15話:覚醒

「……先生の娘さんといるって本当?」


 静寂という刃が李羅りらの皮膚を逆立てる。


 母親から発された言葉は、李羅の心臓を何十もの槍で突き差した様な感覚に陥らせる。

 指の先から全身が冷えていくのを感じて眸が震えだし、李羅の脳内で様々な思考が交差していく。


 最初に浮かんだのは、己と加密爾列かみつれが行動を共にしている事。

 加密爾列と夜遊びをしていて帰りが最近遅くなってはいたが、誰と遊んでいたかまでは一度も報告していない。

 何処からそんな事を知ったのかれも気になる所だが、一番の怪訝けげんとする問題は他にあった。




「……先生の娘……?」


 とぼける訳でもなく、李羅は逆に問うように其の言葉のみを復唱した。


 何せ、母が呼ぶ先生という者は──






 母が酔心している、其の人だけなのだから。




 加密爾列は李羅が想像していた以上に闇が深すぎる少女。

 唐突に結び付きだしていく事実を無理矢理にでもほどいてしまいたくなる程、一人の少年が背負うには重すぎる真実だった。


「あぁ……どうしてこんな事に……どうして……あなたが……」


 李羅のことの葉を聞き、本当である事を察すると母親は其の場で泣き崩れだして床へと膝を付いた。

 まるで我が子が大罪を犯したかのような、後悔と怒りが入り混じった大粒の涙を双眸から膝元へと流していく。


 絶望し切った母親の落涙らくるいに李羅は動揺を見せながらも、『此処ここは早く逃げるべきだ』と下で待っている加密爾列が脳裏を過ぎり、罪悪感を振るい払おうとこえを上げた。


「母さん……! 今まで黙ってごめん、でもそんなの知らなかったんだ!

 ただ加密爾列は母親に会いたいだけで、俺は其れを手伝おうとして──」




 すると──


 母親は覚束おぼつかない膝歩きで近づき、李羅を静かに抱きしめだした。


 いつの間にか背丈も抜いていた息子の成長を確かめるかのように、上へと手を伸ばして久方ぶりに彼の頭を撫で始める。




 母親の不可解な行動なれど、李羅はこの場から急いで逃げ出すという考えが徐々に薄れだしていく。

 加密爾列が待っているにも関わらず、この状態では何も、振り払う事さえ彼は出来なかった。




「李羅……殺したの? ……人を」


 すすり泣きながら問うてくる母の言葉に、李羅は何の言葉も答える事は出来ない。


「いけない子だ。

 ……でもこうさせちゃったのは母さんだから、私が悪いから……でも、今度は逃げないから、ごめんね、ごめん……」


 されどて彼の高鳴っている心音から母親は、矢張やはりかと確信を覚えてしまい李羅のシャツを涙で濡らしだす。


「母さん……」


 母の涙聲は懺悔にも似た哀声あいせいだった。


 電気一つ付いていない夜闇の玄関は母親の悲しみで溢れ返り、今にも李羅の眸から一粒の涙が毀れ落ちそうになっていた。

 誰しもが持ちうる辛い過去が全て肯定されていくかのように、涙という水となって浄化されていく。


 一粒、二粒と李羅の眸から頬へと落ちて、




 落ちて、






 落ちていく、




 と、







 突如、眩い光が視界一杯いっぱいに広がりだしていった。


 ※





 吹き荒れ出した火炎が抜け道を作りだすように、ベランダの掃き出し窓を豪快に突き破り──激しい爆発音が周囲に響き渡ると、一瞬にして巨大な火柱が冬の街に登りだした。


 されどて爆発の範囲は規模としては小さく、過ちを全て消滅し、灰化させようとする業火はアパートの二階──加賀かが家を燼滅じんめつしていく。

 一般宅の火事は収まる事を知らず、壮大に吹き荒れて凍てついた大気を燃焼し続けた。




 悲惨たる火難光景を──パソコンの画面越しに共有されている映像に眉一つ動かさずに観察する男がいた。


 加賀家のアパートから四百メートルも離れた場所に駐車されていた大型中継車の車内で腕を組み、リアルタイムで画面へと映し出されている映像を桜田快天さくらだ かしりは詰まらなそうに視聴していた。


「呆気ない……何もなければ普通のガキと変わらないか……」


『──A2から車両オペレーター。

 先生の娘様をさらったのに、うち達の留置所に送られないだけマシですよ。

 あそこほぼ人間実験と拷問施設ですし』

『──A1からA2。まだ作戦行動中だ、警戒を怠るな』


 現地に配置されている、完全オール装備型IIアイツー──クリサンセマンを装備したA小隊からの通信を聞き、快天はマイク越しに言葉を返す。




「車両オペレーターより全機。そういう事だ、まだ対象を確保したという情報も来ていない。

 配置はそのまま、周囲に眼をやるんだ」

『『──了解』』




 全機、合計九人のII部隊の返事をインカムのイヤホンで聞き取りながらも、彼らのセンサーや監視用ドローンで送られてくる様々な映像を見比べて加密爾列を探す。


『──B1から車両オペレーター。

 本当に大丈夫ですかね……あの女、イマイチ信用が無いっていうか。息子だけ逃がすなんて真似してないですよね?』


 B1から来る通信を聞き、快天は一息ついて「其れは大丈夫だろう」と答える。


「ちゃんとを持ってきて、釘を刺しておいたからな。何よりも先生のお言葉もある。

 彼方あちらとしても本望だったろうさ──」




 すると中継車の扉が開きだして、雪と水が混じったブーツの靴音を鳴らしながらコートを着た一人の少女が入って来た。

 からす色の長髪を翻して付着した水気を気にしている様子の少女に、の場にいた快天とサブオぺーレーター三名は頭を下げ、少女は蒲公英たんぽぽ色の双眸そうぼうで見つめると彼らにならい頭を下げ返した。


茉莉花まつりか様、今は家にいるようにと──」

「これは私の問題でもあるのよ、家でジッとなんて出来ないわ。

 ──状況は?」


 平然とした態度で押し入り頑固にも引き下がろうとしない茉莉花に、快天は先程送信されてきた映像を画面に表示しだす。


「つい先程、一分前の映像です」


 電気の一つも付いていなかったアパートの一室が突如激しく爆発し、木や硝子がらすなどの様々な破片を飛び散らせながらベランダの掃き出し窓から巨大な黒煙と火柱が立ち込めている映像を見て、茉莉花は少々眉をひそめた。


「この眼で視れなかったなんて、運転手が素直に送ってくれれば……」


 軽く愚痴を吐きながら隣の席に着座すると、快天は続けて部隊の配置画面を映し出す。


「現在、各付近に完全装備型のクリサンセマン合計九機三個小隊を、それぞれA、B、C小隊として配備しております」

「それで……“あの子”は回収できたの?」

「其れがまだでして」

「まだ?」


 少々聲を大きくして反応する茉莉花相手に、快天は見向きもせずに映像を凝視したまま話を続けた。


「回収班から通信が一向に来ないんですよ、何を手こずっているのやら──」




『……此方こちら回収班。……繰り返す、此方回収班』


 すると風の噂か、会話を遮る様に丁度回収班からの通信がイヤホンに入り込んだ。

 其の場にいたサブオペレーターが茉莉花にインカムを渡し、彼女も通信を聞く態勢を取った。


『──此方A1。回収班、其方そちらの状況はどうなっている。目標は回収できたのか?』


 A小隊の隊長が応答するも間は空き、何の返事も返ってこないでいると再び通信が返ってきてこう喋りだした。






『回収班より作戦行動中の全部隊へ。

 。速やかに其の場から退去せよ。──繰り返す、。速やかに其の場から退去せよ。以上。』




 低い聲質トーンで放たれた通信の内容に皆が耳を疑いながらも、其れ以上の返信は返ってこなかった。

 我々は完全に敗北したと言わんばかりの言葉に、何度呼びかけ返しても応答はなく──回収班全員が通信機器をオフにしていたのだ。


 『逃亡した? しかし何故……?』、何が起こっているのか理解できぬまま展開中の全部隊に緊張が奔り出す。





 すると──アパート近くで待機していたA小隊の三機は謎の振音を拾いだした。


 スピーカーから響いてくる外部音声に違和感を覚えるも、機体ライブラリにあるどのデータとも一致する音は無い。

 されど、一番近いと提示される音の情報は“II”であったがクリサンセマンや其の旧型機とは明らかに違う──駆動や装甲、未知なる機体の音を鳴らしていた。

 




 発振源は先程爆発したアパートの二階、から発している音だった。


 音で解る強靭たる鉄人の轟音、何百人なる行進よりも消魂けたたましい炎を踏みつける進軍の、一歩一歩がまるで重戦車をも踏み躙る程の重低音。

 重音が近づいてくる度に地響きとなって唸りを上げ、燃え続けるアパートが徐々に軋みだしていく。






 そして、一体のIIがベランダから姿を現した。




 背丈は3.5メートルとクリサンセマンより20センチも上な巨躰であり、ヒロイックな姿形に銀色装甲シルバーアーマーと薄い水色に彩られた半透明ハーフクリアの装甲を全身に重ね合い、甲冑の様に装着しながらも──全体的にはまだ装甲同士が閉じ切っておらず、半開閉状態のまま突っ立っていた。

 装甲の内側から零れ出ているエネルギー放電が白桃色の電子煙となって寒風に揺らぎ合い、周囲に広がっている冬の凍えた大気を燃焼し続けている。


 A小隊は火炎を背に立つIIの威光さに息を呑みながらも、陣形を整えてIA-21Cマシンガンのロックを解除した。

 回収班が逃げだした理由はただの逃亡ではない、ことによる恐怖の敵前逃亡だったのだ。




 銀色のIIの頭部にあるツインアイ双眸状のセンサー下には赤茶色になって焼け焦げた様な血液が付着しており、機械でありながらもまるで涙を流している様にも伺える。




 背に緋色が彩られ、暗影が揺らぎ立つ其の様に誰もが魅入られ──

 そして恐れおののき、自らの死を実感させるには十分な鉄の無双者が、いま目の前に君臨していた。






 映像越しに今まで顔色を変えなかった快天すらも、こればかりは驚きの表情を浮かばせて瞠目としている。


「ば、莫迦バカな……どうして、何故そこら辺の素人に……!」


 快天はハッとして隣を視ると、其処には左眼を抑えながら蹲る茉莉花の姿があった。

 記憶に根強く残り続ける程の屈辱を受けたかのように、眼球を抉り取られたかのように小刻みに震えて──残っている右眼で大きく見開き、映像越しに映っている銀色の完全オール装備状態のIIを凝視した。




 は何度かあった。

 昨日の夜、今日の放課後、そして今この瞬間。






   I will be the first line of de

『──我、先陣を切る防人とならん』




 くろがねの人形が言葉を発す。


 呪いにも、願いにも似た詠唱を唱えた刹那──全身の開閉していた箇所がほつれていた糸が全てを結ぶつくように閉じていき、隙間から視えていた内部フレームや他の装甲版が全て視えなくなる。

 閉じ終えた瞬間、銀色のIIは全身のラインから眩い白桃色へと発光し、炎風は機体を避けるかのように全方位一メートル半へと広がりだした。




「……え、A1から各機! 奴から一度も目を離すな! 繰り返す! 奴から一度も目を──」




 刹那──A1の直ぐ後方にいたA2の機体が背面から勢いよく地面へと転倒しだした。




 彼らが視線で追い掛けた時には、既に其の強固な鐵で守られていた頭部は装甲ごと潰され、人の血や脳漿、骨の欠片を鉄の隙間から溢れ出せていた。


 其れをかおから抑えつけるように、二階のベランダにいたはずのIIはA小隊の前へと姿を現した。

 時間さえも超越したような瞬間移動とも取れる俊敏な動きと味方を撃破した絶対的性能差に──

 『絶対なる兵器だ』と確信を寄せていた最新鋭機クリサンセマンでも勝つ事は出来ないと実感させるには十分な力を見せつけ──銀色のIIは既に始まっている虐殺行為の次なる犠牲者達に絶望を植え付けさせるよう、血涙が装飾された白桃色のツインアイを差し向けた。






 リアルタイム映像とA2機から来た死亡報告バイタルロストを受け、車両でモニタリングしていた中継車内にいたサブオペレーター達にも戦慄が充満していく。


「さ、桜田さん! これは!」

「言わなくても解ってる! ……だが、茉莉花様以外に完全装備を出来る人間がいるのか……⁉」




「……り……り」


 すると小呟小呟ぽつりぽつりと呟きだした茉莉花に、快天は心配した聲色で寄り添いだした。


「茉莉花様……一度簡易ベッドに横になりましょう、茉莉花様」


 されども茉莉花はその席から離れようとせず、次々とクリサンセマンを残虐に撃破していく銀色のIIに絶望の表情を浮かばせながら──続けて喋りだした。






「り、“再し紫丁香花リィ・リーラァ”……私のIIなのに……私だけに用意された華なのに……」


 自分の玩具を奪われた子供の様に口にして、双眸から垂ら垂らと涙が流れ始める。


 いつもの彼女であれば想像もできない程弱り切った様子にサブオペレーターたちは困惑した表情を見せ──冷静な表情で身を寄せる快天に身を委ねたまま、茉莉花は其の美しい形相を怒りの形へと歪ませて聲を荒げた。









「うぅっ……あぁぁ……うぅぅ……‼

 ──加密爾列ェッ‼」

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叛攻のリィ・リーラァ 糖園 理違 @SugarGarden

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