過去2 ⑩復職
昨日は結局帰宅が夜中になってしまった。
早朝から城へ向かう。まずは兵士の詰め所に行き、兵士長に復帰の挨拶からだ。
久しぶりの場所は、長い間訪れていなかったはずなのに、そういうギャップをあまり感じなかった。
問題なく兵士長に挨拶を済ませれば、好意と敵意が混ざりあった視線を無視しながらも本日は役所仕事である。
ディノの意向はきちんと伝わっていて、兵士長から告げられた俺の所属はディノの直属の一人部署。何でも俺の為に新設された部署なんだとか。
あれこれと周囲に気を遣わせるのがわかっていたので、却って今はその特別扱いがありがたく思え――なくもないが、やはり多方面に迷惑をかけているので申し訳なさが先立つ。
好奇の視線から逃れるように、役場へ向かう歩調を速めた。
ディノの代行で市民権の発行手続きに来たと係員に告げれば、こちらが困惑するほど恐縮されてしまった。
「書類仕事は私どもの仕事です! どうぞお任せください!」
と、頭を下げられてしまえば何も言えない。
丁寧な詳細説明を受けた後、申請者本人と、推薦者であるディノの自署が必要な書類を持たされ、見送られるまま役場から追い出されてしまった。
――ひょっとしてこれは厄介払いなのだろうか。
受け取った書類を確認しつつ、知らず知らずのうちにため息が漏らしていた。
復帰したその日から周囲とうまくやっていけると思えるほど楽天的ではなかった。だが、もしかしたら思っていた以上に風当たりが強いのかもしれない。
それでも逃げるのはやめると決めたから、淡々と目の前の仕事をこなしていくしかない。
己を奮い立たせ、前方にそびえたつ城を見上げた。
次は、城に戻って、直属の上司にあたるディノに着任の挨拶をするべきか。
渡さなければならない書類もあるから丁度いい。
役場から城までは議事堂の中を通れば近道だ。
定例会の時期ではないから、人などいないにも等しいだろう。向けられる視線にややうんざりしつつあったから丁度いい。
人はほとんどいない、はずなのに。
前方からこちらにやってくる集団に気づき、誰なのかを確認して、息が詰まった。
顔も見たくないと思っている人間がそこにいた。
こんなに容易く遭遇を許す自分の不運を呪いたくなる。
しかし、相手は貴族で、俺も一応は貴族だ。そしてここは公の建物の中。それ相応の対応が求められる。
向こうも俺の存在に気づいたらしい。
その表情に嘲りの色が混じる。
四人組の集団の中心にいるのは、シーゲル家の嫡男、ウルガンだ。墓石に『我が愛する妻』と刻んだ男。
そのウルガンの周囲を固めるのは貴族派の貴族の子息たち。
俺自身下町育ちで、貴族としての素養がない。なおかつ頭のてっぺんから足のつま先までどっぷり王子派である。
この連中とは派閥という意味では敵。生まれながらの貴族である彼らは俺にとっては遠い存在で、会話をしたこともなければ、挨拶するような仲でもない。
しかし、お互いの存在を認識してしまったこの状況で踵を返すのも無礼な行為にあたるだろう。
面倒くさい、と胸中だけで吐き捨て、彼らに道を譲り頭を下げた。
家の格、という意味では俺の方が上。だが、英雄だと言われている俺の父は貴族出身ではない。もっといえば平民ですらない。
それを考慮すれば恐らく俺の身分の方が下になるのだろうか。
こういう『家』が判断基準である貴族のふるまいは本当に面倒で仕方がない。
出身を一切考慮しない兵士の縦社会に慣れていると、この力関係がまどろっこしいとも思えてしまう。
「誰かと思えば」
そのまま通り過ぎてくれと願っていたが、案の定ウルガン=シーゲルは、頭を下げている俺の前でわざわざ足を止めた。
「しばらく療養をしているという話を聞いていたが」
「王子様のご温情により本日より任務に戻ることを許されました」
「そうか。国の為にせいぜい励んでくれたまえ」
心を、殺せ!
かっとなりかけて、必死に自分に言い聞かせる。
「彼女の鳴き声、最高だっただろう?」
と、耳元で俺にだけ聞こえるようにそう言うウルガン=シーゲルに、大きく動揺してしまった。心臓が激しく鼓動を打つ。血液が逆流するような感覚に奥歯をかみしめて耐えた。
あの時感じた怒りが蘇る。
かっと頭に血が上り、呼吸もままならないまま顔をあげれば、あの厭味なウルガンの笑みが目に映った。
堪えろ!
奥歯をかみしめ、俺の前から立ち去っていくその姿を目を閉じることで強制的に排除する。
その背中に伸ばしそうになる手を逆の手で必死で押さえつけた。
ここで、騒ぎをおこすわけには、いかない。
「ウルガンは優しいよな、あんな雑種に声をかけてやるなんて」
「そのまま消えていればよかったのに、まさか戻ってくるなんてな」
取り巻きどもも、わざと俺に聞こえるように厭みを吐きつつシーゲルの後を追った。その程度の厭味なら普通に受け流せる。
連中の姿が完全に見えなくなるまでその場に立ち尽くし、大きく息を吐いた。
俺の手から全てを奪い取っていった人間の一人だ。やってもいいならすぐにでも八つ裂きにしてやりたい。
「その顔は何だ」
「いえ、別に。本日より、王子殿下付きになりました。よろしくお願いします」
「雑な挨拶だな」
鼻で笑うディノに持っていた書類の一部を手渡した。
市民権取得申請の推薦書だ。
「ご記入をお願いします」
「わかった」
ディノには専属の近衛兵が常に警護のためにつきそっている。
よく見知った顔のそいつが俺にしか見えない角度で親指を立てた。復帰おめでとう、とでも言いたいのだろう。このぐらいわかりやすく反応してくれるのは楽でいい。
俺の仕事は警護ではなく、王子殿下直属の兵、いわば「何でもやる係」だ。
「関係部署に挨拶だけしたら今日はもうあがってもいいぞ」
書類に目を落としディノはそう言ってくる。
「明日からは目いっぱいこき使ってやるからな。だから今日は休んでその顔、引き締めてこい」
「……ご厚情、深く痛み入ります」
「気持ち悪いな」
礼儀に則って頭を下げ慇懃無礼な口調で礼を述べれば、心底嫌そうにディノが呟いた。嫌がるだろうと思っているからこそやってる。
使用人頭や文官詰め所などに顔を出して挨拶を済ませ、大人しく下城した。
いつまでもぶらぶらしていたら、また会いたくない人間に会ってしまうかもしれない。
城も、役場も城下とは雰囲気から言って全く違う。
半日も滞在していなかったのに、久しぶりにあからさまな敵意にさらされたせいか、ぐったりしてしまった。
初日からこんな具合で本当に大丈夫なんだろうか。
昼前に自宅に戻るのは微妙だ。
出勤だと出かけていた俺の帰宅があまりにも早かったことに、いつものように出迎えてくれたセフィは何かを感じとったのか、何も言わずにすぐにどこかへ行ってしまった。あの無表情からは何も窺えないが放っておいてくれるのはありがたい。
自室に戻って着替え、剣を枕元へ置いた。
顔つきをどうにかしろ、とディノに言われたが、あの言葉で思い出してしまった情景はなかなか消えてくれない。
こういうものから逃れたくて、酒に飲まれていたんだな、と自省して。同時に、確かに飲まれるのが一番楽な逃げ道だろうな、と自己正当化も同時に行っていることを自覚して大きくかぶりを振った。
とにかく気分が悪い。
じっとしていられなくて、立ち上がった。
自宅から一歩外に出たその瞬間に、丁度帰ってきたと思われるケインとぶつかりそうになった。
「あれ、早退?」
「上司に無理やり帰らされた」
「いい上司だよなぁ」
こちらを見るケインの目が怪しく光った。
なんだか嫌な予感がする。
足早に立ち去ろうとした俺をケインが絡めとる方が早かった。襟を掴まれ一瞬息が詰まる。
「んじゃあ飲みに行こうぜ!」
「この時間からか!?」
昼前だ。まだ昼食の時間にもなっていないのに、とケインを睨みつけながら襟を掴んでいる手を振り払う。
「俺もちょうど区切りついたし、ヒューの復帰祝いってことで。奢ってさしあげようと思ってさ」
どうせ行く場所なんて師匠のところしか思い浮かばなかったし、時間はある。
飲みに行っても酒を飲む以外の選択肢もある。
それに、ケインには聞きたいこともあったし、言っておきたいこともあった。
「わかった。行こう」
「え? 本当に!?」
なぜ誘ったやつがそんなに意外そうな顔をするんだ。
商店街までやってきて、ふとケインが思いついたように口を開いた。
「あ、そっか、別に店で飲む必要はないのか」
それは悪魔の発想だ。
「酒と食べられるもん買って家で飲めばいいのか!」
「……そうだな」
こんな真昼間から開いている店なんて碌な店なんてないのはわかっている。
だからその判断は正しい。正しいが、時間の制限がないのは危険極まりない飲み会だということをこいつはわかっているのだろうか。
学生時代の友人たちや兵士の同年代の集まりで自宅飲みをやったときの惨状を思い返して思わず渋面になるのを自覚した。
いや、多分大丈夫だ、あんなになるまでは飲まない。どこかで踏みとどまれる。少しは成長しているはず。
ケインは全然わかっていない様子で、必死で言い聞かせている俺を置いて酒屋の方へと歩きだしている。
あまり気乗りがしないまま、俺はその後を追った。
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