碧場ノ海猫

一粒

はじまりのころ

ある日の午後

カウンターで、喉を潤す奴がいる。

店の中の会話に耳を澄ませて聞くばかり。

たまに目を大きく見開いて、凝視して、それから目を細めては、幸せそうな表情で店の中を眺めている。

もう今日の用事は終わったのか?

はたまた、今日はもともと予定がないのか?

そもそも、なにもする必要がない、自由なものなのか?

誰も知らないし。

知る必要も無かった。

この店は、誰かと一緒に過ごすための憩いの場でもなく、出逢いの場でもない。

ただ、ふらふら~っと、やって来ては、なんとなく、話したければ話し、黄昏たければ黄昏がれ、腹を満たしたければ、何かを頼み、それを食す。

誰か?ではなく、

誰と?でもなく、

そのもの本人の望みを満たすためのスペース。

だから、同じ空間に、単体の個が転がっている風景が散らばる。

誰かが人に話し掛けるなんて。。。

その話し声に、

誰かが反応するなんて。。。

このスペースでは、始まって以来のことかもしれない。

食べたいものを望むことだって、

オーダーを取ることも、

注文をすることさえ、存在しない。

無機質と言えば無機質だし、同質と言うか、同一と言っても過言でもない。

あたかも無視しているかの様に見えて、同じなのかもしれない。

例えば、腹を空かせたものがカウンターに座る。

腰掛けて、ボーっと壁紙を見ている内に、何も無かった筈のテーブルに水の入ったコップが現れていて、自分が、何を食べたいだろうか?と、天井を見上げて思案していると、食べたいものが思い浮かんだ頃には、それが目の前に置かれている。

店員が目につかないことも、メニューを持って来られることも、調理している音すら発生しなかったことにさえ。。。

誰もそこに、意識を向けていない。

無頓着なのか?

気が可笑しくなっているのか?と言うと、それでもない。

満たされることの心地よさに、異議を唱えることすら、存在しない。

不満が存在しないのだから。

敢えて意識することすら生まれない。

そんな空間がここであるのだ。


赤ん坊は、声をあらげて泣いては、意思表示して、望みを伝えるけれど、望みがないなら、望みを発する必要すら、存在しない。

あるのは、満たされるだけ。

そして、無意識下に癒される。

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碧場ノ海猫 一粒 @hitotubu

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