第1話 破滅の貴公子

 コリム王国、この世界でも有数の大国である。テド大陸に栄えるその王国は、豊かな自然、豊富な資源、高い技術力、そして多量の魔素。国そのものとしてみれば、非の付けどころも無い恵まれた国である。しかしこの国の特徴が何かと聞かれれば、国中の人がこう答えるであろう。国王の善政こそ一番の誇りだと。仁政、徳政、民政、良い政治を形容する全ての言葉を並べ立ててもまだ足らない。そんな王なのである。外政、内政共に素晴らしく、さらにそれが建国から800年余りが経った今に至るまで、29代に渡って続いている。その証拠に、この国では目立った反乱がただの一度も起きていない。また、同盟国や友好国も数知れない。そんな奇跡の国なのである。非の打ち所が無いどころの話ではない。

 だが、永遠の平穏など訪れるはずもなく、この国は突如として終りを迎える。後に破滅の貴公子と呼ばれ、世界中を震撼させる事となる、一人の少年が誕生したためである。


 暦で言えば1125年、ヴァステナー家の第一子として生まれたのが、ベルナード・ティグ・ヴァステナーである。ヴァステナー家は、代々魔法を得意とする家系で、コリムにある侯爵家の中でも、最も多くの国際魔導士を輩出している。国際魔導士とは、世界的にも大きな影響を及ぼすことのできる力の持ち主であり、一人で小国の軍隊にも匹敵する程の実力がある。そのため個人として一つの国家につくことを許されず、莫大な富と権力と引き換えに、国際会議によって一人ひとり決められた土地に永住することを義務付けられる。名目上は国際魔導士の恩恵を世界中にもたらすためであるが、実際は国際魔導士の結託による国家や世界の転覆を防ぐためである。それほどの実力を持つ魔導士が、ヴァステナー家では、これまでに六人も誕生しているのだ。それも、国際魔導士の基準が定められたここ200年でである。その一家に生まれたベルナードは、三歳にして魔力を発現する。一般からみると、一年から二年ほど早いが、魔素量の多いコリム、特にヴァステナー家においては、それほど珍しいことではなかった。しかし、息子に眠る確かな才能に、両親は喜んだ。


「僕、将来はお父様やお母様みたいな立派な魔導士になります。」

「いや、それはだめだ。」

「どうしてですか?」

「お前はお祖父じい様のような国家魔導士に成りなさい。私達を超えて沢山の人を救ってくれ。」

「僕にできるかな。」

「できるさ。なんてったってお前は私と妻の自慢の息子だからな。」

「はい!」


魔力の高いものは極めて発達が早く、賢くなる。運動能力においても子供のうちから並の大人を裕に超すことは多い。魔力が心身の発育に大きく影響するからである。そのため魔力を発現して3ヶ月後には、本人の希望もあり、魔法の訓練を始めた。指導者は王国でも指折りの魔導士であり、若手のホープ。ヴァステナー家専属の指導係のソフィア・グラナードス。少年というにもまだ早いその子は、周囲も驚くスピードで成長していく。


「お母様、今日は冷却呪文を覚えました!」

「そう、すごいわ。私なんて覚えるのに二週間もかかったのよ。もしかしたら本当にお義祖父じい様のようになれるかもしれないわね。」

「そんな。僕なんてまだまだです。もっと頑張らないと。」


母親が驚くのも無理はなかった。本来冷却呪文は子供が覚えるような魔法ではない。一つのものを魔素を利用し動かす念動力。魔素で大気を集め高密度のエネルギーで発火させる燃焼呪文。魔法とはほとんどが物理学に基づくものである。このころの人々はそれを感覚のみで体現していた。だが冷却呪文はこれらとは明らかに難易度が違う。一方向に動かしたり、一点に集中させたりするのではなく、一点からありとあらゆる、それも決まった方向に大気を動かし続けなくてはならない。才能のあるベルナードの母ですらこれを習得するのに二週間。それも十七の時にでやっとできるようになったのだ。それをたった三歳の幼子でありながら魔法を習い始めて約一か月。冷却呪文だけならわずか一日で覚えたのだ。驚異的なスピードというよりは、むしろ恐怖さえ感じるほどであった。そんな彼の力に対し、この国のものは注意さえ払えど、その他一切を普通の子供のように扱った。これにより彼もまた、穏やかで優しい子になっていく。魔法を習い始め半年がたったころ、彼に転機が訪れる。


とある日、いつものように庭園で魔法の自主練習をしていたベルナードが、訓練室に呼ばれた。

「先生、今日はどうされたのですか。確か大事な用があると…」

「あなたは魔法の基礎をすでに完璧に身に着けてしまいました。この一週間は上級魔法ばかり練習していますね。ですがこのまま練習を続けても、私ではあなた様の才能を引き出すことはできません。」

「で、ではどのようにするのですか?あなた以上の先生がいらっしゃるとは思えません。」

「ええ。自分で言うのもなんですが、あなたにとって私以上の先生はいません。貴方のことを家族の次に理解している自負が、私にはあります。ですがあなたに今最も必要なのは、同じレベルで、ともに高めあうことのできる仲間です。というわけで、エレア様、いらっしゃってください。」

「はい。」

その声とともに一人の少女が扉を開けておずおずと出てきた。銀の髪に赤色の瞳、とてもきれいな少女であった。

「緊張することありません。これから二人でともに励むのですから。一先ひとまずお互いに挨拶なさい。」

わたくしはエドウィン・シュラウス・ヴァスクレイ伯爵の第三子女。エレア・エドウィン・ヴァスクレイと申します。」

わたしはユーグラフ・ティグ・ヴァステナー侯爵の第一子息。ベルナード・ティグ・ヴァステナーです。よろしくお願いします。エレア嬢。」

さて、このエレアという少女、実のところ信じられない程に緊張していた。それもそのはず。今まで目上の人物に一対一で挨拶したことなどなかったのである。ヴァスクレイ家というのはヴァステナー家の分家。爵位は二つ下。自分は第三息女。しかも側室の子。対して相手は、第一子息。言ってしまえば跡取りである。いずれは爵位を継承して、この国の重役を担うことになるであろう人物。この対面を前に緊張しない方が無理があるというものである。せめてこの三歳の少年より一つや二つ、自分が年上であれば少しは余裕がでたのかもしれない。だがこの二人同い年である。しかも一月ひとつきしか誕生日が違わない。その上相手のほうが早かった。しかし一般に三歳児といえば、無邪気に身分の差も気にせず関係を築けそうなものだ。だが二人ともたぐいまれなる魔力量と才能の持ち主。体格は既に七歳児ほど、賢さに至っては暗記力や計算処理能力などは大人に並び、それに子供が故の発想の豊かさや学んだことへの吸収の速さもついてくる。貴族の名家ということも相まって、その理性や良識は大人と比べても遜色がない。一方で、経験の積み重ねによって育つ感情は他の子どもより、やや発達している程度に過ぎない。つまりこのくらいの時期が、魔法の才があるものにとっては一番社交がつらい時なのだ。理性と子供の本能の狭間に揺れている。少女の不安をよそに、初めて自分と同じ年頃の子どもを見たベルナードは目を爛々らんらんとさせながら質問をした。

「分家なのに本家の指導者が直々に指導するということは僕なんかよりずっと才能があるんですよね!羨ましいです!」

かなり失礼な言い方になってはいたが、二人の子供にとってそれは問題ではなかった。片方は同じ年頃のこと初めて話す喜び。もう片方は身分の違う自分に対等に接してくれたという喜びで溢れていた。お互いに話が尽きない。その様子を傍らで見ていたソフィアは、今日の指導ができないことに頭を抱えつつも、水を差すような真似はしなかった。エレアを呼んだ理由について、もちろん同じレベルの訓練相手がいた方がいいというのは本音だが、それ以上に二人には友になってほしかったのだ。貴族は安全面や政治上の観点から、子供同士で遊ぶことはほとんどない。幼いうちから友を持つことが子供たちの心身をいかに健康にするかが彼女は分かっていた。それからというもの、二人は毎日のように一緒に過ごした。訓練がある日はもちろん、それ以外の日でも自主練習と称して会っていた。もちろん二人とも真面目に練習していたし、それぞれに付き人もいるわけだから、称してなどというと語弊があるかもしれない。だがやはり二人の一番の目的はともに会うことだった。お互いを愛称で呼び、様々なことを話した。そんなこんなで一年と少しが過ぎ、二人とも五歳となった冬、庭園で休んでいるときに、エレアが突然こんなことを言い出した。

「ねえベル、私たち二人が許嫁って聞いたらどう思う?」

「いいなずけ?新しい呪文か何か?」

ベルナードはそう聞いてきたが、エレアはあえて冷たく返す。

「なんでそうなるのよ。どう考えても文脈的におかしいじゃない。」

「それもそうだね。じゃあ魔力の性質とかかな。聞いたことないけど。」

魔法以外の勉強には全く身が入らないベルナードが、許嫁という言葉を知らないことなど本当は分かっている。分かっているにもかかわらずエレアは、

「もう、ベルってば本当に魔法にしか興味ないんだから。許嫁っていうのは将来大人になったときに結婚する約束を子供の時から結んでおくことよ。侯爵家の子なんだからそれくらいは知っておかないと駄目よ。」

「逆にエルは何でそんなこと知ってるの?」

「どうでもいいでしょ。さ、質問に答えて。」

本当は自分だって一昨日初めて知ったのである。しかしこの時のエレアは、どうしても少し大人ぶって意地悪せずにはいられなかった。

「う~ん。結婚とかはまだよくわかんないけど、エルと一緒にいられるなら僕はそっちの方がいいかな。というかなんでいきなりそんな話を?」

「こないだ、聞いちゃったのよ。お父様たちがそういう話をしてるのを。」

ウソではないが建前だ。いきなりそんな話を聞いて、エレアはベルナードには聞かずにはいられなかったのだ。もしベルナードが嫌でなければ、自分のこの恋はほとんど確実に幸せな結末を迎えるのだ。そして、ベルナードから聞けた。良い返事を。この話を正確に理解しているかどうかは定かではないが。

「なんでだろう。分家と本家が結婚してもあんまり得があるとは思えないけど。」

「魔力じゃないかしら。私たちの家系はそこが自慢だから。」

あらかじめ予測していた質問に予め用意していた答えを返す。今のエレアにとっては、理由などうでもよかった。

「そっか。確かに僕とエルの子ならすごく可愛くて魔力量もすごい子になるね。」

「魔力量はそうだけど、可愛いはどこから出てきたの。ていうか、関係ないでしょ。」

「えー、見た目は心象にかかわるし大事だよ。それにエルがすごく可愛いから、どう転んでも子供も超かわいくなるよ。」

「……!」

「どうしたの?」

「いや、ベルらしい理由だなって思って。」

思わず顔をそむけたのを必死に取り繕う。

「ふ~ん。でも結婚するならエルを守れるように強くならないと。愛する淑女レディくらい守れないと、立派な魔導士にはなれないから。」

「…もしそうなったら、しっかり守ってね。」

「うん。って顔赤いよ。エル。大丈夫?」

「心配しないで!大丈夫だから。」

「それならいいんだけど……。」

(大丈夫な訳ないでしょ!どういうことなの?いや、どういうことかは分かってるけど、さすがに天然過ぎない?さっきからほぼプロポーズなんですけど?すごく可愛いとか、子供がどうとか、僕が守るとか、なんでそんなサラッと言えるの?4歳って別に恋とか分からない年じゃなくない?まして私たちだよ!魔素の影響で身体はもう第二次性徴に入ってるし、ベルはまだだけど。貴族としてそういうことも色々教わるじゃん!なんでそこまで純朴でいられるの?ベルにそういう気持ちが無いのは分かってるよ。分かってるけど…、そんなこと言われたら私だけじゃなく世界の九割九分の女の子に惚れられちゃうからね!一回鏡見てきてから発言してほしいです。これじゃあ片思いの幼馴染と鈍感主人公のラブコメ始まっちゃわない?(この世界は技術を魔法で補える分、娯楽文化の発達が凄まじい。)ってことはこっから学校一の美少女とか、貴族のお姫様とか、不良少女(ギャルのこと)とかが絡んで来るんってこと!?落ち着くのよ、エル。そんな訳無いじゃない。私達は学校なんて通ってないし、そもそも私達が貴族よ。不良少女となんて遭遇する機会もない。あれ、でもソフィア先生が美少女を連れてきて転校生イベントが発生する可能性はあるし(自分のことは棚に上げている)、貴族じゃなくて貧困家庭とか、ベルは優しいから不良少女にも優しくして…。もしかしてあるの?そういうこと?今日ずっと疑問形ばっかりだし、ただのうるさい女の子になってない?もう、どうしたらいいのよ!)

「さっきから難しそうな顔してるけど、本当に大丈夫?」

「大丈夫よ。」

大丈夫ではない。エレアの脳内言語で結構な行が埋まるくらいには、エレアは錯乱していた。

「僕のところの医師に見せる?連れてくよ。」

「え、いや~…。」

どうしよう。ほんとに体調は悪くないけどベルが連れて行ってくれるなら行こうかな。もしかしたら手をつないでもらえるかも。それともエスコート?でも迷惑かけるわけにはいかないし、やっぱりやめようかな。

「遠慮しないで。悩むくらいなら行った方がいいよ。」

そういうとベルナードはエレアを抱え上げた。

「ちょっと待って!お姫様抱っこなんて聞いてない。」

「病気なら歩かせるわけにはいかないでしょ。それとも嫌だった?」

「嫌じゃないけど、私より10cmも背が低いんだから無理しないでよ。」

「大丈夫大丈夫。これでも男の子だよ。」

「その男の子が124cmしかないから言ってるの。重いでしょ。」

「重くないって。エルだって言うほど大きくないじゃん。」

「女の子に重いって言っちゃ駄目とかそういうくだりはいいの。絶対重いに決まって……。」

「?」

「ちょっとベル、あなた念動力使ってるでしょ。しかもばれないように少しだけ。やっぱり重いんじゃない。」

「ばれちゃったか。」

「もう観念して下ろしなさい。私も恥ずかしいし。」

「えー、恥ずかしいのは僕だよ。だって、いいなずけ?を抱っこできないなんて。紳士としてよくないよ。」

「もう、そういう問題じゃないの。ていうか紳士ならどこかしこでそんなことしちゃダメ。」

「でもあとちょっとだし、いいでしょ。」

(そんな笑顔で聞かれたら…)

「分かったわ。今日だけね。」

「うん!」

間もなくして、二人の婚約が正式に決まることとなる。これが二人や家族にとって本当に最善だったのか、そうでなかったのかは、今となっては知る由もない。


ベルナードが5歳となる頃、とある異変が訪れる。事の発端は、ベルナードの誕生日の翌日のことである。彼の付き人の一人が、原因不明の心臓発作で倒れたのだ。幸い一命は取り留めたが、大事を取って休職することとなった。若く健康にも気を遣っている人物だったため驚いた者は多かったが、これだけ見れば、普通にあり得ることである。しかしその2日後、今度は給仕が倒れた。更に次の日には、屋敷の料理人が倒れる。流石にヴァステナー家だけで4日でこれだけの人数が倒れるというのは可怪おかしい。医療班が調査を行うと、原因はすぐ見つかった。屋敷内の異常な魔素濃度である。魔素は生命活動のエネルギーとして使われることはあるが、どんなものも過剰摂取は毒である。コリムとて魔素濃度が高くはあるが、あくまで平均より高い程度に過ぎない。しかしこの屋敷内の空気はその八倍の濃度で魔素を含んでいる。その影響を、魔力が弱い、つまり体内にある魔素が少なく魔素に対する耐性が弱いものから受けていったのである。これにより、一部の人間は一時的な休職を余儀なくされた。これほどの魔素濃度であれば、魔法に関する鍛錬を積んだヴァステナー家のものであれば気づけるのではないか。そう思う人もいるだろう。だが実際は逆である。空気中の魔素濃度が高いということはその分利用できる魔力も大きい。魔素に対する耐性がついていれば毒となることもない。つまりこの家の人間からすれば、普段より調子が良いぐらいのことなのである。安心して眠る我が家で、常に魔力感知を集中して行っているわけではない。急に濃度が変わるならまだしも、緩やかに変化していったものに気付く由もないのだ。そう、変化は緩やかに起こったのだ。この屋敷内だけで。つまりはこの屋敷内に原因がある。その原因とはつまり、ベルナードである。ベルナードから漏れ出た魔素が屋敷内を満たしていた。この一か月ほど前から、ベルナードの魔素量が大きく向上し始めた。ただでさえ多い魔素量が大きく増えたわけだが、これ自体は想定済みであった。人間の場合、魔力が覚醒して二年ほどたつと、約一週間かけて、魔素量が急激に増えるのだ。これに伴い、屋敷内の魔素濃度が1.5倍から1.7倍になるであろうという予測が立てられていた。この量は、人体に害を及ぼすことのない数値である。しかし実際には魔素の増加は一週間どころか一か月以上たった今もなお続いていた。それも当初より遥かに速い速度で。

 この前代未聞の事態に対処するため、ベルナードは、両親とともに王都の近くにある森の奥地で生活を送ることとなる。魔物も潜むこの森は、一般人が立ち入ることなどまずない。そんなところで暮らすというのは貴族としては異例の事態であったが、国王はこれを許可。ユーグラフは森から王都に通い、職務を果たすこととなった。魔物の住まう森といったが、安全面に関しては問題ない。ベルナードの魔力量は王国随一の魔導士である父の7倍ほどになっており、魔物が近づくことはほとんどなかった。そこで一度社会との関わりを断ち、魔素の制御の訓練をすることになった。すべての生物は個体差こそあれど体内に魔素を蓄えている。そして呼吸や皮膚を通して魔力の循環が起きる。この流れを制御することができれば、元のように暮らせるはずである。そう信じ、親子はともに励んだ。一年もたったころ、客人が訪れる。


「どなたかいらっしゃいませんかー。」

客人が呼びかけると奥から声が聞こえた。執事の一人もいない正真正銘の三人暮らし。玄関から声が届くほどの家の大きさであった。

「その声、もしかしてエル?」

そういったと同時に扉が開かれると、懐かしい顔の前に二人とも顔をほころばせる。たった一年であるが、六歳の子供にとっては果てしなく長い月日である。感動も測り知れない。

「え、ベルなの。ほんんとに?こんなに大きくなって、声も少し低くなってるし。」

「エルこそ、背が伸びたんだね。その格好も大人っぽくて素敵だよ。」

(そういうところは変わってないのね。)

「ん?どうかした?」

「何でもない。それより今日が何の日か分かる?」

「エルの誕生日でしょ。もちろんわかるよ。あ、早く家に上がって。中で話そう。」

「うん。」

この一年で二人は大きく変わっていた。エレアは顔や身長こそ幼さを残しているが、体つきは既に成熟しており、その佇まいから溢れる品格もあいまって、一人前の女性という印象を受ける。最年少で魔導士の国家試験をパスし、正式な魔導士として公に活動できるようにもなっていた。ベルナードはここ一年で急速に成長し、身長はエレアを少し超え、変声期も来ていた。これからまだ大きくなるものと思われる。さらに魔力量は今なお増大を続けており、制御と増加が横一線をたどっていた。もはや本当に年が分からなくなりそうな二人だが、その無邪気さはまだ子供のそれだった。大人のような語彙で、上品に飾り付けられた如何にも貴族という感じがする部屋で、無垢に話す二人の姿はどこか可笑しくもあった。

「そうだ。今日はもしかしたらエルが来るんじゃないかなと思ってね、プレゼントを用意してたんだ。去年はお祝いできなかったからそのお詫びも兼ねて。」

「本当に?ありがとう。」

本当は叫んでしまいそうなほど嬉しいのを必死にこらえる。

「じゃあ手を出して。」

「うん。」

そうしてエレアの指に一つのリングがはめられた。

「えっ、なにこれ、どういうこと⁉」

「ここにいる間に本で読んだんだ。結婚する時だけじゃなくて、婚約する時にも指輪を送る文化があるんだって。結婚する前から、生涯かけて守り抜くことを誓うんだよ。」

「でもなんでこんなにぴったり…」

「先生に聞いたんだ。それで。」

「私のために?え、うそ、はわわわわワワ。」

「大丈夫⁉エル」

「う、うん。ごめん。ありがとう。ちょっと嬉しかっただけ。」

(何がちょっとよ!あんなにパニックになって。ベルの前で可愛くないとこ見せちゃったかも。どうしよう。)

「でも、今のエル、ちょっと可愛かったな。」

(心読まれた⁉いや、違うけどそれは反則でしょ。ここは話題転換しなきゃ。)

「そういえば、ヴァステナー侯爵様たちはどこに?」

「えっと………、もういないんだ。」

「え、」

ベルナードの父は三か月前の同盟国の防衛戦に自ら志願して出向き、死亡した。時期を同じくして母も病気にかかり、一か月後に亡くなっていた。

「ごめんなさい。この間まで研修で、南部の砂漠地帯に行ってたから、そういうことは知らなくて…。」

「エルが謝ることじゃないよ。今は先生が時々来てくれるから、そんなに寂しくないし。」

「そう、それならいいんだけど…。」

本当は思ってもいない言葉をそこまで言ってから、急にエレアは立ち上がり、

「待って。いいこと思いついたわ。私たち、二人で住みましょ。」

「え、急にどうしたの?」

ベルナードが驚くのも無理はない提案だが、エレアは構わず続ける。

「これなら寂しくないし、私が訓練の手伝いもできるわ。」

「でも御両親が心配するだろうし…。」

「ベルも知ってるでしょ。私、決めたことは曲げないから。許嫁だって言うなら、今から一緒でも文句ないでしょ。私だって一人前の魔導士なのよ。」

「じゃあ、お願いしてもらってもいい?」

「もちろん!」

問題はどう考えてもそこだけではないし、解決もしていないのだが、それに二人が気付くのは、エレアが帰った後である。

(きゃあ!これで一緒に住むことになったらあんなこと手を繋ぐこんなことキスをできちゃうんじゃない?だって私たちまだ子供なのに。ベルと一緒に…、ふふふふふ。こんな思惑が母様や父様にばれたらきっと厳しく叱られるわ。)

 ませてる6歳の女の子なんてこんなものである。中々に目ざといが、やはり子供らしくて可愛らしい。しかし、ここから向こう3年間彼女の期待することは一切ない。所詮男の子なんてそんなものである。


 ベルナードとエレアの暮らしは、変わり映えこそ無いものの、穏やかで平和な日々だった。未だに森の外に出ることのできないベルナードのに代わって、エレアが買い物に出かけたり、昔の知り合いに挨拶したりするのであった。時々魔導師としての任務もあるが、それらは収入源となった。親の遺産はたくさんあったが、いつまでも甘えて暮す訳にはいかないと、二人の子供は自立を目指した。そして3年がたち、エレアの9歳の誕生日。すっかり二人が大人にしか見えなくなったころ、その日エレアはソフィア先生を尋ねていた。

「――それでね、ベルったら手すら未だに繋いでくれないのよ。どうしてなのかしら。あんなにアピールしてるのに、そもそも婚約指輪まで貰ってるのよ。私。もしかして、未だにただの友達の延長線上だと思われてるのかしら。」

グラナードス家の客間で紅茶を飲みながら、年に似合わぬ愚痴をこぼすエレア。

「そんなに気を落とさずとも、まだ九つじゃないですか。男なんて鈍いものだと割り切ってしまった方が楽ですよ。それに手ならこの間も繋いでいたじゃないですか。」

その惚気話を文句一つ言わず聞く独身のソフィア。この時代にしては珍しいが、仕事が出来すぎるとモテないらしい。なんとなく今と通じる部分がある。

「あれはただのエスコート!手を添えてるだけ。そうじゃなくて、もっと指を絡ませて…。はぁ、先は長そうね。」

「ふふっ。若いうちにヤキモキしておいたほうが良いですよ。歳を取ると期待すらしなくなりますから。」

 この会話を9歳がしていることにも驚きだが、ソフィアも色々と苦労していそうである。彼女だってまだ29歳なのだが…。

「あ、もうこんな時間、早く帰らないと心配かけちゃうわ。」

大きな振り子時計を見てエレアが言う。

「そんなに焦らなくてもよいのでは。まだ4時前ですよ。」

「だめよ。早く帰らないと。ベルは心配性なんだから。」

実はソフィア、ベルナードからエレアを引き止めるよう頼まれていたのである。誕生日のサプライズの準備をするそうで、せめて5時までは頑張ってほしいとのことだった。もとより真面目なソフィアは、何としても帰すまいと思っているのだが、どうにも無理そうである。

「でしたら、私がお送りしましょう。」

すぐさま作戦を変えたソフィアは、素早く、それでいて不自然にならないように、ドアの前に立つ。しかしエレアの頑固さに阻まれる。

「いや、いいわ。先生だって忙しいでしょう、自分のしたいこともあると思うの。」

だが、あくまでそれを許すわけにはいかないソフィアは、

「本日は雪も降っていますし、安全のためにもぜひ送らせてください。お話の続きもできますよ。」

「そう?そこまで言うならお願いするわ。」

こうして共にベルナードの家へ帰る権利にこぎつ受けたソフィアだったが、二人が家に着いた時刻は、4時半であった。


「あれぇ?早かったね。エル。」

そういいながら、困り顔でソフィアを見るベルナード。それを何とも申し訳なさそうな顔で見返すソフィアだったが、そんなことをしたところで良い解決案が浮かぶはずもなく、

「さ、入りましょ。」

というエレアに流されるまま、家に入り、二人のサプライズ計画は失敗に終わったのだった。


「今日は人生最高の日ね。ありがとうベル、先生。また今度3人でお茶でもしましょ。」

時刻は8時。落ち込む二人とは裏腹に、非常に満足げなエレアが、ベルナードとともにソフィアを見送る。

「では、私はこれで。」

そういうと、ソフィアは高速移動呪文で去っていった。市街のほうでは危険なので使わないが、森では3人ともこれを使っている。この頃はまだ瞬間移動術は発明されていなかったのだ。そんなソフィアを見送る二人を、暗闇から見つめる影が2つ。


「なあ、どっちがヴァステナーってやつだ?」

「知るかよ。9歳って言ってたから小さいほうだろ。」

「でも9歳にしてはでかくねえか。」

「ばかっ。魔法使いは成長が早いんだ。」

「そうか。じゃあレジェット様からもらったこれを使うのか。」

「ばれないうちに早くやっちまえよ。」

「おう。」


『ダァン』

鋭い銃声とともに、エレアの体から血が噴き出した。

「エ、エル?」

「うぅ…ぁえ。ふぐっ。」

あまりのことに何が起きたかわからない二人だったが、すぐにベルナードが回復呪文をかけ始める。

「あれ、効かない。なんでどうして、効け効けきけきけーっ!」

ベルナードの呪文が上手くいかないのは、決してベルナードが焦っていたからでも、技量が足りなかったからでもない。エレアを打つのに使われた弾丸が特殊すぎたのである。あらゆる魔力を受け付けない特別な金属でできており、それが体の中に入り込んでいる以上、エレアの傷口は塞がらない。撥水はっすいコートをしてある鉄に、水を染み込ませようとしているような感じなのである。しかし、もしこのことをベルナードが知っていたとしても、弾丸を取り出すすべなど無い。この貴重な弾丸は、ベルナードを危険視した王国の貴族のレジェット卿が手に入れたものだ。レジェット卿は王にバレないように、村の猟師を使ってベルナードの殺害を独断で決行した。しかし、写真技術も無いこの時代、暗闇の中だったため、2人を間違えてしまったのである。

「効けっ、お願いだから!治って効いて!」

尚もエレアに回復呪文をかけ続けるベルナード。

「もっ…う、いいわ。ベル。」

「そんな…諦めちゃ駄目だよ!」

涙目になりながらそう訴えるベルナードに、エレアは首を弱々しく横に振った。

「そうじゃないの。」

「え?」

「わ、私、ね。とっっても幸せだったの。ずっと。大好きなお母様とお父様、お兄様も、妹のカシュナも。あと先生、もちろんベルも。大好きなみんにぐぉっ…ふぉっ、ぅぅゔ。」

「エル!」

「大好きなみんなと一緒に暮らせたから。辛いことも無いわけじゃなかったけど、最高だった。だから…だからね。」

「うん。」

そこでエレアは一度深呼吸をする。

「だから何も恨まないで。幸せを求めるのはいいけど、人も、国も、世界も、どんな事があっても。私は諦めたんじゃなくて、あなたを信じてるの。私の好きな、優しすぎるあなたでいて。」

「うん。そうする。そうするから。大丈夫。先生に見せればすぐだから。」

それを聞いたエレアは少しいたずらっぽい顔で、だけども酷く安心したような声で、

「ベル、さいっ、ごに、もう一つだけ我儘言ってもいい?」

もちろんだよ。最後だなんて、そんなこと言わないで。そう言いたいそう言ってあげたい。だが声が出ない。ただただ頷くことしかできなかった。

「キス………してほしいの。ごめっ、ん。最後っぽくないね。やっぱり変え――!」


 ベルナードが唇を離すと、エレアは静かに笑う。そしてそのまますぐに息を引き取った。身体は大量の出血で赤く染まっていたが、顔だけは不思議と眠っているように綺麗だった。

「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああ」

声をあげて泣くベルナード。その瞬間、制御していたベルナードの魔力がすべて解き放たれる。その圧倒的な量と質により、僅か0.2秒でベルナード半径3kmが無菌地帯。更に半径7kmが無生物地帯。半径14kmが非魔法生物無干渉地帯(※魔法使いや魔族以外が生活することができない。)となり、半径20km圏内が無動物地帯となった。ベルナードの周りのすべてが、一瞬にしてその命を失った。だがこの数瞬前に、ベルナードの異変に気づいたものが8名。まずソフィア、続いて王国でも指折りの魔導士が3名。更にコリム王国周辺の国際魔導士が3名。そして、遥か地球の反対にいる、ベルナードの父方の祖父、アルスト・ティグである。

「シルヴァン、私は行くところがある。留守を任せられるか?」

「はっ。行ってらっしゃいませ。師匠。」

自らの優秀な弟子にそう言うと、アルストは全速力でコリム王国の方に向かう。また、ソフィアと王国の魔導士のほぼ全員、コリム王国に一番近い国際魔導士もベルナードの元へ向かった。


 一方その頃ベルナードは、ただひたすらに王国に向かって歩いていた。魔力の制御ができていないのも気づいていない。ただ、エレアの家族に会う。そして心から謝る。それだけを考えていた。そうしてベルナードが自分でも気づかぬうちに高速移動を始めた頃、ソフィアがやってくる。

「これは…………。」

そこでソフィアが見たのは絶望そのものだった。

 一瞬で色を失っていく森。急に柱がなくなったかのように崩れる家。そしてそれが、物凄い勢いで王都に向けて進んでいく。しかしソフィアは、それに近づく事も出来ない。教え子が破壊していくさまを、ただ見ることしか出来ない。続けざまに王都の魔導士も到着するが、誰も何も出来なかった。皆が命を削り、それでいて0.1秒の時間稼ぎにもならない。魔導士たちは、一人でも多くの人間を逃がすことに専念し始めた。ただソフィアだけが、ベルナードに向けて進んでいく。その20秒後、王都は壊滅する。


魔暦1134年2月10日 コリム王国王都壊滅

王都

生存者 市民約40万人中2457人

    (内重傷者1203名 軽傷者896名)


王都外

死亡者 国民約376万人中約7万4000名

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俺が最弱になるその日まで 桐絵 妃芽 @hime_kilie

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