盛夏

吉田理津

1.泣き食いのお雪

 私たちの出会いは、とあるショッピングモールのアクセサリーショップであった。お雪こと深雪みゆきが店を訪れた時、私は白木のボードに、頼るものもなくぶら下がっていた。イヤリングなんて、今時、皆、つけてはくれない。私は店の隅に追いやられて、ただ、すすべもなく、ぼんやりとショッピングモールの人々の往来を窓越しに眺めていたのである。

 店内に意識がなかったものだから、急に、ぶ厚い柔らかい手で持ち上げられた時には、肝をつぶし、つぎに、心が踊った。ごつごつとしてはいるが、実に温かい手のひらだった。

 私はてっきり、男性がカノジョにプレゼントするために、私を手に取ってくれたのだと思った。が、顔を上げると、目の前にあったのは、ふくよかな丸顔の女性であった。本来はキュートであろう小さなお目めは、強い光を帯びて、全身から異様なオーラが放たれていた。

「この桜の花びらのイヤリング、可愛いですね。色がいい。」

 私は薄紅色で桜の花びらの形をしており、プラスチックでできている。本来、ほっそりとした女性が黒のカットソーやニットを着た時なぞに似合いそうな小ぶりの私である。ふくよかな女性には似合わないのではないか。

 だが、彼女は私を購入することに決めたらしい。私の心の中の声が聞こえていたのか、ふんだくるように木製のボードから私を引き剥がし、鼻息荒く、レジまで直行しようとした。応対していた店員は目を白黒させながら、彼女に丁寧に声をかけ、私を受け取り、会計に案内したが、彼女はどすどすと足音を立てんばかりで、迫力があることに変わりはなかった。

 クレジットカードには、力強くかつ美しい字体で『橘 深雪みゆき』と書かれていた。支払いを済ませて店を出ると、ショッピングモールの中の化粧室で私をつけてくれた。洗面台の鏡に映し出された、丸く可愛らしい顔には、微笑が浮かんでいた。だが、目には強い光を帯びたままであった。

 深雪みゆきはそのまま外に出て、すぐ前にある駅で急行列車に飛び乗り、小一時間揺られて、大阪の京橋で降車した。彼女が駅の近くにあるホテルに大股で歩を進める間、私は揺れに揺れた。あまりに振れ幅が大きいので、気持ちが悪くなった程である。周囲の景色が上がっては下がり、時々、空も見えたが、西の空には、黒々とした雨雲が浮かんでいた。

 ホテルのラウンジに到着すると、栗色の髪を短くカットした品のある女性が待っていて、こちらに笑いかけた。胸には、「篠田」と書かれたネームプレートをつけている。

「橘さん、今日は落ち着いて、頑張ってくださいね。もう、この前のことは忘れて。」

 気遣う様子を見せながら、篠田さんは向かいではなく、深雪みゆきの隣に座った。

 揺れが収まった私は、視界の許す限り、周囲をじっくりと観察した。土曜日の昼下がり、このラウンジでは、そこかしこでお見合いが繰り広げられている。皆似たような格好で、男性は一様にスーツを着用しており、女性はたいてい、ワンピースかツーピースであったが、華やかな色合いも多かった。ホテルのラウンジは、見合いする人々の適度な緊張感に包まれていて、他の用事の客を寄せつけない雰囲気さえあった。

 外に目をやると、雨雲がビルや通りに覆い被かぶさり、陽の光を遮っている。篠田さんが時計を気にして、入り口に視線を投げ、数分経った頃である。背の高い若い男性と、中年で眉の濃い、でっぷりとした女性が一緒に現れ、席に近づいてきた。男性は、前髪を分けた艶髪つやがみの、ため息の出る美男である。

 美男は、テーブルの脇に立ち、座っている深雪みゆきを舐めるように観察した。相手方の仲人は、美男の不躾な態度には気づかぬ様子で、深雪みゆきの仲人である篠田さんに、遅刻の理由をまくし立てていた。互いに簡単に紹介した後、しばらくすると、仲人たちはにこやかに席を立ち、「お時間は二時間です。」と確かめるように告げて、去って行った。

 一呼吸おいて、美男が、落胆の混じる声で、

深雪みゆきさんのご趣味はなんですか。」と話しかけたが早いか、深雪みゆきは彼の態度を、鋭い声で刺した。

「バーチャル殺人です。あなた、私を見てがっくりしてるんちがいますか。」

 窓の外で雷鳴がとどろき、目の前に座る見合い相手が身じろぎした。

「なんや、じろじろ見てきて、失礼と違いますか。いや、感じが良すぎるより、まだいいかも知れへん。知らんけど。私ね、この前、詐欺師とお見合いしたんです。いえね、別に、お金を取られたわけと違います。取られそうになっただけです。けどね、失礼だっていう事は、共通してると思うんです。あの詐欺師も、最初は私をじいっと見たんです。話し始めたら、感じは良かったけど、とにかく男は見た目から入る。この婚活市場、そんな面もあるんでしょう。でもね、嫌な男に出会うと、鉛筆で二の腕を刺したくなるんです。男のそういう所、ほんまに嫌いなんです。軽く殺意を抱くっていうことですね。」

 深雪みゆきは、これだけを、一気にかつ大声で言い切った。周囲は、静まり返るばかりである。

 向かいに座る男は、口をあんぐりと開けたまま、しばらく深雪みゆきを見つめていたが、やがて正気を取り戻し、用事を思い出したと呟いて、自らの分だけ会計を済ませ、逃げるように退席した。男がいなくなると同時に、深雪みゆきも自分の珈琲コーヒー代を支払い、周囲の視線を一身に浴びながら、足早にその場を離れた。ホテルを出ると、じゃじゃ降りの雨を無防備に身に受けながら、駅へと走り去った。

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