過去2 ⑪覚悟を決めている

「セフィ、何か作って。つまみっぽいやつ」

「……」


 出迎えた途端にケインから手渡された食材にセフィは無表情で食材とケインの顔を見比べている。どうやら面食らっている様子だ。


「……いいけど、どうしたの?」

「お祝いだから。ヒューの復職祝い」


 セフィのぼんやりとした目が俺を見て、すぐにうなずいたことでその目がそらされる。そのままその目は誰にも向けられることなく、セフィは食堂へと行ってしまった。その姿はいつも以上にぼんやりとしているように見えた。



「とりあえず復職おめでとう」


 一応酒の購入量は極力抑えたつもりだ。

 手のひらサイズの酒瓶を俺に手渡し、ケインも同じものを手にして、酒瓶同士をぶつけ合う。

 乾杯替わりらしい。瓶に直に口をつけケインは勢いよく飲みだした。大丈夫なんだろうか、と訝しがりながら俺も酒瓶に直接口を付け、少量口に含んで飲み込んだ。


 飲み込んだ瞬間、体内にアルコールが浸透していくような感覚が全身に広がった。酒に溺れていたあの感覚が唐突に蘇り、抱いたのはほんの少しの恐怖心だった。

 あの時に戻ってしまうのは、正直言って怖い。戻ってしまったらもう二度と戻ってはこれない。そんな気がした。

 

 ずっと心の底にあったのは「消えたい」という思いだった。

 俺という人間を黒く塗りつぶしてこの世界から消してしまいたかった。でも消えなかった。

 俺という形は、何をしたって消えてはくれない。

 

 ただ、酔ってしまえばそこは現実ではない別のものになったような気がしていた。

 酔った感覚は何もかもを曖昧に変える。

 その時間だけ自分の形がなくなるような感覚に陥ることができた。

 そうやって俺は酒にのめり込んでいった。


 そんな風に自分が置かれていた状況を分析していると、俺に常に付きまとっていた非現実感への渇望まで思い出してしまった。酒に伸びかけた手を理性で押さえつけ、息を吐く。

 これ以上思考の海に沈むのは精神衛生上良くはないのだろう。


「調べ物は終わったのか」


 恐怖心や苦しさを誤魔化すようにケインに問いかけてみた。

 思えばケインは長いこと図書館に通っている気がする。そんなに時間がかかるような調べ物を頼まれることはないだろうし。

 そう見当を付けての問いに、ケインはやや間を開けてから再び瓶に口を付けた。


「そうだな。もう終わってんだよな」

「そうか」

「後は出発準備だけ、なんだよなー」


 音もなくセフィがキッチンからやってきて、テーブルの中心に大皿を置いて再びキッチンに戻っていった。

 皿にはクラッカーとドライソーセージと昨日の残りのパンを薄切りに切った物が並べられていた。端には先日ケインが絶賛していたキノコのオイル煮が添えられている。

 店で提供されるように盛り付けされている。色々なジャンルの料理を作ってくれているのもそうだが、何とも器用な娘だと改めて感心した。

 

「お前がネルイに行っている間、もしよければうちでセフィを預かるぞ。どうする」


 ネルイはラグエドからの独立関係で少々きな臭い。決して安全とは言い切れないだろう。

 その場所へあの状態のセフィを連れて行くのはかなり厳しいだろう。二人とも危険にさらされるといっても過言ではない。

 市民権を発行するということは、ケインはここに戻ってくる予定があるということだ。だったらその間セフィをうちに預けておけばケインはもっと身軽に動けるし、安全に行動できるかもしれない。そう思った。


「そう言ってくれんのは嬉しいし、助かる。確かに、ちょっとどうしようかなって思って途方に暮れかけてた」


 ケインはさっそく、薄切りのパンにキノコのオイル煮を乗せてぱくりとかみついた。


「けど、セフィは連れてく。あ、別にヒューのこと信頼してないわけじゃなくて、前にセフィと約束したんだ。いろんなとこ、連れてってやるって」

「約束か」

「だからどんなに厳しい状況でも連れてく。そう決めてるからさ」


 ケインはケインでそういう覚悟を決めているのか、と腑に落ちてしまった。

 そう決めているのなら、俺からはもう何も言えない。


「そうか、少し寂しくなるな」

「お?」


 あっさりと認めれば、ケインはちょっと意外そうな声を上げた。


「いやあもっと反対されるかと思った。それに、寂しい、ねえ?」


 にやにやしながら揶揄うような口調で言ってくるケインを意図的に視界から外しつつも、意を決して瓶に口を付けて一口酒を飲みこんだ。

 飲みやすいが悪酔いしそうな酒だ。明日のことを考えるのなら量は最低限で留めておかないとまずいことになりそうだ。

 

「そう思ってんなら、もうちょっと護衛続けないか? ヒューが居りゃ俺の方の憂いは全部解決なんだよなあこれが」


 思いもよらぬ提案に、面をくらってしまった。

 ああ、でも、そう言ってくれるのは嬉しいような気がした。


「もう逃げるのは止めるって決めたから、しばらくはフィルツから出るつもりはない。悪いな」

「ほんとに真面目だな!」


 吹き出して、ケインは再びパンを手に取ると、キノコを乗せて口の中に放り込んだ。


「あーあ、だったら王子様の依頼報酬、市民権じゃなくてヒューを貸してってお願いしときゃよかった! ネルイまで遠すぎる!」


 ケインが覚悟を決めているように、俺も覚悟を決めている。

 頭を抱えてはいるが、ケインもそれがわかっているのだろう。あくまで冗談で言っているのは口調でわかる。

 そうだ、市民権と言えば、持っていた書類を取り出してケインに差し出した。

 

「市民権の申請書なんだが、サインが欲しい」


 今度はケインが面食らったような顔つきになって、すぐにくくっと喉を鳴らして笑った。

 

「突然何かと思えば。了解、書いとく――ってか、これも完全に酔っぱらう前に済ませとくか」


 ケインは懐からペンを取り出すと、書面を確認しながらも記入し、最後に自分のサインを書き込んだ。

 

「あとセフィのサインも必要なのか」

「ああ」


 そんなやりとりをしていたら、セフィが次のつまみを持ってきた。

 山盛りのレタスと、肉そぼろを盛り付けた皿をテーブルに置いて立ち去ろうとしたところをケインが呼び止める。


「セフィ、ここにサイン頼むわ」

「……うん」


 躊躇うことなく、セフィはケインからペンを受け取って、書類をじっと見下ろした。

 どうやらきちんと読み込んでいるようだった。ややあって、さらさらっと名前を書きこむと、ケインへ書類をペンと一緒に手渡してこれで大丈夫なのかとケインに問いかけている。


「おー、いんじゃね? あー、あと、酒飲んでると大量には食えないから、あと一品ぐらいでいいから」

「うん」


 いつもの調子でぼんやりと頷いてセフィはキッチンへと戻って行った。

 あれはあんまり大丈夫じゃなさそうなんだが。


「これでいーんだろ、よろしく」

「ああ」


 差し出された用紙を受け取り再びしまい込んでおく。

 ディノの方を回収して提出。あとは審査が完了すれば無事に市民権の発行という流れだ。


「どれぐらいでできんの、市民権って」

「ディノの推薦書があるから十日以内にはできるらしい」

「ふーん、じゃあ市民権受け取ってからネルイに向かうことにしようかな。そういや俺、全然観光してないし」


 ケインがそう呟いたタイミングでセフィが再びやってきた。

 無言でテーブルに置かれた大皿にはケインが選んで購入したデカい魚がどんと鎮座している。


「白身魚のワイン蒸しです。不味くはないと、思います、けど」

「すっげえ、美味そう! お疲れさん、これ、駄賃だ受け取れ」


 下に置かれたバッグから本を三冊取り出し、ケインはセフィに手渡した。

 見た限りだと料理の本に見えた。セフィは受け取って両手で大事そうに抱えているので、喜んでいるのだろう。


「……ありがとう」

「眠いんだろ、寝とけ」

「……うん」


 ケインの言葉に素直に頷くセフィに、いつもよりもぼんやりしていたように見えたのは眠かったせいかと思い当たった。

 それなのに働かせてしまっていたのか、駄目だろ普通に考えて。


「セフィ」

「ヒューさん、復職、おめでとう、ございます」


 せめて詫びぐらいは、とセフィに呼びかければ、虚無を思い起こさせるその目が俺を捉え、セフィははっきりとした口調でそう言って頭を下げた。


「あ、……ありがとう」


 そうか、無理をしたのはお祝いの気持ちだったのか。

 落ち着かない気持ちになって、お礼もぎこちなくなる。


「……先に、休みます。失礼します」

「ああ、ゆっくり休んでくれ」

 

 再度ちょこんと頭を下げるセフィに告げれば、セフィはそのまま食堂を後にした。

 なんとも落ち着かない気分にさせられてしまった。


「どうした? 惚れんなよ」

「違う。こういう形のお祝いをされたことがなかったから、何だか変な感じなだけで」


 俺の言葉を聞いて、ケインはちょっとだけかわいそうなものに向けるような目になって俺を見ていたが気づかないふりをした。

 そんなに同情されるような話でもないと思う。

 そもそも、お祝いって――いやこれは思い出してはいけない記憶だと慌てて蓋をする。特に今日は、絶対に思い出したくない。


 学生時代の楽しかったはずの記憶を思い出すことを必死に押しとどめていれば、ケインは魚を取り皿に取り分けて俺に差し出してきた。


「で、何があったんだよ? 上司に早退させられるほどのことか?」


 正面から聞かれて、記憶を探っている思考回路が一瞬止まってリセットしたような感覚に陥った。

 それを、聞くか。

 何も言わず、差し出された皿を受け取って、少しだけ考える。

 思い出したくない記憶と直結する、あの男の表情を思い浮かべれば、苛立ちよりも血の気が引くような怯えにも似た気持ちに胸中が支配されてしまう。


 別に、隠すような話でもない。

 大きく一回深呼吸をして、口を開いた。

 

「……今日、議事堂でウルガンに遭遇した」

「ウルガン?」


 聞き覚えがなかったのか、ケインは怪訝そうに眉をひそめて少しだけ思案し、すぐにはっとした表情を見せた。


「ウルガン=シーゲル? 噂の元カノの夫? 遭遇した瞬間、胸倉掴み上げてからの私刑の開始?」

「するか」


 それをやったら謹慎どころか運が悪ければ一晩留置場行きで、最悪裁判だ。

 

「ウルガン=シーゲルって、別に役人でも文官でももちろん兵士でもないよな? 何で議事堂に? 見学会とか開催してんのか」

「議事堂の見学会に参加するような知的なタイプじゃない」


 吐き捨てて、あれは待ち伏せだったのだと気が付いた。わざわざ議事堂に待ち伏せをするなんて、どれだけ暇なんだと思う。

 出仕しなくても困らないぐらいの金はあるのだろう。暇を持て余すぐらいだったら、せめて墓ぐらいは整備してやれよと言ってやりたい。


「ってことはヒューに会うために待ち構えてったってことか。性格悪っ!」


 ケインもあの男の意図を理解したのか、軽蔑した様子で吐き捨てている。


「嫌味も言われたんだろ? そこまでの執念持ってるの、一周回って気持ち悪いよな」

「あの男……」


 いわれた言葉を思い出せば、いつでも冷たいナイフで心臓をえぐられたかのような心地になる。

 思わず利き手で目を覆う。消したいのに消えない。


「情事に耽っている場に呼び出して見せびらかすってことをやってのけるぐらい性格が悪い」

「は?」


 ケインは目を見開いて俺を凝視した。

 どうやらそこまで下種な行いをするとまでは思っていなかったらしい。


「エグい……」


 数秒固まっていたが、理解ができたのか何なのか、そう呟いて小声になって聞いてきた。


「……で、見たのか?」

「……」


 沈黙を肯定ととったのだろう。ケインは再び固まったが今度はすぐに吹き出した。


「それは、きつい。死にたくなるな」

「笑うな。お前も同じことされろ!」

「変な呪いかけんな!」


 そうやって明るく笑い飛ばしてくれて、少しだけほっとした。

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