5-2.「ずっと、ずーっとあなた様を探していましたの!」

「いやぁ、わざわざご足労いただき申し訳ございませんでしたな、シノ嬢!」

「いえ。ワルツィア様には、何かとお世話になっておりますので」


 領主館にて開催された、豊夏祭――その控え室にて、シノは初老の男性に深々と頭を下げていた。


 ワルツィア=アルミシアン郷は今年で六十を迎える壮年の男性だ。

 確かな歳を刻んだ頬に、白髪交じりの相貌。

 領主として確かな泊を感じさせる出で立ちである一方、その顔つきは独王貴族らしからぬ、くしゃっとした満面の笑みに包まれている。


 というのも、


「いやぁ、わしも本当は断ろうと思ったのだが、どうしても、エーデルリス家から君を招くべきだと言われてなあ! 確かに、エリス嬢のご友人と聞けば、是非にとな。しかも最近、エリス嬢は病がよくなったと聞く。であれば若者同士、将来のために是非とも参加して頂きたいと思ってなぁ!」


 あっはっは、と朗らかに笑う領主様は――大変、人がいい。


 独王貴族らしからぬ、竹を割ったような性格。

 そのおかげで、シノはアルミシアン領に身を寄せることが出来たのだが……


(実は、ちょっと面倒な方なのですよね……義理堅いのですが、暑苦しい方でもあるので)


 実は陰気な性分も持ち合わせるシノとしては、陽気すぎる領主様とはちょっと相性が悪い。

 もちろん、肝心の領主様はお気づきになられないが。


「それにしても、シノ嬢が開かれた薬屋は大層評判が良いと聞く。良ければ本格的に、うちに身を置かんか? 婚姻先もよい男を紹介しよう! さすがに我が孫ワルドを紹介するわけにはいかんがな!」

「すみませんが、婚姻の話はまだ……それと領主様、私は表向き偽名を使っていますので、あまり大きな声では……」

「そう言っている間に、期を逃すものだぞ? ああ、それとも噂に聞く、同じ薬屋の主人と懇意の仲か。まあワシにはどちらでも構わん、腕のいい者はいつでも大歓迎である!」


 わっはっは、と豪快に笑うワルツィア郷に、シノは愛想笑いで何とか応じる。

 領主様がこの性格では、エーデルリス家はさぞ苦労してることだろう。


 そうして暫し雑談に花を咲かせていた頃、不意に、控え室の戸が開かれた。


 現れたのは、人の良さそうな銀髪の青年だ。

 ワルシャワ郷を前に、くしゃっとした笑顔を浮かべる。


「お爺様、こちらにおられましたか。お久しぶりにございます」

「おお、ワルドよ! よく帰ってきた! すっかり大きくなったなぁ……貴族院での生活はどうだ? 苦労はないか?」

「文化の違いに困惑することはありますが、家族がよくしてくれているので」


 そうかそうか、と、青年の頭を嬉しげに撫でるワルシャワ郷。

 彼、ワルド=アルミシアンはワルシャワ郷の孫にあたり、溺愛ぶりは見ての通りだ。


 対するワルド青年は、恥ずかしそうに身をよじっている。


「お爺様、子供扱いは止めてください。自分はもう立派な大人です」

「そうは言うがな、わしにとってはお前さんなどまだほんの子供にしか見えんくてなぁ……」


 好々爺といったワルツィア郷に、恥ずかしそうに嫌がる孫のワルド青年。


 その姿を横目に、シノは小さく痛むものを覚えながら、席を立つ。


「では、私はそろそろ失礼致します、ワルシャワ様。本日はお招き頂きありがとうございます」

「おお、すまんな。また後ほど語らおうではないか。……して、ワルドよ、我が息子は――」


 すっかり子煩悩なお爺様となった領主を背に、シノは控え室を後にして。


 廊下に出るなり、はあ……と、ぼんやりと重い溜息をついた。

 胸の内に流れるざらついた砂利のような感触を抑えながら、シノは表情を引き締めようと頬を叩く。




 ――暑苦しすぎる領主様だが、見ていれば分かる。

 ――あの方の、孫に対する愛情が、本物であることくらい。


(貴族であっても、あのような家族の形もあるのですね)


 彼女にとっての家族は、その全てが、見栄と外面だけで出来ていた。


 シノを「愛しい娘だ」と紹介するのは、他人の目があるときだけ。

 シノを着飾るのも、教育を施すのも、すべては家の体裁を守りたいからという理由に過ぎず――そこに愛情がないと理解したのは、いつだったか。


 もちろん、今はきちんと諦めている。

 自分と家族の間に、そのような関係が存在しないことも。

 ……他人に、それを求めるのが無駄なことも。


 手を伸ばしても、決して自分の元には与えられないのだと、理解しているつもりだ。


 ……けれど、今のように。

 ふとした拍子に仲睦まじい家族を目の当たりにすると、シノの胸は自然と痛みを覚える。

 墨汁を垂らしたような。喉の奥を、ぎゅっと締められるような。


 それはきっと、自身の底にある、まだ諦め切れていない愛情への渇望なのかもしれない。


(いけません。余計なことを考えている。落ち着かないと……)


 廊下をとぼとぼと歩いていたシノは、ふぅ、と張り詰めていた呼吸を吐き出し空を仰ぐ。

 窓から差し込む朝日はまばゆく、いい天気だと思いつつも、気は晴れない。


(まあ、今の私は昔に比べれば、幸せですけれど。先生がお側にいて、自分の好きなことができて……)


 将来のことを想えば、不安がないとは言わないけれど――


 と、シノは何となくもやもやしつつ、廊下を曲がり……


「え?」


(いま、クラウ先生の背中が見えたような……)


 広前へと続く通路、その控え室の一室に入っていく、見慣れた黒髪を見た……ような。


 人影はすぐ消えてしまったので、気のせい、だとは思うのだけど。


 ……いやまさか、とシノは亜麻色の髪をふるりと振る。


(いけません。何だか私、弱気になっていますね)


 無意識のうちに、クラウに頼りたくなった心が、幻覚を見せたのか。

 いけない。今日は、自分一人でしっかりしなくては。


 幾らクラウが凄腕の魔薬師であっても、独王貴族の場に彼がいるはずないのだから。


 よし、と。

 シノは今日一日頑張るぞ、と改めて心に誓い――




「んまああああっ―――――!」




 いきなりの大声に、びくっと背中が引きつった。

 シノが振り返り――その瞳が驚いたように丸くなったのは、無理もないだろう。


 ドスドスと鈍重な足音をたてて近付いてきたその人物に、シノの思考が混乱する。

 どうして? なぜ?

 まさかこんな場所に、あの人がいるはずないのだけど――


「探しましたのよ、もう本当に! ずっと、ずーっとあなた様を探していましたの! ようやくお会いできましたわ!」


 思わず身を引くシノに対し、こちらの手を勝手に握り、ぶんぶん振りまくる巨漢の女。


 その顔にはもちろん、見覚えがある。

 ガルシア=ライラック局長。

 以前、クラウが揉めに揉めた治癒医院の運営者にして、クラウを貶めた元凶そのもの。


 そして当のガルシア局長は、その瞳を真っ赤に腫らし。


「すべて誤解なのです! きちんと話し合えば、わたくし達は分かり合えるはずですわ!!」


 大声で叫び始めた様子に、シノは、苦い顔を隠しきれない。

 ――虫唾が走る。




 話せばわかる。

 分かり合える。

 自分達には、言葉が足りていないだけ。


 そう口にする人間とは、大抵分かり合えないことを。

 シノはこれまでの経験から、とてもよく、理解していた。

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