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「こちら、本日の『幸』です」


 お座敷のテーブルに並べられたのは、きのこがたっぷり入った炊き込みご飯。それからサラダを一緒に盛ったとんかつの皿。最後はシンプルにわかめと白ねぎの味噌汁だった。一般的な家庭料理のメニューではあるが、男子大学生にとって十分なボリュームがある。ほかほかの湯気に乗ってふわりと香る揚げ物の匂いに、明良の腹の虫が再び大声を上げた。肉など滅多に食べられないので、思わず口からよだれがこぼれそうになる。


 目を輝かせながら、明良は慶一を見た。


「これ、本当に食べていいんですか……!?」

「どうぞ。お口に合うといいんだけど」

「いただきます!」


 ぱんっと手を合わせて、真っ先にとんかつへ箸を伸ばす。一切れかじってみると、中からじゅわりとした肉汁とチーズ、そして梅としその味がした。


「おいしーっ!」


 はじめの家やチェーン店で食べた料理もおいしかったが、これは格別だ。今まで食べた料理の中で一番かもしれない。

 たった一度の食事がこんなにも温かいとは。久しぶりの家庭料理の味が、昨日から続く不幸で負った心にしみた。


「本当に、おいしいです。うまくいえないけど……」

「ありがとう。料理人にとって『おいしい』は最高の褒め言葉だよ」


 慶一の温かい言葉に、我慢できずホロリと涙がこぼれ落ちた。慌てて何度も涙を拭うが、止まる気配がない。

 突然泣き出した明良に、悠里と慶一は目を丸くした。双子も食事の手を止めてしまう。


「うっ……すみ、ません……泣きたい、わけじゃ……」

「え、泣きたくなるほどおいしいかった? やばい、慶一君の才能やばいよ。料理で人の心掴むなんて偉業だよ。もはや魔法使いだよ? 天才じゃん、知ってたけど」

「悠里の才能はそうやってすぐ人を褒めるところだよね。語彙力は少ないけど」


 大人二人の声音はさっきまでと変わらない。下手に声をかけるのではなく、ありのまま振る舞っているようだ。

 それが彼らなりの気づかいだとわかり、明良の涙腺は決壊した。


 こんな大人が親だったら、どんなに明良の人生は平和だっただろう。

 両親から愛情を受けなかった、とはいわないが、特別愛されているとも感じなかった。それは両親が、先祖返りによる力を利用しようと考えていたからに他ならない。「明良がいれば大丈夫」なんて優しい言葉の裏にはそんな浅ましい思惑があったのだと、明良自身もなんとなく気づいていた。


 優しさの意図が変わるだけで、こんなにも心に響くものは違うのだ。明良は痛感した。


「……んー! たしかに、このとんかつすっごくおいしい! チーズって意外と揚げ物と相性いいよねぇ。そこに梅としその味も組み合わさるの好きだなあ。この揚げたてのサクサク感もたまらない……!」

「そうだと思って作ったんだよ」


 悠里がとんかつを食べ、もぐもぐと口を動かした。幸せそうに頬をゆるませる彼女に、慶一もまた嬉しそうに目を細めていた。

 羞恥も振り切った明良は涙を流しながらガツガツと料理を口に放り込んでいく。醤油の味がしみ込んだ炊き込みご飯も、出汁をたっぷり使った味噌汁も、吸い込むように飲み込んでいく。


「俺……こんなおいしいご飯初めて食べました……親の手料理なんて食べたことないし……っていうか、昨日捨てられましたし!」

「うそやん」

「まじで人生詰んでて死のうかと考えたりもしたんですよ! ほんと、今日生きててよかったぁぁぁあああ……!」

「泣くな明良。ティッシュ、あげる」

「トマトもあげる」


 たまっていたものを全て吐き出す明良に、そっとティッシュを箱ごと差し出してくれたのは双子だ。

 こんな話聞かせるべきじゃないとわかっているが、明良は双子の優しさにも甘えてしまった。多分、トマトは嫌い食べ物を処分したかっただけなのだろう。それでも優しい子ども達だと抱きしめてしまった。


 そんな明良達を見て、悠里と慶一は苦笑いした。


「まあ……たくさん食べて、いっぱい泣きなよ。そしたら次は、周りの人達に元気もらえて自然と笑えるようになるからさ」

「そうだね。おかわりもあるから、持ってくるよ。あ、一口サイズのコロッケも作ってみたんだけど、食べる?」


 食べる、と明良と悠里と双子が揃って手を上げた。ちゃっかり悠里の傍でウカも前足を上げている。

 微笑ましく自分達を見る慶一に、まるで家族団らんとした空気だなぁ、と明良は胸が温かくなった。





「さて、ご飯も食べたところで……明良君に一つ提案があります」

「あ、はい」


 満腹になった腹を休めるようにお茶を飲んでいた明良は、悠里とその隣に座る慶一の真面目な顔に気づいて姿勢を正す。


「君、うちで働いてみない?」


 慶一から飛び出した言葉に、「え?」と目が丸くなる。


「……ええと……それって、もしかして……指導員の仕事、的な?」

「それもある。できれば、カフェの仕事を中心に手伝って欲しい。ありがたいことに最近はお客さんも増えてきて、従業員を増やすか悩んでいたんだ。……ただ一つ問題があるとすれば、うちは君が望むほど高い給料が出せないってこと」

「んー……それだと、少し厳しいです。俺、他にもバイトをかけもちしてますし、ここにシフトを組み込める余裕もありません」


 おいしいご飯を食べさせてもらった手前で拒否するのは心苦しいが、明良はあえて相手の厚意だと割り切って率直に伝える。

 すると、悠里と慶一はお互いの顔を見て頷いてから、再び明良に向き直った。


「だから、交渉したい。これは君にとっていい条件だと思う」

「条件……?」

「給料ではなく、家賃光熱費不要の物件とまかないをつけるのはどうだろう?」

「ええ!? それ、どういう……あ、もしかしてここの二階に住むとか?」

「違う違う。ここに引っ越すのは私。君が住むのは、私が今住んでる家ってこと」


 悠里が今住んでいる家は祖父の家だが、すでに亡くなってしまったため悠里一人で住んでいる。慶一の婚約者ということもあり、今後のことをふまえて家をどうするか考えていたところ、明良の状況を察して家を貸し出すことを思いついたそうだ。


「うちで働くのは他のバイトと調整して週二、三日で構わないよ。仕事内容は双子の指導と、カフェの手伝い。……どうかな?」

「どうもなにも……俺に都合が良すぎて怖いぐらいです。食費まで浮くなんて……本当にいいんですか?」

「いいもなにも、実はこっちからお願いしたいぐらいなんだ。双子の指導者がなかなか見つからなくて困ってたんだよ。それと……なかなか悠里が同棲に頷いてくれなくてね」

「……ちゃんと考えてました」


 慶一の視線を受け止めた悠里がさっと顔を背ける。嘘をついたことは明白だ。

 何か嫌な理由でもあるのだろうか、と気になったが、明良の現状では二人から提示された条件があまりに魅力的に感じられた。家賃と光熱費だけでなく、食費もある程度浮くという部分が大きい。これならバイトを一つ減らせるし、勉強にも集中できる。悠里と慶一の人柄もいい。双子の相手も悪くないと思う。


 直感が、これに縋りつけと背中を押していた。

 その勢いのまま、明良はお座敷に敷かれた畳に手をつき、深く頭を下げた。



「精一杯がんばります! 俺を、ここで働かせてください!」



 これがきっと人生最大の幸運期だ。

 明良はそう信じて疑わなかった。



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幸を運ぶあやかしカフェ ナギ @wakanovel426

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