魔女と黒猫

不明夜

魔女と黒猫

 冷たい空気が心地よい、ある秋の日のこと。

 

 古くて壊れかけでこじんまりとした一軒家には不釣り合いな菜園を見て、私の友人はため息を吐いた。 

 そして珍しい事に、今回のため息は菜園のサイズや管理の杜撰ずさんさに対するものではなかった。

 普段なら、菜園や庭園はの生命線だとか何とか言って来そうなのに。

 

「––––––––貴方、けったいな呪いでも受けてきたの?それとも、暇で暇で仕方がない人間の仕業かしら。動物って線もあるけれど……この辺にも出るのかしらね、猪」

「まあ、ど田舎界の都会みたいな場所ですし。出る時は出る、くらいの頻度で来やがりますね」

「そう。で、どうするの?」

「どうも何も……そりゃあ、私でも荒らされた畑の片付けくらいはしますよ。流石にそこまでズボラじゃないですしー?」


 もう一度、彼女の口からため息が吐かれる。

 それは明確に私へ向けられたもので、しかも明らかな苛立ちが込められていた。


「……畑を荒らした犯人の処理に関する話よ、私がしたいのは」

「ああ、そっち?」

「そりゃあそうでしょう。一応は貴方も魔女なんだから、平和ボケは程々にしてよね。それじゃ、片付けは宜しく。何かあったら起こしてください」

「えー。君も一応は現代人でかつ居候なんだから、ちゃんと人類の生活に合わせる努力をしたら?今、絶賛日中なんだけど」


 私のちっぽけな反抗も虚しく、彼女は家の中へと消える。


 犯人の処理、なんて言われてもな。

 そもそも犯人の見当が付いていない以上、私に出来ることは少ない訳で。


 その日は愚痴をこぼしながら掘り起こされた土を片付け、益体もない思索に耽りながらバイトをこなした。

 ここら一帯の生命線であるコンビニのバイトなのだが、もう始めて一年は経つ。

 正直なところ、品出しとレジ打ちは魔女家業よりも板についてしまっている。


 それでいいのかと時たま思ってしまうが、魔女なんて今時時代錯誤だし仕方ない。

 魔女狩りが最早遠い過去の出来事となった現代社会において、魔女である事にはメリットもデメリットも生まれないのだから。 

 私たちは結局のところ、魔法という多少変わった趣味を持っているだけの一般人でしかない。


「おかえりなさい。ところで、唐突にテレビが動かなくなったのだけれど……こういうの、貴方の得意分野よね?」

「……何が」

「……直せる?」


 多少変わった趣味を持っているだけの、一般人でしかない。

 だって見てみろ、魔女としては高貴な家柄らしい私の友人の現状を。

 テレビのコンセントが抜けている事にすら気付かず、すまし顔のまま私に助けを求めている。

 あれを特別な存在と捉える方が、圧倒的に無理があるだろう?

 

 コンセントを差し直し、大して面白くもないドキュメンタリーを流しながら、二人して冷食を腹に入れる。

 

 菜園が荒らされていた以上の不幸はない日だったが、日記に書く事がある分幸運ではある筈だ。

 結局、犯人は分からずじまいだったが。

 恨みを買った覚えはないし、ここ最近は動物も見ていない……いや、見ていない事はないな。

 

 あれは確か、数日ほど前だったか。

 バイト帰りに疲れ果ててとぼとぼ歩いていた私は、見つけたのだ。


 ––––––––猫を。


 それもただの猫ではない、魔女に相応しい黒猫だ。


 前の大雨のせいか毛並みはボサボサになり、体は見ていられない程痩せ細っていたのは記憶に新しい。

 血と泥で汚れた首輪を着けていた気がするので、昔は誰かの飼い猫だったのだろうか。


 放っておけば明日にでも死んでしまいそうな位に弱っていたが、私が無視して帰ろうとすると猫撫で声からは程遠いドスの利いた声で威嚇してきたので、思い返してもあまりいい思い出ではない。

 その上私が歩くのを邪魔するように陣取ってきたし、猫と一進一退の攻防をする羽目になったのは屈辱だ。


 一瞬家に連れ帰ろうかとも思ったけれど、既にうちには猫レベルに気まぐれな人間が住み着いていたせいで、結局そのまま帰ったんだったか。


 うーん、恨みは買っているかもしれないな。

 猫の恨みを買ったところで、流石に畑を荒らされたりはしないと思うけど。

 何にせよ、犯人探しは振り出しに戻ったか。

 菜園が何度も荒らされる様ならちゃんと対策すればいいし、そこまで悩まなくても問題はないだろう。


 その油断が命取りだと私が気付いたのは、愚かにも数日後の事だった。


 幾度となく荒らされる菜園、倒される植木鉢。

 彼女が夜なべして張った人除けの結界に効果はなく、私が導入した安物の防犯カメラもついぞ犯人を捉える事は無く。


 何の成果も得られない日々に二人してストレスが溜まっていた所で、事件は起きた。

 いよいよ眠ろうという時に、玄関の呼び鈴が鳴ったのだ。

 それも一度ではなく、何度も何度も。


 悪意の無い人物の訪問と捉えるには、あまりにも悪質な鳴らし方だ。


「結界に反応は無し。獣が呼び鈴を鳴らせる訳もないので、消去法でイタズラの犯人ね。……貴方にとっては、初めての戦闘になるのかしら」

「何で既に戦う前提なの!?まあ……うん、それも仕方ないか。多少痛い目は見てもらわないと、話にならないし」

「その意気よ。さあ、行きましょうか」


 いつ買ったのかは覚えていない木製のバットを持ち、最近は乗っていないバイクのヘルメットを被って玄関の扉を開ける。

 しかし、私達の目に飛び込んできた犯人の姿は、想像していた物からかけ離れていた。


 ––––––––猫。


 それもただの猫ではない、最近出会った例の黒猫だ。

 

 何故か歴戦の兵士の様な貫禄を感じる黒いボサボサの毛並みに、程良く筋肉と脂肪の付いた体。

 短期間で様変わりしすぎだとは思うが、それでも間違いなくあの時の黒猫だ。 

 

 だって、同じ首輪を着けている。

 前よりも多くこびり付いている泥を見るに、それだけこの猫は修羅場を潜って……いや待て、もしやうちの菜園の泥では?


「猫……例えお前が猫でも、イタズラの責任は––––––––あっ、待て!」


 私が話し終わるよりも前に、猫は家の中へと飛び込む。

 しまった、侵入された。


 まるでこちらをおちょくる様に、出会った時と同じどすの利いた声が家の中に響く。


「元気な猫ね。そうだ、貴方の使い魔にでもしたら?きっとお似合いだと思うけど」

「えー?それにしてはヤンチャすぎるでしょ、あの猫。気まぐれで手が掛かる生き物は既に間に合ってるんだけど」

「……今の失言は聞かなかった事にします。そして、貴方は使い魔をペットか何かだと思ってません?いい、魔女にとっての使い魔とは––––––––」

「うーん、ご高説は後にして貰える?それよりも、もっと差し迫った厄介事への対処が先でしょ。あの猫、放っておいたらこの家にある全ての食器を壊し尽くすよ?」


 困った事に、現在進行形でテーブルに出しっぱなしだったコップが攻撃されている。

 今すぐに捕まえたいが、無策で突っ込んでも躱わされるだけだろう。

 手に持っているバットを投げても惨状にしかなり得ないし、私が使える魔法はそれこそ何かを燃やすだけのものしかない。


 猫が丸焼けになるのも、家が丸焦げになるのも見たくない。


 猫の陣取るリビングの前で私が右往左往していると、背後から聞き慣れたため息の音が聞こえた。

 

 それに続くのは一節の詠唱。


 何かが高速で横を通り抜ける様な感覚に驚き振り向くと、そこには首根っこを掴まれ身動きが取れなくなっている黒猫が。

 掴んでいるのは当然、すまし顔の同居人だ。


 爛々と光る猫の目からは戦意が失われているとはとても思えないが、生き延びる為なら命乞いも辞さないという覚悟なのだろうか。

 辺りには、可愛らしい猫撫で声が響いている。


「どうする?生かすも殺すも、今回は貴方に委ねてみるけれど」

「……今時、使い魔なんて流行らないと思うよ?」

「なら、この猫とはお別れかしら。残念、私は気に入っていたのだけどね」

「う……仕方ない、君もちゃんと世話するのなら、まあ」

「交渉成立ね。あ、ちゃんとした契約は貴方自身でやってもらえる?それじゃ、おやすみなさい。何かあっても起こさないで、勝手に解決しておいてください」

 

 厄介な同居人は事の成り行きを見守る事なく、寝室へと引っ込んだ。

 雑に投げ渡された黒猫と、目が合う。


「むー……猫、お前はどうしたい?またイタズラされても困るし、お前を飼うのもやぶさかではなくなってきたんだけどなー?」


 猫からの返答は、肯定とも否定とも取れるドスの利いた可愛げのない鳴き声。

 

 ––––––––この日から、我が家に厄介な同居人が一匹増えてしまった。

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魔女と黒猫 不明夜 @fumeiyo

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