異世界転生冒険者と怪しい黒色の薬

ひゐ(宵々屋)

異世界転生冒険者と怪しい黒色の薬

 彼には、物心がついた時から「自分は異世界からの転生者だ」という自覚がありました。


 前世の記憶があったのです。しかもその『前世』とは、いま生きている世界と違い、魔物や魔法は存在せず、会社という名の組織の中で日々苦労する世界。だからこそ、いまの世界と、以前の世界が違う場所だと気付いたのです。

 加えて「異世界転生」という物語が存在している世界でした。


「『異世界転生』って、本当にあるんだなあ」


 ところが、この世界での彼の生活は、彼が知っている『異世界転生』のようにはいきませんでした。


 『異世界転生』の物語では、主人公の多くが特殊な力を持っていたり、特殊な境遇にあったりします。対して彼の人生は平凡そのものと言えました。冒険者になってみたはいいものの、力量は可もなく不可もなく。いたって普通の冒険者でした。もしかすると、冒険者になることで『自分の物語』が始まるかもしれないと思ったのに。


 結局、そういったものは想像に過ぎないのだと知らされました。この世界には、魔物の魔法もあるのに。


 そして軽い考えで冒険者になってしまったが故に、冒険者になったことを後悔することも度々ありました。冒険者の主な仕事は魔物退治。それは、命を懸けた仕事でもあったのです。


「少し休んだらどうかな?」

「あとは簡単な依頼を請けてみるとかさ」


 仲間に言われ、彼はそうすることにしました。戦いっぱなしは疲れます。少し休んで、気が向いた時に簡単な仕事からまた始めようと考えたのです。


 そうして、数日休んだ後に、簡単な仕事を請けに冒険者ギルドへ向かいました。どんな依頼があるか確認してみると――気になるものがありました。


『元気が出るものだ、と言って真っ黒い薬を出す店がある。ひどくまずかった上に、お腹を壊した。毒でも入っているんじゃないか。調査してほしい』


 冒険者の主な仕事は魔物退治ですが、こういった小さなものも、彼らの仕事の一つです。便利屋としての一面もあるのです。


「元気が出る薬、か。もしそんなものがあったのなら」


 とはいえ、被害にあった人間がいるからこそ、依頼が来ているのです。冒険者はこの依頼を請けました。


 まずは、その真っ黒い薬を出す店について、周りの人間から話を聞きます。


「ああ、あの店? なんか不気味だよね。変わった匂いがするし」

「少し前に引っ越してきて、お店を始めたみたいなの」

「あそこ、黒い薬を売ってるらしいんだけど……飲んだ奴全員、苦い顔して体調崩していたよ」


 依頼の通り、黒い薬による被害が出ているようでした。


 次は、実際に店に入って、黒い薬がいったい何であるか調べなくてはいけません。


 毒が入っているのかもしれない――冒険者は解毒のお守りを身に着けて店に入りました。聞いた話をまとめると、黒い薬を飲んだ人間は体調を崩しただけで死に至ってはいません。毒が入っているとするなら、簡単な毒なのでしょう。それなら、この解毒のお守りで大丈夫――。


「……これ、何の香りだったかな」


 店に近づくと、不思議な香りがしました。一度も嗅いだことのないような、しかしほとんど毎日嗅いでいたような匂いです。


「やあ。君も『黒い薬』をお求めかな」


 店に入ると、そこは黒い液体に満ちた薬瓶が棚にずらりと並んでいました。カウンターの向こうに店主らしき男がいます。


「ええ、元気が出る、と聞いて」


 薬の代金は、そう高くはありませんでした。冒険者が金を出したのなら、店主の男は黒い薬瓶一つを掴み、冒険者に渡します。


「どうぞ、飲んでみてくれ! きっと、元気になるよ」


 本当に、漆黒のポーションでした。光にかざすと、少し茶色くも見えます。ただ手にしている状態では、深淵を煮詰めたかのように黒く、死に色があるとしたら、こんな色だろうと思えてしまいます。


 飲み口の広い瓶でした。蓋を開ければ、闇色の水面に、不安そうな冒険者の顔が映ります。しかし依頼のためにここに来ているのです。毒が入っているのなら、解毒のお守りが作用するだけでなく、光って毒があることを告げてくれるでしょう。


 ごくり、と一口、冒険者は闇を飲みました。


 その瞬間、はっと目を見開いて、瓶を見下ろして。


 ――黒色の水面に映っていたのは、疲れ切った一人のサラリーマンでした。



 * * *



 忙しいけれども、出勤前に「これ」を飲むのは欠かさない。

 気分が落ち着く上に、目も覚めるからでした。


 しかし出勤した先、会社には落ち着く隙も無く、業務が悪夢のように次から次に舞い込んできます。

 理不尽なことで怒られることは頻繁にあり、無理を押し付けられるからこそ、無理をして体調不良。すると「自己管理がなっていない」とまた怒られる……。


 忙しくて、辛い日々。

 やっと時間ができたのなら、自販機で「あれ」を買って一休み。

 成功なんてしていない、主観的には失敗の人生。


 でも。

 時には好きな音楽に酔いしれ、好きな小説、漫画を読むことができた。

 どうにか予定を合わせて、友人と出掛けることもあった。


 転生して別人になったからこそ気付くことができる――案外、悪くなかったのかもしれない、と。


 何より、いまと比べて安全ではありました。命を懸けて魔物と戦うわけではないのですから。


 それでも毎日、死に物狂いで頑張っていたな、と思います。


 それは、いまでも。


 いまでも、頑張ってはいる。


 何者にもなれていないけど、何かを成そうと、頑張っている――。



 * * *



 真っ黒な薬を飲んで少しして、まるで深い眠りから目を覚ましたかのように、冒険者は口にしました。


「この街の人に、この薬の味はあわないよ」

「そうかい?」

「だってこの街の人、みんな甘いものが好きだからね」


 自分が転生者であると自覚して以来、冒険者には、この世界この街についていくつか気付いたことがありました。その一つが、この街、この地域の人間はみんな甘いものが好きだということです。野菜の苦みはもはや毒、前世では「ピリ辛」だったものはこの世界では「激辛」です。


 だから、こんなにも苦いもの、受け入れられるわけがありませんし、お腹を壊す者がいてもおかしくないのです――前世の世界でも「苦すぎる」と言う人はいました。


「砂糖を入れなよ。あと、常温よりは、冷やすか温めるか、どっちかにした方がいい。そもそも……ポーションとして売るのが間違ってるかも。例えばカフェとかで、紅茶と一緒にメニューに並べるべきだね」


 冒険者は報告内容を考えていました。

 まとめてしまえばそれば簡単――苦すぎただけ。あとは、人にあう食べ物、あわない食べ物があるように、合わない人が体調不良を起こしていた可能性あり。これだけです。


「ごちそうさま、ぬるかったけど、おいしかったよ」


 そう、冒険者が店を出ようとすると、


「ほ、本当に? おいしかったって? みんな、あんたの言う通り……苦いって言うんだよ。目が覚める薬なんだけどね。あとお腹壊す人もいるし……」

「……カフェインでお腹を壊す人がいるって聞いたことがあるなあ」

「カフェ……?」

「あっ……えーと、飲みやすくするなら、牛乳を入れたほうがいいよ。砂糖と牛乳。これでおいしくなるはずだよ」


 自分はブラック派だったけど。

 その言葉は呑み込んで、冒険者はその店……前世ならきっとコーヒー店と呼ばれたであろう店を後にしました。


 少し、元気になれたような気がしました。まだまだ頑張れる、そう思い、冒険者ギルドへ戻っていきました。



【終】

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