第16話 幽霊船にて
海は幅が細く一直線に長かった。空は暗くて高い。きっとトンネルのように丸くなっているはずだ。
幽霊船は壮大だった。僕が今までに乗ったどんなクルーズ船よりも大きい。帆は破れ、木材は饐えている。女性キャストの姿をしたアンドロイドが幽霊船と乗船場を分ける柵の前で幽霊船のコンセプトを話していた。
「この幽霊船は十七世紀後期に没落した大海賊キャプテン・フロックが乗っていたとされる海賊船クロドクロです。現代に蘇りし海賊船として、我々が保管していたものを一部改造を施し乗り物としてこの度復活させました。皆様には、この海賊船クロドクロと共にはるか昔の航海の恐怖を味わっていただきます」
きっと、この宣伝文句を考えたエンジニアは乗客を喜ばせるセンスが致命的に欠けていたのだろう。このような実務的な宣伝文句は子どもは理解できないはずだ。
そうでなくとも、もともと人気がないのかこの場には僕しか居ない。アンドロイドの目線は常に虚空を見つめている。
このテーマパークにはアトラクションが幽霊船以外に複数あるが、規模のデカさではこの船が一番だ。それは敷地面積自体が狭いせい、これ以上の大型施設を設けれないからでもある。そうだと言うのに、ここまで人気がないのは珍しい。まして、キャストがいないというのは普通じゃない。普通、想定外の災害などが起こった場合に客を安全な場所まで案内する人間が居るはずだ。人間を保護し、安心させるという役割において、人間は機械よりも優れている。
しかし、このテーマパークはその機能を放棄している。それはつまり、客の心的安全をそこまで重要視していない、ということだ。
客自体が年中少ないということでもある。
もう営業自体、ヤケクソなのではないかと思えるほどの過疎っぷりだ。
アンドロイドの説明が終わり、僕は幽霊船へと案内された。階段を登り、甲板へと降りようとして床に穴があって足場に困った。慎重に、穴がなくて安全そうな場所に降りる。
リュックの重量で多少ふらついたが、無事着地することができた。
霧がどこからか出ていた。
目を凝らすと、甲板の上に椅子がいくつも並んでいる。
僕は事前に得た情報を頭の中で再確認する。
確か、椅子の近くにホログラムを投影する設備があったはずだ。僕はポケットからスマホを取り出し、ミサキの全身画像を表示させる。
ホログラムの投影設備は一番奥にあった。自動販売機のように細長い。そこで、簡単な操作をして画面にスマホに移されたミサキの画像を認識させる。
数秒が経った後、座席表が提示された。
座席はアルファベットと数字で構成されていた。僕はA1とある一番前の端の席のボタンを押した。きっと、そこにミサキのホログラムが座るのだろう。
画面の完了ボタンをおして、僕はその席に向かった。
僕がA2の席に座ろうとすると、ホログラムが上半身だけできていた。認証に時間がかかっているのだろう。
僕が席に座ると、眼の前に海賊の男が居た。キャプテン・フロックだ。彼もホログラム。この船内にはホログラムで投影された人物が何人か存在している。ネットの噂では、そのうちの何人かは本物の幽霊だ、とあった。実際、ホログラムの投影機は目視できない場所にあり、それがこの幽霊船のコンセプトのようだった。
「うむ。みな揃ったな。もうすぐ船が動き出す。貴様らは我が船に迷い込んだ愚か者だ。すぐに奴隷として働かせてやる。逃げようとは思うなよ」
キャプテン・フロックは威圧的な顔で僕にそういった。
この船はそういう設定らしい。
彼のセリフの数秒後に、エンジン音と共に船が揺れた。動き出したのだ。
僕はミサキに目を向けた。彼女は目をパチパチさせながら、僕の方を見ている。服装は写真のままだった。理性の宿る瞳に、黒く長い髪。そのままの姿がそこにはあった。彼女は僕を認識すると、にこりと笑った。
「話はできる?ミサキ」
僕は少しの期待を持って声をかけた。
「ええ。できるわ」
耳元でミサキの声が聞こえた。ホログラムは口を動かしていない。イアホンからの音声だ。
リュックの中にあるタブレットが反応したのだ、と頭の中で理解する。ミサキの映像データを分析させた情報をもとに、僕はミサキのAIを作っていた。それが、僕の声に反応している。
「それじゃあ、少し話そうか。久しぶりだね。僕は嬉しいよ。いつぶりかな?こうして会えるのは。一年ぶりだっけ?」
僕はホログラムに話しかける。
「ええ。そうよ。一年ぶり――私は去年の今頃死亡したからね」
「あれは悲惨だったね。君が急にいなくなって、僕は二日間一人で探したよ。まさか、山奥で死亡していたなんて」
「そうね。でも、あれは仕方のないことだったの。あなたには黙っていたほうがいいと思って。そうそう。犯人は捕まったんだっけ?」
「ああ。捕まったよ。確か、天文学を専攻している大学生だったね。あれは一種のうつ病だったと聞いている。君との縁はなくて、ヤケクソで君を殺したと言っていた」
「あれ?不思議ね。あなた、もっと感情的になってもいいんじゃないの?私、理不尽に殺されたのよ?」
「いや。君は彼と付き合っていたんだろ?本人から聞いたよ。さっきの情報はニュースが誤報をしたときのものだ。まぁ、情報が足りなかった、というべきだろうけどね」
「まぁ。それは私にとても不利な情報ね。それこそ嘘じゃないの?」
「嘘じゃないよ」
「じゃあ、どうして私に会いに来たの?」
「会いたかったからさ。君との思い出は、僕の中ではまだ風化しきっていないんだよ」
「嬉しいわ。会いに来てくれて」
「せっかく会ったんだから、そうだね…こう、もっとゆったりとした話をしたいな。事件はもう終わったことだからね。終わったことを掘り返すことは、気持ちが悪いことだ。未来の話をしよう。そう…僕は最近世界を見てみたいと思ってるんだ」
「あなたにしては珍しいわね。いつも部屋にいて何か作ってるじゃない?」
「何かじゃないよ。小説を書いてる。まぁ、他にも色々やってるから、合ってはいるけど…。きっと、君がいなくなったから、心に空白ができたんだよ。そう、君にかけていた思考が全部零になったからね。それを埋めるのに、また別の何かが必要だったんだ。それが今は、世界を見たい、という思いに変換されたのかな?」
「ふぅん。だから、こんなところまで足を運んだの?」
「ああ、そうか。きっと君に会いたかったんだ。うん。今わかった。これが正解だ」
「また一人で納得してる。私、あなたのそういうところ好きよ。一人で解決するから、私が考える必要ないもの」
「それは君の問題じゃないからね。僕の問題だ。でも、答えに詰まったときは助言を申し込むよ」
「そういう言葉遣いは嫌いだな。申し込む、なんて役所で聞くくらいじゃない?あなた、そういうフランクさがないから、私は浮気なんてしたのよ」
「あれ?すんなり告白したね?」
「知っているのなら、知っている前提で話した方がいいでしょ?そちらのほうが、気持ちいいもの」
「そうだね。君のそういうところが僕は好きだ。そうだ。ちなみにこの船はどう思う?幽霊船、とあるけど、本当に幽霊が出るのかな?」
「出るんじゃんない?そういう風に設定しているのよ」
「それは、ホログラム?」
「いいえ。きっと本物よ」
「へぇ…てっきり海賊たちのホログラムを幽霊と紹介しているだけだと思ってた…幽霊を捕まえてるのかな?それとも、この場所自体が心霊スポット?」
「きっと、心霊スポットなのよ。実際、不可思議な現象が起きるみたいよ?」
「へぇ、どんな?」
「ネットが使えなくなる、とか」
その時、急ぐっと前に重力が傾いた。数秒後にもとに戻る。
「何?」
「どうしたんだろ?」
外を覗いて、船が動いていないことに気がついた。
「困ったね。避難勧告のアナウンスもないし――動力のトラブルかな?だったらどうしようもないのだけど。キャストの船員は、確かいなかったよね?」
「さぁ。私にはわからないわ。動けるのはあなただけだから、ちょっとブリッジを見てきてくれない?もしかしたら、いるかも知れないじゃない」
「うん。そうするよ。でもきっと、動かしてるのは人工知能だよ。プログラミングだ」
僕は席を立って、ブリッジの扉を開けた。
舵の前に海賊の男が立っていた。扉の音に気がついたのか、こちらを向く。やせ細った顔と体をしていた。海パンのようなものを履いていて、上半身は裸だ。
「あなたが操縦士ですか?何がありました?」
僕は少し驚いていた。まさか、操縦士が居るとは思わなかった。にしても、服装がカッコ悪い。
「あ。え…」
「アンドロイドですよね?」
「いえ」
「ホログラムですか?」
「あ、はい。そう。それです」
「何が起きましたか?」
ホログラムは困った顔をした。
「…わかりません。でも、こういうのはすぐに収まります。きっと、すぐに動くでしょう。ええ」
「どうしてそう言えるのですか?」
「そういうものだからです」
ホログラムは自信なさげに答えた。
「もしかして、幽霊の仕業ですか?」
「そうだと思います」
ホログラムは即答した。
僕は目を見開く。その回答は予想していなかった。
「あなたの他に誰かいませんか?」
「キャビンに一人と、マストに一人居ます」
「ありがとうございます。幽霊の目的はわかりますか?」
「ただのいたずらですよ。ええ…そういうものなんです」
「この状況を外部の人間――このテーマパークを運営する人間は把握しているのですか?」
「…人間はいません。機械たちは認知してると思いますが、誰も動かないと思います。まだ、停止しただけですから。そこに、異常はないんです。いつも、そうなんですよ。緊急警報がならないギリギリを攻めてる…」
「よくあることなんですね?」
僕はようやく、少しだけ常識的な質問をした。
「はい。よくあることです」
甲板に戻ると、彼女はもう居なかった。時間切れだろうか。そういえば、どの程度の時間ホログラムが表示されるのか見ていなかった。もしかしたら、僕が離れたら消える仕組みになっていたのかもしれない。
僕は甲板を見渡した後、船内に潜った。壁に穴が空いたキャビンに入ると、木箱を椅子にして赤い髪の女性が足を組んで座っていた。彼女は鋭い目つきで僕を見ると、前歯が二本欠けた歯で僕に笑いかけた。海賊らしい笑い方だった。
「やぁ、いらっしゃい。船、止まったね」
「ええ。止まりましたね。動くと思いますか?」
「動くさ。船だから。前よりも頑丈になったしね」
「改造されたこと、知っているんですか?」
それは、設定的にどうなんだろう?
「ああ。知ってる。以前より動きやすくなっただろ?いいことだ」
「そういうものですか…船、誰が止めたのか知ってます?」
「いや、知らないね。どこかの幽霊じゃないのかい?」
「幽霊は信じるんですか?」
「ああ。いるよ」
その時、アイディアが浮かんだ。
もしかしたら、幽霊がいる、というのもこの幽霊船の標準設定なのかもしれない。そうなると、この船が止まるという状況もイベントの一つだったりするのだろうか?
ポケットからスマホを取り出した。圏外になっている。
「それ、存外役に立たないだろ?みんなそればっかり頼ってるから、こういう時慌てるんだよ。頼るなら、自分の目と頭と勘を頼らないとなぁ」
「どうやって船を止めたのでしょう?動力はもう、エンジンですよね?」
「ああ。そういうもんらしい」
「じゃあ、エンジンを止めたのかな?幽霊が?ちょっと考えられないな…幽霊にそんな大きな力があるとは思えないし…」
「あんた、幽霊を見たことがないだろ?だからそんなこと言えるんだ。幽霊は、強いよ」
「強い?誰かを殺せるんですか?」
「ああ。幽霊は、人を殺せるし、大きなものだって動かせる。そういう力を備えているんだよ。だから、あんまり舐めない方がいいぜ。こういうときは、大人しく時がすぎるのを待ったほうがいい」
そう言うと、彼女は立ち上がった。それから、僕の横を通る。そちらを見ると、壁に備えられたドリンクバーがあって、彼女は紙コップをセットしていた。
そこだけ、妙に現実感があった。
「アンドロイドだったんですね」
「ああ?それがどうした?」
「いえ…。てっきりホログラムかと」
彼女は何かが注がれた紙コップを僕に渡した。暖かかった。
「冷えるだろ?あったかい緑茶だ。飲むといい」
「あなたは飲まないんですか?」
「飲めないんだよ」
彼女は笑った。
地下に少し広いスペースがあって、そこは貨物室として使われているみたいだった。苔の生えた木箱の影や中に腐ったりんごのサンプルや人骨などが散らばっていた。
「にしてもなぁ…骨がリアルだ」
じっと見つめても、それが偽物だとは到底思えなかった。まぁ、それはりんごも同じなのだが。こういうオブジェクトというものは多くのテーマパークでは凝って作られている。
「それ、本物だよ」
突然声がした。
振り向く。
木箱の上に白いワンピースの少女が座っていた。長い黒髪がロン毛になってる。
操縦士はこの船には二人居ると言っていた。貨物室には誰もないはずなんだけど…居るじゃないか。それとも、マストの人が移動したのかもしれない。
「君は?」
「私は、ミヨ。よろしく」
「よろしく。それで、本物ってどういうこと?」
「本物を使ってる。多分、三人くらいかな」
「三人の人骨を集めたってこと?犯罪にならない?」
「さぁ。でも、警察はこなかったよ」
「そういう問題じゃないと思うけど…そういう情報僕に教えていいものなの?」
「いいんじゃない?どうせ、誰もこないんだし」
「…それは軽率じゃない?僕が誰かに伝えたら、興味本位で少なくともオカルト好きは来ると思うな」
「でも、私には関係ない。それより、お姉ちゃんが怒ってるよ」
「お姉ちゃん?誰?」
「うーんと。少し前に来た幽霊。今船止めてるの、お姉ちゃん」
「君は幽霊なの?」
「うん。多分。でも、ここには幽霊じゃないやつも居る。もしかしたら、それかもしれない」
「じゃあ、きっと幽霊だ。ホログラムは多分、そんなこと考えないと思うから」
「じゃあそれ」
「お姉ちゃんも幽霊だね?どこに居るのかな?会話はできそう?」
「うーんと。船先?にいると思う。多分。よくそこにいるから」
「わかった。ありがとう」
僕は貨物室を出た。階段を上がり、甲板に出る。霧が少し晴れていた。キャプテン・フロックが僕を見つけて睨みつけている。そこから動けないのだろう。
僕は彼をスルーして、舳先まで歩いた。
彼は声をかけてこなかった。
舳先に女性が両腕を横に伸ばして、今にも落ちそうな場所に立っていた。
「なんの真似かな?ミサキ」
僕は見覚えのある背中に声をかける。
「タイタニックの真似よ。彼ならきっと、私のやりたいことを察して、すぐに私の体を支えてく
れるわ」
「彼、というのは君を殺した大学生のことだね?」
「ええ。そうよ」
「君は、幽霊だったんだね。さっき喋ってたのも、もしかして君だったりする?」
「私よ。ホログラムを投影する機械は壊れていたから、もとより偽物の私は顕在化しないわ。私がホログラムの代わりをしていたの。どう?違和感あった?」
彼女は猫のような瞳を持って僕に微笑みかける。
「いや。君はホログラムっぽかったよ。まさか、眼の前に幽霊となった君が居るとは思わないからね。いくつか聞きたいことがあるけど、いいかな?」
「何?」
彼女はようやくポーズを辞めて、僕の方を向いた。
「どうして君は船を止めたの?」
「それは、あなたと話をするためよ」
「それは嬉しいね。でも、どうしても船を止める必要はないと思うけど。時間はあるよ」
「あなたの脳に今日のことを強く印象に残すためよ。あなた、興味のないことはすぐに忘れる質でしょ?きっと、私のこともすぐ忘れると思ったの。でも、存外覚えていてくれて嬉しいわ。だから、もっと覚えてもらおうとしたの。そのためには、こういった事件が起きたほうがいいでしょ?」
「まぁ…そうだね。君の意見は概ね正しい。僕が君のことをすぐに忘れる質である、という点を除けばね」
「…それは信用できないわ」
「それは悲しいな」
「私は、浮気という形であなたを数ヶ月ほど欺いていたわ。だけど、それはあなたの気をひこうとした結果だったの。でも、私は殺されてしまった。私は反省したわ。もうあなたには会えないと思って辛かった。でも、彼は私の死体をこちらへ移したの。この船の中にね。だからなのか、私はここに縛られたの。それから私は考えたわ。あなたがここに来る可能性を。その未来を。それで、私はここに居た幽霊たちと少しの騒ぎを起こして、あなたの気が向くように仕向けたのよ。何年かかるかわからなかったけど、すぐに来てくれて嬉しかったわ」
「それは、実に低確率で気の遠くなるほど長い計画だったね。だけど、早々に成功した。僕は色々と驚いてるよ。もう、なんだかすごく現実味がない。ファンタジーの世界に迷い込んだみたいでドキドキしてる。これがこのアトラクションの目的だったら、達成されてることになるね」
「そうでしょ?どう?次も来たくなった?」
「ああ。もう十分だ。君に逢える、という機能が素晴らしいね。君、居なくならないよね?」
「多分。ううん。きっと居なくならなわ。あなたに会いたい、それが私の未練となるもの」
「そっか。それはよかった。そういえば、船はどうやって止めてるの?ネットも通じないけど」
「船はエンジンを切っただけ。ネットは単に繋がらない場所というだけよ。通信が悪みたいね、このトンネルの中」
「意外と答えは簡単なんだね」
「そういうものよ。そうね…ちょっとまって」
彼女はそう言うと、ふっと視界から消えた。霧の中に紛れるようだった。
僕は彼女の言う通り黙って待っていた。
エンジン音が聞こえた。
帆船が動き出す。
数秒が過ぎて、彼女が目の前に現れた。
「今、動かしてきたわ」
「そうみたいだね…。これで、一件落着かな?」
「ええ。これで事件は解決よ」
「それじゃあ、ゆったりしようか。あのキャプテン・フロックはもう喋らないの?」
「ええ。以前はもっと長台詞だったのだけど、ここ最近調子が悪くて、最初のセリフ意外喋らなくなったわ」
「そうなんだ。じゃあ、ただのホログラムだ」
僕達は横並びになって、キャプテン・フロックの横を通った。彼は僕らをにらみつけるだけで 反応はなかった。先ほどと同じ席に座り、今度はお互いの顔を確認しあって話をした。
主に、彼女がこの幽霊船での生活について語ってくれた。誰かに話したかったのか、多くは早口で、息継ぎが殆どなかった。話は一つのことを説明しながら途中で別の話題の説明になっていた。それくらい、話したいことが多いのだ。
彼女の言葉に頷いていると、霧がどんどん薄れてきた。
「おおい。もうすぐ到着だぞ」
上から男の声がした。
僕は顔を上に向ける。
マストの小さな円の中から誰かが手を降っていた。
「わかったわ」
ミサキが大声で答えた。
「誰?」
「ユウジさんよ。ここに一番長くいる人」
「話に出てきた人だね」
「うん。漁師さんよ」
「それじゃあ、幽霊は三人なわけだ。君と、ミヨと、彼」
「あ、ミヨに会ったんだ。それなら、話が早いじゃない。彼女、不思議でしょ?何考えてるのかわからない。きっと、頭が良いタイプだわ」
「そうとは思えなかったけど…みんな、ここに住んでるの?移住とかはしない?」
「ええ。みんなここに居るわ。なにせ亡骸がここにあるからね」
「海賊の幽霊は居ないのに、海賊以外の幽霊が居るなんて、不思議だ」
「そういうものみたいよ」
「赤い髪の人は、アンドロイド何だよね?」
「ええ。最近来たの。自分で派遣されたと言ってたわ。私達と仲いいのよ。ものはあまり知らないけど、気のいい人」
「多分、彼女はサービス業をしに来たんだろうね。ここは快適とは言えないから。ああいう人格なのは海賊を意識してのことかな?」
「きっとそうね。この船に本物の海賊なんて居ないわ」
「この船は本物だよね?」
「きっと、そうよ」
「確証はない?」
「ええ。釣り上げたとこ見てないもの」
「でも、本物っぽいよね」
「そういうアトラクションなんて、いくらでもあるわ」
「海賊の幽霊が出てこないから、偽物かな?」
「さぁ、そうなんじゃない?」
「あ、そういえば、操縦士は海賊ぽかったよ…まぁ、海パンだったけど」
「海パン?…え?誰のこと?」
「え?」
ガタン、と大きく揺れた。
頭が揺れる。
『長旅、お疲れ様でした。焦らず、キャストの指示に従って船から降りてください。足元におい気をつけて、お帰りください』
簡単なアナウンスが放送された。
女性のアンドロイドが甲板に顔を出した。もうその時には、多くのライトが幽霊船を集中的に照らしていた。
ミサキにお別れを言い忘れてしまった。彼女はもう姿を見せないだろう。僕はアンドロイドの案内で幽霊船から降りた。
その後、僕は半年に一回は彼女に会いに幽霊船に乗った。そのたびに、乗客は僕一人で他に誰も客は居ない。
ミサキは僕の訪問を快く歓迎してくれた。
その後、縁があって、このテーマパークを運営する人物から、運営業を引き受ける事になった。そのため、僕は引っ越しをして、テーマパークの近くの小さなアパートの一室を借りることにした。生活水準は前と同じだったから、そう変わらない。変わったことといえば、持続的な収入が入ることだ。本物の幽霊を大々的に広告すると、客が入るようになったのだ。その御蔭で、もともと低収入だったのが少しだけ改善された。これは、僕にとってターニングポイントとも言うべき、大きな変化だった。
僕は夜の閉店時に幽霊船を回っては、幽霊たちに労いの言葉をかけるようになった。幽霊たちはすっかり乗客を喜ばせることを楽しんでいるようだった。
赤髪の彼女とは、すっかり仲良くなり飲み仲間となっていた。彼女は飲み物が飲めないのだけど、それでも僕の話に合わせるのがものすごく上手かったし、彼女も楽しそうにしていた。だから、僕らはよく夜更けまで話し合い、それにミサキが嫉妬する、という状態がよくあった。
ミヨに色々と質問すると、面白い回答が返ってきた。
一番驚いたのは、彼女が一世紀前の人間だということだった。
そのことに気づいていた幽霊は誰も居なかった。
ああ、そうそう。幽霊はもうひとり居た。僕だけが認知できた、海パンの幽霊だ。彼は、ホログラムではなかった。そして、本物の海賊の幽霊だった。
どうも、目が覚めたらここに居たらしく、その気弱な性格から姿を長らく隠してたんだとか。しかし、偶然僕に発見されたというわけだ。どうも、船が走行中に止まることは彼にとってトラウマに近い思い出だったらしく、どうにかしようとしていたらしい。
今では彼は、僕らの輪の中で少し不憫ながらも、下っ端と呼ばれてこき使われている。もともと奴隷から海賊に転身したらしく、そういう性質だったのだ。
一色雅美の短編集 一色雅美 @UN77on
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