5-4.「先生は、優しさや愛情というものに対する感覚が、私以上に鈍いのかもしれませんね」
自分のような人間が顔を出すべき場でないことは、よく理解していた。
後になって考えれば、シノはあえて叩かれようとしたのでは、とも思う。
それでも、手を伸ばしたクラウに後悔はない。
「んなっ!? あ、あなたは……クラウ! どうしてこのような場所に、あなたのような者がいるのです!?」
「申し訳ございません、ガルシア局長。仕事の都合にて控えていましたところ、偶然お姿を拝見しまして」
黒髪に隠された瞳でガルシアを睨む、クラウ。
自身が傷つけられるのは、構わない。
元より、クラウは自分がさして価値のある人間だと思ってもいないし、自分の代わりなどこの世に幾らでもいると思っている。
面倒事になるくらいなら、自分が悪者になった方がいい、とすら。
けれど、シノを傷つけられるのは看過できない。
それに、彼女を責めるのは筋が違う。
「……ガルシア局長。例の件でトラブルになっている相手は、あくまで自分です。シノ様は代理として声をあげているだけであり、文句があるのなら自分にお願いします」
「っ、元を正せばあなたが! 全てあなたの責任でしょう!? うちの愛娘のミスをあげつらい、裏で笑っていたのでしょう!?」
「明確に否定します。繰り返しの主張となりますが、自分はヴェーラ様に何度も注意を促しましたし、そのままでは患者に悪影響を与えると伝えました。それでも聞き入れなかったのは、彼女自身です」
クラウはただ、業務として必要なことを遂行しただけ。
ヴェーラの治療に手を出したのは、放置すれば患者に不幸な結末が訪れ、ひいては医院全体に悪影響を与えると判断したためだ。
感情的な意図はなく、むしろ感情を忌避するクラウに、その指摘は的外れにも程があるのだが……。
「嘘をおっしゃい! そうやって皆、わたくしの愛娘を虐めるのですわっ。確かに、うちの娘にまったく問題がなかったわけではないかもしれません、けれど、そこをフォローするのもあなた達の仕事でしょう!? なのに、人に責任ばかりなすりつけて! ああ、なんて可哀想なヴェーラ……!」
ほろほろと涙しながらヴェーラを抱きしめる局長様。
そして肝心の愛娘は先程から一言も口にせず、黙って母親の懐に隠れるばかり。
人形のようにきれいな睫を俯かせ、じんわりと涙を浮かべ黙りこむ姿は、見る人がみれば同情を誘うに違いない、が。
「局長様。ヴェーラ様。失礼ながら、この場はお引き取り願えませんか」
「っ、クラウ……! あなた、わたくしの娘がこれだけ傷ついているのに、なんて酷い言い方……!」
「あなたの娘様の心が傷ついている、その発言を否定する気はございません。しかしそれを理由に、事実を歪めることがあってはなりません。……傷ついているのは、あなただけではありませんし」
「何を言うのですか、うちの娘以外に誰が傷ついて……!」
「――それは、違うかと」
あえて言葉にはしないが……傷ついたのは、シノも同じはずだ。
シノは、決して強いだけの娘ではない。
いつもは明るく振る舞っているが、その実、ウィノアール家の重圧に悩まされているのも理解している。
さらに今は、巨漢の女に涙ながらに謝罪を迫られ、殴られようとすら、していた。
この世に、本当に強い人間などそういない。
シノもただ強いのではなく、ただ強がって生きているだけであり、本当は心のどこかで傷ついているのを顔に出さないのが得意なだけ。
だからこそ、クラウはシノを守りたい。
彼女に世話になった恩もあるが、同時に、心優しい彼女の盾になりたいという気持ちも確かにある。
「それに、局長様。このまま騒げば衆目の目を惹きます。……本日行われるのは、アルミシアン領主様主催による祭事。シノ様は客人として招かれており、その彼女に手をふりあげることは、領主様に手を挙げるに等しい行為かと。……ライラック家の醜聞に繋がりかねない行為は、控えることをお勧めします」
「っ……!」
ぴく、と局長の震えが止まった。
冷静に判断するだけの思考はあるのだな、と、クラウは半ば呆れつつも見下すように局長を睨む。
ふるふると震え、顔をあげたガルシア局長の顔は真っ赤に染まり、同時に青ざめてもいた。
今すぐにでもクラウの胸ぐらを掴みかねない衝動を滲ませ、それでも手を出さないのは衆目を気にしてだろう。
クラウはあえて礼儀正しさを装い、頭を下げる。
「ガルシア局長。ヴェーラ様。話は後日改めて行いますので、本日はお引き取り願えませんでしょうか」
「……本当に卑怯な男ね、あなたは! このような許しがたき蛮行、絶対に許しませんわよ……!」
ふっかけてきたのは、そちらだろう。
喉まで出かけた言葉を飲み込んだクラウは彼女らに背を向け、シノの手を包む。
「シノ様、一旦下がりましょう。必要とあれば、顔を合わせたくない者がいると領主様にお伝えし、欠席しても……」
と、クラウは早々にシノを連れ出そうとして、
「…………」
「シノ様?」
改めてシノを見れば、どうしたのだろう。
彼女は妙に呆けた顔で、クラウを見上げたままぽかんとし――はたと我に返り、ほんのりと微妙に頬を紅色に染めながら、ふいっとそっぽを向いてしまった。
それは、妙に可愛らしい仕草だったが――
表情の意味が分からなかったクラウは、どう反応してよいか分からない。
「シノ様? どうかされましたか」
「いえ。……少々、見惚れてしまいまして」
「?」
「すみません、こちらの話です。お気になさらないでください」
ふるりと首を振り、慌てて手を握り返してくれる彼女だが、視線は微妙に逸れたままだ。
それでも妙に、彼女の指先がほんのりと淡い熱を持っているような気がして、クラウも微妙に居心地が悪くなる。
「……先生は、本当に鈍い方ですね」
「よく言われます。人の心がない、とも」
「でも本当は、誰よりも愛情深い方だと、いま改めて実感致しました。……残念なのは、先生がそれに気づいていないことでしょうか」
「……どういう意味でしょうか?
「分からないのが、じつに先生らしいです」
茶化されるが、本当に分からない。
クラウは当然の主張をしたまでに過ぎず、彼女にそっぽを向かれるようなことをした覚えはない。
にも関わらず、彼女は恥ずかしがる乙女のように頬を焦がし、ついにはすこしだけ身をよじるものだから、益々わからない。
「もしかしたら先生は、優しさや愛情というものに対する感覚が、私以上に鈍いのかもしれませんね」
続けて、くすくすと含み笑いをするシノ。
その嬉しそうな顔を見ていると、理由はわからないが、クラウも妙にむずむずした感傷に襲われる。
小さな動物がぐずるような、けれど妙に心地よく、心臓の裏に触れられるような。
……これは大変、よろしくないような。
「まあ、とにかく」
誤魔化すように息をつき、彼女の指先をそっと握る。
むず痒い理由はともかく、シノをこんな場に置いておくのは忍びない。そう判断したクラウは足早に、シノと共にこの場を去ろうとして――
「っ、あ、あのっ……ご迷惑をおかけして、ごめんなさい……っ」
鈴の鳴るような声に、クラウとシノが振り返る。
局長の影にずっと潜んでいた少女が、……おそるおそる震えながらも、一歩前へと踏み出していた。
ヴェーラ、と呟く局長の声すら遠く、彼女はうっすらと涙を流しつつ、
ぎゅっ、と、その両手に何かを握り。
「そ、それで……あのっ。せめてものお詫びに、シノ様に、こ、こちらを……」
謝罪の代わりとばかりに、ヴェーラがゆっくりと手のひらを開く。
その内に握られた、
黒い羽根模様の飾りを目の当たりにした直後、
「っっっ!!!」
クラウはとっさに魔力を全放出し、前方に展開した。
幽術の基礎は傾聴にあり、精霊を力尽くで従えるなどもっての他。
その事実を最も理解しているクラウが、あろうことか多量の魔力を用いて精霊を強引に呼び寄せる。
――呪術。
人間のもつ負の感情を魔力化し、集約したもの。
その中には自身が恨む相手の居場所を示し、近づいたときのみ炸裂する、極めて悪質な自爆魔術が存在する。
紛争時にクラウが幾度となく目の当たりにし、かつて、シノを瀕死の重傷へと追いつめた呪いのひとつ。
その忌まわしき力が、火花を散らすのと。
クラウが最大級の防壁魔術を展開したのは、僅かな遅れもなく同時だった。
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