5-5.「先生、私は大丈夫です。お二人を助けましょう!」

 一介の魔薬師に過ぎないクラウは、紛争に従軍していたとはいえ戦闘経験がある訳ではない。

 それでもかの地で数年を過ごせば、望む望まないにかかわらず反応できるようになるのは、一種の皮肉か。


 何はともあれ――クラウの反応は、呪詛の炸裂に追いついた。


 白くもふもふした巨大きのこを、盾のように展開。

 ぼふん、と少々間の抜けた音とともに、傘の部分を前方へと突き出すよう広げた直後、



 大地を揺らすほどの爆発が、アルミシアン領主館に重く響いた。



「……っ!」


 呪詛特有の、黒いヘドロのような陰湿な魔力が煙となって舞い上がり、ぬるい熱波のような感触がクラウの肌にへばりつく。

 熱と風、そして呪いが肌を焼く感覚を覚えながら、クラウは呼吸を止めつつシノの口元にハンカチをあてがった。

 散った魔力を取り込まないようにと指示を出しつつ、傘を構えつつ数歩下がる。


 幸か不幸か、呪術の威力そのものは記憶にあるものより数段低い。

 爆発は窓を割り、廊下のあちこちに黒い染みを飛び散らせたものの、床や天井をひしゃげさせるような事態には至っていない。


 警戒を解かず、シノを伺う。

 大人しくハンカチを口元に当てられた彼女は、まるで呼吸も忘れたように呆然としていたが――呪詛そのものは、浴びていない。大丈夫だ。


「シノ様。大丈夫ですか」

「…………」

「シノ様」

「っ! す、すみません。……でも、これは……」

「何者かによる、呪術攻撃です。しかし幸い、威力は大したことがありません。……そのままゆっくりお下がりください。慌てると呼吸が荒くなり、呪詛を取り込んでしまう可能性がありますので、ゆっくりと、落ち着いて」


 パニックに陥り、慌てて逃げたせいで転ばれては目も当てられない。

 実際、紛争時にもパニックになったせいで階段から転げ落ちた事例もある。


 身をすくめながらも指示に従う、シノ。

 ぎゅっとクラウの服を掴み、青ざめながらもしっかり意識を奮い立たせようとする姿は、本当に頼もしい。


(本当に、お強い方だ)


 ……彼女が、的確な対応力を持っていることに感謝しつつ、クラウも揃って足を引く。


「シノ様、このまま退避します。幸い追撃はなさそうですが、この場に留まる理由はありません」

「は、はいっ」

「……安心してください。あなたは、自分が守りますから」


 彼女を庇いつつ、大丈夫だ、と自分に言い聞かせるクラウ。

 今は、紛争ではない。

 不意の爆発に続き、怒号のように攻めてくる東の部族はいないのだ、と、クラウは緊張する自分にそう言い聞かせつつ、シノと共に身を引こうとして、


 しかし。


「……っ」


 魔薬師であり、一介の医療人でもあるクラウの視界にその姿が見えたとき――思わず、意識が悲鳴をあげた。


 呪詛の影響により黒ずみ、焦げ付いた壁や床。

 その中心に倒れる二つの人影に――ぐっ、とクラウは反射的に足を止める。


 未だ黒い煙がもうもうと立ちこめるなか、倒れているのは、呪詛の原因たる張本人。


 ガルシア局長と、その愛娘ヴェーラ嬢だ。


 彼女達がどうして呪術の爆発を起こせたのか。

 理由は知らない。どうせ、ろくでもない話だろう。


 だが、だからといって彼女達を放置して逃げて良いわけではない――それ以上に魔薬師として、一医療人、として倒れた者を助けないのは。

 クラウの、本能に反する行いだ。


 ……だが、と、クラウは迷う。


(それでは、シノ様をお守りできない)


 まずは彼女を安全な所に。いやしかし、呪詛の対処は一刻一秒を争う。

 もし手遅れになったら――だが、それで万が一シノに何かがあったら――けれど、周囲を観察する限り呪詛の追撃はない、処置はできる――だが――


 身体を動かさないのは、最悪な中途半端だ。

 そう分かっていながらもクラウは迷い、その末に、まずはシノの安全を確保すべく彼女の手を取ろうとして、



 ぱしん、と。



 小さく弾ける音に、クラウははっとする。

 シノがクラウの前で両手を叩き、矢を射るように、


「先生、私は大丈夫です。お二人を助けましょう!」

「……しかし」

「私も昔、そうやって先生に助けられました。危険性がないなら、お二人を助けるべきです」

「っ……」

「私だって怪我人くらい運べます。昔、先生に手伝ってと言われたくらいですし……!」


 クラウの目を覚まさせ、怒鳴りつけるように叫んだシノの声は、しかし小さく震えていた。


 表情は硬く、青ざめながらも気丈に振る舞う様は明らかに無理をしていて。

 彼女だって、怖くないはずはない――それでも力強く放たれた道に、クラウが方針を決めたその時「何事だ!」と怒号が響く。


 館の衛兵に紛れ、見覚えのある長身の男を目のあたりにした瞬間、クラウは覚悟を決めた。


 ――やるべきことは、一つ。


「ハルモニア様」

「……魔薬師クラウ、それと、ウィノアールの娘。これは何事だ?」

「私にも分かりません。しかし何らかの理由で呪術による爆発が起き、お二人が巻き込まれた形です」

「呪術だと!? 何故そのような忌まわしきものが領内に……!」


 その件については、推察があるが――その話は、後だ。


「お願いがございます。シノ様を、安全なところにご案内頂けますようお願いします」

「何だと? 貴様、この俺に、ウィノアールの娘を守れと……?」

「自分は怪我人を診ます。どれほどお力になれるかは分かりませんが、出来る事は、いたします」

「っ、待て――」


 クラウは彼の承認も取らず、シノを伺う。


 ウィノアール家の娘であるシノと、ハルモニア氏との間に確執があることは、理解している。

 が、彼女が私情を挟むような人間でないことは理解しているし、おそらく、彼も――


 半ば願望に近いものを抱きながら、クラウは己の薬袋に手を滑らせる。


「お願いします、ハルモニア様。……それに、シノ様が万が一呪詛に汚されようものなら、エーデルリス家としても困るでしょうし」

「……先生」

「安心してください。別に、無茶をする訳ではありませんので」


 これは、単なる状況判断の結果だ。

 クラウが手早く治療を行ったほうが救命率が高く、シノは安全な箇所に避難したほうが後々問題が拗れない。

 それに、彼女の身の安全を先に確保した方が、クラウとしても心置きなく仕事ができる。


 クラウがそっと笑うと、シノも意図を理解したのだろう。

 きゅっと唇を結んで下がり、お願いします、と、クラウに小さく頭を下げた。


「無茶はしないでくださいね、先生」

「ご安心ください。自分は仕事が嫌いなので、嫌なことはすぐ終わらせます」

「それは嘘だと思いますけれど」


 苦笑を零したシノが、渋い顔をするハルモニアに連れられ廊下を後にする。

 その背を一瞬だけ見届けた後、クラウはすぐさま倒れた二人に近づき、膝をつく。





 怪我の方は――どちらが重症か、一目で分かった。

 ガルシア局長は、おそらく呪術に巻き込まれた側だろう。

 皮膚や身体のあちこちにダメージは受けているが、まだ、大丈夫だ。


 一方のヴェーラ嬢は、おそらく――

 助からないだろう、と、クラウは即座に思考を切り替えた。

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