第10話 しつこい男
「は? デニスが私に会いたい?」
「は、はい。お嬢様はご病気で、会うのが難しい状況だとお伝えしたのですが、どうしてもと……」
一体あの男は何を考えているのだろう。婚約解消の話を認めず、わざわざ私のもとまで見舞いに訪れるなんて。
「私の神経がおかしくなったって伝えた? 手当たり次第に物をぶつけて、首を絞めるかもしれない凶暴さがあるって、きちんと話した?」
「は、はい。い、いえ、そこまでの危険性があるとまでは伝えていないと思うのですが……」
「だめじゃない! もう一度きちんと説明して、お引き取り願いなさい!」
「は、はいっ!」
メイドがすっ転びそうな勢いで部屋を後にした。まったく。どうせ父が見栄を張って、ただの病気とか言いくるめたのだろう。
それで優しい公爵夫人がデニスに様子を見てこいと告げたのだ。逆らえない彼はのこのこ我が家まで足を運び、私と顔を合わせる羽目に……そんなのまっぴらごめんだ。
だがこれでもう大丈夫だろう。私はふかふかの枕に背中を預け、読みかけの小説を手元に持ってきて読み始めた。勉強もせず昼間から娯楽に耽ることができるなんて、なんて最高な生活だろう。結婚なんかしないで、一生このまま過ごそうか……。
「お嬢様……」
扉の外から、弱々しいメイドの声が聞こえてくる。私は無視した。
「お嬢様、あのー……」
「もう、何よ。用があるならさっさと入って――」
そこで言葉を切った。
ムスッとした表情のデニスが扉を開けて突っ立っていたからだ。
私は後ろに控えるメイドを睨みつけた。彼女はひぃっと身体を震わせる。咎めようとしたが、その前にすたすたデニスが近づいてくる。
「ちょっと。勝手にレディの部屋へ入室しないでください」
ぴたりと彼の足が止まる。だが顔の不機嫌さは変わらぬままだった。
「気が狂っているわりにはずいぶんと理性のある言動だな」
なにこいつ。仮にも病人相手にこの高圧的な、嫌味ったらしい口調で物申すなんてどういう神経しているのかしら。
「今は薬が効いて、そう見えるだけです。あともうしばらくすればいつもの発作が出て、手が付けられなくなってしまいますので、すぐにお引き取りいただきますようお願い申し上げますわ」
わざわざそう忠告してやったのに、彼は一歩も動こうとない。何なの?
「きみは一体どうしてしまったんだ」
「は?」
突然何を言い出すのだ。
「ですから病に罹ってしまったんです。神経がおかしくなる病。ああ、これ以上私と付き合っていると、あなたにも移ってしまうかもしれませんわ」
「前はもっと優しかった」
「ちょっと!」
いきなりぐっと距離を詰めてきて、私の両手を握ってくる。
「僕のことも、デニス様と優しい声で呼んでくれて、恥ずかしそうに話して、でも目が合えば嬉しそうにはにかんでくれた」
「……」
「きみを見る目は僕を好きだった。それなのに一体いつからきみはそうなってしまったんだい!?」
「あなたが私を裏切った時からよ」
ぱしんと両手を払いのける。
「裏切った……」
「そうよ。私の妹と浮気した。私のことなんて好きじゃないってわかって、それで、私もあなたを捨てようって決めたの」
「違う! 僕はきみのこと嫌ってなんかいない!」
はぁ……とため息をつく。あと何回こんなやり取りをしないと気が済まないのかしら。
「一度でも裏切りは裏切りよ。私のあなたに対する信用はゼロになった」
「そんな……だが、きみだって酷いだろう。僕があげたハンカチだってあんなふうにして……」
「レイラから何も聞いていないの?」
彼は何のことだと不可解な顔をする。……そうか。そうよね。妹が彼に言えるはずがない。本当のことを言えば彼に嫌われるに決まっているもの。
そして彼も未だ私が犯人だと信じている。なら、それでいいやと思った。どのみちそのほうが厄介払いできる。
「そうね。嫌いだからあなたを傷つけた。だから婚約も解消する。筋の通った話じゃない?」
話し合うことなどない。とっと帰れと私は本の続きを読もうとした。
「っ、きみはどうしてそんなふうになったんだ!」
それなのに彼はまだ納得できないのか、私の肩を掴み、揺さぶってくる。
「イルゼをどこにやってしまったんだ!」
「あぁ、もう――いい加減にしてよ」
どんと相手の胸を押した。彼は呆気なく吹き飛び、床に尻餅をついた。さすがに暴力はまずいと思ったのか見ていたメイドが駆けつける。彼はただ呆然と私を見上げていた。
「どこにやった、ですって? はっ、何を言っているの。あなたが殺したんじゃない」
そのえっ、という顔が心底憎らしい。傷つけた自覚が微塵もない表情。
「あなたが、あなたにとって都合のいいイルゼを殺して、今の私を作りだしたのよ」
彼だけではなく、妹や両親。使用人。回帰前の人生、前世の記憶すべてが、私という存在を一度死に至らせ、生まれ変わらせた。
「私は今の自分が好きよ。あなたの不貞に気づいていながら、嫌われたくないって見ない振りをする憶病者の自分よりずっとね!」
「イルゼ。僕は……」
「さぁ、もう用件は済んだでしょう。さっさとこの部屋を出て行って、これからは大好きな妹と死ぬまで仲良く過ごしてください」
そう言うと私はメイドへ目を向け、この男をさっさとつまみ出せと命じるように顎をしゃくった。恐ろしげな顔で私を見ていたメイドはその仕草で跳ねるように腑抜けたデニスを起き上がらせ、半ば引きずるようにして部屋から連れ出していった。
「あーあ。やっと面倒なのが終わったわ」
さすがにこれでもう、彼も私と関わるまい。
自殺して前世を思い出したので今度は好き勝手生きようと思う 真白燈 @ritsu_minami
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