雨湯うゆ作『湯屋の彼』を読んでの感想
「まずはひとえに分かり難い作品だと、感じたね。」
民俗学を専門とする知人の聞屋記者はそう語ると同時に、すでに黒よりも白の方が多い頭を掻いた。言葉の初めに頭を掻くのは彼の特徴的な仕草だった。
「二部構成と言うのが正しいのだろうか、最初は夢物語のような夢現といった具合の主人公に、スポットライトを当てた話で、次は主人公と湯屋の大将の会話シーンに光を当てた話。それぞれ前者を一番の話、後者を二番としてここからは語るが、本作は二番を基に一番を読むのが正しいのだろうと考えている」
はあ、と私がそこで相槌を打つと、彼は一拍の呼吸を置いて一つの話をし始める。
「『神武東征』の話は知っているかい?」
「まあ、常識程度にですが」
「あのお話で、神武天皇の郷導で遣わされた八咫烏というカラスがいただろう。あれと一番のカラスに私は類似点を見出だしていてね。」
神鳥八咫烏、三本足のカラスとされる『記紀』にて神武天皇を吉野まで案内した
「つまり八咫烏が一番で芋虫を喰らっていたカラスと?」
「ああ。というのも、作中の『朝日と重なり、後光のように反射する光はまるでそいつに白装束を着せているよう』という箇所が最もそれを裏付けるものだろうと考えているよ」
朝日と後光、この関連性については紀元前は二世紀、漢の劉安が書かせた『淮南子』の一節「日の中に
「では白装束とは?」
その質問に、彼は笑って返した。
「僕も知人の仏教民俗学に精通している友人に聞いたのだがね、熊野の古代葬法の一つに風葬というものがあって、その慣習で熊野でカラスが霊魂の去来を示す姿となったらしい。これでいうとだから、一番の『芋虫』とは遺体のことだろうね。そしたら大将の言った線香の香りというのもよくわかる」
「では朝宮ひなたが芋虫を過度に嫌がったのは、遺体に対する『穢れ』を恐れていた可能性もあるのでしょうか?」
そういうと、彼は「いいね」と言い、姿勢をただしてソファの背もたれに腰を預けた。
「確かに僕もそう思う。だからそれに続いて湯屋の大将の話にうつろうか。」
途端、彼は立ち上がって書斎から柳田國男の『妖怪談義』なる題名の本を取り出して机に広げた。
「芋虫の香り、大将は不快に思っていなさそうだった。僕はこれが大将自身が『穢れ』だからではないかと考えていてね。「ひだる神」、もしくはダルとも言うが、この餓鬼憑きについて知ってるかい?」
「聞いたことはあります」
「よろしい。この柳田國男の『妖怪談義』を基に話すが、この中の【ひだる神のこと】という号。これに依ると、ひだる神は山や辻、峠で憑くことの多い憑き物で、火葬場や磯でも憑くことがあるとか。」
そこで私はなるほど。と脳のしわに何かが落ちる感覚を覚えた。
「物見遊山の趣味」
「そう。それに加えて、一番の最後。『とかく今はひどく、腹がすく。』というのも憑き物にあった仕業だとわかる。
しかも最後に大将が行きなさいと言った熊野。あすこには餓鬼穴という深い穴があって、そこにはひだる神がいるらしいのさ」
「では『湯屋』とは何か関係があるのでしょうか」
「そこはきっとおふざけだと僕は思っているよ。この話の作者は能が好きだからね、五番立ての内の三番目物に女性をシテとした謡曲『
そう言われ、そういえば私もあの作者と話をした事があるが、確かに寒いジョークと日本文化が好きなお方だったなと腑に落ちて笑った。しかし本当にそれだけなのだろうかとも思う。
「じゃあつまり、あの湯屋の大将の正体はヒダル神で、それに憑かれた朝宮ひなたの話というわけですか。」
「いや、ことはそう単純じゃないさ。というのも————」
と、そこで部屋のチャイムが鳴り響いた。
「時間のようだね」
彼のギリギリの隙間時間を縫っての私の来訪、もう時間が来たようだった。
「すいません、長々とお邪魔してしまい。」
「いやいや、談義は実に効率の良い情報のキャッチボールだからね。私も楽しめたよ」
「ならよかったです。」
頭を使う話はあまり得意ではないが、楽しくないわけではない。私も存分に有意義な時間を過ごせたと感じれた。
「それでは」と私が放ち、ソファから立ち上がった時、彼はゆっくりと口を開いた。
「しかしだね、君。この憑き物を悪く思わないでいてほしいんだ」
「はい?」
脈絡のない話に私は一拍を置いて疑問符を提示した。
彼は続ける。
「だって、深い穴の底は予想以上に孤独なんだぜ」
それだけ言うと、彼は足早に私を部屋から追い出して、次に来訪していた女性記者だろうか。彼女を部屋の中に招いて扉を閉めた。
頭を使ったからだろうか。知恵熱で身体があつく感じる。今はとかく、腹が減った。熱った身体を冷ます氷菓を食いたい気分だ。
沸騰脳漿アイス 雨湯うゆ🐋𓈒𓏸 @tukubane_1279
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