過去2 ⑫遠い世界のおそろしいもの
酒はいまいちだが、肴は美味い。
飲む量を極力減らして、その分食べることで場をもたせる。
昼間からの飲むのはとにかく時間が長く、体力の消耗が激しい。
すっかり酔いが回っているケインはすぐにでも眠りに落ちそうな体たらくである。
聞いておきたいことがあったが、この状況で話などできるのだろうか。
とりあえず話を振ってみるか。
「砂漠の民の故郷は、死の砂漠にあるのか」
「あ? ああ、そう、いうことになってる」
そういうことになっている?
呂律に乱れはないものの、ケインは力が入らないのかなんだかふにゃふにゃとした様子だ。
「災害に見舞われたと聞いた」
「災害ぃ?」
今にも寝入りそうな顔を伏せた状態から、顔を起こしケインは眉間に皺を寄せた。
「どういう、てか、なんだそれ、噂? どこで流布してんだ、そんな出まかせ」
「セフィがそう言っていた」
「セフィ!?」
酔いが完全に冷めた様子でケインは大声を出し、戸惑いの感情をにじませた表情で口を開く。
「あいつがそんなことを言ったのか?」
「ああ。災害があって、皆助からなかった、と」
「災害……、助からなかった……?」
ケインは困惑しているようだ。まるでそれが初耳であるかのように。
まさか、本当に知らなかったのだろうか。
「虫みたいな物がすべてを滅茶苦茶にしたって俺には言ってたんだけど」
「虫?」
「生物の虫じゃなくって、なんか要領得なかったからよくわからん。そういうものだって。そっか、俺がわけわからんって言ったから災害って言い換えたのかもしれない」
「虫みたいなものが災害?」
「何か生物とかけはなれた何かが、大量に出てきて街全体を食い尽くした? 破壊尽くした? とかそんな話だった」
災害が本当にあったのかをケインに聞きたかっただけなのに、話がよくわからない方向に行ってしまった。
生命とはかけはなれた何か。虫のような何か。街全体を破壊するもの。
この世界のどこかにそんなものが存在しているということか?
そんな、馬鹿馬鹿しい話信用できるか。そうやって笑い飛ばして終わりたい。だがそうできないのはセフィの存在があるからだ。
「セフィはそれを見たのか?」
「見てた、んだろうな。よくわからない。説明しようとすると寝落ちするから全部聞き出せないんだが、多分セフィはその虫? 災害? と直面して、心が破壊されてるんじゃないかってさ。俺の勝手な推測に過ぎないけどさ」
「破壊?」
「もしくは、貪り食われた、とか。まさかな」
ケインはそう言って自虐的に笑った。が、そんなことが、ありえるのか?
そして、そんなものがどこかに潜んでいる?
恐ろしいとは感じる。だがあまりにも現実味がなさすぎて、物語か何かを聞かされているような気持ちだ。
とにかく、わけがわからないが、恐ろしいモノがこの世界のどこかにいる、それだけだ。
それ以外は全然わからないまま。
ただ、皆助からなかったとセフィが語っていたその事実が二人の心に黒い影を落としているのは間違いない。
あまり美味くはない酒がまずくなる話題だった。聞いてしまったことを後悔したが、やってしまったことはどうしようもない。
祝い酒だったはずなのに、ぎくしゃくしたまま、お開きとなった。
翌日登城して、真っ直ぐに向かうのはディノの執務室だ。
ちょうど護衛の交代時間だったため、引継ぎに参加しておく。話を聞く限り、近衛兵からの報告では、特に問題もなく目新しい情報もない。
夜番の護衛が退室すると、ディノが机に置いてあった書類を一枚摘まみ上げた。
「見ろ、会議の臨時招集だ」
会議開催通知と思しきものを手に、なぜか心底愉快そうにディノは笑う。
「臨時? 聞いてませんけど、議題はなんです?」
俺の二つ年下の後輩にあたるこの護衛は、先日近衛兵にあがったばかりだ。そのせいかまだ初々しさが残っている。
礼儀も少し危いが、ディノが何も言わないなら俺からも特に注意はしない。
護衛から視線を移し、ディノの手の中の書類をざっと盗み見たが、日時のみが記載されていて議題はの記載はないように見えた。首をひねり、俺はディノに向かって口を開く。
「議題の記載はされてないですね」
「多分、先日ケインが言ってたあれだろう。隠し子騒動」
「隠し子!?」
驚きの声を上げたのは、護衛だ。
やはり反応がまだ初々しい。
もう少し経験を積めば、ディノが何を言い出しても全く無反応でいられるようになるだろう。ディノが色々と起こしてくれて感覚が麻痺するからだ。
「隠し子って殿下の?」
「阿呆。俺の子であってたまるか。陛下のだ。俺の異母兄にあたるんだと」
ディノの子であってくれたほうがましだけどな、とは胸中だけでぼやく。
しかしそれは本当に事実なんだろうか。
「確定なんですか」
と、俺が率直に疑問を口にすれば、ディノはよくぞ聞いてくれたと言いたげな表情で頷く。
「真実がどうであれ、動かぬ証拠でも出してきて『本物』にするんだろうな」
「偽物でもですか?」
「真偽なんてどうでもいい。ただ、王位継承者が別にいるという事実を作りたいんだろうな」
「それは、乱暴なやり方ですね。我々国民にとってみれば王子様といえばディノ様お一人です。今更もう一人、しかもディノ様よりも年上の王子殿下なんて、受け入れがたいとしか」
護衛の正直な意見にディノはますます笑みを深くする。
あれは喜んでいる顔だなとわかったが黙っておくことにした。
「それでも介入をしたいのだろうな。自分の思い通りに国を動かすのに最適な駒になりえるからな第一王子、なんてものは」
ケインからその報告がもたらされた時にはうろたえていたが、ここ数日で何か対策でも立てたのだろうか。やけに余裕なのが気にかかる。
「ヒュー、会議は明日正午からだ。会議中の護衛はお前。近衛兵たちは会場と、その異母兄の警護にあたれ」
「はい」
「承知いたしました」
俺と護衛がそろって頭を下げれば、ディノは会議の案内文を机に叩きつけた。
かなり力を込めていたようで、辺りに響き渡った大きな音に護衛が思わず肩をすくませたのがわかった。
「その挑発、買ってやろうじゃないか!」
割とまだ、ディノは冷静になっていないみたいだ。
こっそりとため息をもらせば、護衛兵士もそれに気づいて俺に倣って小さく息をつく。
ディノからあれこれ要件を申し付けられて城内をあちこち移動してればあっという間に時間は過ぎる。
例の推薦状と申請書をまとめて役所に提出して本日のディノの直属として仕事は終了。
この後は、新兵の訓練指導の補佐業務に携わることになっている。
横一列に並んで素振りをしている新兵たちを教育係と共に指導をすることになったのだ。
真っ直ぐに前を見据えてひたすら剣を素振りする彼らの姿は正直眩しい。
若いっていいな、と年寄りじみたことを思ってしまって、自分の思考に落ち込んだ。そんなに年は変わらないはずなのに。
訓練のしあげは試合形式の打ち合いを行う。
新兵たちが「一撃も入れられない」と嘆いたところで本日の訓練は終了。
新兵たちを解散させて、教育係たちとの反省会、更に指導計画の見直し。
それが終われば、後輩たちが「指導お願いします」と寄ってきたので、相手をしていたらもう深夜になっていた。
ここは誰もかれもがひたすらに強くなろうと真剣だ。悪くない。悪くないがきちんと時間を気にするようにしないと休む時間が確保できなくなる。
以前だったらこのまま仮眠室へ行く時間だが、重い体を引きずって自宅に帰ることにした。
帰ってきて師匠のところにしばらく入り浸っていて本当によかったとしみじみと思いながらも深夜の道を歩く。
しんと静まり返って街自体が寝静まっているような感覚は何だかとても懐かしいような気がした。師匠にしごかれたおかげで、体力だけは以前と同じぐらいには取り戻せている感じだった。
あとは今日のように訓練を重ねていけば、以前の勘を取り戻せるのではないだろうか。
自宅は暗く静まりかえっていた。
いつもの出迎えはない。むしろこんな時間まで起きて待っていられたら困る。
癖でキッチンを覗けば、食事は用意されている。
行儀など考えず、立ったままそれを摘まんで空腹を満たした。
生まれてからこの家で生きてきて、こんなに恵まれた生活を送ってきたことなどなかったからやはり慣れない感じはある。母も俺も忙しかったからだろう。だから――
「美味いし、本当にありがたいな」
だが、もう少しでこんな生活ともお別れか。
惜しいな、と思っている自分に気づき、苦笑してしまった。
セフィを置いて行くよう、もっと粘って交渉すればそれも叶ったのだろうか。多分ケインのあの感じから言って彼女をどこかに置いていくようなことはしないから無理だろうな。
誰かが待っている家はしっかり息づいていて、帰ってくるとほっと安心できる場所だ。
だからみんな結婚するのだろうか。誰かが待っている家を作るために。
そんな、感傷めいたことを考えて孤独をかみしめた。
食事は全て平らげて、皿は洗って片付けておく。
水滴を拭って戸棚にしまえば急に眠気が押し寄せてきた。
一日が長すぎる。さすがに疲れた。
自室に戻り、今日も湯を使わず水を浴びて震えながらもベッドにもぐりこんだ。
ちゃんと日に干されたシーツの匂いだ。
帰ってきた日から随分と自宅も変わった。ちゃんと息づいている家。
あの二人が出て行ったら、俺はまた自宅に帰らなくなる気がする。そう思っているうちに眠りにおちて行った。
臨時会議が間もなく始まる。
中枢を集めた会議の開始は午後だが、準備は朝からはじまっている。
事務職員が慌ただしく動き回っている議事堂の中で、兵士長が中心となって俺たち兵士は、不審物や侵入者の確認と、警備体勢の打ち合わせを行った。
打ち合わせ終了次第、議事堂を一周見回って最終確認をしてから、ディノの執務室へと向かう。
会議開始時間まで、ディノと大人しく待機するほかやることがなくなった。
「急な招集でみんな右往左往といったところか」
「こっちの都合も考えろと言いたい」
ここにはディノと俺の二人だけのせいかお互いに余計な気遣いはしない。
外を出歩けば邪魔にしかならないことがわかっているのだろう。ディノも退屈そうではあるが文句は言ってこないので助かる。
「昨日は帰宅できたんだろう? 美味い飯に寝床が用意されてて」
「帰ったのは日が変わってからだ」
「でも食事は用意されてたんだろう?」
答えず目をそらしておく。
「いいな、女の子の作った料理ってのがもうそれだけでいい」
「どこのおっさんのセリフだ」
そういうことを言うと、ケインが怒る――いや、王子相手には怒らないか。
「俺も食べたい」
「一般市民に重荷を課すなよ」
まるで子供のような物言いに呆れてため息を漏らせばディノは頬を膨らませた。
「アイリと食べたい」
「寝言は寝て言え」
ディノとアイリの二人が城下に出かけるなんて無理に決まっている。たとえ何人護衛を手配しようとも許可がおりるはずもない。
特にアイリは国の占い師だ。城からどころかあの部屋から出すことさえ無理難題に近い。
「じゃあ、セフィ連れて来い。城で作らせる」
「負担が大きすぎる」
「独占するのか?」
「違う。そういう話じゃない」
ただいつもこんな風にディノと口論のような言い争いをしていれば、必ずと言っていいほど間に入ってやんわりと仲裁してくれていたのは母だった。
母が亡き今、この口論を止められる者がいなくなってしまった。ディノとの言い争いのような掛け合いは止めるタイミングを掴めないままずるずる続いてしまう。時間の無駄遣いのような気がするが、他にやることもない。
母の仇は必ず取ると決めた。が、どんどん子どもの駄々のようになっていくディノに、不安が募っていくのを自覚していた。
本当に大丈夫なんだろうか。
次の更新予定
全てを失った最強剣士は如何様に時を戻り全てを取り戻したのか 古杜あこ @ago_t
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