キヨちゃん

一色雅美

第1話

 その日、私は小学六年生に進級した。始業式が終わったあと教室に戻ると、新しい私の机に、キヨちゃん、と名前が描かれていた。

「誰の名前だろ」

 名前は、鉛筆らしきもので、木の板をゴリゴリ削ったようなあとだった。

 間違いなく、私の名前じゃない。私は泡瀬なつみだから。

 クラスの仲の良い子にも聞いてみた。

「わかんない。誰だろ?」

 五月ちゃんが答えた。

「私も、わかんない」

 なつきちゃんが答えた。

 みんなわからないようだった。

 

 その日は早く学校が終わったから、私はお姉ちゃんにこのことを話してみた。お姉ちゃんは、中学1年生になって、新しいリュックを買ってもらっていた。

「キヨちゃん?誰だろ。知らないなぁ」

 お姉ちゃんは、みんなと同じ用に答えた。

「でも、私の机にそう書いてあったよ。お姉ちゃんのクラスにいなかった?」

 もしかしたら、前に机を浸かっていた人のいたずらなのでは、と私は考えていた。

「そんな人、居ないと思うけど」

「あだ名じゃない?」

「でも、聞いたことないなぁ…」

 私はお姉ちゃんに頼んで、六年生の時の卒業アルバムを見せてもらった。

 六年二組。私と同じクラスだ。

 私とお姉ちゃんはクラスメイトの顔写真と名前を眺めていった。けれど、その中にキヨと呼べる名前は一切なかった。

「ないなぁ」

「ないねぇ」

 ないなら仕方ない。

 私はすぐに諦めた。


 次の日、私はみんなからこう呼ばれた。

「キヨちゃん」

 と。

「もう、やめてよ」

「あはは。キヨちゃん、キヨちゃん」

 それは、お遊びみたいなもので、私の机にそう書いてあったから、みんな、そう呼んだだけなのだ。

 けれど、一週間もすると私の仲間内でその名前は私の呼び名として定着していた。

「キヨちゃん。今日遊ばない?」

 放課後、下駄箱で靴を履いていると、親友のなつきちゃんが私を遊びに誘ってくれた。

「いいよ。なつきちゃんの家でいい?」

「うん。後でうちに来て」

「わかった」

 私はなつきちゃんと分かれ、駆け足で家に帰った。ランドセルを自分の部屋に置いたあと、すぐになつきちゃんの家に向かった。


 なつきちゃんの部屋に入ると、そこには意外な人が揃っていた。

「やっはろ~。ゆきです」

「天使の微笑み、天下のオレっ娘、みなみでーす」

 髪は染めてないし、ピアスとかもしてないけど、服装は派手で、口調はまるで空を飛んでるかの如く軽い。彼女たちは、そんなギャルもどきだった。私のクラスに居る、女の子。

「あ、えっと、どうして二人が…?」

 私は驚いて、後ろに控えるなつきちゃんを見た。

「なぁにぃ?聞いてないの?」

「なつきちゃん。説明してあげて~」

 後ろから二つ、やじが飛んだ。

 なつきちゃんは困惑する私をみて、嬉しそうに微笑んだ。

「最近、二人とよく遊んでるんだ。キヨちゃんもどうかと思ってさ」

「さぁ、早く座りなよ。キヨちゃん」

「そうそう。早く人生ゲームしよーぜ、キヨちゃん」

「ね、そういうことだから。さぁさぁ」

 私はなつきちゃんに押されるようにして、みんなと同じようにローテーブルの前に座った。机の上にはお菓子が散乱している。ボードゲームの箱が、机の横に置いてあった。

 なつきちゃんがお菓子のゴミを端に避けて、ボードゲームを机の上に広げた。

「これが、人生ゲーム?」

 私はボードを見ながら、誰とは言わず問いかけた。

「ん?もしかしてキヨちゃんやったことない?」

 ゆきにキヨと呼ばれ、私はぞくりとした。

 あまり関わりのない人に、キヨと呼ばれるのにはまだなれない。

「うん。やったことなくて。ルールもしらないんだ」

「じゃあ、俺が教えて上げよう」

 みなみが率先して、私にルールを教えてくれた。

 初めてやる人生ゲームは、今までのどんなゲームよりも楽しかった。インドアな私にはすごい向いている、そう思った。

 その日以降、私はこの四人で遊ぶことが多くなった。


 それから一週間、二週間と経って、私は教室内でキヨ、と呼ばれることが多くなった。もう、大半のクラスメイトが私をそう呼んでいる気がした。

 ある日の昼休み、ゆきちゃんがクラスメイトのユウトを廊下の壁に追い詰めていた。そこは理科室がある学校の四階で、人通りは少なかった。

「ゆきちゃん、何してるの?」

 私は恐る恐るゆきちゃんに訪ねた。

「あ?なんかこいつ最近キヨを付け回してんだろ?んで、怪しくもこんな人気のない場所にキヨを呼んだからさ、どんな要件かって聞いてやってんだよ」

 確かに、最近私はユウトからの視線をよく感じていた。ユウトは小太りで、みんなから少し避けられるようなタイプの男の子だった。運動も得意じゃないし、いつも暗くて何考えてるのかわからないタイプ。でも、悪いやつではない気がする。

「離してあげて。話くらいは聞いてあげようよ」

「いいのか?ぜってぇこいつ、おまえに告るつもりだったぜ。出なきゃ、こんな場所普通選ばねーからな」

「……」

 それは私も思っていたことだった。

「なぁ?」

 と、ゆきはユウトを睨みつけた。

 そうだよ、という情けない返事を冷たい感情の中で待っていると、「ち、違うよ」と強く意思のある声が私の耳を刺した。

「あ?何が違うっていうんだ。状況的にそうだろうが!ああ?」

「ち、違うんだ。僕はそんなことは、望んでない…」

「んじゃあ、何にしにキヨを呼び出したってんだ?あ?言ってみろ」

 そう言うと、ユウトは途端に黙ってしまった。

「はっ、やっぱ告ろーとしてたんじゃねーか。言えねーのがその証拠だ」

 もう二度とキヨに近づくんじゃねー。

 ゆきはそう怒鳴って、私の手を取った。

「行くぞ」

 彼女に引っ張られ、階段を降りようとした時、ポツリ、と声がした。


「キヨは、危ない」


 私は暫くの間、そのセリフが頭にこびりついて離れなかった。

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