第9話 やっと
あまりの振る舞いに両親は私の気が狂ったのだと医者を呼んだ。振り返ってみると、あの高熱を出して目覚めた時からおかしい。
きっと熱で頭のどこかに支障をきたしてしまったのだと……そう考えてこれまでの暴挙に説明をつけようとした。
「えー……もし川で溺れている子を見かけたらどうするかな?」
「この数字は何に見える?」
「自分の名前は言える? つづりは?」
そのために馬鹿馬鹿しい質問を繰り返しされ、神経が狂っていないかどうか確かめられた。気分が落ち着くようにと薬も飲まされた。しかしこんなことははなはだ無意味であり、私はいたって正常であった。
たしかに前世の、あまりにも異なった生活圏、文化、価値観の違いを見せつけられ、混乱、影響を受けた面はあろう。だがよくよく考えれば、積もり積もった不満が爆発しただけ。そうだ。言葉でわかってもらえないから、実力行使に出ただけ。正当防衛だ。
私は自分の振る舞いに微塵も後悔はなかった。むしろ今まで蔑ろにしてきた私への扱いを抗議することができて、誇らしかった。そうだ。歯向かうやつにはどんな手を使ってでも抵抗してやる。私を傷つけるやつは私自身が報復してやる。
これからはもっと自由に生きようと決めた。嫌いな奴は嫌いだとはっきり区別し、もし傷つけてくるならばその何倍もの苦痛を与える。
それが今まで生きてきた私の世界で――ひょっとすると夢で見た世界でも、野蛮に映るものだとしても、構いやしなかった。
覚悟を決めた私の顔に、医者がぎょっとする。窓の方を見て確認すると、目が爛々と輝き、獲物を狙う動物のようで、怖くもあり、美しいとも思った。
医者がいろいろ検査して、正常です、強いてあげるならば、今までの厳しい教育方針によるストレスが出たのでしょう、というそれらしい結果を述べた。
「イルゼ……すまなかった……」
あれから、今まで大人しく、我儘一つ言わず、大人顔負けの礼儀正しさを見につけていた侯爵令嬢が発狂した様は両親だけでなく、使用人たちにもかなりの衝撃を与えたようで、何か悪魔に憑りつかれているのではないかと怯えたメイドの一人が耐えきれず、鍵をレイラに渡したことを告白した。
妹もまさかここまで私が暴れるとは思っていなかったのか、泣きじゃくりながらごめんなさいと謝罪した。母も自分の育て方が間違っていたと嗚咽した。あの父ですら項垂れた様子で私に懺悔の言葉を漏らしたので、よほど今回のことが堪えたのだろう。
ここで彼らを許してやるべきか? ――否だ。
やつらがこれで大人しくなるとは思わない。ただのポーズだ。完全に信じてはならない。人間の性根はそう簡単に変わらない。デニスが私ではなく妹を信用したのがいい例だ。
しおらしい態度は、すぐにまた太々しいものへと変わる。
だがしばらくの間は、利用してやるのもいいだろう。
医者は何ともないと診断したが、私は本当に狂人になってしまったように、しばらく我儘に振る舞い、ベッドの上で自堕落な生活を送った。両親は何も言わなかった。私のしたいようにさせた。欲しいものはすぐさま用意した。使用人たちを奴隷のようにこき使わせた。
そんな生活を続けていたある日。
「イルゼ……本当に申し訳ないんだが、こんなことになってしまっては、おまえにはデニスの婚約者は何かと負担が大きいだろう。だから……」
「だから?」
まどろっこしい言い方はやめて、以前のようにはっきり言えと促せば、父はごくりと唾を飲み込んだ。
「婚約を解消しようと思うんだ……」
父の言葉は当然であった。こんな娘が公爵家の嫁になるなんて恥晒しもいいところだ。むしろ対応が遅すぎる。
私は一も二もなく「ええ。とっても残念ですけれど、構いませんわ」と承諾してやった。
父は露骨にほっとした表情で部屋を出て行く。私はデニスの顔を思い出した。きっと彼も喜々として受け入れるだろう。やつは妹と婚約して、やがて何の障害もなく結婚する。子どもも生まれて幸せな家庭を築き上げる。
決まっていた未来とはいえ、吐き気がする。私は八つ当たりにベルを鳴らし、ジュースと菓子を持ってくるよう怯えたメイドに命じた。
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