5-7.「シノ様。ひとつ、大切なご報告があります」

「そもそも、先生が謝ることではありません。先生は先生のお仕事を成されただけ……というより、仕事ですらありませんけどね」

「ですが、自分が先の件にて、シノ様より他を優先したのは事実です。それは申し訳ないな、と」

「もうっ。何度も話していますけど、気にしなくて構いませんよ」


 月明かりの下、のんびりと二人で帰宅する道すがら。

 薄明るい魔術街灯に照らされたシノの表情は、おぞましい呪術爆弾事件があったにも関わらず穏やかだった。


 まっすぐにこちらを見つめ薄く微笑むその表情を、クラウは素直に、美しいな、と思う。


「それに、先生のそういう気質があるからこそ、私が今こうして生きているわけですし」

「……と、言いますと?」

「私が以前助けられた時も、先生は魔薬師であるにも関わらず、瓦礫の下敷きになっていた私の元に駆けつけてくれました。それは先生の持つ、誰が相手でも助けるべき、という信条があったからかと思います」


 それは、クラウの記憶にない記憶。

 当時は爆発事件など当たり前のように相次いでいたため、彼女との出会いは、記憶の彼方に消えてしまったが――シノによれば、当時の自分もまた、いまと同じ行動をしていたという。


 相手が誰であろうと関係なく、一番、人命が救えそうだから救ったのだ、と。


「だから今回の件で改めて、先生はやはり先生なのだな、と再認識した程です。本当に、先生はお優しい方なのだな、とも」

「……いえ、自分はべつに、優しくなどありません」


 ――それは、彼女の誤解だろう。

 クラウはただ、己の仕事に忠実なだけだ。


 いや。

 今日は仕事ですらなかったので、どちらかといえば条件反射――餌があれば食いつく魚のように、倒れている人がいたから助けた、それだけの話だ。

 クラウ自身の本能に基づいた行動であり、決して、優しさとは異なるもの。


 彼女は誤解している、とクラウはふるりと首を振る。


「……シノ様。本当に心優しい人間は、もっと正しい行動をするものだと思います。爆発事件が起きたなら、まずは家族を守る。赤の他人を優先し、守るべき人を守らないのは、優しさではないと自分は考えます」

「そうでしょうか? 私はそうは思いませんけど……それに、先生はあの時、迷われたでしょう。私を守って身を引くか、局長達を助けるか。その迷いは、先生の優しさそのものと言えませんか?」

「それは解釈の違いです。自分はあの時、ただ、判断に迷っただけです」

「でも私は、それを先生の優しさだと考えます。ふふ、解釈の違いというやつですね?」


 くすくすと上品に笑う彼女には、相変わらず華がある。

 さりげなく口元を隠す仕草も、純粋にクラウを見つめる宝石のようにきらめく瞳も自然でありながら洗練されていて、彼女がもともと高貴な身分であることを改めて感じさせる。

 ――本当に、魅力的な方だと、改めて思う。



 彼女と出会って、はや数ヶ月。

 クラウは彼女に手を引かれ、この地にやってきた。

 王都を飛び出し、新天地で店を構え、二人で薬屋を起動に乗せる――クラウの想像すら出来なかったことを易々と成し遂げてしまう少女が、クラウのことを「優しい人だ」と褒めてくれる。


 ともすれば、勘違いしてしまいそうになるが――

 否。

 クラウは、そんな人間ではない。

 自分でも何故そんなに意地を張ってしまうのか分からないが、彼女の発言にはどうしても、……納得がいかない。


「すみません、シノ様。やはり自分には、納得できません。自分は、優しい人間でなどありません」

「そうでしょうか?」

「ええ。そこはご理解頂ければと――」

「では、逆の立場だったらどう思われますか?」


 ふふん、とシノが人差し指を立て、謎かけのように問いてきた。


「仮に、先生と私の立場が逆だとして。私が先生を放っておいて、他の人を助けにいったら、先生は私を、なんて薄情な人だ! と怒りますか?」

「いえ、そんなことはあり得ません。むしろシノ様らしいなと」

「でも私は、大切な先生を放っておいて赤の他人を助けにいった、酷い女ですよ?」

「そんなことは……」

「――と、先生はご自分のことを仰っているわけです。自分は優しくない、無慈悲な男だ~、と」


 それって通じますか? と言われると、クラウはぐぅの音も出ない。

 確かに、逆の立場になってみるとそうだが……。


 反論がなくなったと見てか、シノが困ったものだとばかりに眉を逆立てて。


「先生は、ご自身を顧みなさすぎるのです。他の人がしていることなら、優しい人と仰るのに、自分が成されていることには自覚がない。もう少し、ご自分のしていることに自覚を持たれた方が良いかとは、思います」

「……そう、でしょうか」

「ええ。今回の事件も、振り返ってみてください。結果をみれば先生は私を守り、呪詛に倒れた二人を救い、アルミシアン領内で起きた呪術テロ事件の被害をゼロに抑えた。客観的にみても、素晴らしい成果と呼んで差し支えありません」


 シノに改めて言われると、何だかむず痒い。

 自分は決して大したことはしておらず、出来る仕事をこなしただけなのに。


「誰かに頼まれた訳でもなく、倒れている人を見捨てられずに助ける。これを優しいと呼ばないのであれば、私は優しさという言葉の定義を疑いますね」

「そこまで、言うことはないと思いますが」

「先生にはきちんと言わないと、ご理解頂けないようなので。……少しは理解出来ましたか?」


 ふふ、と笑いながらクラウの反論材料を潰していくシノ。

 医学のことなら反論できても、私事となるとまったく言い返せなくないクラウは黙り込むしかなく、かといって自分が優しい人間だとは認められず、固まってしまう。


 そんなクラウに、シノはぐずる子供を甘やかすように微笑んで。


「それに、先生には大事な視点が欠けています」

「……何でしょう」

「先生ご自身の、お気持ちです。先の呪術事件にて、私も、領主様をはじめとした皆様も、ガルシア局長やヴェーラ様も大変だったかと思いますが……一番大変だったのは、先生でしょう?」

「いえ。自分はただ、やらなければならないと感じたことを、しただけで――」

「それでも、最も働いたのは事実です。……私なんか、ただ呆然と立ちすくみ、助けられただけにも関わらず、今思い出しただけでも足が震えそうになりますもの。それを思えば、呪術の影響が残る現場に飛び出していった先生の心労は、察するに余りあります」

「…………」

「その恐怖を乗り越えてでも人のために働く方は、まさに優しい方――と言えませんか?」


 少なくとも私はそう考えます、とシノが笑い。


 いつの間にか彼女がクラウの側に近寄り、こちらをじっと見上げていた。

 長くたなびく亜麻色の髪が顔を上げたことで逸れ、綺麗なラインを描く睫が露わになる。


 ごく自然な動作で、彼女がするりとクラウの腕を取り――そっと、肘を絡めてくる。

 クラウはつい、呼吸を失う。


「……シノ様?」

「私も、経験としては不足しているのですが。知識として、大変だった時はこのように寄り添われると、心が落ち着くと聞きました。……すこし、照れくさいですけどね」


 彼女がそっと身体を寄せながら、恥ずかしさを隠すように俯いた。

 それでも、身近に感じるシノの熱は、クラウの呼吸を乱し。


 年甲斐もなく戸惑い、反応に困ったクラウがまず考えたのは――言い訳だった。


 彼女はなにか、勘違いをしている。

 別段、クラウは困っている訳でもなければ疲れている訳でもない。

 自分が心優しい人間であるかはともかく、彼女に支えられる程に弱っているかと問われれば、否だと言える。


 別に、自分に励ましや優しさなど、必要ない――

 そう思うのに、 妙にむず痒く、心が柔らかく揺さぶられるような感触は、何なのだろう。


 クラウは、人前で心境を露わにすることがない。

 クラウは魔薬師であり一医療人であり、たとえ難癖をつけられようと理不尽な命令を受けようと、やるべきことはやるしかないと考える性格だ。


 その内側に、目に見えない感情をどれだけ抱えていようとも。

 仕事だからの一言で心をねじ伏せ、いつも通りの治療を行える、そんな人間になりたいと常々思っているし、それが出来ない自分に対する歯がゆさを覚えている程だ。


 断じて。

 彼女に寄り添われ、その拍子にうっかり弱音を零してしまうような。

 そんな弱い人間にはなりたくない、と、常々思っているはずなのに――


(なのに、妙にむず痒い)


 日頃から、彼女の行動にはこそばゆさを覚えていたが、今日はその比ではない。

 クラウという人間の本質を、底からひっくり返してしまうような、ある種の恐怖にも似た感覚――かといって、彼女を無理やり引き剥がすこともできず、クラウは胸の痛みを抱えたまま沈黙を貫く。


 その頑なな態度を、シノはあっさりと貫いてくる。


「……先生。じつは私も、人前で泣くなと教えられ育ちました。大切なのは家の体面であり、私個人の感情など二の次だ、と。親や家族の命令は必ず聞くべきと言われ、とても、つまらない人生を生きてきました」

「……シノ様」

「そんな自分に嫌気がさしていた時に、私は先生に助けられたのです。……私は、先生にとってはただの一患者に過ぎなかったかもしれませんが、私にとってあれは大きな出来事でした」


 ですので、ささやかながら恩返しをしたい。

 シノが囁き、クラウの中で堅く塗り固められた何かに、ちいさな亀裂を走らせる。


「まあ、それは理由の半分ですけどね? もう半分は、先生を言い訳にして、家を飛び出したかっただけですけど」

「……そっちの方が、自分には有難いです。百パーセントの善意より、私欲に満ちている方が理解しやすいので」

「それは良かったです。そして、私の見立ては間違っていませんでした。先生って自覚がないようですけれど、王都の者でも作れない魔薬を作れる、凄腕の職人様です。……命の恩人でなくとも、将来とても有望な方なのですよ?」


 くすくすとシノが笑い、そっと、クラウの元から離れていく。

 茶化すような物言いになったのは、もしかすると、シノも恥ずかしかったのかもしれない。


 同時に、空になった腕の熱を些か寂しく思いながら――


 クラウはふるりと首を振り、改めてシノと向き合い。

 僅かに、表情を自覚して引き締めた。




 ……感傷に浸るのも、良いけれど。

 先に、自分に出来る事をきちんとしておこう。そう考え、口を開く。


「シノ様。ひとつ、大切なご報告があります」

「まあ。何でしょう?」

「あまり耳に挟みたくない情報かとは思いますが、今後のことについて、です」


 あえて、このタイミングで語る必要がなかったと言えば、そうだろう。

 しかし、クラウとしては彼女の好意に心を揺さぶられ、気が動転してしまわないように――あえて今、語っておくべきだとも考えた。


 クラウとシノが、アルミシアン領にて生活を続けていくためにも、無視できない事実。

 つい先程エーデルリス家にも伝えてきた、今回の事件の全容について。


「先の、領主館で起きた呪術爆発事件。あの正体を、自分は――」


 クラウは一つ唾を飲み、けれど逃げず、彼女に語る。


「シノ=ウィノアール様に対する暗殺事件である、と、考えています」

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