ガラスの蜘蛛

「復讐って……俺は……何もしてない」


 俺は呼吸さえも感じるくらい目の前にある可愛らしい顔を、頭が真っ白になりながら言った。

 ダメだ、この事態は完全に俺のキャパを超えている。

 あいつに……夏輝なつきに相談できたら。


 目の前の琴音の顔は能面のように無表情だ。

 くそ……俺は、この子を……怖がっている。

 いきなり現れて理解を超えることばかり言う、しかも男か女か分からない、とか。

 狂ってる。


「ゆっくり思い出して。答えを言うのは簡単だけどそれじゃ僕がつまんないし、君への罰にならないもん。何より……」


 そう言うと琴音はフッと笑って、俺の唇に軽くキスをするとようやくネクタイを離した。


「それじゃあね。ちょっと色々やることがあるから帰る。明日から忙しくなるし。でも、すっごく楽しみ」


「また……来るのか? 俺の前に」


 頼む、勘弁してくれ。

 真里の誤解も解きたいのに。


「当たり前じゃん。じゃあ……またね」


 そう言って琴音は歩いていった。


 ※


「え? 何なのその子。やばくない?」


 あのとんでもない出来事から一夜明け、俺は中学からの腐れ縁の飯野夏輝いいのなつきと自宅近くの行き着けのカフェにいた。

 夏輝は女性でありながら、中性的な服装や髪型、顔立ちのせいでパッと見、男性に間違われる事もあるが、そのせいで俺も異性と言う意識無しに何でも相談できた。

 顔立ちは悪くないのにもったいない……と思うこともあるが、夏輝曰く「私はこれが自然だから」と言うことらしい。


「訳が分からない。復讐って言ったって、そもそも覚えの無い事言われてもどうしようもないだろ」


「それ、人違いとかじゃない?」


「いや、あいつは確かに俺の名前を読んだ。間違いはない」


 夏輝はちぎったベーグルを口に入れると、アイスコーヒーを一口飲んだ。

 俺も気分を落ち着かせるため、アイスティーを飲んでハムサンドを口に運ぶ。

 アイスティーとハムサンドが一夜明けても疲れきっている身体に染み渡るようだ。


「ふうん……さっぱりわかんない。そもそもなんでその子、自分の性別を隠してるんだろ?」


「変態だからだろ」


 そうぶっきらぼうに言うと、夏樹は噴き出した。


「和也、ストレートすぎ! でも、それだけじゃない気がするな。わかんないけど。しかもキスまでしてるしさ。ってか、何となくでもわかんないの? 体つきとか声とか」


 そういわれて改めて思い出したが……思い出したくもないのだが、それでも、脳裏に浮かぶ琴音の姿から判別は出来ない。


「あいつ、声は完全に女子だった。やっぱ女性かな」


「わかんないよ。そういうのって女性のような高音出せるボイストレーニングってあるんだよ。それやってるかも。年齢は?」


「分かるか。ただ、見た感じ高校生っぽかった」


「ま、何はともあれその琴音って子がもっと教えてくれないとね。もったいぶらずに言えばいいのにね」


「全くだよ。だけど、あいつ俺を破滅させるって言ってたんだ。悠長にも出来ない。とっとと何とかしないと。でないと真里とも……」


「……真里ちゃん、怒ってた?」


「ラインにも返事がない。最悪だ……お前だから言うけど、プロポーズしようと思ってたんだよ」


「……そう、なんだ」


「ああ。計画がパアだよ。……絶対警察に突き出してやる。あの変態」


 夏輝は少し黙ってたが、ホッと息をつくとちぎったベーグルを俺に差し出した。


「真里ちゃんは大丈夫。そろそろこの話、やめない? 和也も気晴らししないと。ここのベーグル美味しいよ」


 ※


 夏輝と分かれた後、俺はアパートに戻った。

 部屋に入ると、滅入った気分がまた蘇ってくるようで、そのままソファに寝転がる。

 なんで俺がこんな目に……


 俺は悪い事なんて……何も……

 疲れていたんだろう。

 ウトウトしていた俺はある場面を思い出していた。

 

 男に手を引かれて歩いていく少女。

 それを見送る俺。

 振り返った少女の目が俺を見て……


 俺はハッと目覚めると、思わず目だけギョロギョロと動かした。

 夢……


 またか。

 あの日……17歳の夏の日。

 あの日以来、度々夢に見る。


 なぜなんだろう。

 あの子は覚えている。

 俺の近所に居た子。

 名前は……忘れたが、俺に懐いてくれていた。

 確か……当時、8歳くらいか

 でも、ある日親戚に引き取られて……だが、細かい部分が思い出せない。

 たった9年前の事なのに、なぜだろう。


 だが、特におかしな点はないはずだ。

 よくあるお別れの光景……のはずが、今でも何故か、思い出すと冷や汗をかく。


 俺はため息をつくと、ソファから起き上がり冷蔵庫に向かうとジャスミンティーを出す。

 コップに注いで飲むと、爽やかな香りが心を落ち着かせる。


 夢のことはいい。今はあいつ……琴音とか名乗るあいつの事だ。


 その時、インターホンが鳴ったので、ジャスミンティーのグラスを持ったまま玄関のドアを開ける

 次の瞬間、俺は身体が凍りついたようになった。


 そこに立っていたのは、昨日のアイツ……瀬能琴音だった。

 黄色のワンピースが夏の空気と琴音の雰囲気に良く似合っていた。


「何で……」


 混乱しきった俺を見て、琴音はニッコリと笑うと言った。


「君、ジャスミンティーとか飲むんだ? 僕も大好き。今度一緒に飲もうね」


「ふ……ふざけるな。ストーカーか? こんなところまで……出て行け」


 何とか言葉を振り絞ると、琴音はキョトンとした顔で小首をかしげた。


「なんで? 自分のアパートから出て行く筋合いないじゃん」


 な……

 俺は目を見開いたまま、琴音を凝視する。

 どういう……意味だ?


 琴音はぺこりとお辞儀をすると、右手に持っていた紙袋を差し出してきた。

 そして……ニンマリと笑いながら言った。


「昨日から隣の部屋に引っ越してきた瀬能琴音です。今後ともよろしくお願いします」

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悪魔に呼ばれてキスをする 京野 薫 @kkyono

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