あの日――

風月 雫

あの日――

 最初にお伝えしておきます。地震関連の話です。震源地から少し離れた場所での話です。

 もし、地震等で辛い想いをされている方は、読むのはお控えてください。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


私には、県外の大学へ進学した娘がいる。

娘は、高校時に理系の大学を目指し、ひたすら受験勉強を頑張っていた。無事、国立大学に受かり一人での生活が始まった。4年で卒業し、就職をするのかと思っていたが、まだ研究がしたいと言い、そのまま大学院に進んだ。そんな娘と今、携帯電話でメッセージのやり取りをしていた。


『年末年始って帰った方が良い?』


 県外とはいえ、進学先の大学は隣県だった。帰省するには遠いということはない。高速道路を走って、二時間もかからない。けれど、娘は免許は持っていが車を持っていなかった。こちらから迎えに行くことが殆どで、そうすると往復4時間近くかかってしまう。娘にしたら、きっと申し訳なく思っているのだろう。


『迎えにいくから帰っておいで』

『わかったー。いつになる? 31日だとバイトがあるから19時以降になるけど。元旦だったらバイトが無いから、いつでもいいよ』

『了解。こっちの時間調整してみるわ』


 そんなやり取りをしていた。このやり取りも今年で5回目である。

 年末とはいえ、こちらも31日まで仕事をしていたけれど、特別な日でもあるので仕事も15時には終わるようにはしている。だけど、いつもなら迎えは明るいうちに行って帰ってきたくて、元旦の10時頃に家を出て12時頃着くようにしていく。娘を迎えにいってから、家族みんなで昼食を食べ帰ってくるはずだった。


 けれど、この時は違った。娘に早く会いたい、どうしても31日に迎えに行かないといけない。そんな気にさせられた。


『31日に迎えに行くよ』

『分かったー。じゃ、19時ごろ来てください』

『OK』


 この落ち着かない、31日にどうしても迎えに行かないといけない、この気持ちが一体何だったのかは、この時は知る由もなかった。元旦にこんなことが起こるなんて――。


 当日、久々に娘に会えると喜んでいた。メッセージのやり取りをしていた時の、あの落ち着かない気持ちなど忘れていた。


 夫の運転で、15時過ぎに家を出て、海沿いの高速道路を走った。助手席で左側に見える海を見る。いつもなら、サービスエリアに止まってほしいとは、私からめったに言わない。でも、今回は違った。海の見えるサービスエリアに止まってほしかった。トイレ休憩をしたかったわけでもない。無性に海を見たくたったのだ。


 夫は、嫌な顔をせずに海の見えるサービスエリアに入ってくれた。車から降りると不思議な感じがする。心がざわつく――そんな感じだった。自立神経がおかしくなっているのかもしれない。そう思うようにした。


 意外と早く娘の住んでいる町に着いた。待ち合わせ時間までに2時間ぐらいあった。どこか商業施設にでも行こうか、と駅近くの商業施設の閉店時間をネットで調べる。『31日は17時まで』と書いてある。意外と閉めるのが早いな、と思った。他の所を調べた。少し離れた所で20時閉店と書いてあるところがあり、そちらに向かった。


 店内に入ると、お客は少ない。

 年始の売り出しの福袋が大量に積まれている。ここは2日から営業開始だった。私の地元では元旦から営業している所が殆どだったので、少し驚いた。


 何か買う訳でもなく、時間が来るまで店内を家族でぶらぶらする。スマホの時間を確認する。


「もうそろそろ、行こうか」

「そうだね。娘に連絡しておくわ」


 メッセージで今から迎えに行くことを連絡すると「はーい」と返信が帰ってきた。バイト先から帰ってきているようだ。


 20分ほど車を走らせると、娘の学生用賃貸マンションに着く。前まで行くとスーツケースを持った娘が待っていた。


「おかえり。久しぶりだね」

「そーだね」


 簡単に言葉を交わすと、車に荷物を乗せる。娘が車に乗ると、息子が「久しぶりー」と声を掛ける。


「え! 今どっちがしゃべったの?」


 二人の弟の声の区別がつかなかったらしい。次男を見て「え、またでかくなった?」と驚いていた。


「そりゃ、もう中二だからね。4月からは、受験生だよ」


 私がそう言うと、「え! 今、中一じゃなかったっけ?」と娘が驚く。弟の学年ぐらい覚えておいてよ、親戚の子じゃあるまいし、と心の中で思った。

 ちなみに、この日は長男は車に乗っていなかった。バイトが元旦に入っているという事で4日に帰ってくる予定をしていた。


 辺りはすっかり暗くなっている。また高速を走りながら帰る。車の中では、子供3人の会話で賑やかだった。

 長女、長男は年子で、7才程離れて次男、三男は長男と12才違う。次男は暗記力が良いのか、色んな知識が頭に入っている。大学院生と大学生の姉、兄の専門知識に近い会話にもついていける。ちょっとした知識で意見交換が始まる。今日は長女と次男だけの意見交換であった。流石に三男はその会話に入れないが、小学校の話になると皆でわいわいと話をしていた。


 そんな会話を聞きながら私は、助手席の窓を閉めたまま空を見上げる。賑やかな車の中と違って、気持ちが段々落ち着かない。運転席側から海が見えると一段を心がざわつく。この感覚は以前にも何度かあった。


 そういえば、娘が大学に入って2か月が過ぎた頃、その一日はずっと私は何かに脅えていた。夜になると、一段とその感情が酷くなり、不安で不安で夕食を作るのも大変だった事を覚えている。21時を過ぎても落ち着かず、22時30分、子供達と夫は寝てしまっていたけれど、眠れずテレビをつけた。


 テレビをつけると、そこはには地震速報のニュースをしていた。新潟県、山形県、秋田県に震度6強、5強、5弱の地震だった。娘の同級生の子達もそっち方面に進学している子がいる。その子たちは大丈夫だったのだろうかと心配になったことを思いだした。


 あれから、数年が経過している。そんな事もあったなという感じでいたけれど。


 今日は、やけに辛い。空と海と地面が共鳴しているような、そんな感じだった。山形県沖地震を思い出したから、なおの事かもしれない。


 けれど、この感覚はその地震の時だけではない。日本各地で起きる地震、海外で起きる地震には、この感覚がある。もちろん全部の地震にある訳ではない。5強以上の地震があると、『ああ、これで辛かったのかもしれない』、その程度だった。


 車の中でも、『明日、何かがおこるのかもしれない』と、そんな軽い考えを持って、重くて辛い感情を軽くしようと思った。


 家に着くと、子供達3人がボードゲームで遊んでいる。とても賑やかだった。そんな賑やかな雰囲気で少し気持ちも和らいだ。夜は、除夜の鐘を鳴らしに夫と次男、三男が23時40分ごろ出かける。いつもと変わらない年末にホッした。


 翌朝もいつもと変わらない、違うといえば、娘が朝からいる事だった。ゆったりとした昼過ぎに娘と二人で近所の神社に初詣に出かけた。たわいもない話をしながら神社の階段をのぼる。帰りは町の中をぶらぶら散策し家に帰る。


 帰ってきたのが15時30分だっただろうか、それから16時に夕飯の準備をしようとキッチンに立った。数分してガタガタと揺れる感じがした。


「あれ? 揺れた?」


 近くにいた娘と次男に聞くが、「え? 分からなかった」と返事が返ってくる。けれど、他の部屋にいた三男が「お母さん! 揺れたよ」って言いに来た。携帯を見みようとしたら、一斉に携帯電話のアラームが鳴りだす。


 『地震です! 強い揺れに注意してください!』


 強い揺れって言っても今までの経験ではここでは震度3程度だった。いつもの感覚でいたら、段々と強い揺れになってくる。三男が少しパニックになった。次男は慌ててリビングのテーブルの下に隠れる。娘を見るとちょうど、食器棚の前に立っていた。


「そこにいると危ない!」


 強い揺れの中で私と三男は柱にしがみつき、娘に叫ぶ。娘は慌てて食器棚から離れた――とたん食器棚を抑えていた家具転倒防止用の突っ張り棒が落ちてきた。


 初めて感じた強い揺れにどうしていいのか分からなかった。とにかく、避難通路の確保が必要だというのは理解していたので、揺れの中、玄関までの扉を開ける。


「長い、何時まで揺れるの?」


 物凄く長く感じた。3分ぐらいは揺れたのかもしれない。携帯電話で震源地を確認する。


 能登半島で震度7――。


 慌てて、震源地に近くにいる長男の場所の震度を確認した。まだ、バイトをしている時間だ。震度5弱。大丈夫だろうか?


 娘が急いで連絡を取っている。私も実家の父母にも連絡して安否確認をする。ここからは数キロしか離れていないから、同じぐらい揺れただろう。


 そんな慌ただしい中、また携帯電話のアラームが一斉に鳴り出す。


『地震です。強い揺れに注意してください』


 先程ほどは少し揺れが弱まったが、まだ強い揺れで長かった。揺れが収まった所で、皆で外にでる。僅かな揺れが数分ごとにやってくる。


 長男にも連絡が取れた。無事だという。それから暫く駐車場に止めてある車の中に待機した。ひっきりなしに弱い揺れがくる。最初の揺れから1時間もしないうちに、また携帯電話のアラームがなる。


 震源地はやはり能登。震度5強――。そして津波警報――。


 一体いつまで揺れるのか、震源地でこの一日で震度5以上の揺れは5回あった。

 前日のあの不安は、もしかしたら――。

 

 この時、娘を前日に迎えに行っておいて良かったと思った。虫の知らせだったのかもしれない。娘の住んでいる所も震源地ではないけれど、かなりの揺れだったらしい。大学も少なからず被害があったようだった。


 思えば、阪神淡路の時も、東日本の時も自律神経がおかしい感じがあった。けれど、それは、たまたまだった――と思いたい。


 次男が、最近は「お母さんの前世はナマズなのかも?」と言う。そして「体がおかしい時には、早めに知らせてね」とも。


 自分では、すべてが偶然が重なっただけだと思っている。そして、何故か七月の終わるころ、ふと頭に過った。8月のお盆前後に揺れがくる。


 本当にふと過っただけ――。

 でも、次男にはそう、伝えた。

 「お盆前に揺れるかも? でも、揺れないかも? 震源地は分からないけどね」

 「え?」

 「まぁ、誰かに言ったら、揺れない気もするし、声に出して言ってみただけ」


 なのに――揺れた。ここではないけれど。


 これも、偶然だと思いたい――。


 だって、日本は地震の多い国だから――。 



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あの日―― 風月 雫 @sizuku0219

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