〈2〉

 落ち着け。

 冷静になれ。

 この騙し絵のように抜け出せない迷路のような、永遠に続くぐるぐる回る螺旋状の階段のような状況から一旦離れなきゃいけない。こんなことを続けても何も変わらない。

 とりあえず深呼吸を数回繰り返し、喉を潤すことしか思いつかなかったけど、それで今は充分。

 

 下半身に掛かっていたタオルケットをずらし、私はベッドから体を出した。部屋の中は相変わらず暗いままだが、宙に浮かぶ野球の球のような大きさの青白い光がドアの場所を教えてくれる。

 だが、「……ん、ん? あれ?」手に触れた小さいものが私に歯向かう。

 ドアを開けようとしてもドアノブが数ミリしか動かない。言うことを聞かない。何回やってみても同じだった。寝起きで力が入らないという訳でもないのに。

「なんで開かないの?」

 とりあえず部屋の電気を点けようと思った私は、ドア付近にあるはずのスイッチを手探りで探す。が、いつもの場所とは違う場所にあった。

 スイッチを押してから少しの時間差を経て、蛍光灯に照らされた部屋が明るくなった。


 部屋は私の自室ではなかった。置かれた家具も最小限しかない。飾り付けていたポスターや小物があるはずもない。いまいちしっくりこない部屋。部屋が大きい感じがして寂しく感じる。

 

 思い出した。ここは昨日父に連れてきてもらったペンションだ。

 少し冷静さを取り戻せた感じがして心が楽になる。

 だけど、お客さんを迎え入れる予定ではないし、民宿として営業しないのならペンションという表現は違う気がする。新しく所有したと言ってもいたし、コテージでもない。避暑地という感じでもないから別荘とも違うかな。

 誰かのアトリエを安く譲り受けたといっていた。山小屋という小さいイメージではなく、御屋敷のような大きくて広い二階建ての家。何かこうややこしくて面倒くさいからペンションでいいや。


 自宅の私の部屋ではいつも鍵を閉めない。鍵を閉めるよう父に釘を差されたから仕方なくかけただけ。習慣というのは怖いね。もし一人旅したとしたら、泊まった宿泊施設でも鍵をし忘れそうで……。

 ひねりを回し・・・・・・、ロックを外して部屋から出る。

 アルファベットの大文字のEを模した建物であり、一本の長い廊下に短い廊下が三つ直角に繋がっている。螺旋階段が中央部に造られている。

 歩き回っているうちに建物の構造を理解した私は階段を降りて一階の台所に足を向けた。


 水道水を入れたコップが空になった時、さっきまで隠れていたものが顔を見せた。少し足を動かして歩いたのと水で一息落ち着けたおかげもあって思考回路も滑らかになり、今までの自分が別物であるかのように止まった世界が動き出した。

 世界が動くなんて大袈裟ではあるのだけど、霧が晴れて景色が見えるようになったみたいに、いつもの自分も見えてきたし、何故夢を思い出さないといけないと自己脅迫していた理由を思い出したから。

 

『見た夢を保存する仕事』

 頭で記憶するだけでは限界があるから、紙媒体で記録し保存する、ノートに書き綴ること。


 私は起きた途端に先ほどまで見ていた夢を忘れることがある。それは誰にもあることだと思うし、きっと何も気にも留めない、知らん振りするよくある案件なのだと思う。

 まるで消されたようにあったはずのものがない。必要としている夢が知らない間に消えている。思い出そうにも全く思い出せない。

 それは私にとってとても寂しいことであり、悔しくもあり辛いことなのだ。心にぽっかりと穴が開いたような喪失感に襲われる。


『夢とは記憶の整理』

 誰かの言葉か、情報の記録を整理して破棄するのが夢だと。

 情報の保存が記憶であり、情報とは生きるための、身を守るために必要な要素だ。

 でも、見た夢これから見る夢全てが私の体験したことではないし、願望が具現化したなんて思わない。知らない夢で初めて知ったことなんてよくある。

 しかし、私の脳で構築された情報であることは紛れもない事実。

 そして、整理するということは要らないものを捨てること。保存した情報を消すこと、保存する前に消すことを意味する。

 その情報の取捨選択が夢ではなく、新しい情報が入ってくる前に必要か不必要かはお構いなしに古いものから、もしくはいい加減に切り捨てる行為が夢ということだ。

 ならば見た夢が必要か不必要かなんて判らない。きちんと判断したうえで捨ててるわけではないから、古いからとか捨てられたからで不必要とは限らない。


 記憶とは人が生きた証に他ならない。それは財産に等しい。

 忘れた夢が本当に要らないものなら、何故こんなに喪失感に悩まされなくてはいけないのか?

 それは夢を忘れるということが財産の喪失と等しい意味を持っているからで、財布の端からお金が落ちていくのを黙って見ているのと同じなのだ。

 だから私は見た夢を、覚えている範囲で紙に書き写す。完全に覚えていることはまれであり、曖昧な部分がほとんどではあるけど、それでも自分の財産である情報を守るために。


『生きた証』

 私が感じた使命感とはこのことだったのだ。

『夢を守ること』

 すっきりしたものの、また私を苦しめるものが顔を出す。夢の一欠片も思い出せない私を襲う喪失感。保存に失敗したことで生じる敗北感。

 結局のところ私は眠る事が出来ずに朝を迎える羽目になる。

 

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殺意に満ちたその場所で 大神祐一 @ogamidai

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