第8話 クソ野郎

 妹はついに私からデニスを奪い取ったと、ハンカチの件も含めて父親に報告した。告げ口の間違いかもしれないけど。


 私は密告したと思われるメイドを脅迫して本当のことを言うように迫ったが、その前に父からやめるよう言われた。


「おまえには失望したぞ、イルゼ」


 夕食の席であった。父はちっとも反省せず、人を疑う私の態度にひどくご立腹の様子である。しかしその何倍も、私は腸が煮えくり返っていた。


「お父様。私はやっていません。あのメイドのおどおどした態度、ご覧になったでしょう? 彼女がやましいことがあるから、妹に加担したから、あんな態度なんです。もう少し詳しく話を聴けば、誰が本当に悪いのか――」

「いい加減にしなさい」


 カチャカチャと銀食器の触れ合う音だけが嫌に響いていた。


「自分の過ちを認めず、人のせいにして、罪をなすりつけようとしている。恥ずべき振る舞いだ。とても我が娘とは思えない」

「お父様。私はやっていません。レイラがやったのです」

「イルゼ。いくらレイラがハンカチを欲しがっていたからといって、あなたの引き出しから盗んであんなふうに切り刻むことはしないわ」


 なら私だったらやるというのお母様?


「お姉様。ひどいわ」

「そうだぞ、イルゼ。レイラに謝りなさい」


 みんな、私が妹に謝ることを待った。誰も私の言葉を信じてくれない。信じようとしない。


 ……真摯に言葉で説得すれば、いつかわかってくれると思っていた。家族なら、私の親なら、娘の言葉に耳を傾けてくれると。


 でも、彼らにとって私は娘じゃない。可愛い子どもは妹のレイラだけ。


「はぁ……馬鹿みたい」

「なんだ。その態度は――」


 ガシャンとナイフとフォークが皿に当たって響く。わざとぶつけた。


「何をしている」

「イルゼ。お行儀が悪いわよ」


 それは不思議な高揚感を胸の奥から湧き上がらせた。今まで従順に守り続けてきた規則を破る愉悦。タブーを犯すことの快感。


「イルゼ。謝りなさい」


 言葉が通じない相手ならば、もういっそとことん原始的に暴れてやればいい。


 あの全く見たこともない世界でも、こういう場面があった。そういう人間に彼らは何て言っていたかしら……。そうだ。たしかこう言っていた――


「イルゼ!」

「うるさいクソ親父!」


 私はグラスを掴み、父に向かって投げつけた。父は目を剥き、とっさに肘で顔を庇う。中の液体が肘や料理に降り注ぎ、グラスが勢いよく皿にぶつかり、父のグラスを倒して床へ転げ落ちた。母の悲鳴が上がる。


「あんたたちみんなクソ野郎よ!」


 私は赤いソースのかかった牛肉を手で掴むと、母の顔めがけて投げつけた。だが厚みのある牛肉は重たく、飛距離がいまいちで、妹のスープへ飛び込んで、代わりに熱い汁を妹の顔に浴びせ、甲高い悲鳴を上げさせることに成功した。


 その狂った悲鳴が私の興奮を加速させ、ドレッシングのかかった野菜を器ごと持ち上げて母の方へ放り投げた。母は悲鳴を上げて頭からドレッシングのシャワーを被り、レタスやきゅうりを肌に貼り付けた。美容を気にしていた母にはちょうどいいと皮切りされたレモンもくれてやった。


 他にも手当たり次第皿に乗った料理を両親と妹に投げつける。白いソースで黒いコートを彩って、赤ワインで白のドレスを染めあげて、エビやプチトマト、チョコレートにいちごの盛り合わせで頭や顔を仕上げてやった。


「お嬢様!」


 空になった皿は給仕係の手間を省いてあげようと床や壁に叩きつけて割ってあげる。破片が飛び散り、高価な銀のスプーンとフォークもあちこち的にして狙いを定める。シャンデリアに運よく当たり、派手な音を立ててテーブルへ落ちた。


「もうやめなさい!」

「きゃあっ、せっかくのドレスが!」

「わーん! お母さまぁ!」

「銀のスプーンが! あぁ! 皿が!」


 阿鼻叫喚の嵐に私は一人愉快な笑い声をあげながら、仕上げとばかりに敷かれたテーブルクロスを思いきり引っ張って、すべて粉々にするように床にぶちまけて、椅子を持ち上げてテーブルの上へ放り投げた。


 両親たちはあまりの滅茶苦茶な具合に言葉を失い、妹は泣き叫ぶ。そうして駆けつけた使用人たちに私は取り押さえられて、ようやく嵐の過ぎ去った食堂の有様は言葉では筆舌に尽くし難いものであった。


「あははははは」


 私は食堂を出るまで大声で笑い続け、両親と妹が見る顔は、まさに悪魔を見るのと同じであった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る