9(了)

 掛川城から鳴り響く大太鼓の音が、掛川百鬼夜行の始まりを告げた。

 すっかり陽が落ちて暗くなった三の丸広場に、思い思いの姿に仮装した人たちが集まった。妖怪、ゾンビ、ミイラ、アニメのキャラクター。

 予告通りヨルに扮した葵さんと目が合った。隣の小さな可愛らしいアーニャと一緒になって、満面の笑顔で手を振ってくれた。手を振り返すと、それに合わせてシャッターが切られた。いくつかのレンズが私の方を向いている。

 この衣装がいつ用意されたものかはわからない。あの日行かなかったコミケで、美知香が着たのかもしれない。もしくは、今日のために仕立てたのかも。真実は棺の中。けれど、偶然か必然か、段ボール箱の中に眠っていた衣装は、私の体型にピッタリのサイズだった。

 袖から取り出した髪留めで前髪を留める。イラストの少女にはない、私のオリジナリティ。

 カメラに向かって手を伸ばす。シャッター音が空を切る。くるりと回転すると振袖が花のように開く。大太鼓がリズムを刻む。シャッター音が裏を打つ。初めての感覚に陶酔する。照れも恥じらいも、今日だけは忘れたい。美知香なら、きっとこう描く。私ならこうする。カメラに向かって見得を切る。私と少女の境目が消える。大太鼓。月に向かって手を伸ばす。シャッター音。髪留めに指で触れる。目玉がギョロリと蠢く。刹那、世界が暗転する。


 私は長い列の真ん中で佇んでいた。漆黒の闇の中、列はゆっくりと進んでいる。魑魅魍魎が私のそばを通り過ぎた。一つ目提灯がケタケタと笑う。骨だけの魚が夜空を舞う。蝙蝠が満月を黒く染める。フードを被った少年が牙を光らせる。

 遠くにひときわ輝く妖の姿が見えた。私と同じ、白い振袖。エメラルドグリーンの髪には、目玉の髪留め。私は、彼女の名前を叫んだ。

「美知香!」

 妖はこちらを振り返った。私は走り出した。走り出した拍子に、足元にいた目玉の妖怪につまずいて、膝をついてしまった。

 もう一度彼女の名前を叫ぶ。しかし、声は虚空に吸い込まれる。慌てて立ち上がり、あたりを見回す。大太鼓の音と妖怪たちのざわめきが混ざり合う。背後から細く白い指が伸びて、私の頬を優しく撫でた。

 振り返ると、美知香がいた。彼女は口元に笑みを浮かべて言った。


 やば、似合いすぎ。


 私は思わず美知香を抱きしめた。彼女の両腕もまた、私の体を包み込む。暗くて冷たい世界の中で、彼女の温もりだけが唯一の救いだった。

 美知香、ごめんね。美知香の肩に顔をうずめて私は何度も同じ言葉を繰り返した。あの時は、ごめんね。

 美知香は何も言わずに、私の髪を優しく撫でた。撫でるたびに、私の中に溜まっていた薄汚れた何かが浄化されるような心地になった。これだけだったんだ。私に必要だったものは。

 私たちは体を少しだけ離し、お互いの目を見合った。エメラルドのように透き通った瞳が、私の心をのぞき込む。真紅の唇が開く。

 私の方こそ、ごめんね。

 私はかぶりを振りながら、もう一度美知香を抱きしめた。とめどなく流れる涙をこれ以上見られたくなかった。

 美知香はふふっと声を漏らし、私の両手からするりと抜けた。私は涙を拭って、美知香を追いかけた。彼女はふわりと宙を舞い、くるりと回転してみせる。振袖から舞い散る花びらが星屑のように瞬きあたりを照らす。私も負けじと宙を舞う。白く伸びた腕が闇夜に光の弧を描く。妖怪たちが、やんややんやと手を叩く。美知香は私を見て笑い、私は美知香を見て笑う。私たちは二匹の妖となって、夜に舞う。宴も酣。美知香の細い指が、私の髪留めをスッと撫でた。目玉がギョロリと蠢く。刹那、世界が明転する。


 美知香は消えた。魑魅魍魎も目玉の妖怪も、一瞬のうちに霧散した。様々な衣装に身を包んだ人々が集まる広場の真ん中で、私は一人佇んでいた。髪留めに触れてみたが、硬いプラスチックが指の腹に当たるだけだった。

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