第23話 最終話: 再び前を向いて

救命センターはいつものように慌ただしく動いていた。工藤美咲は以前よりも落ち着いた様子で、スタッフたちに指示を出していた。あれから数か月が経ち、彼女は自分のリーダーシップに少しずつ自信を取り戻していた。篠原からの言葉が支えとなり、冷静さと感情のバランスを取ることが、ようやく自分の中で形になり始めていた。


しかし、この日の救命センターは異常なほどの緊迫感に包まれていた。朝早くから、事故や急患が相次ぎ、スタッフ全員が限界に達しそうな状況だった。


「工藤先生、もう一人急患が到着します。交通事故です!」


看護師が急いで報告してきた。工藤は深く息を吸い、冷静に次の指示を出す。若手医師の杉本も成長し、以前よりも冷静に対応できるようになっていたが、今日の緊張感は特別だ。


急患として運ばれてきたのは、20代の若い女性だった。全身にひどい外傷を負い、出血が止まらない。さらに、彼女の車に同乗していた子供も重傷を負っており、二人ともすぐに手術が必要だった。


「工藤先生、女性の容態が急激に悪化しています!しかし、子供も…」


若手医師たちが一斉に工藤に助言を求める。工藤は瞬時に現場の状況を把握し、患者の優先順位を考え始めた。二つの命が同時に危機に瀕している。どちらも救いたい――その感情が再び彼女を揺さぶる。しかし、今回は違った。彼女は自分の心の中で、感情と冷静さを同時に扱う術を見つけていた。


「まず母親の容態を安定させる。彼女の命をつなげば、次に子供の手術が可能になる。全員、準備を始めて。」


工藤の声は落ち着いており、明確な指示がセンター内に響き渡った。彼女の判断は的確であり、全員がその指示に従って素早く動き始めた。


手術室に入り、工藤は母親の処置に集中した。チーム全員が緊張する中、彼女の手は正確で、冷静そのものだった。篠原の言葉が頭の中で響く――感情を持つことは大切だが、冷静さを保ちながら、それをコントロールする力が必要だ。


「心拍、安定しています!」


看護師の報告に、工藤はすぐに次の指示を飛ばした。


「次は子供の手術だ。すぐに準備して!」


母親の容態が安定したことで、工藤はすぐに子供の手術に移った。彼女の頭の中は冷静だったが、その心の奥では、命を救いたいという強い感情が支えていた。手術室内には、緊張と静寂が流れていたが、工藤はその中で自分のペースを保ち続けた。


「血圧、上昇しています。手術は成功です!」


その一言が、手術室全体に安堵をもたらした。母親も子供も無事に命を取り戻すことができた。工藤は静かに深呼吸し、全員に目を向けた。


「お疲れさまでした、みんな。」


工藤の言葉に、チーム全員がほっとした表情を浮かべ、安堵の息をついた。彼女はついに、自分がリーダーとして必要な冷静さと感情のバランスを見つけたのだ。


手術室を後にし、工藤は一人でスタッフルームに向かった。彼女は自分が成長したことを感じながらも、まだ完璧ではないと知っていた。しかし、今は自分の道を見つけたという確信があった。


すると、ドアが静かに開き、そこに立っていたのは篠原だった。彼が一時的に救命センターに戻ってきていたのだ。


「工藤、よくやったな。」


篠原はいつもの冷静な表情で、短くそう言った。だが、その言葉にはこれまでにない温かみが感じられた。


「先生…ありがとうございます。私も少しずつ自分のやり方を見つけられた気がします。」


工藤の言葉に、篠原は静かに頷いた。


「そうか。それなら俺がここに戻る必要はないかもしれないな。」


篠原の言葉に、工藤は一瞬戸惑った。しかし、すぐに微笑みを浮かべた。


「先生が戻らなくても、このセンターは大丈夫です。私たちみんなで、命を救い続けます。」


篠原は満足そうに頷き、静かにその場を後にした。工藤はその背中を見送りながら、篠原が自分に与えてくれたものを心から感謝していた。彼の教えは、これからも彼女の中で生き続けるだろう。


窓の外には、静かな夕暮れが広がっていた。工藤はその光を見つめながら、もう一度深く息を吸い込んだ。救命センターにはまだ多くの命が待っている。彼女はこれからも、その命と向き合い続けるのだ。


感情を捨てずに、冷静に判断しながら――彼女は、自分の選んだ道を信じて、未来へと歩み出していった。

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【完結】救命の夜明け 湊 マチ @minatomachi

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