第15話 黒い招き猫
私をその地獄から救ったのは、マッチングアプリで出会った人が持ってきた、幸福を呼び寄せる黒い招き猫だった。
私は昔から病弱で、よく長期入院をしていた。だから、友達は居ない。そのかわりに今年から――そう、十五歳になった今年から始めたのがマッチングアプリ。両親から買ってもらったスマホを駆使し、私は今まで何人かの人とつながってきた。けれど、会おうとしたことは一度もない。だって、会おうとしたって絶対私は会いに行くことができないのだから。
そんな中、病院まで会いに来てくれる人が居た。その人は真っ黒のシルクハットを被っているいかにも怪しげな人だったけど、今まで出会ったどんな人よりも信頼できた大人だった。
黒い人――私は彼のことをそう呼んでいる。
私は彼と幾度も通話をしていた。病院では携帯電話が没収されるから通話はできなかったけど、病院意外ならほぼ毎日と言っていいほど彼に私は話をした。
愚痴を。
私の愚痴を彼に吐き出した。
「あのね、私いつまで生きられるかわからないの。心臓に持病があるみたいで…」
「今日、ゲームのガチャで五連続同じキャラが出たんだよ。しかもクソ雑魚。めっちゃウザかった」
「最近喉の調子が悪いの。この前は頭が痛かったし。熱でもあるのかな」
「でねでねっ…と。危ない。…チッ…ああ。ごめんごめん。ちょっと虫が飛んできて」
「最近食欲がないの。胃がおかしいのかなぁ」
「うん。ごめんね六ヶ月も。うん。入院してて。うん。少し長引いちゃってさ」
「…ああ、うん。なんかさ、最近死にたいっていうか…もうなんか生きる気力なくてさ…はははっ。笑えるよねぇー………はぁ」
「…うん。眠い。…大丈夫…多分………」
その人が私の病室に来たのは、今年の冬。十二月二十四日の夜だった。クリスマス。
再度入院をすると言うと、彼が見舞いをさせてくれと言ったのだ。これは前々からあった提案でいつも断っていたのだけど、今回ばかりは根性負けをした。正確には、全部がどうでも良くなったんだ。
私は今までマッチングアプリであってきた人と一度も合ってない。それは私なりにも危険があるとわかってたし、それが私の――この体の限界だと思っていた。だけど、一度くらいはいいだろう。そう…もう体がだめになるのかもしれないのだから。
私は生まれてすぐ、余命宣言をされた。最初は五歳。次に八歳。次に十五歳…どんどんそれは引き伸ばされ、しかし、今度ばかりは助からないらしい。私も体がだるいし、足も…まぁ、動かなくなってきた気がする。
最後なのだ。
最後くらい、合わせてほしい。
彼は黒いシルクハットを被っていた。私のぼんやりとした目は、ずっとそればかりに向いていた。意識が彼の顔を見ることを避けていた。
「思ったよりも大変みたいだね。持ってきてよかった」
「何を?」
ガスマスクのようなものに憚れ、白い息が目下に映る。
「これだよ」
彼が見せたのは、手のひらサイズの招き猫。ちょうど、宝くじ売り場に置かれた白い猫の色違い。
「これはね、君に幸福を呼ぶ魔法のアイテムだ。僕がちょっと頑張って買ったものでね、君の症状を聴いてからずっと探してたんだ。本物さ。これを肌身放さず持っていてほしい。そうすれば、君はきっと幸福になる。絶対だ」
彼の自信満々の声が、今でも頭に残っている。
「ここにおいておくよ。これは誰にも取られてはだめだ。君が持ってないと行けないものだからね。もし、誰からもらったのか聞かれたら、看護師さんにもらったと答えておきなさい。これは不吉なものじゃない。君を救うものだ」
私は頷いた。
「ありがとう」
「これは私の物。ほら、そう言って」
「これは、私の…」
「…うん。いいね。君に会えたこと、私は光栄に思う。それじゃあ、お元気で」
その人は、そう言うとすぐに去っていってしまった。だから、私の目にも脳にも、彼の印象というものはその時のフラリとしたなんだか異界の人みたいな、そんな感覚でしか残っていなかった。
彼が持ってきた黒い招き猫は、もう見た目から呪を呼ぶ招き猫みたいな感じなのだけど、でも実際にはほんとに幸福を呼んでくれるようなそんな品物だった。
なぜなら、私は彼と出会った翌日から、嘘のように体が軽くなったのだ。お医者さんも予想外だったようで、一週間も経つと病院から開放された。治っているかもしれない、という曖昧な言質すらもらったほどだ。
なんだか私の今にも死にそうな症状が一時的な発作みたく扱われたのには驚いたけど、私はそれよりも黒い招き猫の力が気になった。
幸福を呼び寄せる招き猫。
彼からの贈り物。
私の父と母は、私が大切に抱える黒い招き猫を見ると、不吉だと嘆いた。それは、私が退院してからも変わらなかった。誰も私の退院が、その招き猫の御蔭だとは思っていなかった。
私には、二つ上の姉が居た。
彼女だけ、私の退院がその招き猫の御蔭だと信じてくれた。
「そうなの…不思議なこともあるものね」
彼女はじっと黒い招き猫を見つめていた。
私はいつぶりか、学校に通うことになった。とはいえ、通信制の、通わなくてもいい高校だ。いつ入院するかわからない私には、通える高校もないのだった。
私いつものようにその殆どを家で過ごした。友達は居ない。昔は居たけど、中学くらいから居なくなった。
いつもみたいに、家でゲームをしているとただいまぁ、と抜けた声が玄関から聞こえてくる。姉が帰ってきたのだ。
まだ五時過ぎ。
姉の帰りはいつも早かった。
「おかえり!」
私は姉の帰りが一番待ち遠しかった。
走ってはいけないと言われているので、小走りで玄関に向かう。制服姿の背の高い姉が私を笑顔で迎えてくれた。
「ただいま。あ、またゲームやってたの?」
姉が私の右手に持つゲーム機を見て言う。
「うん。一緒にやろ」
「わかった。ちょっとまってて。着替えてくるから」
「うん」
私はまた小走りで居間に戻る。姉はいつも私の相手をしてくれた。
しばらくすると、姉がラフな格好に着替え、片手にゲームを持って居間にやってくる。
「そういえば、みーちゃん、友達とゲームとかしてるの?」
「え…友達?」
「うん。ほら、夜中とかに誰かと通話してるじゃない?」
それはきっと、黒い人との会話だろう。
「む…あれはネットモだから。今はお姉ちゃん優先」
私は意地になって答える。
もうあの人と会話をすることも、チャットをすることもなかった。なぜか、向こうからずっと拒否されるのだ。
「そうなの?ネットモでも友達なら大事にしなよ。私もそろそろ受験だし、相手できなくなっちゃうから」
「う…わかってるよ。ほら、さっさとやろ」
「…また対戦ゲーム?ゆったりしたやつやろ。あつもりとか」
「今はこれがやりたいの。いいでしょ?」
「…まぁ、いいけど」
ふすんとしながらも、お姉ちゃんはいつも私のわがままに付き合ってくれた。
一時間もゲームをすると、お姉ちゃんは勉強してくる、と言って自室に戻ろうとする。私はいつも見たく、まだ続きをしようと止めるのだけど、それでお姉ちゃんが止まったことはなかった。
いつも見たくゲームの世界に戻ろうとすると、「あ」とお姉ちゃんが私を見た。
「何?」
「そういえば私の自転車の鍵ないんだよね。どこにあるのか知らない?」
「うーん。知らない」
私は少しだけ考えて、そういった。
「そう。見つけたら教えて」
「はーい」
私は自転車を持っていないし、乗れない。病弱だから。
だけど、お姉ちゃんは健康だから自転車に乗れるのだ!羨ましい!
秋になった。
私の体はいつになく絶好調だ。
しかし、私の頭は絶不調だった。これまで、私は勉強をあまりしてこなかった。いつもいつも命があと少しとか、そういうことばかり考えていたから先の人生に投資することに意味を見出せず勉強など二の次だった。
そのせいで、私はお姉ちゃんが高校一年生のときの教材を見せてもらったとき、頭痛がするほど理解ができなかった。
これは由々しき事態だ。
特に、私が今まで怠惰で解いていた通信制高校の問題が他の高校よりいくらか遅れていることに気が付きたくなかった。
私がぐぬぬと頭を抱えていると、カチャリと扉が開く。
「おー、やってんねー」
缶ジュース片手にお姉ちゃんが入ってきた。その瞼は薄っすらと赤く腫れていた。
私は知っている。金曜日だと言うのに学校を休んで、一日中部屋で泣いていたことを。
「今勉強中。教えてくれる?」
「いいよ。もとよりそのつもりだしねぇ」
椅子を少し横にどけると、お姉ちゃんが私のほぼ白紙のワークノートを覗き込む。課題は数学。いちばん苦手な教科だ。
「えっと、中学の復習だね」
ガーン!
「え、うん。わかっては居たけどまだ中学の復習なんだね。うん」
「ま、まぁしょうがないよ。中学の復習もだ大事だよ。なんたって義務教育の範囲だからね」
「…うう」
泣きたい心を抑えながら、お姉ちゃんの顔色を伺う。もう立ち直ったのか、その瞳はしっかりと問題文を睨んでいた。
「ふむふむ。なるほどねぇ」
「え!わかったの!」
「まぁなんとなくは」
「すごい!」
私は尊敬の眼差しをお姉ちゃんに向ける。
それから私は一問一問丁寧にお姉ちゃんから問題の解き方を教えてもらった。
お姉ちゃんの説明は丁寧で、私でも少し時間をかけたら問題がスラスラと解けてしまった。
「うん。みーちゃん理解力あるね。いい感じ」
「へへへっ。ありがとう。お姉ちゃんも教えるのうまいよ」
「んー、そうかなー」
赤く膨れた瞼が静かに細くなる。それから、ふわぁとあくびをした。
「眠い」
「昨日寝れた?」
「ん、いや。ちょっとねー」
へへへ、とお姉ちゃんがごまかすように笑う。
「大丈夫?」
私は心配してお姉ちゃんの方をしっかり向いた。
「大丈夫大丈夫。うん。問題なし」
「そう?何かあったら力になるよ!」
私は自慢げにガッツポーズをしてみせた。
「ありがとう。だけど、これは私の問題だから…」
その時、お姉ちゃんの目線がベッドに向いた。ベッドの上には黒い招き猫がぽつんと置いてある。私はクッションのように柔らかいそれを、抱き枕にしていた。
「あれね、すごいでしょ。私の宝物なんだ。アレのお陰で、今の私はいるから」
私は自慢げにお姉ちゃんに語る。
お姉ちゃんは神妙な顔でじっと黒い招き猫を見続けていた。
秋が過ぎ、冬になる。
その頃にもなると、お姉ちゃんが返ってくる時間が遅くなった。図書館に行っているのだろう。私もお姉ちゃんに負けず毎日勉強を続けたおかげで、成績はぐんぐん伸びていった。もう学校のテストなら常に百点は射程範囲内だ!
今まで勉強してこなかった分、なんだか知識欲というのが湧き出してきたのだ。これも黒い招き猫のおかげだと思うと、私はあの黒い人には感謝してもしきれない――。
と、そこで私はベッドの上を見て、絶句する。
「あれ、招き猫、どこ?」
え!
嘘!
掛け布団の下?
無い!
床?
無い。
こどいったぁぁぁぁぁあ!
机やベッドの下にもない。部屋から出したことないから、絶対に渡しの部屋の何処かにあるはずだ!
私は慌てた。あれは半ば私の信仰対象みたいなものなのだ。あれのおかげで私は窮地を脱したし、きっと、あれがあるから私はまだ病気が再発しないのだ!
「さ、探さないと…!」
私は地を舐めるように足を動かした。まずは自分の部屋に落ちてないか調べる。だが、どこにも黒い招き猫はなかった。
「な…やっぱりない」
一階だろうか。
下に行く。
居間を見た。ない。倉庫もキッチンも寝室も見た。ない。どこにもない。
捜索は二時間にわたった。その間両親が帰ってきて、私は一度夕食を食べることになった。
ぶすっと食事を摂る私に両親がどうかしたのかと聞く。
私は、探し物をしてる、と誤魔化した。
何探してるの?と聞かれたけど、なんでもいいでしょ、と答えた。
両親はふっくらと頬を膨らます私を見て、何故か淋しげに微笑んでいた。
黒い招き猫は、お姉ちゃんの部屋にあった。
私はその事実にびっくりしたけど、正直家の中にあることに安心していた。それに、お姉ちゃんなら、それを使ってもいいと私は思っていた。それくらい、お姉ちゃんには感謝しているし、大切なのだ。
お姉ちゃんが帰ってくると、私は早速お姉ちゃんを問いただした。
「お姉ちゃん。あの招き猫、お姉ちゃんの部屋に合ったけど…なんで?」
「あ…ごめん。ちょっと気になっちゃって部屋においちゃった。すぐ返すね」
お姉ちゃんは慌てて自分の部屋に向かっていった。
「ちょっとまって…」
私は急いで後を追う。
私が追いついたのはお姉ちゃんが部屋に入ってからだった。扉が閉まりかけるのを強引に開ける。すると、お姉ちゃんが黒い招き猫から白い小さな宝石のついたネックレスを外すところだった。
「え…あ、ちょっとまってて」
「うん」
私は扉の前でお姉ちゃんがそれを外すのを待った。ネックレスは容易に外れなかった。お姉ちゃんの鬼気迫る表情に、私は何も言えなかった。
「…取れた。…はい。ごめん。返すね」
その時のお姉ちゃんの顔は、何か小さな湖に大切な物を落とした子どもみたいだった。
「いや、いいよ。お姉ちゃん持っててもいいよ。だけどその、理由だけ聞きたいなって…」
「あ…いいの?」
「うん」
ぱぁ、とお姉ちゃんの顔が明るくなる。それから、り、理由ね…と呟いた。
「えっと…何ていうか、最近調子が悪くてね。体調もそうだし、成績も…友達とも不仲で、何ていうか、ついてないっていうか。だから、ちょっと祈願もこねて黒い招き猫のお力を借りようかと…」
「うん。いいよ。使って使って。あ、でも抱き枕にしてたから私の体臭が染み付いてるかもだけど…大丈夫だった?」
「臭いはしなかったよ。汗かかないんじゃない?」
「うそぉ。ほんと?」
「ほんとほんと。それじゃあ、大切に借りるね。じゃあ私、勉強しないとだから」
「ちゃんと休憩とってよ。冷蔵庫にプリンあるから」
「ありがとう。後でいただくね」
私はお姉ちゃんの部屋を出て、自室に戻った。
黒い招き猫一つないだけで、どうも落ち着かない。だけど、お姉ちゃんの役に立てたのだから、それはとっても誇らしいことなのだ。
私はベッドに寝転んだ。
そしてそのまま、良い夢を見た。
お姉ちゃんが本格的に体調を崩したのは、11月のはじめだった。
少し長い風邪、というのだろうか。特に特殊な病気というわけではなかった。だけど、もう一週間も寝込んでいる。熱は、上がったり下がったりだ。
前々から体調が悪いとは聴いていた。だけど、ここまでとは想定外だ。お母さん達が話していたのを聞いた分には、本当に成績が悪くなっていたらしい。お姉ちゃんはもともと頭がいい人だて。テストの点だって平均点以上を毎度叩き出してくるし、それもすべて高得点だ。
だけど、ここ数ヶ月はテストの点も最高得点が平均点を下回るようになって、授業もろくに聞けてないという。
「受験ノイローゼってものだとはわかってたけど…ここまでひどくなるなんて…」
「ああ。いい機会だ。少し休ませよう。勉強も12月からでもいいだろ。浪人したって構わないさ」
何がお姉ちゃんをそこまでしたのか、私にはわからなかった。
私は看病をしながら、密かに黒い招き猫にお姉ちゃんの病気が早く治りますように、と願っていた。
だけど、お姉ちゃんの風邪は一向に治る気配がなかった。
「…夢を見るの」
「どんな夢?」
「なんだか黒い靄が私を覆ってる…」
「靄?」
「うん。それがね、私を不幸にさせるの…」
そう言って、お姉ちゃんは目を見開いた。
「そう。不幸だ。ここ最近私はすごく不幸だ。そうだ。私のせいじゃない。私のせいじゃないんだ…」
お姉ちゃんが狂乱したように口を素早く動かした。頭が若干浮いている。全身を力んでいた。
「お、落ち着いて。お姉ちゃんは何も悪くないよ」
「…わかってる。わかってるよ…」
ぼん、と小さく頭が枕に沈む音がする。
私は瞳を腕で隠すお姉ちゃんから、黒い招き猫に視線を動かした。
「不幸…不幸を呼ぶ…」
私は黒い招き猫を捨てようと思った。それはやはり、幸福を呼ぶものではないのかもしれない。私が病弱から回復したのは、ただの何気ない奇跡で、あの黒い人が持ってきたこれが原因――というわけではないのかもしれない。
なにせ色が黒いのだ。怪しいではないか。
それに、お姉ちゃんが不幸になっていくのは、この招き猫があるからじゃないのか?これがあるから、お姉ちゃんは不幸になっていくんだ。
だけど、私は黒い招き猫――材質はぬいぐるみ――を捨てる方法はなかった。かといって、これを倉庫にしまうというもの更に不幸を呼び寄せるようで嫌だった。
私はすぐに黒い人に連絡を取った。
マッチングアプリで彼から得た、電話番号に電話をしたのだ。
数回のコールがあったが、彼は電話には出なかった。
私は必死に通話をかけ続けた。
だけど、彼は電話に出ることはなかった。
それでも、私は毎日彼に電話をかけ続けた。
そうするしか方法を知らなかったし、どんどん衰弱していく姉を見ていると早く彼に相談したい気分だった。
どうしても出てほしかった。
4日目の昼。彼は電話に出た。
「君か――元気になったかな?」
「あの、ごめんなさい。勝手なことだとは思ってます。だけど、黒い招き猫を処分したいんです。どうしたらいいか、教えて下さい」
「なぜ敬語なんだい?まぁ数ヶ月も喋ってないからね。そういうものなのかな。…処分と言ったね。処分というのは、ゴミに出すというこかな?」
「ゴミにだすというか――もう必要ないので、あ、その、また引き取ってもらってもいいですか?」
「ふむ――なるほど。もう一度会おうということか。それもまたいいね」
「お願いします」
「でも、一つ確認したいな。その黒い招き猫の力を君はちゃんと理解しているのかい?」
「…不幸を呼ぶんですよね」
「うん。いいね。それから?」
「え…えっと、それから…なにかあるんですか?」
「………ああ、そうか。うん。幸福を呼ぶんだよ。所有者に幸福を呼ぶ代わりに、その周りに不幸を振りまく。黒い招き猫はそういう物なんだ。もしかして、君の身近な誰かが不幸になっている最中なのかな?」
「………」
私は言葉に詰まった。
けど、それなら納得だ。
私が回復して、お姉ちゃんが病気にかかる。
そういうことなんだ。
「…どうする?処分するかい?」
「処分はします。もう必要ありません」
「わかった。それじゃあどこで会おうか」
「えっと…そうですね。志崎公園ってわかります?」
「うん。知ってるよ」
「そこで」
「日時は君に合わせるよ」
「っ……それじゃあ、今週の日曜日のお昼の二時でいいですか?」
「了解。楽しみにしているよ」
「…ありがとうございます」
私は通話を切ると、思わずガッツポーズをした。
その日がやってきた。彼はいつものように黒いシルクハットを被って公園の中にある時計の下に居た。彼は背が高かった。大人だ、と私に思わせる。
「こんにちは!」
私は勢いで声をかけた。
「ん…やぁ、来てくれたね。招き猫もちゃんと持ってきたようだ」
「は、はい」
「それにしても元気になってよかった。それじゃあ、それをもらおうか」
彼は右手を私に差し伸べる。
私は持ってきた黒い招き猫を差し出そうとして、辞めた。
「ん?どうしたのかな?」
「あの、私が幸福になった場合、誰にどの程度の不幸が行くんですか?」
「君の一番の一番身近にいる人で、君のことを気にかけている人に不幸は向かう。そして、君が招き猫を使い施しを受けた幸福の分、その人に不幸がのしかかる。そうだね――君が病室で奇跡的な回復を遂げただろ?その分の不幸は隣のベッドで寝ていた老人へと降り掛かった。彼は死んだよ。君が生き返るのと引き換えにね」
なんてことだ。
なんてことだ!なんてことだ!
「それじゃあ私は……人の命を犠牲にして…」
「許されることだよ。別に君は悪いことをしているわけじゃない。全てはその招き猫が招いた事象だ。君が責任を感じることはない。今犠牲にあっている人だって、本当に不幸になっているだけで、それも君のせいじゃないよ。全て招き猫のせいだ」
「…招き猫を私が使っている時点で、それは私の責任なんです!」
目頭があつかった。いつの間にか涙がこぼれてる。
「私は…私は私のせいで人を殺し、そして、私のせいで姉まで不幸にしている。それは到底許せないことです。これは、あなたに返します」
そうしなければらないのだ!
今、決心がついた。
「わかった。それじゃあ、それをもらおう」
私は押し付けるように彼に黒い招き猫を渡した。
私が信仰対象にしていたそれは、正真正銘不幸を呼ぶ魔の道具だったのだ。
「でも、惜しいな。君は人を蹴落として世界一の幸福な者に成れるのに…。本当に惜しいな」
「あなたが通話もメールも拒否したのは、私の幸福のせいであなたが不幸にならないためですか?私の近くにいると、不幸に成るからそれを避けるためだったんですか?」
今更になって、彼と話したあの頃が懐かしいように思えてきた。
なぜだろう。
私は彼に恋愛感情の類を抱いていたのだろうか。
「いや」
彼は深くシルクハットを抑える。
「君にこれを渡した時点で、私はもう君の人生に不要だと思ったから去ったまでさ。私はね、私が好んだ人間には、その人が幸福になるためにピッタリ『物』をあげるようにしている。この招き猫は、今まで私とおしゃべりをしてくれた恩返しのようなものなんだ。それが最終的に君を不幸にしようと、私に悪影響を与えようと、そこに私の関心はない。それは変えられぬ運命というやつであり、私の決めた『物をあげる』というルールを否定する要素になり得ない。君は今、怒っているし、悲しんでいる。その結果を、私は粛々と受け止めよう。そして、もう君の眼の前に現れぬことを誓うとしよう」
「ええ。そうして頂戴!」
私は叫ぶように、拒絶した。
だけど、彼にダメージを与えることはできなかった。
「わかった。それでは私はこれで失礼するよ」
彼は音色一つ変えず、私に背を向けゆっくりとした足取りで公園から出ていった。
私は彼と出会ったことを、黒い招き猫をもらったことを後悔していいのか迷っていた。ただ、一つだけ言えることは、私は思い運命を背負わされたということだ。
人一人の命を奪い助かった命。
それが私。
この事実は変えようがないし、その意味の重さは誰にも預けることができない。
私が背負ってしまった物。
その日から一日が経つと、お姉ちゃんの容態はすっかり良くなっていた。気分も向上のようで、まるで昨日までの唸りが嘘みたいに聞こえなくなった。
部屋の扉が急に開き、お姉ちゃんが顔を覗かせた。
「あれ、みーちゃん黒い招き猫は?」
「あ、あれ?あれねぇ、もとの持ち主に返しちゃった」
「え!返しちゃったの?なぁんだ、私も幸せにしてほしかったのに」
「へへへ…ごめん」
ごめん、お姉ちゃん。
お姉ちゃんは私のせいで不幸になってたの!
せめてもの謝罪を心のなかで真剣に行う。
「でも、良かった。今日ね、いいことがあったんだぁ」
「え?何?いいこと?」
「うん。この前別れた彼氏――それも一方的だったんだけどね、その彼氏からまた付き合おうって連絡がきたの!私今すごい嬉しい。良かったぁ」
「へ、へぇ。良かったねぇ。それにしても、お姉ちゃん彼氏いたんだ」
「そりゃ、居ますとも。いやぁ、一時はどうなることかと思ったけど、なんか急にすべてが元通りって感じ。このまま私の頭も元に戻ってくれればいいんだけど」
「そ、そうだねぇ」
私は苦笑いしかできない。
こうして我が家に日常が戻ってきた。
変わったことといえば、相変わらず私が元気だということだ。
心臓に異常はあれ以降見られないし、病院通いもなくなった。
その代わり、私は人一人の命を背負うこととなった。
自分の命を絶対に大切にしなければならなくなった。
自分の人生への覚悟が決まった。
そればかりは、大きな変化だった。
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