5-3.「このような場に、顔を出せる身分ではないと、存じていますが」
聞くにたえない内容だろうな、とは、最初から思っていた。
それでもシノが耳を傾けたのは、幽術の基礎が傾聴にある、とクラウから聞いていたからだ。
どんな相手であっても、一応、耳を傾ける――
最初から完全に閉ざすことはしないでおこうと心がけ、また、クラウにとって有益な情報を落とすことも考え、黙る。
ガルシア局長はシノが受け入れたと勘違いしたのか、大汗をハンカチで拭いながら。
「シノ様、どうかお聞きください! あのあと愛娘ヴェーラと、きちんと話をしたのです。もちろん、わたくしの娘は無実でございます。ええ、何ら悪いことをしておりません! しかしながら、ええ、優秀な娘はわたくしの治癒院にて仕事をしておりますが、いまだ学生の身。現場を任せていたのは事実ですけれど、もしかしたら不手際があったのかもしれないという話は、ええ、あるかもしれません」
「…………」
「いえ、大した問題ではないのですよ!? シノ様との間に、大きな誤解があるのです!」
唾を飛ばすガルシア局長に、シノは苦い顔をしながら、隠れるヴェーラに視線を向ける。
母親の背に隠れるヴェーラはお世辞にも、謝意があるようにはみえない。
いかにも、か弱く怯える被害者――のフリをした、本当の被害者だという自覚は、ないのだろうか。
そもそも、謝るべきは彼女では?
「確かに、わたくしの愛娘にも至らぬところがあったでしょう。ですがそれは、当院の治癒術師が補うべきことであって、わたくしの娘に責任はないのです。そもそも、おかしな話でしょう? まだ学生の身ででありながら、罪を問うなど! 例の魔薬師も同じです。過ちがあるのなら、ヴェーラに正しく教えるべきでしょう!」
「……先生は、ヴェーラ様に何度も忠告されたと仰っていますが?」
「そんな筈はありませんっ。あの男が口にしたなら、ヴェーラが間違うはずないでしょうっ! そもそも、シノ様はあのような下級貴族の男と、王独貴族に名を連ねるヴェーラの、どちらの話を信じるのですか!?」
そこが限界だった。
溢れそうになった怒りの感情を抑え、ぐっと拳を握る。
――結局この人は、自分達が悪いことをしたとは微塵も感じていないのだ。
悪いのは周囲でありクラウであり、ヴェーラは身勝手な大人に巻き込まれた、ただの被害者だと、本気で考えている。
その責任をクラウに押しつける相手には、さすがに、同情できない。
「……私は、クラウ先生がそのようなことをしたとは、到底思えませんが?」
「あの男に真実を問いただせば、すべて明らかになることですわ! ですから、シノ様にもぜひ考え直して頂きたいのです。うちの愛娘の置かれた状況を、可哀想と思うのなら!」
「……具体的には、何をです?」
「んまああ、これだけ話せば分かって頂けると思いましたけれど……あちらの話です、あちらの」
「あちら、といいますと」
「かの者との裁判の件ですわ。経過は存じていますでしょう?」
もちろん。
“青派”が横やりを入れたのもあるが、ヴェーラの旗色が悪いことも、聞いていた。
ガルシアがシノの手を握り、猫苗で声でどうかどうか、と頭を下げる。
「シノ様はとても慈悲深い方とお聞きしましたわ。もちろん、ご協力頂いた際には、わたくしもあなた様に協力させて頂きます。ええ、あのクラウ魔薬師も望むならもう一度、わたくしの院で働かせて差し上げます。名誉あるライラック家のお膝元です。悪い話ではないかと……」
「ひとつ、宜しいでしょうか」
言いたいことは、山ほどあった。
それこそ抱えきれない程だけれど、シノが、どうしても許せないのは――
「どうして、お話をするのがガルシア局長様ばかりなのでしょう。謝罪すべきは、局長様でなくご本人ではありませんか?」
っ、とヴェーラが息をのみ、局長が慌てて、
「うちの愛娘はとても繊細なのです! 今回のことで、どれだけ傷ついたか……シノ様には理解できないかもしれませんが、医療行為とは大変に気を遣う仕事なのです。ヴェーラも大変苦しい想いをされたのですよ!?」
「では、クラウ先生は苦しい思いをしなかったと? それに、謝る相手は私でなく、あなたがご迷惑をかけた患者様やクラウ先生でしょう」
「何を仰いますか! まずはウィノアール家の御息女であるシノ様に謝ることこそ、誠意でありましょう?」
どうして分かってくださらないのと涙目で語る局長様だが、それはシノの台詞だ。
そんな身勝手な話、クラウが聞いたら、どんな思いをするか。
……けれど、シノは口を閉ざして我慢する。
ここで罵り合うのは、分が悪い。
祭事に招かれた客として、また、公にウィノアールの名を連呼して欲しくない意味でも、悪目立ちしたくない。
「……お話は、分かりました。しかし、お断りさせて頂きます」
「な……っ、どうして分かってくださらないのです!」
「そもそも謝るべき相手は、私でなくクラウ先生です。そこを、はき違えないでください。……いずれにせよ、事実は裁判が進めば明らかになるでしょう」
怒鳴りたい気持ちを抑えつつ、言うべきことはハッキリと口にする。
――本当の被害者は、誰か。
涙ながらに語る、局長か?
ずっと俯いている、ヴェーラ嬢か?
絶対に違う、と、クラウを傍で見てきたシノには、ハッキリと断言できる。
「裁判の件につきましては、すべて代理の者に頼んであります。後の話は、そちらに。これ以上、私に直接問われても……」
「っ――いい加減になさい!!!」
ドン、と響く足音。
それが彼女の地団駄だと気づくのに、すこし、時間を要した。
「わたくしの愛娘が、こんなにも、こんなにも誠意を見せて謝っているのですよ!? なのに、あなたと来たら! なんとワガママで心の狭い女でありましょうか!!!」
は?
と、目を丸くするシノの前で、局長が憤慨のあまり顔を饅頭のごとく真っ赤に震えさせていた。
巨漢のあまり限界まで伸びた桃色のドレスも、ぴっちりと密着した二の腕もふるわせ、涙と鼻水を垂らしながら震える、ガルシア局長。
「わたくしが何も知らないと思って? あなたが今、ウィノアール家と仲違いを起こしていることは聞きましたわ。身勝手にも家を出て、迷惑をかけていると! わたくしがその話を世に広めましたら、あなたの身も、当然、あなたと共にいる男の身も危うくなりますわよ?」
……なるほど。これは、カテリーナの差し金か。
どうやって居場所を突き止めたかと眉を寄せつつ……シノは「それで」と。
「繰り返しになりますが、私の判断は変わりません。申し訳ございませんが、お引き取り願います」
「っ――!」
「家のトラブルにつきましては、いずれバレることです。……ですが、それを理由にクラウ先生の潔白を証明しないのは、先生の誠実さに泥を塗ることになります。それだけは、私はいたしません」
そう。何と言われようと、クラウに無責任な罪を着せる訳には、いかない――
「んなっ……こ、この小娘――っ!」
局長が目を見開き、その手が伸びるのを、シノの瞳がはっきりと捉える。
叩かれる。
或いは、殴られるか。
シノは、あえて身を逸らさない。
ウィノアール家の娘に、ライラック家の分家の者が暴力を振るう。
自分の名が広まるのは困るが、心象の差において、これは大変有利な展開だ。
とっさにそう考え、同時に、計算高い自分に嫌気を覚えながら、訪れるであろう痛みに目をつむり――けれど。
予測した衝撃は、届かない。
……?
おそるおそる瞼を開いたシノが目にしたのは、驚きに固まる局長の顔。
振り上げられた右腕はなぜか空中で留まり、それを、背後から掴んでいるのは――細身でありながらも力ある、黒髪の男の腕だ。
目を瞬かせるシノを庇うように、男はガルシア局長の腕を放し、シノの前へと滑り出る。
「失礼。このような場に、顔を出せる身分ではないと、存じていますが……些か、ことが過ぎるようで」
ぼそりと、力強く聞こえた声は。
紛れもなく、彼女が敬意を示す先生であり、ガルシア局長因縁の相手――魔薬師クラウ、その人物に他ならなかった。
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