言葉のマジシャン
真衣 優夢
第1話
ここは小さな個人塾。
ほぼマンツーマン、多くても講師一人に三人までが原則。
生徒が苦手とする科目、もっと学びたい科目を、生徒の希望を最優先に教える少人数体制。
塾の経営者も自宅の一部を教室にしている、正しい意味でのアットホームだ。
「いや無理、絶対無理、わかんない」
生徒である木下孝樹は、机に突っ伏して嘆いた。
その横には、白紙の原稿用紙。
何か書こうとした形跡も見られない。
「テーマは何にしようとしたの?」
アルバイトの女子大生、相沢美優は、苦笑しながら孝樹の隣に座った。
美優が教えるのは、大学受験の小論文試験。
孝樹は優秀な生徒で、成績は十分に合格圏内である。
しかし、孝樹の志望校には小論文試験があるのだ。
なにをどうしていいかさっぱりわからず、すがるようにこの塾に来て、文学部であり教員免許を目指す美優がマンツーマン講師となった。
「環境問題がよく出るらしいから、それを…。
あー--、全然わかんない。小論文って何をどうするの?」
「そうねえ。
環境問題って言われて、思いつくことは?」
「えっと、プラが海を汚してるとか?
でも近くに海ないし、そうなんだ、くらいしか思わないし、プラを減らせばいいです、で終わっちゃうよ」
「うんうん、結論だけでも出たのはいいことよ。
ほかに思いつくことはありそう?」
「ええと…森林がどうとか、砂漠がどうとか?
聞いたような気がするだけで、大変だとは思うけどそれ以上の興味ない…」
「あははは!正直でよろしい」
小論文試験、大学受験にテストとして出されるものは、そんなに高度な内容を求められないと美優は知っている。
しかし、起承転結、あるいは文章の構成がしっかりしていないといけない。
何を訴えたいか、意見がはっきりすることも大事だ。
そのあたりを教えるのが美優の仕事。
しかし、孝樹は、興味という段階から問題があるらしい。
無関心な論題に対して書いても、とりとめがなくなるものだ。
「じゃあ、まずテーマをもっと絞るところから…」
「先生、書いてよ」
「へ?」
急に孝樹に言われて、美優は目を丸くした。
「小論文ってものがわからないんだもん。書けないよ。
参考書の答案例文は見たよ。なんというか、完璧すぎて余計無理って思った。
先生は先生だから、書けるでしょ。
参考にしたいから書いてみてよ」
孝樹の言うことは、一応筋が通っている。
参考書の模範解答は、美優が見てもまさに模範解答としか思えないもので、これAIが書いたんじゃないの、と邪推するくらいだった。
人間味と感情があり、構成がしっかりしていて、孝樹が参考にできるような小論文…。
「よーし、20分ちょうだい。
その間、木下くんは学校の宿題やってて」
「20分!?」
無理難題を言ったことを自覚していた孝樹は、快く引き受けた美優に若干引いた。
書けるはずがない、小論文試験は60分くらいはかけるものなのに。
いきなりアドリブで書く?先生だからできるものなの?
美優は15分で原稿用紙に書き上げ、文字数もぴったりギリギリ、足りなくも多くもない最適な状態で仕上げていた。
それだけでもすごいのに、孝樹が恐る恐る読み上げてみると。
テーマは環境問題。
タイトルは「白鷺」だった。
筆者(美優のことだろう)がある日、近所の小さな川、用水路も兼ねている川で、白鷺の死骸を見つけたことから始まる。
ヘドロに上半身をつっこんで、鳥の足が上になっている凄惨な姿にショックを受け、激しく心を痛めたという。
筆者は思う。ここ数年、この川は水質汚濁が激しいと。
自分が幼いころ、この川の水はもっと透明で、川の生き物の姿が見えるくらいだったと。
しかし今は、川底にヘドロがたまっていて、水も緑っぽく濁っている。
筆者は思う。この川の近所には神社があること。
お祭りで買ったもののゴミを、何の気なしに川に投げ込む人がいたら。
そのせいで水が濁り、罪のない鳥が命を落としたのだとしたら。
この川は用水路の役目も果たしている。
稲作の田に水が流れ込む。この水が流れ、主食となる米すら蝕んでいるかもしれない不安と恐怖。
凄惨な骸をさらす白鷺は、未来の私たちの姿かもしれない…という言葉で、締めくくられていた。
「ちょ、すごいんだけど!?」
「ふふ、ありがとう。
環境問題ってひとくちに言ってもね、高校生の目線で書くんだから、研究者みたいなすごいものでなく、より身近でリアリティと感情がこもってるものがウケるのよ」
孝樹は賞賛し、美優はちょっと得意げに笑った。
そして、ウインクしながら、こう付け加えた。
「これ、全部が真実ってわけじゃないけどね」
「え???」
理解不能な顔をする孝樹に、美優は説明した。
白鷺の死体を見たのは現実であり、あまりの怖さにびっくりしたのも事実であること。
書いた川は、確かに近年汚れてきていること。
「でも、何が汚れの原因かは、私にはわからないわね」
「人が投げ入れたゴミのせいでしょ?」
「それもゼロではないと思うわ。
でもね、神社の参道よ?
人目がありまくる中でゴミを捨てられる蛮勇の人なんて、あんまりいないわ。
その時は藻が異常に増えてたから、生物が大量死して一時的に濁ったんじゃないかしら」
「え、嘘書いてるじゃん」
「よく読んでごらん。
私は、もしかしたら、って前置きしてるでしょ?
イフの世界の想像を書いたに過ぎないわ。
ゴミの影響だってあるかもしれないし」
「え、なに、いいのそれ」
「用水路の水が田んぼに流れてるのも事実よ。
その前に川掃除して、きれいな水が流れるようにするでしょうけど。
でもって、ラストに、この話で一番強い印象を与える白鷺の死骸でしめて、読者の心を揺さぶるってわけ。
これは、巧妙な心理的誘導であり、あたかもそう思わせるもの。
そうね、言葉のマジックってところかしら」
「先生は言葉のマジシャンかあ…」
「わあ、かっこいい呼び名ありがとう」
参考資料が欲しかった孝樹は、美優が書いた小論文を持ち帰った。
高校生にはちょっと刺激の強いテクニックも含め、小論文を書く参考としては十分だろう。
授業を終えると、美優が最後のひとりだった。
鍵は預かっている。戸締りを確認し、電気を消し、ロッカールームだけ明かりをつける。
美優のロッカーには、鞄のほかに、大き目の紙袋と6つのスマホがあった。
美優はロッカールームの机で、6つのスマホを見事に駆使してメッセージを送りまくった。
適した言葉、興味をそそる言葉、勘違いさせる言葉、喜びそうな言葉…。
10分足らずで、美優は見事、今日の同伴出勤の相手をゲットした。
「さ、次のお仕事がんばろーっと」
丈の短いドレスワンピースに着替え、濃い目の化粧をした美優は、講師であるときには見せなかった妖艶な笑みを浮かべた。
塾の講師は終わり。
ここからは、キャバクラのお仕事が始まる。
そう。彼女は言葉のマジシャン。
さして目立つところはない外見でも、話術とメッセージで男を騙し、欺き、虜にする。
それは罪ではないとご存じだろうか。
マジシャンとは、人を欺いて喜ばせる仕事なのだから。
言葉のマジシャン 真衣 優夢 @yurayurahituji
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