第10話 永沢的な子ども
永沢を物語の単なる登場人物として見ると、そういう人っているよね、で終わってしまうが、もう少し自分に引きつけて考えるとすれば、僕の場合は「彼のような子どもがいたらどうしようか」となる。僕は教育分野の仕事をしていたから、生育歴や人格形成というものへの関心が高く、その中でも永沢のような子どもは接し方が難しいなと思う。
小説を読む限り、永沢は心からの悦びや志を持っていないように見えるし、そういう自分を自覚しているようだ。なんでもできてなんでも持っているのに、空虚な感じがする。知能指数が高く、勉強を始めとする物事の消化は当然得意で、人間関係すら知能で適切に処理ができる。自分の意思や悦びより先に、能力が先走って人生を作ってしまう。本人が望んでない、楽しんでいなくても、未来が出来上がっていくから大変といえば大変だ。
永沢と同じような可能性をもつ子どもは確かにいるし、都会の子はそうなりやすいのではなかろうか。田舎の良いところは、自然に敵わないことだ。山には熊がいて、雪が降り積もれば車より徒歩が早いし、作物を育てることは簡単ではない。人間は大きな視点から見たら皆大して変わらず非力だ。自分の謙虚さを知り、協力が大事だと学ぶ機会がある。
でも、都会は違う。数字という危ういもので、人間ははかれるものだとされている。それを良しとしている社会がそれを後押ししている。僕は個人が幸せならそれでいいと思っていて、何も世の中が間違っていると声高に言いたいわけではない。ただ、その人が辛いなら、違うものの見方があると言いたいのだ。
永沢的な子どもが、自分のことになんの疑問を抱かず大人になっていくとは思えない。度々、違和感を感じているはずだ。その時の問いかけに、そばにいた大人がなんと答えるかなのだ。
自分がその大人だった場合、何かうまいことを言える自信はない。でも、よくよく自分の人生を振り返ってみると、自分が誰かに救われたのはうまいことを言われたからではなかった。その人が何気なく言った一言、想いの発露だったりする。僕のために言ったのですらないかもしれない。その人もまた、自分の人生を振り返って、その時の自分を慰め、励ますための一言だったのかもしれない。
その一言が相手にどう影響するかなんてはかりようもないけれど、僕はそういうことを大事にする人であり続けたいと思う。それが正しいというのではなくて、僕が今までそうしてもらえて良かったと思っているからだ。
▼僕が書いたトラウマ系三部作▼
※男性の同性愛がベースになります。
※他サイトのルーキーピックアップに選ばれました。
①月が綺麗な夜に……望月という不思議な男と出会う。会社内の生き残りの話。
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②薫と彗……望月が自己を回復する話。
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③子ども部屋の二人……彗の過去の話。教育虐待をイメージしています。
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