5-6.「そういうところが、先生らしいから、私は先生をお慕いしているのですから」
呪術特有の黒い泥のようなものに塗れた二人を見比べたクラウは迷うことなく、ガルシア局長の下へと駆け寄った。
局長の方が重傷だったから、ではない。
その逆――局長のほうが、助かる見込みが高かったからだ。
(呪詛の爆発物は、ヴェーラ嬢が手にしていたアクセサリ。至近距離で爆発をうけた彼女は、おそらく……)
その先を考えることなく、クラウは手元の薬袋から魔力回復用の魔薬を掴む。
呪術による攻撃は物理的な側面においても強力だが、それ以上に厄介なのが体内を蝕む呪いだ。
呪いの種類にもよるが、大抵は被害者本人の魔力を食いあさり、魔力枯渇状態に陥らせ人体の免疫力を大幅に低下させる。
そうなれば呪術とは無関係の感染症にやられ、手遅れになる、というのがよくあるケースだ。
うう、と、朦朧としながら声を漏らす局長の巨体をなんとか持ち上げ、その口元に無理やり魔薬を飲ませようとするクラウ。
が、
「っ……何を……しているのです……!」
かろうじて意識を取り戻したガルシアが、クラウの魔薬瓶を弾き飛ばした。
巨体を野良猫のようにねじり、暴れさせバシバシと床を叩きながらクラウを叱るガルシア。
まずい。爆発による錯乱か。
「ガルシア局長。これは魔力回復のための薬で」
「いりませんわ、ああもうこの愚図! 何をしているのです、わたくしに何をしているのです!? 違うでしょ、違うでしょう!」
いいから落ち着け、と、クラウは半ば無理やり飲ませるべきかと、腕に力を込め――
「いい加減になさい、この馬鹿! 助けるべきは――わたくしではなく、ヴェーラが先でしょう!」
「っ……それは、」
「わたくしのコトなど後回しにしなさい、この愚図! ああ、ヴェーラ、ヴェーラっ……!」
クラウの薬を拒否し、ふーふーと豚のように声を荒げるガルシア局長。
はち切れんばかりに着込んだドレスの隅々まで呪詛に塗れ、興奮のあまり瞳を充血させながらも、彼女は這いずるようにヴェーラの元へと向かっていく。
(この方は、本当に)
高慢にして傲慢。
己を被害者としてしか扱えず、他人に八つ当たりしてばかりの彼女は、けれど――
娘への愛情は、激しく歪んではいながらも、紛れもない本心だった。
「――――」
クラウは僅かに迷うも、ガルシアの治療を中断。
先にヴェーラを治療しなければ、ガルシア局長は意地でもクラウの治療を拒むだろう。
(だが、ヴェーラ様の治療は……)
改めて、クラウはヴェーラ嬢の元に膝をつく。
至近距離で爆発の直撃をうけた彼女は、すでに駆けつけた治癒術師の回復を受けていながら、意識は戻らない。
その身体のあちこちに黒い固まりがへばりつき、彼女の汚染度合いの深刻さを物語っている。
(呪いの型が分からないことには、対処が難しい)
魔薬による魔力回復は、言うなれば対処療法に過ぎない。
だが、他に出来ることもない――
クラウが奥歯を噛みしめたその時、ふと、爆発の煙に混じって、喉に張り付くような甘さを覚える。
呪詛特有の、ぬめった匂いだけではない。
僅かに甘ったるく、嫌味と憎悪に満ちたこの粘つく感覚は……何故か、覚えがある。
クラウは手元の薬袋に手を滑らせる。
指先に掴んだ青色の魔薬瓶は、先日行った治療の後たまたま袋に入れっぱなしにしていた薬――エリスの治療に用いた、夏夢草を原材料にした呪詛の緩和薬だ。
夏夢草は、それ自体が呪詛に対する緩和効果を持つ。
とはいえ、エリス用にチューニングした薬であり効能は薄いはずだが――……
(この匂い。もしや、同じものか)
クラウは半信半疑のまま薬をヴェーラに振りかけ、目を疑った。
じゅう、と黒いヘドロが煙をあげ、不思議なほどに消えていく。
戸惑いつつも、好機を逃すクラウではない。
幸運なことに、彼女が浴びた呪詛はその多くが肌にへばりついた外的なものだ。エリスのように体内で凝縮された呪詛でないため、薬を飲ませずとも振りかけるだけで改善できる。
そして呪詛さえ取り払うことができれば、治癒術師による回復や魔薬による魔力回復も行える。
クラウは慎重に、薬をゆっくりと零し呪いを払った。
幸いにして量は何とか足り、苦しげに唸っていたヴェーラの表情が和らいでいく。
「ああ、ヴェーラ、ヴェーラ! わたくしの愛娘はどうなのです……っ!」
「……ご安心ください。これなら、助かる公算が高いです」
「っ、それは本当なのですねっ!? あなた、嘘を言うようなら――」
「それよりも、後は局長様の治療を行いましょう」
まだ騒がしく暴れるガルシア局長に、クラウは残りの薬を振りまき呪いを解いていく。
……思う所がなかった訳ではないが、愛娘を想う母親を放置するわけにはいかない。
クラウは一つ息をついて解呪を完了し、余りの魔薬を手に掴む。
ガルシア局長からは最後まで礼のひとつも出なかったが、これも仕事だ、とクラウは薬を彼女に手渡した。
*
幸いにして――他に、大きな怪我人はいなかった。
爆発したのが館内の廊下であり、祭事の準備中だったのが幸いしたのだろう。あれがもし祭事の最中で爆発していたら、……被害の規模は想像したくもない。
本件を受け、アルミシアン領主は安全のため本日の祭事を即時中止。
犯人を必ず突き止めると宣言したのち、豊夏祭は後日あらためて行われる運びとなった。
クラウは領主お墨付きの治癒術師に、簡単な経緯を説明する。
呪術について詳しい者は少ないため、もし症状などがあったら連絡するよう伝達したのち、その足で次はエーデルリス家へ。
念のため、ハルモニアを始めとした本領のお偉い様方にきちんと現状を説明し――ないとは思うが、シノが今回の件に関わっていないことを改めてお伝えした。
付け加えて、今回の件に関するクラウの考察――犯人像も含めて伝え終えた頃には――
既に、夜も遅く更けていた。
(しかし……本当に、これで良かったのだろうか)
帰路を歩きつつ夜空を見上げ、ふと、クラウは今日の出来事に思いを馳せながら思う。
……自分はやはり、冷たい人間なのかもしれない、と。
あの時。
シノを守ると心に決めながら、結局、他人を優先してしまった。
しかも相手は、クラウと散々もめ事を起こしたライラック家の局長様と、その娘さん。
シノとはまさに正反対、敵対しているとも言える相手をシノより優先したことは、人命救助の観点から考えれば正しいものの――彼女に対して、申し訳ないことをしたな、という気持ちは拭えない。
(シノ様は、しっかり見送ってくれましたが……決して、よい感情は抱かないでしょう)
言動と行動の不一致は、クラウのもっとも嫌う行為の一つだ。
口だけの人間を幾度も見てきた身として、自分はそうなるまい、と心がけていたつもりだが、いざという時の弱さはどうしても出てしまう。
さらに悩ましいのは、今後もし、同じシチュエーションに陥った時――
クラウはまた同じ判断をしてしまうかもしれない、ということだ。
口では彼女を守るといいつつ、実際には他の者を優先する。
……今後、シノと他の者の命を天秤にかける事態が起きたとき……。
自分は本当に、シノの身を守れるのだろうか?
なんて考えると、クラウはうっすらとした自己嫌悪に苛まれ、足取りが重くなる。
いつも彼女の世話になっている身として……
本当に、このままで良いのだろうか?
と、月明かりに目を細めながら溜息をついた、クラウの前を。
ひらり、と、薄い花びらのような何かが、横切っていく。
ふわふわと不規則に羽ばたき、月明かりを零しながら羽ばたくそれは、よく見ればちいさな蝶だ。
もちろん夜間に輝く蝶などおらず、クラウはすぐに月の精霊だと気づく。
珍しいなと視線で追えば、その先にあるのは、見覚えのある人影。
月明かりを背にまっすぐ影を伸ばした彼女はいつものように亜麻色の髪を揺らし、にこにこと微笑みながらクラウを迎えてくれるものだから、先程の罪悪感がちくりと胸を刺す。
「すみません先生、遅いのでお迎えに参りました」
「……危ないですよ。こんな夜分に」
「大丈夫ですよ。この子が教えてくれました、迎えに行ってあげないと寂しいですよって」
ふふ、と彼女が指先に月明かりをまとう蝶を留まらせたのを見て、クラウが僅かに驚く。
月の精霊は気まぐれな存在だ。
それを呼び寄せるのは、クラウでもそこそこ苦労するのだが……。
「シノ様が、呼ばれたのですか。月の精霊を」
「いえ。実はこの子の方から、呼ばれた気がしたんです。先生を迎えにいってあげてください、と」
「精霊からそう感じたということは、シノ様は精霊の話に耳を傾けられている、ということですよ」
「本当ですか? それは嬉しいですねっ」
弾んだように声をあげるシノ。
月光の下でも眩しい笑顔を輝かせる彼女に、クラウは、……やはり黙っておくのは失礼かと考え、帰路をゆるりと歩きながら、彼女に改めて今日のことを謝ることにした。
「シノ様。この度は誠に、申し訳ありませんでした」
「へ? ええと、何の話です?」
「シノ様を放り、ガルシア局長達を助けたことです」
あの場で本当にシノの身を案じるなら、彼女と共に逃げるべきだった。
人命の優先度を考えれば、クラウの判断は間違ったものとは言えない。
シノも了承した上で、見送ってくれた。
それでも、彼女に非礼を働いた事実に変わりはない。
「シノ様を守りたいと思っていたにも関わらず、優先順位を違えたことについて、申し開きはありません。魔薬師としての仕事を優先したといえば聞こえは良いですが、単なる責任のすり替えに過ぎません」
医療人だから、人命を優先した。それは一方的な言い訳だ。
考えようによっては彼女を裏切ったともいえる行為なので、恨まれても仕方ない――と頭を下げるクラウに、シノはぽかんとしたまま小首を傾げ。
遅れて、クラウの言いたいことを理解したのだろう。
その唇がゆっくりとつり上がり、いつもの微笑へと形を変えるまでそう時間はかからず。
もうっ、と可愛らしい声をあげてクラウの側に近づき、内緒話を囁くように、囁く。
「謝る必要なんてありませんよ。そういうところが、先生らしいから、私は先生をお慕いしているのですから」
彼女を見れば。
シノは困った子を見守るように眉を寄せ、口元に手を当てとても上品に笑いながら、「心配性ですね」とクラウに柔らかく笑ってくれた。
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