縫われた心

ゆず茶

縫われた心

 店いっぱいに沈黙が満ちる。

 カウンターにいる店主と、向かいの椅子に座るわたし。

 縫い物をする店主と、見つめるわたし。一体この時間はなんなんだろう。


 ここは一言で言うのなら、少し不思議な雑貨店。その店主である彼女と他愛もない話をしては、何も買わずに帰るのがわたしの日常だ。

 今日も今日とて訪れたわたしを、店主が『見せたいものがある』と言って出迎えたのだが。


 その『見せたいもの』というのが、たった今縫われているぼろぼろのクマのぬいぐるみのようだ。

 一度わたしにそれを見せた後、懸命に縫い直し続けている。そしてわたしはそれを見つめ続けている。

 色とりどりの布がつぎはぎされた、愛されるためのもの。少し不恰好だけど、なかなか可愛い。

 布たちを結ぼうと糸を引くのは金色の縫い針だ。

 大切に使い古されているのだろう。少し赤茶けたそれが、布にもぐり込んでは抜け出すのを繰り返す。


 鋏で型紙を切る店主。ぬいぐるみに針を突き刺す店主。時折自分の指にも突き刺す店主。心配するわたし。動かない店内。これを見るわたしに一体どうしろと言うのか。

 そうしたしばらくの格闘を一応見届けて、ボタンの目を縫われたのを最後に、クマのぬいぐるみはついに完成と相成った。


「待たせたな、ほら」

 固く縫われたぬいぐるみを穏やかに見やって、店主は言った。

 そうしてカウンターに座らせたぬいぐるみがひとりでに立ち上がったものだから、わたしは椅子からひっくり返りそうになった。

 ぬいぐるみが立ち上がった。まるで、自分の意思でそうしたかのように。

 その上、わたしと店主、ふたりの間にてけてけと歩み寄り、おまけにわたしのほうと店主のほうをそれぞれ向いて、それぞれに深々と一礼した。

 店主が「おう」と返したのを見て、わたしもあわてて会釈する。

 うっすら感じていた眠気もすっかり霧散して、わたしは店主に詰め寄りかけた。店主ときたら縫い針を針刺しに刺して、なんとも愛おしげにそのぬいぐるみを眺めている。

「あの、これは」

「あいつに心が宿ったんだ」

「いやいや」

 とても納得できる理由ではなかった。突っ込みどころが多すぎる。

「仮に心が宿ったとして、なんでですか」

「気になるのか?」

「超気になります」

「じゃあ抱きかかえてみればいい」

 言われるがまま、震えながらに手を伸ばしてみる。

「怖がらせないよう、ゆっくり抱えてやってくれ」

 店主の言葉を聞いたわたしはつい手を伸ばす速度を緩めて、「ちょっとごめんね」と言い添えて、そのぬいぐるみを持ち上げていた。


 重い。ふわふわで温かい手触りの中に、少し不釣り合いなほどの重さがある。それ全体が、というよりかは、中に入っているものが重みを持っている。

 手先でなぞるようにそれを辿ると、ぬいぐるみはくすぐったそうに身をよじらせる。重みの正体はちょうど胸あたりにあるようだった。

「それが心だ」

 思わずぬいぐるみの胸を耳元に当てる。何の音もしない。


「昨日の帰り道、わたしはそいつを拾ったんだ」

 店主は思い出すように語り始めた。

「今お前が見てるより酷い有様だった。何でか、心を持ってる人形ってのは大体ものみたいに捨てられてる」

「こういうのを見つけるの、初めてじゃないんですか」

「まあな。久しぶりだったが」

 店主が暗い目をしながら言った。

「こういう奴らは、はじめから心を持ってるんだよ。中に入ってるのがそれだ。

 捨てられた奴らはいつも心を壊してる。だけどちゃんと縫い直してやれば、また心が宿るんだ」

 金色の縫い針を得意げに見せて、店主はそう言った。

 ちゃんと、というにはやや不恰好だったが、そういうことではないのだろう。店主は不器用なりに、ちゃんとそのぬいぐるみ達に向き合ったのだ。

「こいつは他と一緒にわたしが世話する。

 見世物にするのも違うとは思ったけどな。まあお前なら悪いようにはしないだろうし、こういう奴らもいるんだって知っておいてもいいかと思って」

 まだ学生だろ?と笑う店主が、珍しく年上の大人に見えた。


 だけど、と思いながら、わたしはぬいぐるみを見つめ直した。

 じっと見つめられたことに気づいてか、ぬいぐるみが首を傾げる。

「本当にこのぬいぐるみに入ってるのは、心なんでしょうか」

 ここまで聞いておきながら、わたしはそんなことを口にしていた。

「と言うと?」

「例えば、機械が入ってるとか。ぬいぐるみが動き出したのも、目を縫われたのをきっかけにその機械が動き出したからで」

 機械にも人形にも詳しくないから、細かい理屈はわたしには説明しきれない。でも少なくとも『心がある』よりかは筋が通っているのではないかと、心の中で胸を張ったが。

「じゃあ、解体バラしてみるか?」

 そう言われて、喋る口が止まった。


 店主が目を閉じて話を聞いていたのに気づいた。

 そしてやっと目を開いたとき、そこには針で刺すような真剣な目つきがあった。

「機械か調べるには一番わかりやすいだろう。胸でも切り裂いてみようか。刃物がいるならわたしが持ってくる」

 彼女が言う。これまでの軽やかな口調と違う、淡々とした声。たぶん、怒っているわけではないはずだ。けど。

 ぬいぐるみを見つめる。丸みを帯びた色とりどりの身体。微笑むように結ばれた口元。そして、縫われたばかりの丸い瞳。

 見つめられたクマのぬいぐるみが愛想よく手を振った。きっと、笑っているのだ。


「できない、と思ったな?」

 そう言った店主の声が妙ににやついた声色なのには、遅れて気がついた。

 図星だ、と証明するには充分長い沈黙が流れ、続けて店主の笑い声が響いた。

「こんなかわいいぬいぐるみをバラバラになんてできないって思ったろ」

 笑い声に驚いたのかおろおろと歩き回るぬいぐるみを、店主は優しく撫でた。

「お前はこのぬいぐるみに共感してたんだ。もしこいつを解体したらこいつが悲しむって。

 こいつに心があるなら、そうなるだろうって思ったんだろ」

 つまり、わたしはこの店主に試されていたのか。わたし自身が、店主が言う“心のあるぬいぐるみ”の存在を証明するのかを。たぶん、最初から解体させる気もなかったはずだ。

 どっと肩の力が抜けた。これだからこの店主は食えない人なのだ。


「あ、でも少し訂正させてください」

「ん?」

「確かにこの子は可愛いですけど、『心がある』って信じたわけじゃないです。

 わたしがこの子を壊せないって思ったのは、あなたのせいなので」

 え、と顔に書いてあるかのような表情で、店主が自分を指差した。クマがそれを真似て、腕を自分のほうに向ける。

「この子を壊したら、あなたが悲しむだろうって思ったんです。この子を大切にしていたのは見ていてもわかったので」

 クマを見やる。嫌なことを言ってごめんね、と伝えるための視線で。

「だから、もしこの子に心があるとしたら、それはあなたが与えたものなんじゃないかって」

 店主は軽く目を見開き、「そう来たか」と言って笑った。それを見て、わたしも笑った。クマもきっと、笑っていた。


「それはいい。悪くないな」

 そうつぶやいた店主は、針刺しを差し出してわたしの手のひらに乗せた。金色の縫い針が刺してある。

「その縫い針、持って行け」

 一瞬、何を言われているのか分からなかった。

 渡された。大切に使い古された縫い針を。

「針刺しごと持って行っていい」

「でも、これは大事なものじゃ」

「だからだよ。良いこと教えてくれた礼だ。

 これで、わたしがこいつに心を与えたんだろ」

 そう言って店主は笑いかけた。


「心を与える道具。そうだな。そういう考え方もあるか」

 よほど意外だったのか、店主は何度もその言葉を唱えていた。自分が世界を揺るがす格言を言ったようで気恥ずかしい。

「きっとそれは、こいつも同じなんだろうな」

 店主がまた、クマをひとつ撫でる。クマは照れくさそうに顔を伏せたけど、わたしは店主の言い方が気に食わなかった。

「道具じゃないです」

「お前がそれを言うのか。縫い始めた頃のお前に聞かせてやりたいな」

 店長が吹き出してそう言った。頬に熱が走る。

「いや、ごめん。そういうつもりで言ったんじゃないんだ。

 こいつだって捨てられる前は、誰かに心を与えるためのものとして作られたんだろうって話だよ。喜びとか安心とか、そういうのを」

 思い返すとそうだった。いつかのある時、この子は誰かに縫われて生まれたんだ。

 それで、捨てられて。今はここにいる。

「この世界にはものが溢れてる。そのものひとつひとつを作るのが、心を与える道具だ。

 きっと与えられたのはこいつだけじゃない。与えたのも、こいつだけじゃない」

 金色の縫い針が、指さされるようにつつかれた。

「で、心を与えられたそれを、わたし達がまた伝える。

 そのときにきっと、心も一緒に伝わるんだ」


 クマを丁寧に抱きかかえて、店主は問う。

「お前は、こいつにどんなものを与えられた?」


 考えて、答える。そう時間はかからなかったけど、頬の熱が残っていたせいで溢した言葉は随分小さかったと思う。

 だけど店主はちゃんとそれを聞き届けたらしく、微笑んだ。クマも一緒に笑ってくれた。

 そう、信じられた。


 ***


 日も暮れて家に帰り着いた頃、開いたスマホのロック画面に親からのメッセージが見えた。

 いつもより帰りが遅いから心配したらしい。一応既読をつけようと画面を叩いて、ふと思う。


 このスマホもきっと、心を与える道具なんだ。

 遠く離れた友人との会話、どこでもない場所へ投げるつぶやき。誰かとのつながりを作ろうと、心を届ける。


 自分の部屋に入って、見回す。

 文房具。目覚まし時計。卓上灯。ゲーム機。

 その向こうにいる誰かが、心を届けようとして作ったもの。そしてそれを受け取ったわたし達が心を与えられて、また与え、届け、伝えるためのもの。

 日常は、そんなもの達に満ちている。


 鞄から針刺しを取り出して、見つめる。金色の縫い針が鈍く煌めく。

 どう使うべきかはまだわからない。でも、これはきっと託されたのだ。


 考える。

 わたしに伝えられる心は、なんだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

縫われた心 ゆず茶 @hinokihinohinohinohinoki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ