解決編
答えを求める警部を焦らせるかのように、パイプの火が明滅する。
「そうだな。ここで話をしてもいいんだが。できれば場所を変えたい。黄金林檎が余所へ移動しないうちに押さえてしまおう」
「では、どこにあるのか分かっているのか? 一体どこに?」
「今に分かるさ」
そして、太陽が昇り始めた午前六時。彼の姿はシティから西に移動したビクトリア駅近くの洒落たデザイナーズマンションの前にあった。庭を横切って眠たげな門番がやってくると、彼は二言、三言、言葉を交わすと最上階へと向かった。
迎え入れたのはロックスであった。睡眠時間は三時間しか無かった彼は眠気に焦点が定まらないままだったが、スペンサーを自宅に入れてソファを勧める。
「このような格好ですみません。スペンサーさん。黄金林檎について話があるとか。見つかったんでしょうか」
紫色のガウンを見下ろしながら、ロックスが尋ねた。スペンサーは操作していたスマートフォンをポケットに滑り込ませた。
「これから見つかる。おそらく十分以内にね」
そのあまりにも具体的すぎる返答に、ロックスは身体を震わせる。
「いったい、どこに?」
「ゴミ袋の中さ。それまで、せっかくだ。僕の思考の流れを聞いてもらおうか」
「是非とも、おいアリス。お客様に飲物を」
アリスが三人分のダージリンを持って現れた。黒い髪と白いブラウスが対象的だ。厚手のロングスカートを合わせて、夜中だと言うのに、まるでこれから出かけるみたいに整った服装だった。彼女が慣れた手つきでカップを置くと、温かな香りが居間に広がる。スペンサーは一口啜ると話し出した。
「最初に争点になったのは、林檎の行方だ。まずブラッドフォードは建物の中にはない、と断言した。あのさっぱりしたオフィスを警察が人海戦術で徹底的に捜すのだから、信用して良いだろう。
では、林檎が外に出たとして、どこから出たのか。窓か、それとも正面玄関か」
そして、先ほど警部に向かって話したのと同じように、ホーキンズ犯人説の否定を行なった。
「ホーキンズの言い分に基づけば、犯人はホーキンズが立ち去った後、林檎をガラスケースから盗み出したことになる。しかし、それでは正面玄関から持ち出すことはできない。当然だ。あの建物はホーキンズが外に出る前に守衛によって封鎖された。ホーキンズの後から展示室を出た犯人が、封鎖前に外に出ることはできない。
必然的に、林檎はそれ以外の出入り口――窓から外に出たことになる。実際、窓枠を調べたところ水滴が乾いた後があったよ。窓が開けられたとき、今朝の雨が吹き込んだのだろうね」
「しかし、それは犯人が開けたものにはならないのでは? ホーキンズが開けたのかもしれませんよ」
「忘れたのかい、修理をした照明は窓際だ。不安定な脚立に乗った状態で、わざわざ窓を開けて落下の危険を倍加させる人間がどこにいる。
あれは犯人が開けたんだ。犯人はガラスケースから林檎を盗み出し、それを窓の外へと投げ捨てた」
自信たっぷりに言い切ったスペンサーを前に、ロックスは乾いた笑い声を上げる。
「スペンサーさん。お聞きになっていないんですか。ブラッドフォード警部も最初は窓を疑っておられましたが、川底からは何も発見できなかったんですよ」
スペンサーは目を瞑って頷いた。
「そうだ。ブラッドフォードは実に惜しいところまで行っていた。彼にもしも自分を信じる心がもう少しあれば、事件は早く解決していただろう。
窓から林檎が投げ捨てられた。川底には何もなかった。この二つを組み合わせるならば、答えは単純。林檎は引き潮に流されていったのさ」
「ありえませんよ。金の塊がどうやって」
「そうだ。黄金の塊が川に流されることはあり得ない。しかし、林檎は流されていった。つまり、今日消え失せた林檎は水に浮く偽物。大方、本物の林檎を金色に塗った程度の代物だ。
犯人の行動をまとめよう。まず犯人は偽林檎を作り、黄金林檎と入れ替えた。そしてホーキンズを呼び、彼が作業を終えた直後に応接室に入り、偽林檎を川底に投げ込んだ。そうして黄金林檎があたかも今朝盗まれたかのように偽装した。この程度の簡単な事件なのだよ。
だが、簡単とは言え犯人について重要な示唆を含んでいる。
『犯人は偽物を作れるぐらいに、黄金林檎に詳しい』『ガラスケースの開け方を知っている』『ホーキンズの後から展示室に入って、ガラスケースに近付きうる』」
「まさか、自分を疑っているんですか? 冗談じゃありませんよ。一体どうして自分の会社のものを盗むと言うんですか。それに、スペンサーさん。貴方の仰っていることはただの推測だ。そんな話を聞かせるために、こんな夜明け前に来たんですか?」
「確認をしに来たんだよ。ミーティングが終わった後、先に外に出たのはアリス、君だね?」
弾かれたように兄が妹を見る。返事はない。
「気になったのは、ホーキンズ、ロックス、アリス三人の指紋が見つかったことだ。。男二人の指紋が付いたタイミングは応接室へ出入りした時だが、アリス、君はいつスイッチに触れた? 君が応接室に行ったときには、既にロックスが明かりを点けた後だというのに。触れる理由がない。まさか、前日についた物が残っていたなどと言わないでくれよ。あそこには夜間清掃が入る」
沈黙が居間を包む。ロンドンバスの音が奇妙に遠くから聞こえた。
「君はミーティングが終わった後に、ロックスよりも先に応接室に行き、林檎を投げ捨て、その場を離れた。そうだね?」
アリスはそっぽを向く。
「動機は金か? ロックス=アンド=ミネルバの経営は行き詰まっている。そうだろう?
掃除夫の動きは実に酷い物だった。アルバイトだね? 半導体という塵や埃に敏感な商品を扱う会社が、あんな清掃とは。その程度の経費を捻出できないほど追い込まれていると言うことだ」
「もう結構です! それ以上、お話になる必要はありません」
叫び声を上げた後、アリスは青ざめた幽霊のような表情を見せた。スカートを握りしめる手は震えている。
「おい、アリス――」
「その通りです。全て仰る通りです。
我が社の主力である半導体ですが、生成AIの流行で世界的大手IT企業が次々に参入したんです。後追いだというのに、お金に物を言わせて、有力な技術も製造元も買い占めていく。うちのような中堅ではまるで歯が立ちませんでした。みるみるシェアも奪われ、挽回のための資金がなくなってしまったのです。
それでも兄は挽回策を見つけました。前々から目をつけていたベンチャーが消費電力を二〇%削減できるかもしれない技術を見つけ出したのです。これがあれば会社を立て直すことも、いやさらなる利益を産むことは間違いありません。
ただそれまでの資金さえあれば……。
スペンサーさん、真相を知っているのは貴方だけ。貴方さえ黙っていてくだされば――」
スペンサーはステッキを床に強く打ち付け、饒舌な舌を黙らせる。
「巻き返せると信じているならば、どうして本当のことを言わなかった」
「そんなことできるわけがありません。落ち目の会社に金を出す人間はいませんわ」
「アリス、僕の家も元は交易で身を立てたがね。我が家の家訓は『常にフェアであること』だ。これこそが名誉と信用を生み出す。君の行為にはそれがない」
「兄を守りたかったんです」
「それで、非のない保険会社に負債を押しつけるのか? それはフェアではない」
「それが何だって言うんですか。目の前で悩んで、ピストル自殺すら考えているような兄を、そのまま見過ごせとでも仰るんですか!? わたしはどうなっても構いません。それでも、兄の会社だけは――」
目を血走らせて叫ぶアリスだったが、対するスペンサーはゆっくり首を振る。
「それはできない相談だ。警察が動いた、冤罪をかけられた男もいる。事は君だけではもう済まない。
君はお兄さんの会社の社員で、責任はお兄さんに及ぶ。それは避けられない。
いいかい、アンフェアは信用を失うんだ。覚えておきたまえ。君は黄金林檎を投げ捨てたとき、お兄さんが積み上げてきた全てを君の手で葬ったんだ」
廊下から複数の足音が聞こえてきたので、スペンサーが扉を開けると、ブラッドフォード警部と、このマンションの門番が立っていた。門番の手には黄金林檎が握られていた。
「旦那の言うとおり、そこの人が出したゴミ袋に入っていましたよ」
「サーが来るというので慌てて手放したんだな、指紋がべったりだ。さあ、アリス来てもらおうか」
アリスを部下に連れて行かせた後、ブラッドフォード警部が敬礼した。
「お見事です、サー。これで事件の影響は最小限に抑えられます。今日がイギリスにとって暗黒の日になるところを救ったんです」
「僕にとっては、暗黒の日ですよ。会社も、妹も失って――」
項垂れるロックスの肩にスペンサーは手を置いた。
「君の人生までが失われたわけじゃない。君が罪を犯していないことを、私は知っている。事業はまたやり直せば良い、アリスもいつか必ず戻ってくる。それまで、どうあっても生き抜くんだ。困ったことがあれば相談に来ると良い。できる限り力になろう」
その言葉に、ロックスは弱々しくも、確かに頷いた。
黄金林檎が落つる頃 黒中光 @lightinblack
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