリガを見た。彼女の代わりに、ヘンリーが説明してくれた。

「件の攻撃ヘリは、全長10メートル超えのバトルマシンだ」

「それが島に飛来したなんて聞いたことない」

「前船市のハイソサエティが隠蔽したからな」

「隠蔽して何の利益がある。ソ連の兵器なんてトラブルのもとだ」

「人工意識は、テクノロジーの最先端だ。しかも宗教が絡む」

「宗教。テックカルトか」

 テックカルトとは、新興宗教だ。意識は、万物の根底に近い。

「テックカルトは、人工意識を崇めているわ」

「オリガは知っていたのかい」

「亡命の連絡口にしたの。そこからも逃げたけどね」

「生体コードは、盗みださないとダメか?」

「個々人固有の波長だ。偽造には元データがないと話にならない」

 ハヤトは「くそったれ」とつぶやく。

 オリガは、ハヤトの手をとる。仮想現実では、オリガの掌にも脈がある。これは贋作で、彼女は本物を盗みだしてほしい。なんともロマンチックな状況だ。

 オリガは、目尻を濡らしている。彼女はロマンチストだ。オリガは結婚したい。オリガは、試練に勝ちたい。オリガは、ハヤトと結ばれたい。

 ハヤトとしても、そうなると嬉しい。

 しかしハヤトはリアリストだ。ハヤトは、この島で生き延びたい。ハヤトは、親の借金で、絶海の犯罪都市まできた。しかし、ハヤトは生き延びるつもりでいた。

「カルトの手口は有名だ。奴らには、悪をそれと考えないクズもいる」

「しかし彼女さんの生体コードを盗むと、公共の利益にも繋がるのだ」

「興味ない。オリガ。帰ろうぜ」

「これは運命よ。私達のためにもなるわ」

 オリガは、ハヤトを抱きしめた。演算は、ハヤトの脳神経に、オリガの体温を送る。

 ハヤトは今感じている体温と脈の、本物を想い起こした。

 仮想現実で、ハヤトはオリガの身体性をさわる。背中に指を走らせると、彼女は小声をもらした。ハヤトは、彼女の目を見る。ハヤトは、オリガに接吻した。オリガも、唇と舌で、愛にこたえてくれる。仮想現実のオリガはふれられる。だがこれは贋作だ。

「生体コードは、本物だと思うかい」

「私は本物で、その要因も真実よ」

 ハヤトはオリガの目を見つめる。ハヤトはオリガと、もう1度、愛を確かめた。

 ヘンリーは視線を逸らしている。

 ハヤトは舌と唇で、オリガを感じた。オリガの肉体は、仮想現実に限定されていた。それでも、ハヤトは、今こうしてオリガを感じている。ハヤトの奥底で、氷が溶けてゆく。

 ハヤトは、オリガから舌を離した。

「しかし、どうやって盗む」

「私の使いと言えば施設には入れる」

「御神体を差しだせと言われておうじるテックカルトはいない」

「使徒様として警備に乱れくらいはだせる。大丈夫よ」

 ハヤトは考えた。ハヤトの脳は、万能感を発している。

「決まりだ。君の温もりを盗みだそうぜ」

「愛を奉じる一神教の儂も、恥ずかしくなってきた」

「私は恥ずかしくない。それで十分よ」

 ヘンリーは、イルカに目線を逸らしていた。

 ハヤトとオリガは、バカップルになっている。空気を切り替えるのに、時間を要した。

 ヘンリーは、商売人の口調で、要点をまとめた。

「カルトから、生体コードを盗みだすぞ。手段は、人工意識の御降臨だ」

 3人は、同時に頷いた。カルトの施設は、第3区画の片隅にある。カルトは、秘密結社なので看板はだしていないそうだ。ディストピアで、法は無力だ。

 


【1話3場】

 ハヤトは、青筋を浮かべてつぶやいた。

「どうにもならねえじゃん」

 3人はカルトに囲まれている。

 この現状は、応接した侍祭が悪い。警備もふくめた全員に話をしたい、とオリガは伝えた。侍祭はひらめいたのだ。御神体を祀る祭壇の前に集まるべきと。

「御神体の前に集まれば警備に穴はない」とヘンリー。

 3人の後ろには、攻撃ヘリが祀られている。眼前には、信者が100人はいた。一様に白いフードを着ている。彼ら彼女らは、目を輝かせていた。

 衆目の前では、穏便に生体コードを盗みだせない。

 焚火の跡は、祈祷の積み重ねを表している。蝋燭だけが光源としてある。

 戦えるカルトをふくめた大勢が、ハヤト達をとり囲む。

 オリガは、ハヤトの持つテレビに映しだされている。ハヤトの電脳とテレビは、ケーブルで繋がれていた。映像に出力することで、オリガも受け答えができた。

 侍祭は、うやうやしく頭を垂れる。

「我々は、人としての生を、邪心との聖戦に費やしてきました」

「聖戦について詳しく教えて下さる?」

 オリガの判断は正しい。時間稼ぎは必要だ。

 侍祭は語る。我々は正しい。我々の敵は、正しくない。

 悦のふくむ声音だった。都合のよい正しさに身をやつした人間の笑みだ。

「我々の敵はアンチテクノロジーだ。対して我々はテクノロジーを信じている」

「アンチテクノロジーは、確かに世間から白い目で見られているわね」

「我々の敵は、公共の論理に反している。対して我々は公共の論理だ」

 ハヤトは推察した。カルトは、自分を崇めている。科学文明は、そのための鏡でしかない。だから結論は自分が正しいなのだ。自他に対して、聖戦と選民で正当化している。

「私が間違えても、論は正しいこともある。論が間違えても、私は正しいこともある」

「そんなバカな話ない。それはあまりにも選民の都合に悪い」

「苦しみに知恵をしぼるのが人間性よね」

「我々は選民だ。我々の生き方は文明に認められている」

「根拠がないわ」

「我々が根拠だ」

 カルトだ。ハヤトは理解した。彼ら彼女らは、カルトに堕落している。 

 ヘンリーは、十字を切っている。彼にも、思うところはあるのだ。彼はつぶやいた。

「デリダの脱構築とか知らんのかね」

「何それ?」とハヤトは聞いた。

「儂の理解に自信ない。自分で調べろ」

「無責任で酷くねえかい」

「儂は大人なのさ。内容は、勝手に理解しろ」

 侍祭は苛つきを見せていた。

 オリガは、感情を乱している。怒りというよりも哀しみだ。ハヤトはそう感じていた。

 恋人は、人間に哀しんでいる。

「なぜ貴方達は悪魔化を振り回している」

「これは悪魔化でない」

「悪魔化している。しかも根拠は自身の天使化だ」

「言葉にしなければ問題ない。誰も我々を叱らない」

「私にも信心がある。私は真善美を信じている」

「なぜ信心を? 貴方様は、人工物だ」

 ハヤトはオリガについて考えてゆく。オリガは悩んでいる。オリガも、不完全だ。

 オリガは、不足を解していた。つまりはオリガの意識にも不足がある。

 電脳憲章。第3の平等。意識に関する社会の平等は、尊厳に抵触しない。

「私の心にも、尊厳はあるからだ。私は違う点よりも、同じ面を見ていたい」

「それは苦しみに至る考えだ」

 ハヤトは、オリガと思いを共にしている。ハヤトは、カルトとは違うと自覚していた。違いとは知性が生みだしている。ハヤトは知性で、カルトに反骨心を抱いていた。

 ハヤトは、オリガへの愛に感謝した。それはあるがまま感じているだけではない。オリガとの違いもふくめて、ハヤトは喜びが湧いてきていた。オリガは、ハヤトよりもひいでている。オリガは尊敬に値していた。オリガは、愛情にふさわしい存在だ。

「使徒様はどうされました。さきほどから、嘘偽りばかりだ」

「どこが嘘偽りだ。何をもって真偽としている」

「正しい名前の側にいれば正しいのだ。皆は褒めてくれる」

「皆が間違い、私は正しいことも。私が間違い、皆は正しいこともある。それだけだ」

 オリガは、よい女だ。よい同胞だった。何よりも、よい恋人なのだ。

 ハヤトは、オリガを納得した。オリガは尊厳に値している。なぜならほんすこし善人ではないか。悪を駆逐するような考えはない女だ。むしろ悪を受け入れる器量もある。自分を天使や悪魔だと考えるつもりのない人工意識だった。だからこそオリガは第1尊厳に値している。この世を退廃させたクソみたいな電脳憲章に値していた。

 オリガは、愛するに足る恋人だ。

 カルトは、ざわつき始めている。ヘンリーは口を曲げていた。ハヤトは、オリガを止めない。ハヤトは共感しているからだ。残念ながら、カルトは共感していない。

 侍祭は、顔を青くしてつぶやいた。

「バカな。人工意識が、アンチテクノロジーなのか」

「事実として、私は尊厳に値しているだけの一個人に過ぎません」

「自由と平等を愛する我々の都合に反している。つまりはアンチテクノロジーだ!」

「貴方が私をアンチテクノロジーとそしって、どうなるというのだ」

「アンチテクノロジーは、自由と平等から除外されるのを、ご存知ない?!」

 カルトは、わめき慄いている。彼ら彼女らは、価値観を揺さぶられていた。

 戦えるカルトは、前にでてくる。もはやこれまでだ。

 しかし、戦うにはあまりにも、哀しみが心を満たしている。

 オリガは泣いた。

「私は、貴方達も同胞と感じている。私は、そう考えて止まない」

 オリガは、嗚咽をもらしていた。人間の涙だった。オリガは、哀しんでいる。ハヤトの恋人が、泣いていた。だからハヤトも哀しい。ハヤトも落涙してゆく。

 ハヤトの脳内に、ある考えが表出した。あまりにも壮大な考えだ。おそらくは可能だと感じている。今のハヤトとオリガなら可能だと腑に落ちていた。

 今現在、ハヤトとオリガは同調していた。

 偽造屋の店内で、ディープキスをしたときの感覚もある。

 今こうして、オリガを深く理解している知覚もあった。

 ハヤトは電脳を通じて、オリガに提案した。オリガは了承している。

 だからハヤトは、電脳内で2人を隔てるプログラムを、停止した。


【1話4場】

 ハヤトとオリガは、瞑想した。

 2人の仮想現実が、1つの電脳内に産まれた。

 仮想現実は、2人の同じと違いで揺らいでいた。変化は起きている。

 知性は、世界に違いを生じさせていた。無心の眼差しはそれを脱する。この世の実在とは、すべて1つでしかない。我々に隔たりがあるのは知性による再構成の故でしかない。

 ハヤトとオリガは、2人の仮想現実をゆったりと眺めていた。瞑想とは無心の自省だ。

 2人の仮想現実は、再構成を脱した。

 電脳空間で、心の乱れとは整いだ。心の整いとは、乱れとなっている。世界は反転していた。2人は、互いを愛おしむ。再構成を脱しても、奥底からは愛が湧きでている。

 電脳空間とは、平面インターネットに自由が加わることで立ちあがる。

 3次元とは空間だ。2次元とは平面だった。1次元とは線である。0次元とは点だ。 

 2人を隔てるプログラムは、既に停止している。

 自由にさらされながら平面ネットは1つの線に収束した。自由が1次元に生じている。これは電脳ネットだ。自由のもと、2人は、強くしなやかな線で結ばれている。

 やはり、そのネットも線に収束した。2人は同じ電脳を共有している。電脳内で反発しない2人は、同じとなった。再構成を脱した2人には、それが可能だ。

 2人は、万物流転の1本線に身を投げている。しかし2人の不足は、揺らいでいた。これもまた諸行無常だ。2人は互いを補完している。それは0.001秒以下にも満たない。そのとき、そこで、2人は1つの極点となっている。

 結果として、その極点は、コードを創出した。0.8のコードだ。

 0.8コードは、閃光を発した。

 閃光は、前船市のインターネットを麻痺させた。閃光が終わると、カルトは気絶している。ただそれだけのことで、それほどのことが起きていた。

 電脳は、また再構成されている。

 周囲では、カルトが倒れていた。

 ヘンリーは、車の鍵をとりだして、2人に示した。彼は走る。さきに車を廻してくれるのだ。テレビは不具合を起こしている。ハヤトはテレビを捨てた。ハヤトとオリガは、攻撃ヘリから生体コードを盗みだした。呆気なく生体コードは抽出できた。

 ハヤトとオリガは、笑っている。

 カルト施設をでると、街は停電していた。いつの間にか夜空に星がでている。

 玄関先にはエンジンの起動しているメルセデスが停められていた。

 ヘンリーはいない。どうしたのかと、辺りを見た。ヘンリーは、札束を抱えてやってきた。彼はカルトの金庫を物色していたのだ。

 3人は、車に乗り込む。

 ヘンリーは得意げに笑っている。

「美味しく火事場泥棒できた。見込み通りだ」

「それが動機かい。なぜ無事でいられた」

「儂の電脳は個立スタンドアローン型にできる。危険なときはネットから切り離すのさ」

 ヘンリーは、下品に笑った。彼は車を発進させる。

 第3区画は、製造業の強い地域だ。都市の夜空には、反重力車が飛んでいる。都市は停電していた。この手の被害も、前船市ではたまにある。島内は、市民の冒険や科学犯罪者の発明で、よく荒れる。だから前船市は隔離されている。

 続いて第2区画を通る。

 第2区画は、科学犯罪者が多い。変人に影響されて、街路はネオンに彩られている。幻想的な光景だ。静かな街にネオンが灯り始めてゆく。ホログラムの看板は、また踊り始めている。潮騒の如く、静かな街には活気が満ちてゆく。

 車は第1区画に到着した。

 第1区画は、前船市の良識が集まる。風紀は、当たり前に落ち着いていた。市民の大多数は、第1区画に住んでいる。港に近く、都市の1番街への交通にも便利だ。1番街には前船財閥の本社もある。1番街は、絶海の孤島で、富の集積地をしていた。

 車は、ハヤト達のアパート前で停まった。

 ヘンリーは言った。

「あのカルト施設。今は無防備だと、情報を流そうかな」

「いいや。普通に改心しているだろうさ」

「それもそうだ。また何かしら、やるなら呼びな。儂は儲けたい」

 オリガは、不快に感じていた。ハヤトは好感を抱いている。

 ハヤトは車を降りる。

 ヘンリーはアメリカンに笑って、車を走らせた。メルセデスは街の闇に消える。

 ハヤトは、アパート2階へ歩を進める。風景は、信じられないほどいつも通りだ。

 オリガは、電脳内で生体コードを確かめていた。ハヤトは玄関の鍵を開ける。我が家は、いつも通りだ。白い壁は、湿気で黄ばんでいる。家具にも変化はない。

 ハヤトは家に入ると、オリガをコンピュータにインした。彼女は、ホログラムで現れる。オリガは努めて無表情だった。ハヤトはぶっきらぼうに尋ねる。

「仮想現実は何のタイプにする?」

「フツーに、ベッドがあるだけよ」

「シンプルでよいね」

「照明は暗くしたからね」

「俺は構わない」

 ハヤトは欲情していた。オリガも興奮している。お互いの気持ちは以心伝心していた。 

 会話は途切れている。しばらく2人は無言でいた。オリガはベッドへ仰向けに倒れた。ハヤトもその横に倒れる。2人は天井を見つめて話さない。2人は仮想現実へ潜入した。

 オリガは、生体コードで、演算されている。空間は、何の変哲もない暗室に、キングサイズのベッドだ。オリガは、赤い下着をしていた。ハヤトはパンツ姿だ。

 オリガは呼吸を乱している。彼女は、生体コードから伝わる演算を噛みしめていた。

 ハヤトも、彼女の本物を嗅いでいる。異性のフェロモンに、ハヤトの鼓動は早くなる。

「色欲はよくないことよね」

「ホントだよ」

 2人は、もつれながらベッドに倒れる。オリガの体は滑らかで生きていた。これは本物だ。柔らかな乙女の肉体だった。オリガは呼吸を荒くしている。

 互いの存在を貪りながら、2人は下着をはだけさせてゆく。瞳孔は小刻みに震えていた。ハヤトは神経に熱がこもるのを感じている。オリガは涙目で震えていた。オリガは生の息遣いで、声をもらした。オリガは喜びと恐れに打ちひしがれている。

「これ、よくないことよね」とオリガは頬を赤らめた。

「そうだね。よくないことしよ」

 2人はよくないことした。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

マルチ・リアル〜1つの世界に2つの現実〜 大落一(おおおとはじめ) @oootohajime

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ