011号室 助けを求める
カウントダウン残り【2】。
放課後。夕日が傾き、遠い空が暗くなる時間。紅介は久しぶりにひとりで帰路についていた。
マンションで事件が起こってから登下校のときは必ず隣に小桃がいた。だが、今日に限って彼女は委員会の仕事があり、学校に残ることになったのだ。
そんなわけでひとりになった紅介はあてもなくぶらぶらと歩いていた。
本日はついに地下の最後の部屋にいるモンスターを倒す日だ。万全の状態で戦うためにも早く帰宅し、入念に作戦を練らなければならない。登校時にも白郎に早く帰るよう念押しされた。
だが、紅介はもうずいぶん長いこと寄り道をしていた。
真っ直ぐに帰っていたならばもうとっくに家についている時間だ。しかし、実際はまだ帰路の半分程度のところをうろうろしている。このままのペースでは帰宅は七時を過ぎるだろう。
「はあ……」
紅介のため息が静かな住宅街に響いた。
のどかな場所だ。ほんの数日前までは紅介のマンションにも少し歪だが、似た空気が流れていた。人が笑い、鳥がさえずり、緑がそよぐ平和の空気。
だが、それらはある日突然奪われたのだ。謎のカウントダウンが始まり、地下にはモンスターが蔓延るようになった。
それでも紅介は平和を取り戻すために戦おうと決めた。そのためならどんなことでも出来る気でいた。
しかし、現実はそう甘くはなかった。
昨日目にした地下最後の部屋のモンスター。他のゴブリンよりも一回り大きく屈強で、凶暴そうな見た目をしたモンスター。ゲームなどではホブゴブリンと呼ばれるゴブリンの強化種だ。
昨日、そのモンスターを初めて目撃した紅介は規格外だと感じた。
視線ひとつで相手を圧倒する強大な殺意。それはいくつもの死にざまを連想させるもので、平和な世界に生きてきた紅介には耐えがたいものだった。
──勝てない。
そう思ったとき足が自然と折れ、地面に跪いていた。
そして紅介は耳にした。心の支えがぽっきりと折れる、あまりに脆く切ない音を。
「公園……?」
ふと現実に戻り顔を上げると、目の前に公園があった。小さな公園だ。砂場と、カラフルなドーム、その向こう側にブランコがふたつあるだけの大きさ。
「そういえば、昔親父と来たことがあったな。こんなに近くにあったのか……」
紅介の幼いころの記憶が思い出される。
当時はもう少し広い公園だった。ブランコの奥にはサッカーが出来るだけの広いグラウンドがあったし、遊具にしてもあと三種類は多かった。記憶にあるのは地球儀型のジャングルジムだが、今はないようで少し寂しい気持ちになる。
紅介が興味本位で公園に入る。もともと時間稼ぎの散歩であるからして、寄り道は大歓迎だった。
そうして公園に足を踏み入れた紅介であるが、そこで見知った顔を見つけた。
「萩倉さん?」
ドームを回り、ブランコが見えてくると、そこに野武士面の男が座っていた。
萩倉は紅介に気が付くと、片手を上げて応じる。持ち上げられて手にはお酒が握られていた。
「こんなところでなにしてるんです? ていうか、なんで酒飲んでるんすか」
これからモンスター討伐があるというのに酔っぱらっていては戦えない。
紅介が尋ねると、萩倉は自嘲気味に笑って見せた。
「オレはダメだ。ダメな奴だ。戦わなきゃならねえのに、こんなところまで逃げてきて……その上酒まで飲んじまって……オレは、オレは……!」
「なんだ、俺と同じじゃないっすか」
途中から涙を押し殺して俯いた萩倉を見て、紅介は小さく苦笑した。
隣のブランコに腰をかけ、地面を蹴る。ブランコは座席が低い位置に設定されており、前後を行き来するのに足を曲げる必要があるが、紅介はブランコを漕ぎだした。
「俺も逃げようって考えてました。あんな怪物とは戦えない。戦いたくないって。多分、死ぬのが怖いから」
「紅介くん……」
「でも、もし今逃げたら俺は正義の味方じゃなくなってしまう。それは絶対に嫌なんです」
「正義の味方……?」
萩倉がきょとんとした顔で首を傾げる。
紅介は彼の顔を見て、くすりと笑う。萩倉と同じ顔をこれまで何度も見てきたからだ。
「萩倉さんは憧れなかったですか? 困っている人のもとに颯爽と駆けつけ、手を差し伸べる正義の味方に」
「そりゃあガキのころは夢見てたこともあったけどよ……大人になったらんな奴はいないって気づくもんだぜ、普通はよ」
「じゃあ、俺たち親子は普通じゃないってことかな」
紅介はそういうと、ブランコから飛び降りる。安全用の柵の上に着地し、萩倉のほうへ振り返る。
「親父が言ってました。正義の味方はそうありたいと思った人すべてがなれるものだって。でも、それは自分だけの正義の味方だからそのままじゃダメだ。もし、みんなから正義の味方だって思われたいなら正義の心を持ち、その中にある信念を宿さなきゃいけないって」
「ある信念……?」
「『危険を前にしたときは臆してもいい、怯んでもいい、ただし──逃げてはいけない』。絶対に逃げない。これこそが正義の味方に必要な信念なんです」
「はっ……てことはオレは正義の味方にはなれねえわけだ」
「そうですね。逃げてしまった人間は正義の味方にはなれません。だから俺も親父もまだ正義の味方にはなれていない」
「は? 白郎さんは正義の味方だろう?」
「いいえ、親父はまだ正義の味方じゃないですよ」
言ってる意味が分からないといった様子の萩倉に白郎が説明する。
「親父だって死ぬかもしれない危険を前にしたら逃げますよ。昨日だってあの部屋から逃げ出したじゃないですか」
「でも、今日ソイツを攻略に行くって言ったのは白郎さんだろ!?」
「そう、親父は確かに一度逃げました。けど、もう一度立ち向かおうとしている。正義の味方にはなれなくても正義の味方に憧れたひとりとしてその背中を追い続けることは出来る!」
白郎はそこで言葉を区切ると、柵の上から降り、萩倉の前に立つ。
そうして彼の前に手を指し伸ばした。
「俺は一度逃げ出しました。けど、もう一度立ち向かおうと思います。俺は正義の味方に憧れたバカな子供のひとりだから。あなたはどうしますか? 萩倉國彦さん」
「オレは……」
萩倉は伸ばされた白郎の手を見て、次いで空を見上げた。
満点の星空。浮かぶ三日月。
──ああ、まるであの日の空のようだ。
萩倉はかつて白郎に助けられた日のことを思い出した。
彼は悪質な借金取りに追われていたところを白郎に助けられた。彼は五体一の不利のなか、萩倉を守るために必死に戦った。
そして借金取りを倒すと、今度は萩倉にも殴り掛かった。
萩倉は戸惑いつつも応戦し、結果は引き分けだった。白郎が借金取りとの戦いの後だったおかげだろう。
とにかくふたりは地面に倒れ、空を見上げる形となった。
──綺麗な星空だな。
白郎は息を切らしながら先程喧嘩したばかりの相手にそう語りかけた。
──世界中にはさ、この星よりうんといっぱいの人がいてよ、この星と同じ数だけ困っている人がいるんだ。でも、俺の手は小さくて助けられる人間はごくわずかだ。俺が月みたいデカければいいのにって何度思ったことか。
──まるで正義の味方みたいなセリフだな。
──そう、俺は正義の味方になりたいんだ。でも、俺の手は小さいし、月になることも出来ない。俺ひとりじゃあ正義の味方にはなれないんだ。だから──お前も正義の味方になれ。
──はあ!? オレ借金取りに追われたんだぞ! 金もろくに返せねえような奴が正義の味方になれるかよ!
──なれる! 金を返せなくても、借金取りから逃げようとも、困っている人から逃げなければ正義の味方だ。
──だからってオレにそんなこと出来るわけねえ……。
──まあ、強制はしないけどな。お前の代わりに俺が困っている人を助けるだけだ。でも、もし……もし俺が困ったときは俺はお前に助けを求める。そのときは俺を助けてくれよ。
──……考えておくよ。
なんてことのない十年以上前の約束だ。萩倉も忘れていた約束だ。白郎だってもう覚えていないことだろう。
だが、思い出したなら話は別だ。萩倉は白郎に返しきれないだけの恩がある。それを返す時がきたのだろう。
萩倉は視線を落とし、紅介の手を見る。
そして彼の手に自身の手を重ねた。
「オレも行くぜ。それが俺が憧れた正義の味方との約束だからな」
萩倉の言葉に紅介が嬉しそうに笑う。
「それじゃあ行きましょう!」
「あ、ちょっと待ってくれ」
今すぐにも駆け出していきそうな紅介を止めると、萩倉はゴミ箱の前へと向かった。
手に持っていたお酒をゴミ箱に捨てると、今度こそ紅介と共にマンションへ向かった。
▼
紅介と萩倉がマンションに帰ると、入り口のところで白郎が待っていた。
彼はふたりの姿を見て安心したように頷く。
「遅いぞ、ふたりとも」
「悪い、すぐ準備するよ」
「白郎さん! オレは、オレは……」
白郎の言葉に軽く返す紅介。
それとは反対に萩倉はなにか罪を犯したように改まり、白郎に頭を下げていた。
そんな萩倉を見て、白郎が大きなため息をつく。そして、彼の頭を強く殴りつけた。
「いでえ!?」
涙目になって顔を上げる萩倉。
白郎は彼の顔を見て笑うと、顔を上げ、空を見上げた。
「いつだったか、俺はお前に言ったよな。俺が助けを求めたとき、お前が俺を助けてくれと。俺はそんな日は来ないと思っていたんだが……どうやら今がそのときらしい」
白郎はそういうと後ろに控えていた東堂から長方形の大きな板を受け取った。
それを萩倉の前に差し出す。
「助けてくれ萩倉。お前の力が必要だ」
「白郎さん……オレ、やるぜ。あんたのためならどんなことでもやってやる!」
萩倉はそう宣言すると、白郎から長方形の大きな板を受け取った。
それからふたりで同時に笑いあう。
「──ところで、これはなんだ?」
ひとしきり笑った萩倉はやはり長方形の板に言及した。
重くもなく軽くもない板。大きさは萩倉の伸長と同じかやや小さいくらい。表面が鏡のようになっており、裏面は木製だ。裏面の中央に取っ手のようなものがついているが、これは間違いなく姿見だった。
「これは新たな魔道具だ。これといった効果はないが、鏡の面が非常に頑丈なんだ。裏に取っ手もあるようだし、恐らく盾として使うのが正しい使い方だろう。お前たちがいない間に俺と東堂くんで昨日攻略した部屋を捜索して見つけたんだ」
「さすがに骨が折れました」
一仕事を終えたような顔で答える白郎と、ぐったりとした様子の東堂。
そんな対照的なふたりを前にして萩倉は鏡で石化光線を跳ね返されたメドゥーサのように固まっていた。
彼の口がぎこちなく動く。
「白郎さん、今なんて? これが盾? てーことは、どういうことだ?」
「おいおい萩倉、お前さっき言ったよな? 俺のためならどんなことでもやってくれるってよ。頼んだぜ萩倉、その盾で俺たちを守ってくれよ」
とても正義の味方に憧れる人間とは思えないほど悪い顔で笑う白郎。
彼に肩を組まれた萩倉は顔を赤くしてなにかを言おうとしたが、がくりと肩を落とした。
「分かったよ! オレが盾役になってやるよ! その代わり、絶対にアイツを殺してくれよ!」
「ああ、約束する」
萩倉が拳を突き出し、白郎がそれに応じる。
ふたつの拳がぶつかり合い、熱い友情が弾ける。
そこに拳がもうひとつ加わった。
「一応俺も攻撃役なんで」
「はは! 東堂くんも頼んだぜ!」
「おっと、そういうことなら俺たち調査隊のエースにも頑張ってもらわないとな」
白郎がそういうと、三人が紅介のほうを向く。
自身に視線が集まると、紅介は大きなため息を吐いた。
次いで、苦笑する。
「全員で勝ちましょう」
紅介が拳をぶつける。
そうして調査隊の拳がひとつのところに集まった。
最後に白郎が言葉をかける。
「この戦いが事件の終わりに繋がるのか、それともまだ小さな火種のひとつに過ぎないのかは分からねえ。けど、確かなことがひとつだけある。それは俺たちは逃げなかったってことだ。あのモンスターを倒したところで事件は解決しないかもしれない。それでも逃げない心を持つ俺たちならばいつか必ず事件を解決することが出来るはずだ。そのためにもこの戦いに勝とう」
白郎はそこで言葉を区切ると、調査隊の面々の顔をぐるりと見回した。
全員の覚悟の灯った瞳を見て、満足気に笑う。
「アイツを倒して俺たち全員で生きて帰ろうぜ!!」
「「「おう!!」」」
調査隊が気合のこもった声で叫ぶ。彼らは拳を天に突き上げると、地下へ向けて階段を下って行った。
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