5-8.「身体によい薬草を混ぜた野菜炒めでも作りましょう。そうして元気を出すのも、仕事のうちですから」

 呪術の根幹は、人を呪う負の感情にある。

 嫉妬、羨望、憎悪、恨みつらみ。

 感情の質は多々あれど、その根源は他人に対する害意そのもの。


 必然的に、その術の発動条件もまた縛られる。


「呪術の中には、呪うべき対象に近づいたときにのみ発動するものがあります。東の紛争時によく使われていたのは、アストハルト王国の住人が触れた時にのみ発動する毒素――これは特定の国家を対象とするものですが、そういった条件式の呪術が多く使われました」


 逆にいえば、呪術は相手を呪う気持ちがなければ著しく効果が落ちる。

 魔力を込めずに放った魔術のように、いわゆる、ふぬけた術に成り果てるのだ。


「……その中で最も一般的なのは、呪うべき対象を特定の人物、とした場合です」


 シノの瞳が僅かに見開き、小さな唇が噛みしめられる。

 独王貴族として過ごした日々の長い彼女なら、人の怨嗟がどれ程恐ろしいかは理解していることだろう。


「今回用いられた呪術は、シノ様に対する呪いそのもの。シノ様の居場所を特定できたのも、その呪いに込められた力によるものでしょう。そして、対象者に近づいたことで発動条件を満たし、爆発した」

「……ヴェーラ嬢が、裁判を起こした私に、恨みを?」

「その可能性は低いかと。むしろ彼女は騙された側であり、何も知らなかったと思います」


 呪術は強力だが、ひとつ致命的な欠点がある。

 ”人を呪わば穴二つ”という言葉に代表されるように、呪術は発動した自身をも巻き込んでしまうケースが多い。


 優れた術師ならそれを回避する術も持つが、お世辞にも、ヴェーラは優れた術師とはいえない。

 しかも呪術に関しては、まさに素人と呼んで差し支えないだろう。


「では、先生。ヴェーラ嬢はどのようにあの呪術を?」

「何者かにそそのかされたのでしょう。例の医療裁判を釣り餌に、シノ様の元に会いにいくにはこれを使えば良い――彼女は何も知らず呪いの運び手となり、巻き込まれたわけです」


 推測ですけどね、と、クラウは念のため付け加えたものの、おそらく当たっているだろう。

 性格的に考えてもヴェーラ嬢が危険物を持ち込むとは思えず、それ以上に――もし真実を知っていれば、あのガルシア局長が許すはずがない。


「……もっとも、所持者がヴェーラ様だったお陰で助かった、ともいえます」

「どういう意味でしょう?」

「呪術は、発動者が対象者を恨んでいなければ効果が著しく減少します。そして、ヴェーラ様はシノ様を疎んではいたのでしょうが、呪う程ではなかった。そもそも他人から渡された呪いでは、効果が半減するのも必然です」


 ゆえに、クラウはシノを無傷で守り通すことが出来た。

 さらに至近距離で爆発したにもかかわらず、呪詛を掴んでいたヴェーラ当人すら救命できたのだ。

 いくつもの呪術を目の当たりにしたクラウからすれば、破格の弱さである。


 シノの形のよい眉がすっと寄せられ、表情が曇る。


「……だとしますと、私に仕掛けを行った張本人は、大変に卑劣な性格であると呼べますね」

「ええ。付け加えて、此度の呪術にはもうひとつ特徴がありました。エリス=エーデルリス嬢にかけられたものと同一だった点です」

「え?」

「つまり、犯人は同一人物。――となると、犯人はシノ様の心当たりがある方かもしれません」


 王都にて当時貴族院の学生だったエリスに呪いをかけ、此度、シノに呪いを届けた人物。

 経歴からして王都にいる王独貴族で間違いなく、シノの身近にいて、かつ貴族院に通える年代の近い者――或いはその近親者と考えれば、相手を絞るのはそう難しくない。


 クラウは彼女の心労を慮るように、そっと、自らの手を彼女の甲に重ねながら続ける。


「その上で、シノ様にお尋ねしたいのです。……これから、どうしますか? 今回の件で、自分達の居場所が相手方にバレた可能性もあります」

「それは……」

「もちろん、自分達はいま実質アルミシアン領主の保護課にあり、エーデルリス家にも協力を仰げる立場です。一言伝えれば、お守りして頂けるかもしれません。が、先方も黙ってはいないでしょう」


 すぐに手を出してくる訳ではないだろうが、放置はできない。

 かといって王都に出向き、犯人を問い詰めたところでしらを切られるだけだ。

 それに、シノの身の危険も増すだろう。


 シノは、ゆっくりと瞼を閉じて。

 しばらく考えたのち、ハッキリと、クラウを見つめて宣言した。


「お話は、理解しました。……もしかすると、私はこの地を去った方が良いのかもしれません。……が、先生には申し訳ありませんが、私は今しばらくここに留まりたいと考えます」

「分かりました」

「……宜しいのですか? そんなに簡単に、決めてしまって」

「シノ様がお決めになったことですから。それに、別の土地に越したからといって、身の安全が保証される訳でもありません」


 この地に留まれば、アルミシアン領主やエーデルリス家との繋がりもある。

 エリス様の治療もまだ途中であることを考えると、クラウとしてもおいそれと離れるには惜しい。


 それに……。


(結局は、どこに逃げても犯人との対決は避けられない)


 シノに対し、呪術を遠慮なく放ってくるような相手を放置すれば、将来にわたって遺恨が残る。

 であれば逃亡先で怯え続けるより、きちんと防御を構築し守りを固めた方が良いだろう。

 幸い、クラウには幽術という彼女を守る技術もある。


 その上で、クラウには……おそらくシノもだが、犯人の目星はついている。


(相手はおそらく、シノ様のとても身近にいた人物。両親、あるいは兄弟姉妹のいずれか。でなければ、シノ様に対する呪術を組み上げること自体、困難なはず)


 エリスの病も含め、いずれ、今回の件には決着をつけなければならない。

 クラウはまだ見ぬ敵への対処をどうするべきか、じっと見定め始める。


*


 そんなクラウの様子を、シノは澄んだ瞳でじっと見つめていた。


(相変わらず、先生は先生です。……いつも、他人のことしか考えていません)


 シノから見たクラウは、ひとつ、重大なことを見落としている。

 シノの事件にクラウ自身が巻き込まれ、被害を受ける可能性だ。


 ……術者の目星は、シノにも当然ついていた。


 カテリーナ=ウィノアール。


 両親という可能性もなくはないが、根が臆病な実父や義母がそのような選択肢を採るとは思えない。

 きっと今もそわそわしながら、実家でシノの帰宅を待ち望んでいることだろう。


 けれど義妹カテリーナなら、実家にバレて大騒動になる前にシノを始末し、何事もなかったかのように過ごす……なんて発想に至ってもおかしくない。


 正直にいえば、シノもカテリーナがそこまでするとは想像していなかった。

 その騒動に、クラウを巻き込んでしまうことも。


(先生の身であれば、一人でどこででも生きていけるでしょう。なんでしたら、私を捨てて王国の外に出ても良いのに)


 彼の実力なら十分可能だろうし、その方が効率が良いことも、シノには分かる。

 なので、迷惑をかけた自分の側からすれば……むしろ、彼に自分の元を離れるよう忠告するのが、筋の筈。


 にも関わらず、シノはきゅっと自身のスカートを握り、口を閉ざす。


 ――言葉にするのを拒んだ理由は、シノ自身のワガママだ。

 彼にとって有益だと理解しながら、自分の都合を優先して黙り込む様は、知る人が知れば卑怯だと罵るだろう。

 それでも。


(……頭では、分かってはいるのですが)


 先の呪術爆発事件のとき、クラウはとっさにシノを庇ってくれた。

 自分の身だけを守ることもできたのに、躊躇なくシノの前に身を挺し、完璧に守り抜いた。


 その背中が、とても格好良かったから――

 なんて理由は、決して口に出してはいけない。


(最初はただ、先生と自由に過ごせればいいな、と思っていただけなのに)


 手のひらを握り、自身のなかで渦巻く感情を持て余しながら、首を振る。

 自分がいま抱えている感情が何なのか、分かるような分からないような……或いは、自分でも自覚したくないような、という意識を漂わせながら、シノは未だ考え込むクラウを伺う。


 彼は真剣に、将来について考えているのだろう。


 シノを守る方法。

 相手の呪いを遮り、シノの安全を確保する方法。

 そんな思考が容易に透けて見えて、だから、シノは困ったように頬を掻く。


(本当に、この人は)


 そこまで自分が深く想われていることに、シノは身に覚えのない、じんわりとした感情を抱きながら――自分でも何とかしてみよう、と心に決める。

 ウィノアール家との軋轢、その原因を作ったのは自分自身だ。

 なら、クラウと共に過ごすためにも、逃げているだけでなくきちんと自分で決着をつけなければ。


(まだ方法は分かりませんが。必ず)


 ひとつ小さく呼吸を挟み、シノはクラウを見つめて微笑む。

 ……考えることも、大切。

 だけど、いまは自分にできることをしよう、と決めて。


「先生。とりあえず、帰宅して夕食に致しませんか? 今日一日、色々ありすぎてお疲れでしょう」

「……確かに、そうですね。失礼しました」

「いえ。良ければ、身体によい薬草を混ぜた野菜炒めでも作りましょう。そうして元気を出すのも、仕事のうちですから」


 今日一日、お世話になり頑張ってくれた先生に、ちょっとでもお返しを込めて。

 それが、この地を訪れて掴んだ日常なのだと噛みしめながら、シノは鼻歌交じりに自分達の住処へ向かう。



 ――考えるべきことは、沢山ある。

 けど今日はまず、お疲れだった先生にご馳走を振る舞おう。


 敬愛する先生に、今日も美味しいご飯を食べてもらい、ゆっくりとお休み頂いて。

 また明日からきちんと仕事を頑張り、日々を生きる――それが今の私達に出来ることだと思いながら、シノはクラウと共に自宅の扉をゆっくり、開いた。


 今日は散々だったので、明日はよい一日になりますように。

 そう、心の中で優しく願いながら。



――――――――――――――――――――――――

一旦ここで一区切りです。ここまでお読みいただき有り難うございます。

宜しければご評価、レビュー等頂けると幸いです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

先生、私と結婚しませんか? ー追放された魔薬師は、逃避令嬢とともに辺境地にて薬屋になるー 時田唯 @tokitan_tan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ