ある物書きの心情と信条。
至璃依生
ある物書きの心情と信条。
お題259『2017年に捧げる素敵な物語』
「物語」-1:続ける
もう少し
もう少しだけと
頑張って
最後まで書いた
物語
シャープペンで文字を書く、音だけが聞こえる。
他に、なんの音も鳴りはしない。
私は、場末の物書きである。
自室の床に置いた折りたたみのテーブル。その上に開いたノートが、文字でいっぱいになった。また新しい一ページをめくる。そして手に持ち直したシャープペンで、またその続きを書いていく。たまに、ちょっとしたネコの絵なんかも描いてみる。
私は今、この白紙のノートに、心に浮かんだ色んな言葉や絵を書き続けている。己の心象風景の転写だ。私の心の中は、ばらばらな文字と、まだ自分でもどう説明すれば良いものかとした名もない感情ばかりで散乱としている。まるで少しも物を片付けられない人の部屋のようで、何もかもがぐちゃぐちゃだ。はたまた人の心を物理的に粉々と砕いた様子とも見える。だが、こうも破片ばかりが散らばるこの景色こそが、私なのだ。
それを真っ新な紙の上に、そのまま書き写していく。そして書き上げられたものは、端的に言えば、やはりとっ散らかって汚らしかった。傍から見れば、文章がおかしくて、言葉がめちゃくちゃで、取り留めのない文字ばかり。それらが色々なところへ様々な形で走り書きされ、無秩序である。しかしこれが「完成」だ。私は、十分に私の心の中の景色を、ノートに書き表せている。
だが、これは完成であっても、私が望むものは、ここには無かった。だから、また新しく一ページを捲った。そして再び、夥しい数の文字を書き続けた。それのくり返しが、これまで数えきれないほどのもどかしさを、その都度私に抱かせた。完成とは、答えではないのだ。
私は完成が欲しいのではない。求めるのは、この完成を幾度も繰り返してしまうほど、何度も文字を書いた先にあるであろう「言葉」である。今、ノートの最後のページが埋まってしまい、またしても一冊使い潰してしまった。それを横へと投げ遣り、新しいノートに手を付ける。今度こそ、私が欲する「言葉」を書き表せるように。
それは純粋である。私は、自作の小説にて、私が見た美しきものを、誰かと分かち合いたい。よってそれは純粋でなければならぬ。そうでなければ、誰がその美しさを本物として渡せようか。混ざりけのある言葉など偽物だ。
純粋な言葉で綴られた小説は、美しさの有りの侭を内包できる。私はいつか、本当に美しい空を見た。
君よ、私と同じ空が見えているか。それが、私という物書きの、プライドであった。
私はより感覚的に、より直感的に、目の前のノートに触れていく。書かれていくものは、どれもまだ違う物だった。実はその昔、私の無意識が、勝手知らずのうちに、ノートにある一言を書いていた。それを、意識を取り戻した私が見た瞬間、ぞくりとした経験がある。それは正に純粋な言葉だった。私は、あの感覚を、もう一度味わいたい。その時の私は名文を書けたわけではない。私が見たものは、無意識の自分にしか分からない、今の私からでは全く遠い言葉であった。星のように遠くに光る言葉であった。私はいつか、遠い星の光を言葉に出来ていた。
――――あぁ。
もう一人の私は、私が欲して止まぬ美しさを、覚えている。
どうしてこの私は、その美しさを、こうも思い出せないのだろう。
ペンを持つ自分の手に、噛み合わないものを感じる。恐らくこの手は、私が欲しい言葉を知っている。されど、表層意識の私が、その食い違いを作っている。だから、今し方書き続けていた文字は、堪らず黒く、がりがりと塗り潰してしまった。こればかりは最後まで書き上げられなかった。あまりにも違いすぎたものだったから、見るに堪えなかったのだ。
また文字を書く、音が鳴る。ときに絵を描けば、右手が大きくノートをこすり、何度も丸みのある線をなぞり、すべる音が鳴る。
無心でペンを動かす。されど書き上げたものは、虚空を見つけた心地になるものばかり。どれほどの文字を書き上げても、一文字も納得できるものがない。
だが、ここで急に、口の中から、何かが零れ落ちてきそうな予感を感じた。眉間に皺寄せ、それは口を開けていればノートの上に落ちてこないかと、口を開けて、何度も息を吐いて、ふぅ、はぁ、と押し出してみる。もしくはそのまま歯がみをして、咀嚼するように歯を鳴らしていれば、そのまま引っかかっていたものがごろりと転がり落ちてこないかしらとも思えたので、何度もそのまま口を動かしてみる。
途端、私の左右の手が、忙しなく指を動かしては、握っては開いて、時に重ね合わせて擦り手や揉み手をしてなど、急に暴れ出した。すれば、私の脳髄から、何かの知らせを受け取ったかのように、私の目は勝手に大きく見開いた。
来た、と私は、待ち望んでいた何かに、著しく近いところに辿り着いた感覚を掴んだ。首が勝手に回る。上下左右と、ラジオの周波数を合わせるように、正解を受信できる方向へ首を回していく。両の眼が、周囲の景色を見たがっている。欲しい、欲しい、どこだ、どこだと、未だ目に見えぬものを探し始める。他所からみれば、その様は狂人でしかない。
すれば、手に握るペンもまた、どこか私が欲する言葉の、輪郭をなぞり始めた感触があった。さらに文字を書き続けて、精神の奥へ進む。この時のノートを一見すれば、言葉がばらばらと散らばって書かれた先のものと、さほど変わらぬように思えるが、しかし私からすれば、その言葉の一つ一つが、正解、また正解と、正しい道順を歩んでいける、道標のそれであった。私は言葉を書く度に、その先へと今、導かれている。
シャープペンで文字を書く、音だけが聞こえる。
他に、なんの音も鳴りはしない。
されど、その音は、私が求める正解に満ちている。
ならば、そんな音で書き上げられようとする言葉なら、それはたった一言でも全てを説くことができるような、なんて万能な素晴らしさが――――、
「あぁ、くそ」
しかし。それは無情であった。
ぷつんと、私と世界の接続が切れた。その反動で私は後ろにのけぞり、背中から倒れ込んだ。床にペンを放ったガタンという音が、また悔しい。集中力の限界である。こうしてまた
だけども、惜しいとこだった。なんだかとてつもない何かが見えていた気はしたのだがなと、片手を熱を帯びた額に当てる。そしていつしか息を止めていたのか、深い呼吸になりながらも、目を瞑り、己の精神をためつすがめつ眺める。しかし、そこにはもう何も存在しなかった。さきほど届きかけたものは、また遠く、遠くへと飛んで行ってしまった。
こんなことを続けて、かれこれ八年となる。私は物書きの端くれから始まった。されど私は今でも物書きの端くれのままで、しかし年月だけは私を置いていくように先に経ってしまった。嗚呼、ここに数えて八年の長さがあるのなら、ならばもっと、報いや何やらが、そうしたものがふとしたもので巡り会っても良かろうに。と、そう願うように愚痴を吐いても、それでも私の元には、彼の言葉はやってこない。
しかし、今、私の精神に「何かがあった」のは違いない。だから私はまた、ペンを手に取っている。
今回は、届かなかった。
だけどもう一度、やってみよう。
これはもう、性根であろう。また私は、ペン先から芯を出し、ノートに向き合った。やっぱり止められない。この先も、もういい、もういいと諦めてそっぽ向いても、どうせそれでも、明くる日にはまた、その諦めたものと同じ物を見てしまっている。もしくは最早ここまで、とさっぱりと切り捨て、踏ん切りを付けようとも、いやもう少し、もう少しだけならと、また切り捨てたものを拾い上げしまい、こそこそと未練たらしく続けていくに違いない。
あぁ、これでは死んでも止まらんではないか、と我ながら呆れを感じつつ、私は今日も空想に耽る日々を過ごす。
そこではて、と、これが俗に言う「頑張る」というものなのではないか、とも思えた、今日この頃。やはり普段から耳にする頑張るなんて言葉は、誰かの脚色で捻じ曲がっている。頑張るとは、当人がどうしても止められぬからこそ、そうなってしまう結果なのだろう。その言葉には、それ以外の意味など持たせてはならぬと、下手な論客染みた思想を抱いた。
また、ノートにペンを走らせる。
真っ新な紙の上に、また文章や、言葉や、文字を書いていく。また、ちょっとしたネコの絵なんかも、もう一匹追加で描いてみる。
つらつらと書いていき、すれば時刻は夜中の十時を過ぎた。これはいかん、そろそろ明日の為に寝なければと、今日はここでキリを付けようした。心の中では遊び足りない子供のような自分が、まだやりたいと駄々をこねていたが、明日も仕事があるなどして、そうもいかないのが現実と言い聞かせる。
そう、我が儘を言う自分を言い聞かせたところで――――、
「2017年に捧げる素敵な物語、最後まで書いた物語」
と、無意識の私が、いつの間にかそんな一文を最後まで書いていたことに、今になって気づいた。
シャープペンで、文字を書く音だけが聞こえる。
その他には、今日もまた、なんの音も鳴りはしなかった。
しかし、一つばかし、思い出したことがある。
八年前の私は、泣いてしまうほど辛く、苦しい気持ちを世に打つける為に、作品を書き始めたのではなかったかと。
それは復讐であった。これを見て、世界が私と同じく傷ついてしまえば良いとした、凶器の執筆であった。
ならばこの随筆は、その頃の、八年前の私に捧げようか。
いつか去りし日の君よ、今、私は伝えたいことがある。
君は、私と同じ空が見えているか。
もしも見えていないなら、それで良い。
素敵な物語、最後まで書いた物語。君は、かつて新人賞に応募した、〆切のギリギリまで粘って頑張って書き上げたあの小説のことを覚えているか。それで意を決して応募したものの、全く相手にされなかった、あの涙だらけの短編の物語を覚えているか。そんな素敵で、最後まで初めて頑張って書き上げた物語を、覚えているか。
もしも忘れているなら、今の私が覚えているから、それで良い。
私は、何もかもができなくて、ひとり、
それでも私は、これからも物語を書こう。
昔の君が、今の私が書いた言葉で、今の私が見たあの美しい空を、それと全く同じ物を分かち合えるようになれる、その日まで。
了
ある物書きの心情と信条。 至璃依生 @red_red_77
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