餅田丸夫が体験した恐怖の8月31日(5)

 僕の朝はきゅるきゅると悲鳴をあげるお腹の違和感から始まった。


 部屋はクーラーによって冷えきっていた。布団はベッドの下に落ちている。そして本来パジャマで覆われているはずのお腹が冷気にさらされている。


 きゅ~きゅるきゅるきゅる~~~~


 お腹を絞られたような感覚とお尻から洪水の予感がする。


「やばいよこれはやばいよ!」


 自分のお腹に対してやばさを訴えるけどお腹の不調は待ってくれない。


 僕は重たい身体を持ち上げてすぐさまトイレに駆け込む。


 しかしトイレのドアノブは下がらない。


 そして何度も見た光景を前にして気づいた。


「待って、また同じ朝だ!!!」


 今回の8月31日はお尻のダムが崩壊し、びゅるびゅるとパンツに洪水が広がった。



「困ったでやんすね」


 小野君はのん気に僕が持ってきたポテチを出っ歯でパリパリと割った。


「もう勘弁してよ…。絶望のあまり漏らしちゃったんだから」


「昨日の『Refrain』も面白かったね」花村君は指についたポテチの脂を舐める。


「これはもしや、ズルしたからダメみたいなやつでやんすかね」


「確かにものがたりの終止符としてはあまりにもひどいオチだもんね」


「『Refrain』の少年たちもちゃんと自分の力で解決してたよ」


 僕たちは頭を抱えたが、永遠と続く8月31日に疲れきっていたので、誰から言うでもなくそれぞれの宿題に手をつけ始めた。


 算数ドリルから始めると、最初の設問は小学一年生レベルみたいで「8+1=」とか「6−1=」などスラスラと解けた。なんだ、やってみると案外楽勝だなと思っていると文章問題がある。「たろうくんは一つ10円のりんごを5個かいました。合計いくらになるでしょう」と文章を読ませて思考の足止めを図ってきた。僕は「10+10+10+10+10+10=50」と書いた。その次の問題は「たろうくんは計算をまちがえて合計74円をはらいました。おつりはいくらでしょう」ときた。「24円」と書いた。その後もたろうくん、はなこさんがよく登場した。僕はこの二人の名前にゲシュタルト崩壊を起こしかけた。次第に集中力が途切れてりんごが食べたくなった。小野君たちを見ると消しカスを練ったりドリルの隅に落書きをしていた。僕は図書館を抜け出してりんごを買いに行ってりんごを食べた。そして図書館に戻って宿題を始める。今度はぶどうが出てきたのでぶどうが食べたくなってぶどうを買って食べて宿題を始める。そんな繰り返しをダラダラと続けて、ちょっと算数ドリルに飽きて国語ノートに手を付けたら目に文字が飛び込んできてやる気も起きなかったから一ページ目の漢字の書き取りだけ済ました。


 気が付けば夕方になったので僕たちは半ば絶望してぐったりしながら家路についた。


 次の日を迎えたらこの8月31日でやった宿題もなかったことになるのだろう。


 僕はいつこの8月31日を終えられるか不安に思いながらぐっすり寝た。



 朝起きる。トイレに駆け込む。体重計を見る。コーラを飲む。ホットケーキを食べる。


 そして何一つ手を付けてなかったことになっていそうな宿題を見る。


 算数ドリルはしっかりと前の日の8月31日にやったところまで、僕の筆跡で書き加えられていた。


「やった!!!」


 僕はルンルン気分で図書館に向かった。



「なるほどでやんすね。やっぱりズルなしでちゃんと宿題を終わらせることが、この8月31日を終わらせることになるみたいでやんすね」


 小野君はフムフムと顎に手をやる。


「まじかぁ。本当に宿題がトリガーなのかぁ」花村君はがっかりしている。本当にやりたくないみたいだ。


「でも問題は自由研究なんだよね。本当だったら観察対象を日ごとに観察していかなきゃいけないんだけど、ずっと同じ8月31日の中で何かを観察しようにも、何も変化がないだろうし」


 僕たちは頭を抱えて悩んだ。


「ずっと続く…。だったらずっと続く8月31日を観察対象にすればいいんだよ」


 花村君はひらめいたように言った。


「でも、8月31日自体も何も変わんないよ?」僕は言った。


「だから、何にも変わんない8月31日の様子と、それに対して進んでいく宿題について書けば面白くない? それを共同テーマにしてさ」花村君は珍しくまともなことを提案した。


「「なるほど!!」」僕と小野君は目を輝かせた。


「それじゃあ今日から宿題の進み具合も観察しないとね」


 僕は温いコーラを口の中でじょわじょわ味わいながら、目の前に広がる宿題に手をつけた。



 今日で31回目の8月31日。ついに僕たちは最後の宿題にとりかかる。


「皆、まず算数ドリル、国語ノート、読書感想文は終わったよね」


 小野君と花村君は首を縦に振り、宿題をテーブルに並べた。


 どれもそれぞれの筆跡でしっかりと埋められている。


 それを見て僕も頷き、絵日記の最終ページを開ける。


「それじゃあ、最後の絵日記を書こう」


「僕はずっと続く8月31日のことを30回分書いたよ」


 花村君の絵日記を見ると自転車で遠方チャレンジしたことが書かれていた。先生が見たら嘘を書いているんじゃないかと疑うと思うが、本当のことだから仕方がない。


「オイラは…まあ、キャクショクを盛り込んででやんすね…」


 小野君はこの8月31日の間、ただひたすら玉砕を繰り返し、また半ばストーカーまがいなことをしていたが、どれも「○○君(ちゃん)と遊んだでやんす」と書き換えられていた。これを見ると小野君は人気者みたいに見える。


 僕ももちろん8月31日に起こったことを1日ずつ書いていった。もう本来の8月1日に何をしたかなんて全く覚えていなかったのだ。僕の絵日記にはただご飯を食べたことしか書いていないから、すごい胃袋と財力があるのだとうかがえるだろう。


 僕たちは最後の絵日記を書き終え、そして自由研究の観察経過の最後のマスを埋めた。


「三木先生、きっとふざけてると思うんだろうな~」


「そう思われたらもう直談判ものでやんす! オイラたち本当のことしか書いてないでやんす」


「今日が最後の『Refrain』か~」


 偉業をやり遂げたように清々しい気持ちになり、そして何となく逞しくなった気がした。


 楽しくて怖かった8月31日は、もう今日で終わる。


 僕たちは図書館を出て見つめあった。


「じゃ、明日の9月1日にやんすね」


「学校で会おう」


「『もうRefrainとはおさらばさ』」


 そうしてそれぞれ別々の家路についた。



 最後の8月31日の晩餐をむかえ、毎度おなじみの「Refrain」を見た。


 映画を観ながらぼんやりと考える。


 この話をFTDの人たちに言ったら信じてくれるのだろうか。ハセさんは信じてくれてもハザマさんはデタラメだとかニュース性にかけるだとか文句を言って取り合ってくれない気がする。だけど、僕はこの8月31日を過ごして一皮むけたと確信している。ハザマさんに批判されたら言い返してやろう。


 僕は最後の「ものがたりは特別な何かに終止符を打つことで幕を閉じる」を聞き終え、ベッドに行って眠りについた。



 翌日、ハワイ旅行から帰ってきた三木先生は生徒から回収した絵日記を眺めていた。


 そして餅田君の絵日記を見て思わずクスッと笑った。


 最後のページにはこう記されていた。


―――ぼくたちは恐怖の8月31日を過ごしました。ただ一歩大人に成長したと思います。


―――――――――――――――――――――――

自由研究のテーマ:おわらない8月31日

なまえ:もち田丸夫


● 研究しようと思った理由

ぼくたちの8月31日がずっと続くのでどんなトクチョウがあるかをまとめてみようと思いました。


● 研究内容

<8月31日の身体の様子>

[1回目]体重:50.7kg  体調:げりぴー

[2回目]体重:50.7kg  体調:げりぴー

[3回目]体重:50.7kg  体調:げりぴー

[4回目]体重:50.7kg  体調:げりぴー

[5回目]体重:50.7kg  体調:げりぴー

[6回目]体重:50.7kg  体調:げりぴー

[7回目]体重:50.7kg  体調:げりぴー

・・・

[31回目]体重:50.7kg  体調:げりぴー


<ほかの様子>

・ぼくと小野君と花村君だけ8月31日が続いていることを知っていた。

・お母さんやお父さんやほかの友達は、8月31日について話しても次の日の8月31日には忘れていた。前の日の8月31日と同じ行動・同じ話をしていた。

・24時を迎えると意識を失い、起きると最初の8月31日の朝にいた場所から始まる。

・前の日にやった夏休みの宿題の進み具合も引きつがれていることが分かった。でも、ズルして書きこんだときは、次の日になると引きつがれていなかった。

⇒夏休みの宿題を終わらせないとずっと8月31日が続くのではないか!


<夏休みの宿題の進み>

[1回目]算数:0/41 国語:0/31 絵日記:0/31 読書感想文:0% 自由研究:0%

・・・

[25回目]算数:7/41 国語:1/31 絵日記:0/31 読書感想文:0% 自由研究:0%

[26回目]算数:26/41 国語:2/31 絵日記:1/31 読書感想文:0% 自由研究:0%

[27回目]算数:41/41 国語:15/31 絵日記:9/31 読書感想文:0% 自由研究:0%

[28回目]算数:41/41 国語:25/31 絵日記:15/31 読書感想文:0% 自由研究:0%

[29回目]算数:41/41 国語:31/31 絵日記:25/31 読書感想文:50% 自由研究:0%

[30回目]算数:41/41 国語:31/31 絵日記:30/31 読書感想文:100% 自由研究:50%

[31回目]算数:41/41 国語:31/31 絵日記:31/31 読書感想文:100% 自由研究:100%


<研究した感想>

いくらおかしを食べてもいくらお金を使っても次の日に元通りだったからうれしかったけど、毎朝げりぴーに悩まされるのはつらかった。ほんとうにこれで8月31日が終わるのかなと不安がある。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

FTD調査録 お茶の間ぽんこ @gatan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ