「『環境』という名の束縛」の解説

奈良ひさぎ

キャッチコピーの色は神々しい金。

これを出すころには公開されていると思いますが、先日参加していた「#匿名短文元神童企画」において、わたくし奈良ひさぎが出した作品は「15 「環境」という名の束縛」でした。いろいろ意見をいただいたし、「作者は本当に元神童だったのでは」と言われたりもしたので、気を大きくして語れる範囲で語ります。「調子乗んな!」


ちなみに、企画スタート時にツイッターで「奈良ひさぎの作品は(ほぼ)実話です」とつぶやいたのですが、実際半分くらいは実体験です。ただし、何年も前の話なので誇張が入っているかもしれません。以降の話は、全部が全部本当だとは思わないことをお勧めします。



○タイトルの引きが弱い?

これに関しては、そんなに目を引こうと思ってませんでした。私はこういう雰囲気だけはかっこいいタイトルを感覚でつけることが多いので、今回もそのパターンだったのです。

「環境と束縛はそう遠くない関係にあるのに、環境にカギカッコをつけてるのはなぜ?」という意見があり、まあ確かにな、と思っていました。ただ、本当に上澄みにいる子って、例えば東大に行くのが当たり前という環境が束縛になっているということにも気づかないまま、順風満帆な人生を送るんですよね。敷かれたレールの上を走らされていると気づくのは、レールから外れた時であって、ひたすらまっすぐ走るトロッコに乗って目の前の景色を見ているだけではレールがあることにすら気づかない。

あえて今回の「束縛」という言葉に意味を後付けするなら、主人公の束縛は「周りの東大が当たり前という雰囲気」ではなくて、「東大卒の親の子どもにもまた、英才教育をしないといけないのでは」というプレッシャーです。



○関西の中高一貫校

私は関西の中高一貫校育ちなのであんまり関東の事情がよく分かっていないのですが、その昔本か何かで見聞きしたのは、

「関東では中学受験が当たり前。多少レベルの低い学校でもお受験をさせる。公立の中学校に行くのは受験に失敗したか、よっぽど頭の悪いヤンキーか」

という話。小学生の頃からこの記憶のまま育ってるんですけど、本当なんですかね?

それがある程度事実だとすると、関西では比較的中学受験ってマイナーなのかな、と思います。学校数が少ないわけではないです。身バレしかねないので有名どころだけ挙げると、灘、甲陽学院、神戸女学院、大阪星光、東大寺学園、洛南。賢いところばかりですが、中高一貫校の総数はこの比ではありません。


で、主人公は大学入ってしばらくの間、GMARCHを知らなかったと言っているのですが、これに関してはほぼ実話です。今でこそ学習院・明治・青山学院・立教・中央・法政の略だと分かりますが、今書いていて立教と法政はしばらく出てこなくて焦りました。調べるほどじゃないけど思い出すのに時間がかかる。

ただ、一応弁明しておくと、「MARCH以下はFラン!」とどこかの誰かみたいなことを言いたいわけではなく、受験生時代に家庭の事情で国公立しか選択肢になかったため、私立大のあれこれを知らなくてよかった、知らずに受験を終えたという方が正しいです。どうやらセンターを受けなくても(世代バレ)二次試験だけで合否が出るらしい、くらいの知識はありましたが、受ける気がなかったので確かめることはしませんでした。


あと言われたのは、「関西の中高一貫ならGMARCHではなく関関同立では?」ですね。これに関しては半分正解で、半分不正解。確かに関関同立の方がより親近感はあるのですが、GMARCHよりもワンランク偏差値帯が低い印象を持っていました。あとはGMARCHって関関同立と比べて、YouTubeなどを流し見ていて何かと話題になるので、特に関西が舞台であることを考えずに採用してしまったのが実情です。

周りでも関関同立志望がいなくて、いるとすれば大学どうこうよりも関西に残ること優先な子がお試しで受ける、といったところ。本当に他の大学が箸にも棒にも掛からなければ行く、という感じで、そこまでしなくても浪人優先かなあ、というのが当時の雰囲気だった気がします。中高一貫に行く以前に、中学受験ができる時点でそれなりの経済力がある家、ということになるので、本人の熱意もそうですが親の意向で浪人させてもらえる、なんてこともあるでしょう。そんなわけで、私立志望が周りにいたとすれば、早慶志望ばっかりでした。

ちなみに、同じくらいの成績帯の友人がお試しで同志社の理工学部を受けて、数学の時間が余っただか全完(=全問完答)しただか言っていた記憶があるので、「そんなものなのか」と思った記憶があります。わざわざ第一志望にするところじゃないでしょ、という暗黙の了解的なのがありました。ただ、これは上の方、それこそ本作の主人公が言うように東大京大志望が集まるクラスに所属していたからであって、そうでないクラスで実態がどうだったかまでは分かりません。



○「国公立の後期合格を蹴る」

これは今でも世間一般でのイメージがよく分かっていないところで、様子をうかがいたくて出した表現です。実際どうなんですか?

国公立の受験は前期、中期、後期の3つに分かれています。前期は2/25あたりにほぼ全部の大学で一斉に行われるものですね。中期は一部の公立大学が実施しているもので、学部によっては中期日程しかない場合があります。東大、京大は(今は)前期しかないので、滑り止めとして公立大の中期日程を受ける選択をする受験生が一定数います。多いのは大阪公立大ですかね。昔は府立大と市立大で別々だったんですが……。

そして後期日程は3月の2週目くらい、ちょうど前期の合格発表があってから数日後に行われます。中期日程は前期の滑り止めで受ける人がいるのですが、後期日程は前期に落ちた人しか基本来ないうえ、そもそも後期日程をやる大学が少ないので、倍率が非常に高くなります。阪大以下は後期日程がありますが、阪大の後期ってめちゃくちゃ狭き門なので、実質地方国公立しか選択肢がないと言うべきだと思います。

で、東大京大に惜しくも落ちてしまった受験生って、メンタルを持ち直していれば後期は案外受かるみたいなんですよね(学部学科の募集人数による)。それもあってか、後期に受かったのに東大京大が諦めきれず、浪人を決める同級生を何人か見ました。また、これは現役生特有なのですが、私立の併願をしない、国公立後期も出願しないで東大京大一本で挑み、落ちて即浪人確定というパターンもあります。予備校に通っていればこういう出願の仕方はまずしないと思います。保険のためにも予備校の実績のためにも、併願はいろいろさせるでしょうしね。



◯世間一般の常識とかけ離れている

結局私は東大京大を諦めたことで、少なくとも学校の期待からは外れた道を歩んだ人間です。外れてみて分かったのは、案外自分自身は東大京大に執着がなかったんだな、という事実でした。今でこそメーカー研究職をやれていますが、高校時代はどう転んでも物理で点が取れず、センターも結局想定通り大コケして7割だったので、受験生時代は本気で文転すべきかどうか悩んでいました。とにかく物理をやりたくなかった。今でも物理は苦手なままで、すごくトリッキーな教え方をしてきた物理の先生を恨んでいます()。

理系だと東大京大が厳しくても、文転するとちょっと楽になるというケースが実はあります。「実は理科よりも社会の方が得意なんだけど……」という人はもちろんですが、私のように「物理はダメだけど化学は得意」「日本史は得意だけど世界史と地理はダメ」みたいな一点特化型は、京大志望で文転するとやりやすくなったりします。

ここで東大志望では難しい理由は、東大文系の二次試験では社会を二科目受けないといけないからです。逆に言うと、京大文系の二次試験社会は一科目でよく、センターだけ我慢して地理か世界史をやっておけば、二次試験は日本史選択で済むのです。また、京大には「経済学部(理系)」なるものがあり、狭き門ではあるのですが、二次試験が国・数・英と、通常の理系学部よりもだいぶ楽になります(京大は理系数学と英語こそ、ちゃんと勉強してきた人間か試される試験なのですが……)。


文転するかどうかを決断するのはたいていの場合、高3に入る手前ですので、理系学部や理系科目をその時点で諦めるのも結構勇気が要ります。理系に進んだ方が就職は間違いなく有利で、最終的に私が文転に踏み切れなかったのもそれが理由でした。

前段で京大の理系経済学部の話をしました。化学の次にやりたかったのが経済学なのですが、理学部とか工学部が卒業後研究職に就く想像は簡単にできても、経済学部って卒業してどんな仕事するんだ……?とずっと思っていました。経済学部に進んでいた自分と、物理が得意とまではいかなくとも、人並みにできていた自分。学生時代のifを見るとしたら、この二つだと今でも思います。物理が人並みにできる……というか、人並みに解けるよう教えてくれる先生に教わりたかった人生だった。


そんなわけで、ふたを開けてみれば物理がまるでダメで、そもそも東大京大への執着なんて持っててもどうしようもない、というのが実際のところでした。同時に、中高6年間身を置いていたあの環境こそが、トップレベルながら世間の常識とはかけ離れていたんだなと実感させられたのです。これで心機一転できたかといわれると微妙なところですが、大学に入って新しい世界を知れたのは間違いありません。大学でできた友達も、今でも定期的に集まって通話したり、旅行したりする仲ですし、自分が進んだ道は間違いじゃなかったんだな、と思うことができています。



○子どもへの教育

本作は「自分が親になったら、どういう教育をしたらいいんだろう」という悩みが前面に表れてしまいました。わざと表現しに行ったところもなくはないですが、深層心理で考えていたことが結構出ていたんじゃないかなと思います。


どういう教育をしたら、物理が得意になるんだろう?経済学部に進みたいと言ってくるんだろう?賢い子どもに育ってくれるんだろう?


でもそれは、自分が成し遂げられなかった「ifの自分」を子どもに押しつけているだけで、それが親として最もやってはいけないことの一つなんですよね。学生時代に後悔とか未練とかがある人間ほど、子どもに「自分の」理想を押しつけてしまう。そんなんじゃダメだと思える知能は、きちんと身につけたつもりです。もしも将来子どもが音楽の道に進みたい、音大に行きたいと言ってきたら。よっしゃ金は出す、とすぐに言える自信はないけれど、私自身の「あってほしい姿」を押しつけることなく、背中を押してあげたい。

だから、「年を取るたびに人生が充実している」「今が一番楽しい」と言えるように生きているし、生きようと思っています。そうすれば、過去の後悔とか未練なんて、どうでもよくなるだろうから。そんなことを考えている、20代後半の独身男性のお話でした。ここまでご覧いただき、ありがとうございました。

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