言葉のマジシャン

優夢

例えるなら、たぶんクロースアップマジック



 ここは小さな個人塾。

 ほぼマンツーマン、多くても講師一人に三人までが原則。

 生徒が苦手とする科目、もっと学びたい科目を、生徒の希望を最優先に教える少人数体制。

 塾の経営者も自宅の一部を教室にしている、正しい意味でのアットホームだ。



「いや無理、絶対無理、わかんない」



 生徒である木下孝樹は、机に突っ伏して嘆いた。

 その横には、白紙の原稿用紙。

 何か書こうとした形跡も見られない。



「テーマは何にしようとしたの?」



 アルバイトの女子大生、相沢美優は、苦笑しながら孝樹の隣に座った。

 美優が教えるのは、大学受験の小論文試験。

 孝樹は優秀な生徒で、成績は十分に志望大学の合格圏内である。

 しかし、孝樹が苦手な小論文試験があるのだ。

 なにをどうしていいかさっぱりわからず、すがるようにこの塾に来て、文学部であり教員免許を目指す美優がマンツーマン講師となった。



「環境問題がよく出るらしいから、それを……。

 あー、全然わかんない。小論文って何をどうするの?」


「そうねえ。

 環境問題って言われて、思いつくことは?」


「えっと、プラが海を汚してるとか?

 でも近くに海ないし。そうなんだー、くらいしか思わないし。

 プラを減らせばいいです、で終わっちゃうよ」


「うんうん、結論だけでも出たのはいいことよ。

 ほかに思いつくことはありそう?」


「ええと……森林がどうとか、砂漠がどうとか?

 聞いたような気がするだけで、大変だとは思うけどそれ以上の興味ない」


「あははは! 正直でよろしい」



 大学受験にテストとして出される小論文試験は、そんなに高度な内容を求められないと美優は知っている。

 しかし、起承転結、あるいは文章の構成がしっかりしている必要がある。

 何を訴えたいか、意見がはっきりすることも大事だ。

 そのあたりを教えるのが美優の仕事。

 しかし孝樹は、興味という段階から問題があるらしい。

 無関心な論題に対して書いても、とりとめがなくなるものだ。



「じゃあ、まずテーマをもっと絞るところから……」


「先生、書いてよ」


「へ?」



 急に孝樹に言われて、美優は目を丸くした。



「小論文ってものがわからないんだもん。書けないよ。

 参考書の答案例文は見たよ。なんというか、完璧すぎて余計無理って思った。

 先生は先生だから、書けるでしょ。

 参考にしたいから書いてみてよ」



 孝樹の言うことは、一応筋が通っている。

 参考書の模範解答は、美優が見てもまさに模範解答としか思えないもの。これAIが書いたんじゃないの、と邪推するくらいだった。

 人間味と感情があり、構成がしっかりしていて、孝樹が参考にできるような小論文か。



「よーし、20分ちょうだい。

 その間、木下くんは学校の宿題やってて」


「20分!?」



 無理難題を言ったことを自覚していた孝樹は、快く引き受けた美優に若干引いた。

 書けるはずがない。小論文試験は60分くらいかけるのが普通だ。

 いきなりアドリブで書く? 先生だからできるものなの?



 美優は15分で原稿用紙に書き上げた。

 文字数はぴったりギリギリ、足りなくも多くもない最適な状態で仕上げていた。

 それだけでもすごいのに、孝樹が恐る恐る読み上げてみると。



 テーマは環境問題。

 タイトルは「白鷺」だった。



 筆者(美優のことだろう)がある日、近所の小さな川、用水路も兼ねている川で、白鷺の死骸を見つけたことから始まる。

 ヘドロに上半身をつっこんで、鳥の足が上になって息絶えている凄惨な姿にショックを受け、激しく心を痛めたという。


 筆者は思う。ここ数年、この川は水質汚濁が激しいと。

 自分が幼いころ、この川の水はもっと透明で、川の生き物の姿が見えるくらいだったと。

 しかし今は、川底にヘドロがたまっていて、水も緑っぽく濁っている。


 筆者は思う。この川の近所には神社があること。

 お祭りで買ったゴミを、何の気なしに川に投げ込む人がいたら。

 そのせいで水が濁り、罪のない鳥が命を落としたのだとしたら。


 この川は用水路の役目も果たしている。

 稲作の田に水が流れ込む。この水が流れ、主食となる米すら蝕んでいるかもしれない不安と恐怖。


 凄惨な骸をさらす白鷺は、未来の私たちの姿かもしれない。

 という言葉で締めくくられていた。



「ちょ、すごいんだけど!?」


「ふふ、ありがとう。

 環境問題ってひとくちに言ってもね、高校生の目線で書くんだからさ。

 研究者みたいなすごいのじゃなく、身近でリアリティと感情がこもってるものがウケるのよ」



 孝樹は賞賛し、美優はちょっと得意げに笑った。

 そして、ウインクしながら、こう付け加えた。



「これ、全部が真実ってわけじゃないけどね」


「え??」



 理解不能な顔をする孝樹に、美優は説明した。

 白鷺の死体を見たのは現実であり、あまりの怖さにびっくりしたのも事実であること。

 書いた川は、確かに近年汚れてきていること。



「でも、何が汚れの原因かは、私にはわからないわね」


「人が投げ入れたゴミのせいでしょ?」


「それもゼロではないと思うわ。

 でもね、神社の参道よ?

 人目がありまくる中でゴミを捨てられる蛮勇の人、あんまりいないわ。

 その時は藻が異常に増えてたから、生物が大量死して一時的に濁ったんじゃないかしら」


「え、嘘書いてるじゃん」


「よく読んでごらん。

 私は『もしかしたら』、って前置きしてるでしょ?

 イフの世界の想像を書いたに過ぎないわ。

 ゴミの影響だって、ちょっとはあるかもしれないでしょう」


「え、なに、いいのそれ」


「用水路の水が田んぼに流れてるのも事実よ。

 その前に川掃除して、きれいな水が流れるようにするでしょうけど。

 でもってラストに、この話で一番強い印象を与える『白鷺の死骸』でしめて、読者の心を揺さぶるってわけ。

 これは、巧妙な心理的誘導。あたかもそうだと思わせるもの。

 そうね。言葉のマジックってところかしら」


「先生は言葉のマジシャンかあ…」


「わあ、かっこいい呼び名ありがとう」



 参考資料が欲しかった孝樹は、美優が書いた小論文を持ち帰った。

 高校生にはちょっと刺激の強いテクニックだが、本文内容は手本にして問題はない。



 授業を終えると、美優が最後のひとりだった。

 塾の鍵は美優が預かっている。戸締りを確認し、電気を消し、ロッカールームだけ明かりをつける。

 美優のロッカーには、鞄のほかに、大き目の紙袋と6つのスマホがあった。



 美優はロッカールームの机で、6つのスマホを見事に駆使してメッセージを大量に送った。

 それぞれに適した言葉、興味をそそる言葉、勘違いさせる言葉、喜びそうな言葉。

 10分足らずで、美優は見事、今日の同伴出勤相手をゲットした。



「さ、次のお仕事がんばろーっと」



 丈の短いドレスワンピースに着替え、濃い目の化粧をした美優は、講師であるときには見せなかった妖艶な笑みを浮かべた。



 塾の講師の時間は終わり。

 ここからは、キャバクラのお仕事が始まる。



 そう。彼女は言葉のマジシャン。

 さして目立つところはない外見でも、話術とメッセージで男を騙し、欺き、虜にする。

 それは罪ではないとご存じだろうか。




 マジシャンとは、人を欺いて喜ばせる仕事なのだから。

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言葉のマジシャン 優夢 @yurayurahituji

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