エピローグ

第63話

 幽世にいつもの平穏が訪れた。良世に操られていた八尋と海里をはじめとした妖たちに暴れた記憶はないとのこと。

 八尋に本当かと問いただしたら、「アホか」と言われた。だから本当なのだろう。

 絃は、惣と良世に封印を施した現世へ来ていた。あの日は気が付かなかったが封印を施したところは、なんと道のど真ん中だった。人の話し声、行き交う乗り物の音。町の喧騒の中に、絃は妖の姿で立っていた。人の姿だと通路の邪魔になってしまうから。

 絃は半妖だから半分は人。だけど、人のことは今もよくわからない。迷いこんできたなずなや葉子と関わったけれど、人のことを理解することはできなかった。それは、妖も同じだ。半分は妖だけど、だからといって妖の考えをすべて理解することはできない。それは当然とも言える。

 絃は、半妖。人にはいろんな苦悩があるように、半妖には半妖なりの苦悩がある。

 惣と良世も同じだ。惣は百目鬼の血を引き、百目鬼の本能に悩んでいた。それを両親にわかってもらえなかったのだろう。惣は、きっと絶望したのだろう。親に自分のすべてを捨てられたと思って。けど、それは惣の為に行っているという考えがなかった。その考えが浮かばない程、悩んで前が見えなくなっていたのだろう。いつしか親を恨んで、それが人全体を恨むようになってしまった。そして、妖の血を引く自分自身を恨んで、それが妖を恨むことに繋がって、煮えたぎるような復讐心を抱くようになってしまったのだろう。

 良世は、あまり多くを語らなかったけれど、母親を失ったことが理解したくなったのだろう。迷子の子供のように母親を求めた結果、現世と幽世の破壊という考えを生んだのだろう。でもそれは、母親がいなくなったことを受け入れることが出来なくなった末路のようにも思える。もし、その事実を受け入れていれば、狂気に満ちた笑みを浮かべることもなかった。

 そう考えると、どちらも考えようで防げたようにも思える。でもそれができないのが、人なのかもしれない。一度の感情に囚われてその結果が身を焼くことになる。

「哀れだな」

 心の中で考えていた言葉が自然と口から出ていた。

「ああ、俺もそう思うよ」

 後ろから見知った低い声が聞こえて振り返ると、よおと煙草を口に咥えて吹雪が立っていた。吹雪の周りには境界線が引かれていた。

「吹雪か」

「おう、あの時は世話になったな。それと、俺の後輩が起こしたことを詫びる。すまなかった」

 吹雪は頭を下げた。

「いい、頭を上げろ」

「いや、しかし」

 言い淀む吹雪に絃は、笑って見せた。

「吹雪の頭一つでどうにかなった事ではないだろう?」

「確かにな」

 吹雪はフッと笑みを浮かべて、タバコの火を消した。吹雪は、封印が施された場所を見て、しんみりとした口調で話しだす。

「良世のことなんだがな、アイツには境界師の父親がいたんだ。その父親は無くなっていてな。俺の親父が良世の父と知り合いで、こう言っていた。アイツは、妻を亡くしてから気が狂ったと。境界師である以上、現世で妖が罪を犯したらどうなるかわかっていたけど、受け入れることができなかったと。息子に母親は生きている、幽世で生きていると言い続けたらしい。良世はきっと嘘を教え込まれてそれを真実だと思ったんだろう。だから、母親を求めて幽世と現世の破壊を目論み、母親が気兼ねなく現世で生きれる世界を目指したんだと思う。良世が起こした部分さえ聞かなければ、いい話だよな」

 ははっと吹雪は笑った。

「なぁ、絃。人ってのは、恐ろしいな。目的の為ならいとも簡単に他を犠牲にできるんだからな。俺は、狂った良世を見て怖気が走ったよ。その狂気に気づく機会はきっと、俺の方が多かったはずなのに、気づけなかった。それが悔しいとも思ったよ」

「それは、俺も同じだ。情報屋がいくら惣の事を調べても出てこないときに、気づくべきだった。情報を掴ませないようにしている人物がいることを。そうしたら、もしかすると二人を止められていたんじゃないかって」

 悔しさがこみ上げて唇を噛むと、うっすらと血の味がした。

「絃、きっと止めてもあいつらは決行していたと思うぞ。その強さがあいつらにはあった」

「だが……」

「お前は、アイツらを封印したことを気に病んでいるだろうから、言ってやるよ。あいつらは、それでよかった。それを証拠に、惣も良世は笑っていただろう。だから、お前の判断は正しかったんだよ。これ以上気に病むのはあいつらに失礼だぞ」

 吹雪は絃の心を見透かしているように、激を飛ばした。

「確かに、そうだな。これ以上気に病むと頭がおかしくなりそうだ」

「そうだろ。お前まで闇に落ちられると俺が困るからな」

 吹雪は、ははっと冗談交じりに笑った。

「それはそうかもな」

 吹雪の笑いにつられるように、絃も笑みを零していた。

「絃、俺たちができることは、同じような出来事を繰り返さないようにするだけだ。それが、唯一できることだと俺は思う。だから、絃」

 吹雪は真っ直ぐとした目で、絃を見つめて手を差し出した。

「俺は、惣と良世のような人を作らないように、境界師としての役割を全うする。だから、これからも協力してくれ」

 決意に満ちた吹雪の言葉に一切の揺らぎはないように感じた。絃は、吹雪の手に手を取る。

「俺は、閂様として二人のような人を増やさないように、役目を終えるその瞬間まで全うし続ける。こちらこそ、これらも協力してくれ」

 吹雪はニカっと笑って、「よろしく頼むぞ、絃」と手を強く握った。吹雪はバカ力があるのか手が千切れそうになるぐらいに痛い。

「こちらこそ」

 やり返しに絃も手を強く握ってやると、吹雪の眉間に皺が寄って更に力を入れた。力の入れ合いが数秒続くと、吹雪から手を離した。

「おっと、お迎えが来ているようだな」

 吹雪は絃の後ろを指差した。その方向を見ると、少しムッとした表情の月人とろいろが立っていた。

「じゃあな、絃。また何かあったときは、よろしく頼む」と吹雪は逃げるように去っていった。

「逃げたのか?」と呟くと、後ろに立っていた月人が隣に来て「逃げたのでしょう。私とろいろが睨みつけたので」とそっぽを向きながら答えた。

「怒ってるのか?」

「怒ってますよ。勝手に現世に行くだなんて、不用心すぎますよ」

 絃の額にデコピンをした。

「痛った!」

 ヒリヒリと痛む額を押さえた。

「それが罰です」

 月人はどこか楽しそうに笑っていた。

「絃、帰るぞ!俺たちの屋敷に!」

 月人の腕から飛び出し、絃の肩にろいろは乗った。

「そうですよ、絃。あなたは優しいからきっとあの時のことを悔やんでいると思いますが、これだけは心に刻んでください。絃の居場所は、幽世です。絃が生きる居場所は私とろいろが守ります。その役目を終える時も、終えたときもだからどうか迷わないで。彼らは不遇だったのかもしれないけど、絃は違う。絃は恵まれている。それは周りがとかじゃありません。絃自身が掴んだものなんですよ。私はずっと覚えています。あの日絃が手を差し出してくれた温もりと嬉しさを。多分その手を取らなければ私は彼らと同じようになっていたでしょう。絃、貴方は紛れもなく百目鬼惣と漣良世を救ったのです。だから、もう悔やむ必要はありませんよ」

 月人は優しい笑みを浮かべていた。月人の優しい笑みはいつだって、絃の心を救ってくれた。

「そうだな。月人、ろいろ。帰ろう!」

「はい!」

「おう!」

 絃は月人とろいろに導かれるように幽世へと帰っていった。

 人はきっと知らぬ間に誰かを救って、救われているのだろう。その救いから目を背けたりしなければ、人は狂気に染まることはないのかもしれない。

 そう思いながら、閂様としての役割を全うしていく。


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幽世の番人 深山水歌 @ao-27

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