012号室 殺意の怪物


 地下最奥。どこか異質な空気を漂わせる扉の前に調査隊の面々が立つ。

 全員が警察の防具を身に纏っている。紅介は腰に紅い短剣を差し、萩倉は鏡面の盾を装備している。他のふたりは鉄パイプを強く握りしめた。


「全員、準備はいいか?」


 隊の先頭に立つ白郎が振り返り、確認する。

 尋ねられた三人は覚悟を決めた目で白郎を見つめ、首肯した。


「……」


 白郎は彼らが内心では怯えているのを知っている。全員、上手く隠しているようだが指の先が僅かに震えていたり、頬を汗が流れたりしている。

 しかし、それは白郎とて同じことだった。

 故に、彼は小さく苦笑すると、真剣な表情で扉を睨んだ。


「行くぞ」


 白郎が囁くように言う。

 ドアノブを捻り、扉を開く。

 冷たい空気が内側から外へ流れ込む。

 部屋の中は驚くほどに静かだ。

 空気が凍結し、静謐な世界が創り出されている。

 そんな世界に白郎が踏み込む。彼の足音に続き、三人の足音が廊下に響く。

 リビングに繋がる扉の前に立つ。

 白郎が片方の手をドアノブにかけ、もう片方の手でスリーカウントを数えた。


 ──三。

 ──二。

 ──一。


「突入!!」


 過去一番の声で白郎が叫ぶ。

 扉が勢いよく開かれ、四人が間髪入れずに中へ入り込んだ。

 部屋の中央を取り囲むように散開する。


「…………」


 紅介が腰の短剣を抜き放ち、息を呑む。

 眼前には例のモンスター──ホブゴブリンが座している。

 ホブゴブリンはその場を動く気配はなく、眠っているかのように目を閉じている。

 しかし、紅介たちは警戒を緩めない。

 彼らは知っている──このモンスターが殺意の怪物であることを。

 紅介たちが敵愾心を丸出しに睨みつけていると、ホブゴブリンがおもむろに瞳を開いた。

 光のない深緑の瞳がぐるりと自らを取り囲む人間に向けられる。

 紅介を全身舐めるように見つめたホブゴブリンは、次に大きく息を吸い込んだ。


「グオオオオオオ!!」


 直後、地獄の底を這うような咆哮が部屋を揺らした。

 蓋を外した間欠泉が如く、莫大な殺意が放たれる。


「ぐく……っ!」


 紅介は十分に警戒していた。しかし、ホブゴブリンが放った濃厚な殺意な塊が固いガードを打ち破り、紅介の心臓を握りつぶす。

 頭が真っ白になり、足は地に根を張ったように動かなくなった。


「あ、あ……」

「グギギ」


 動きが止まった紅介の目の前でホブゴブリンが立ち上がる。石の大剣を掴みあげ、深緑の瞳が紅介を捉えた。

 ホブゴブリンがゆっくりと紅介に歩み寄り、小さく唸ると、石の大剣を振り上げた。

 刹那、大剣が無情に振り下ろされる。


「──オラァ!!」


 ホブゴブリンの大剣が紅介の頭をかち割ろうとしたそのとき──両者の間に萩倉が割って入った。

 鏡面の盾が大剣を弾き返す。

 大きく体を逸らされたホブゴブリンは、萩倉から一歩後ずさる。


「よう、紅介くん。散々煽ってくれてあんがとよ。で? そういうお前は今更腰が引けちまったかい?」

「……はは、まさか。こっからですよ。こっから──アイツを殺す」


 引き攣った笑みを浮かべつつ紅介を挑発する萩倉。

 紅介は明確な殺意を瞳に宿すと、短剣を顔の前に構え、ホブゴブリンを睨む。


「ギギィ……」


 紅介の殺意に反応したのか、ホブゴブリンが口の端を吊り上げた。

 その後ろで大きく影が跳ねる。


「よそ見してていいのかよ!」


 鉄パイプを振りかぶり、跳躍した白郎が叫ぶ。

 刹那、彼の振り下ろした鉄パイプがホブゴブリンの頭蓋を打ち砕く──と、誰もが幻視した。

 しかし、遅れて反応したはずのホブゴブリンの石の大剣が鉄パイプを受け止め、弾き返す。


「ぐッ──!」

「グオオ!!」


 後方へ吹き飛ばされた白郎にホブゴブリンが追撃を仕掛ける。

 ホブゴブリンの大剣が白郎に迫るが、今度は東堂の鉄パイプが大剣を弾いた。


「重っ……!」

「グギ……!」


 攻撃を弾かれた両者はから足を踏み──静止。

 一体一の戦いにおいては仕切り直しのタイミング。

 だが、多対一のこの場面において一瞬の静止は命取りだ。


「はああああ!!」


 萩倉の背後から飛び出した紅介が紅の短剣を構え、ホブゴブリンの背に肉迫する。

 下段から振り上げるように薙ぎ払われた短剣は、ホブゴブリンの背中を大きく斬り裂いた。


「ぐおおおおおァァァ!!!!」


 ホブゴブリンから聞いた事のない絶叫が叫ばれる。

 ヤツは大剣を一度地面に叩きつけると、なりふり構わず振り回した。


「やべッ──」

「カバあああ!!」


 ホブゴブリンが無造作に振るった大剣がもっとも近くに接近していた紅介に襲いかかる。

 紅介が回避出来ないと考えると、またしても萩倉が盾で大剣を弾き返した。


「言っただろ! 調査隊は俺が守る! だから、お前は攻撃に専念しろ!」

「はい!」


 紅介は萩倉の言葉を受け取ると、勢いよく駆け出す。

 ふと、周りを見ると白郎と東堂も武器を構えてホブゴブリンに接近していた。


 ──勝てる。


 一瞬、そんな考えが紅介の脳裏に浮かび上がった。

 だが、同時に胸の辺りにしこりのようなものを感じたのだ。


「はああああ!!」


 紅介がしこりの正体について考えようとしたそのとき──東堂が鉄パイプを振り上げ、ホブゴブリンに飛びかかった。

 紅介の視線が東堂からホブゴブリンに移る。

 直後──


「「待てッ!!」」


 紅介と白郎が同時に叫んだ。

 東堂がふたりのほうを一瞥し、再び前を向く。

 すると、石の大剣が目の前に迫っていた。


「──ッ!?」


 東堂が鉄パイプを素早く振るい、石の大剣にぶつける。

 途中で軌道を変えた影響か、鉄パイプは容易に弾かれ、衝撃を受けきれなかった東堂は後方へ弾き飛ばされた。


「──グオオオオオオオオ!!」


 ホブゴブリンがこれ以上ない咆哮を叫ぶ。部屋中のガラスが共鳴するように破砕し、紅介たちも鼓膜越しに脳を揺すられる。

 ホブゴブリンが咆哮をやめると、ヤツの体にも変化が起きた。全身に血で描いたような赤い模様が浮き出した。

ドクン──と赤い模様が脈動する。


「グオオオオオ!」

「まず、い……ッ!」


 もう一度咆哮したホブゴブリンは一番近いところに転がる東堂を目掛けて駆け出した。

 東堂は先程の咆哮にやられ、まともに動ける状態ではなかった。

 躱せないにしてもせめて防御だけはと鉄パイプを構えるが、パイプは中ほどでへにゃりと折れ曲がっていた。


「させるかよッ!!」

「萩倉さん……!」


 絶望顔で迫る石の大剣を眺めていた東堂の前に萩倉の背中が割り込んだ。

 彼は鏡面の盾を構えると石の大剣を受けとめる。


「グルアアアア!!」

「んな……!?」


 しかし、どういうわけか明らかにホブゴブリンの攻撃は威力を増しており、また、何度も攻撃を防がれた怒りからかホブゴブリンはさらに力を込め、萩倉を吹き飛ばした。

 いつぞやのように東堂を巻き込んで後方の壁に激突する。


「萩倉! 東堂くん!」

「グオオオオオ!」


 壁に当たり、ぐったりとするふたりを心配する白郎。

 ホブゴブリンは今度は白郎に目を向けると、大剣を振り回して襲い掛かった。

 白郎は鉄パイプを構えて応戦を試みる。

 しかし、大剣は白郎の眼前で弾かれた。


「紅介!?」

「親父はふたりを安全な場所に! コイツの相手は俺に任せてくれ」

「……わかった」


 紅い短剣を構え、ホブゴブリンを睨みつけた紅介が言う。

 白郎はこの凶暴化してパワーアップしたホブゴブリンを息子に任せることに葛藤したが、短い時間で決断する。

 白郎が萩倉と東堂の救助に向かったのを確認し、紅介はホブゴブリンに対峙する。


「さて、タイマンと行こうぜ!」

「ギギギ!」


 紅介が短剣の切っ先をホブゴブリンに向けると、ヤツは不敵な笑みを浮かべて大剣を構えた。

 両者の間にわずかな沈黙が訪れる。

 静寂。

 静謐。

 天井に設置された照明器具から一欠けらのガラス片が落ちた。


「はあああああ!!」

「グギギイイイ!!」


 両者が同時に動き出す。

 ホブゴブリンが石の大剣を上段から振り下ろし、紅介が振り上げた短剣をそれにぶつける。

 一瞬の均衡。しかし、体格差が優劣を分ける。

 鍔迫り合いの状態からホブゴブリンが押し込んでくる。

 だが──


「ふん!」

「グギィ!?」


 紅介は短剣を滑らせると、さらに踏み込んでホブゴブリンの懐に入り込んだ。

 短剣を逆手から順手に持ち替え、真上──ホブゴブリンの胸を狙って振り上げる。


ギィィン──と甲高い音が響いた。


 紅介の振るった短剣が石の大剣の柄尻に当たり防がれる。だが、その衝撃で大剣はホブゴブリンの手をすっぽ抜け、後方へ弾き飛ばされた。


「もう一発──……」

「ギギィ!!」


 短剣を振り切り、逆手に持ち替え、返す刃でトドメを狙う紅介。

 しかし、彼が顔を上げると、ホブゴブリンの攻撃が眼前に迫っていた。

 両手を組んで振り下ろされた一撃が、紅介の背中を打ち据える。


「ガ…………ッ」


 地面に叩きつけられ、紅介の呼吸が止まる。

 だが、そこでホブゴブリンの攻撃は止まらず、ヤツは叩きつけられた衝撃で浮き上がった紅介を蹴り上げた。


「ぐは……!」


 吹き飛ばされ、壁に激突する紅介。ずるずると体が地面に落ちていき、糸を失った吊り人形のように壁にもたれて座る。


「ぐ、く……」


 ホブゴブリンの攻撃を直接受けた紅介は、それでもまだ意識は繋ぎとめていた。積極的にモンスターを倒してきた影響で身体が頑丈になったおかげだろう。

 もっとも、意識があるだけで手足は指の一本も動かせない。

 ぼやける視界の中でホブゴブリンが一歩ずつ、踏みしめるように近づいてきた。


「く、るな……」


 紅介が持てる力のすべてを使って口を動かす。


「くるんじゃ、ねえ……」


 目力で抑えつけるようにホブゴブリンを睨みつける。

 しかし、ホブゴブリンは止まらない。

 ヤツはとうとう紅介の前までやってくると、そこでぴたりと立ち止まった。


「……たすけて」

「ギギギ!」


 紅介の口から命乞いの言葉がこぼれた。

 それを聞いたホブゴブリンはかつてないほど醜悪な笑みを浮かべると、紅介の希望を打ち砕くかのように拳を高らかに振り上げた。

 一切の躊躇いなく、ありったけの殺意を込めて、全力の拳を振り下ろす。


「たすけて──親父」

「──!?」


 刹那、ホブゴブリンの拳が紅介の鼻の先でぴたりと止まった。

 ホブゴブリンが素早く振り返る。

 するとそこには石の大剣を持ち上げた白郎の姿があった。

 彼はホブゴブリンの脇から息子を見ると、不敵に笑った。


「任せろ」


 白郎がホブゴブリンを睨みつけ、石の大剣を振り上げる。

 ホブゴブリンも振り返り、両腕をクロスして防御姿勢をとった。


「ハアアアアアア──!!」

「ギギャアアアア──!!」


 白郎の咆哮とホブゴブリンの咆哮が重なる。

 白郎が大きく踏み込み、大剣を振るう。

 大剣は銀色の軌跡を宙に描くと──そのまま地面までまっすぐに切り裂いた。


「ギギガ、ァ……」


 腕を切断され、胸元をバッサリ切り裂かれたホブゴブリンは最後に低く唸ると、前のめりに倒れこみ、黒い霧となって霧散した。

 黒い霧がなくなり、紅介と白郎が視線を交わす。


「かっけぇ……」

「だろ」


 紅介が力を振り絞って片腕を持ち上げ、親指を立てる。

 白郎も短く答えると、親指を紅介に向けた。

 ふたりは互いの健闘を讃えると、口の端を吊り上げた。


「っ…………」


直後、紅介は気を失って項垂れるように倒れこんだ。

それを見た白郎は全身から力を抜いて背中から大の字で地面に倒れる。


「まだまだ正義の味方にはほど遠いな……」


 余裕そうに見えた白郎だが、実際は息子の前で気張っていただけで、とっくの昔に限界を迎えていた。

 彼は最後に小さく呟くと、全身の力を抜き、ゆっくりと意識を手放した。



 白郎が気絶したあと、萩倉と東堂が動ける程度まで回復し、気絶したふたりを地上まで担いで運び上げた。

 そうして最初の約束通り地上に帰還した調査隊は、地下の攻略を完遂した。

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2024年9月21日 00:02

ダマンジョン 〜ダンジョン化が始まったマンションを『スキル』と『魔道具』と『正義の心』で攻略する〜 ハルマサ @harumasa123

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