薫と彗
千織
第1話 進藤彗
※この物語は、『月の綺麗な夜に』の続編です。
望月薫は、全国各地にある成績不振の支店を回り、売上改善をしている。
通称『再興請負人』。
28歳でこの役職についてから、すでに9年が経った。
今の支店は他の支店より問題が少なく、1年を過ぎた頃には特にテコ入れは必要なくなっていた。
「いやあ!望月さんが来てから、本当に支店に活気がでました。前々から噂は聞いていましたが、これほどまで力があるとは!」
「いえ、みなさん、元々やる気も力もありましたから。ベテラン勢の退職が続いてアプローチが手薄になったのと、経験が少ない中途採用や新人の割合が増えていただけなんで。まず落ち着いてくると思いますよ。」
それをどうにかするのがお前の仕事なんだけどな、と、望月は目の前の痩せメガネ課長に心の中でつぶやいた。
「ところで望月さん、:進藤彗(しんどうけい)についてはどう思いますか?もう、面談も終わってますし、見立てをお聞きしたいのですが。」
痩せメガネのレンズがキラリと光る。
望月を試すような口ぶりだった。
望月は営業管理システムを開いた。
「新卒入社3年目で、これまでの年間ノルマはクリア。顧客名簿を見ると、公務員の退職者が多くて、一人あたりの金額は多くない。その後の追加の取引なし。面談で、父親が高級官僚だと言っていたので、就職のお祝儀として、お付き合いで取引してもらってたかもしれませんね。」
「まさしくそうなんです!この2年間はそれで持ちましたが、3年目ともなればそうもいかないでしょ。そのお客さん達から紹介が起こればいいんですが、その気配もない。これからプロの証券マンとしてやっていくには心配です。」
心配してないでお前がなんとかしろ、と思った。
「しかもですよ、彼はファイナンスの資格にまだ合格していないんです。あんな、大学生でもがんばれば取れるやつを。社内の研修テストもなかなか進んでおらず、困ったものです。」
自分が若い頃は、「新人でお客がいないときは勉強だけでもしておけ」と言われて、研修テストを受けるのが強制だった。
だから帰宅後から休日まで使って勉強したが、今は自主性に任せる風潮だ。
「それでですね、ちょっと彼に勉強を教えてあげてくれませんか?」
「え?仕事じゃなくて、勉強をですか?」
「1ヶ月後のファイナンスの試験には申し込んであります。さすがに今回合格しないと…って、支店長とも話になりましてね。私はもう細かいことはさっぱり忘れたし、こんなおじさんに教わるのもいやでしょう。だから、年の近い望月さんにお願いできないかと。望月さんの説明はすごくわかりやすいですし。」
学生のような悩みだ。
しかも歳が近いとはいえ、もう12歳も離れている。
会社への愛着を強くするためにも、新卒だけは支店内の役職が責任を持って育成してほしい……というのが望月の願いだったが、どうやらこの痩せメガネでは無理そうだ。
ただ、確かに痩せメガネの心配は的を射ている。
面談の印象だと、進藤は育ちのよいお坊ちゃん風でお客さんに可愛がられそうだ。
だが、このまま若さへの応援だけで取引してもらうわけにはいかない。
知識と経験でも信頼を得なくては。
どうせ、いずれ彼への指導はこちらに回ってくるだろう。
彼のことを知るきっかけには、資格試験の手助けもいいかもしれないと望月は思った。
「わかりました。やってみようと思います。」
「ああ、良かった!今時の若者は、ちょっとつまずくとすぐ辞めちゃいますからね。望月さんのようなスターと接して、刺激を受けてほしいものです!」
ホント人任せだなこの人、と望月は呆れた。
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終業後、会議室に進藤を呼び出した。
用件は課長から伝えてあるので、進藤は教材を一式持ってきた。
進藤は背が小さく、童顔だ。
大学生…いや、服装次第では高校生にも見える。
美容にも気をつけているのか、肌も綺麗で男らしくない。
「すみません、勉強がおろそかなばっかりに、望月さんの時間をとらせてしまって…。」
「いや、いいんです。まず1ヶ月だけですし。これまで勉強はどれくらい進んでいますか?」
進藤は付箋の箇所を示した。
導入と基礎的なページしか終わっておらず、テキストは大分残っていた。
「進藤さんは、中学受験で難関中学に入り、エスカレーターで高校、大学に進みましたね?勉強は得意なのではないですか?」
「それは、兄のおかげなんです。兄にずっと勉強を教わっていたので、どうやったら一人で勉強できるのか、わからなくて。」
「へえ。家族に教えてもらうのは、嫌がる人も多そうですが。」
「兄とは4歳離れていて、母の再婚相手の連れ子なんです。だから、ちょうどよい距離感というか。兄は教えるのもうまかったので、塾に行かずに済みました。」
「塾を凌ぐ指導力だなんて……よほどデキるお兄さんですね。」
正直驚いた。
中学受験と言えば、大抵の親は半ば発狂するような思いでサポートする必要がある。
それをたかが4歳上の兄がやっただなんて、信じられない。
進藤はケロリとして言うが、その凄さやありがたみはわかっているのだろうか。
「兄は難関大学から父と同じ高級官僚になりました。今はどんな仕事なのかイマイチわからないのですが、子どもが生まれる前は、奥さんと紛争地域を回る仕事をしていました。私の自慢の兄です。」
そう話す進藤の目は輝いていた。
本当に志の高い立派な兄のようだ。
望月には、引きこもりの兄がいた。
何を考えているかわからず、母と言葉を交わせばケンカばかり。
父から諦められている兄。
一度でいいから「自慢の兄」と思ってみたいものだ。
「逆に、進藤さんはどうしてもらえたら勉強が進みそうですか?」
「わからないところの解説をしてほしいです。文章ではわからなくて。あとは、決めたノルマの進捗を管理してもらえれば!ついついサボって、休日に遅れを取り戻そう…なんて考えてしまうんです…。」
わからなくない悩みだ。
「それなら私も協力できると思います。じゃあ、改めてよろしくお願いします。」
「はい!こちらこそよろしくお願いします!」
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その日は簡単に計画を立てつつ、いくらか解説をした。
進藤は、話を聞くのがうまい。
童顔でよく笑うところに可愛い気があるのだが、聞く時の目つきや表情、相槌はなかなかに気持ちがいい。
質問も鋭く、地頭の良さを感じる。
うんちく好きなお客さんならたまらないだろう。
だが…
「今1時間やってみて、2ページしか進みませんでしたね…。」
「すみません、質問が多くて…。」
「進藤さんは理解は早いのですが、ちょっと凝り性というか。まずは合格点さえとればいいと思って、割り切って丸暗記にしたり、割愛することも必要だと思います。」
「はい!気をつけます。」
年齢の割に幼い雰囲気だ。
「なんか、兄に教わっていた頃のようでした。楽しかったです!ありがとうございました!」
進藤は、興奮気味な笑顔を見せた。
楽しませるためにやっているわけではないのだが。
忙しい1ヶ月になりそうだと予感した。
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