5-1.「遠く王都の地から、心ばかりの応援をしているよ」
「相手の言い分も、わかるのです。名を隠しているとはいえ、ウィノアール家の名を持つ者を祭事に招かないのは失礼と考えるでしょうし、向こうにも思惑があるのでしょうが……」
はああ、とテーブルに突っ伏したシノから、らしくもない溜息が零れていく。
自慢の髪もしなしなと元気を失い、机にへにゃっと広がっている姿はなんともお労しい。
豊夏祭。地元のお祭りへの招待状が届いたのは、今朝のことだ。
貴族主催の祭事については、クラウも経験がない訳ではない。
とはいえ、王独貴族が主催を務めるような会に出たことはなく、彼女の心労までは分からない。
……まあ、面倒臭いという気持ちは大いに理解できる。
「シノ様。口実を作って、断ってはまずいのでしょうか」
「出来なくはありませんが、建前がないと断り辛いですね。……表向き、私がウィノアール家の者であることは伏せていただくよう、お願いしてはいるのですが」
「であれば、シノ様に出席依頼がくるのは道理に合わないのでは?」
「先方にも思惑があります。良心だけで事情を汲んで頂こうというのは、虫が良すぎる話です。こちらも家を借りたり、店の許可証を頂いたりと配慮してもらってますから……」
確かに、相手が善意百パーセントで協力してくれると考えるのは、不自然だ。
医療の世界でも、患者のために利益度外視で薬を渡したりはしない。
「まあ先方も、私をウィノアール家の者だと喧伝するようなことはないと思いますので、適当にお茶を濁しておこうかなと」
「大丈夫ですか?」
「ええ。おそらく、私の狙いを知りたいのでしょう。私はただ、普通にのんびり生活したいだけなのですけれど」
はぁ、とまたまた溜息をつくシノ。
クラウとしては、彼女の抱える悩みを理解する一方、現実がままならないこともよく分かる。
誰だって戦争などしたくない。
しかし、戦争しろと偉い人が旗を振れば、断るのは難しい――この世はいつだって、社会という面倒なしがらみに囚われている。
あとは私が何とかしますので、と。
元気なく笑いながら自室に戻るシノを見送り、クラウはふむと考えた。
*
それから、クラウも自室に戻り――
最近ようやく新調した導話機を片手に、久しぶりに友人に連絡を取ることにした。
『やあ、久しぶりじゃないか。元気にしてたかい? いきなり行方不明になったと思ったら、連絡のひとつもよこさないから心配していたよ』
「嘘をつくな。手紙を送っただろう、チェストーラ」
『手紙だけじゃあ寂しいものさ。君の声が聞けないと、やっぱりね』
王都に住む友人、チェストーラのからからとした笑い声に、クラウもふっと笑みを零す。
シノと共に王都を立った後、クラウはしばらく、彼に連絡をしていなかった。
万が一事件が起きた際、チェストーラに迷惑をかけたくなかったからだ。
しかし、クラウはある理由により彼と再度連絡を取ることにした。
一つは、息災を伝えるため。
もう一つは――王都側から、ウィノアール家の動向を探れないかと考えて、だ。
『それで、クラウ。何かあったのかい? ウィノアール家の件なら、シノ様の行方が知れない事実は伏せられたままだよ。まあ大分怪しまれてるけど……それとも、ライラック家の話かい? 君とシノ様が起こした訴訟は、ごめんね、大事にしたくなかったんだけど青派のみんなが大騒ぎして――』
「すまない。そちらの件ではなく私用だが……」
『私用? ……し、私用!? クラウが? 僕に? 今日は槍が降るのかい?』
導話先からわざとらしい、道化めいた悲鳴が届く。
いつもの距離感にクラウはつい安心しながら、わざと溜息を返してやる。
「実は、シノ様が地元の祭事に顔を出すことになった。領主様直々の、開催だ。……その会場に、自分も忍び込む方法がないかと思ってな」
溜息をつくシノを何もせず見送るのは、憚られる。
かといって自分が出席しても浮くだろうし、シノにとっても迷惑だろう。
もっと他に、よい方法があれば良いんだが――
『なんだ、それなら大した問題じゃないと思うけど? 僕に相談するまでもないことだね』
「なに? だが、自分には独王貴族のツテなど……」
『客人として招かれる必要はないだろう? 緊急時に対応する医療班の一人として、潜り込めばいいのさ」
「……その手もあったか」
シノの側につかねばと考えるあまり、自分が祭事に出席することしか考えていなかったが、なるほど。
『ツテまでは紹介できないけど、君の実力なら問題ないだろう?』
「……知人の薬師に、貴族に通じている者がいるので相談してみる」
アミッタなら、おそらく上層部と縁があるだろう。
彼女に頼んで、ねじ込んで貰えないだろうか?
クラウが計画を立てていると、チェストーラがくすりと笑う。
『その様子だと、シノ様には秘密にしてるみたいだね。裏で密かに控えつつ、いざという時はお姫様の元へ駆けつける。物語に出てくる騎士のようじゃあないか』
格好いいねぇ、といつもの茶々にクラウは渋い顔をして、
「そんな格好いいものではない。……自分はただ、シノ様の身に万が一がないかと心配なだけだ」
『そこが君のいいところさ。君は他人に無関心を装っておきながら、その実、放っておけないお人好しだ。おかげで僕も助けられた訳だし、シノ様も君に救われていると思うよ。まさに騎士様じゃないか』
「その言い方は、語弊があると思うが……」
格好をつけてる訳ではない。
ただ、クラウが心配性なだけ――なのに、チェストーラは相変わらず人を食ったように、けらけらと。
『つれない態度は相変わらずだね。……でも、僕は君のそういうところを気に入ってるから、友人でありたいんだ。シノ様も、君のそういうところを信頼していると思うし。ところで、仲は進んだかい?』
「仲、とは」
『シノ様とのご縁だよ。ぶっきらぼうな男の元にやってきた、愛らしいお嫁さん。君は奥手な性格だから先は長いと思うけど、いまの心境はどうかな、と』
話の意図が分からず眉を寄せ、――気づいて、しかめ面を浮かべるクラウ。
まったく。悪い冗談を。
「チェストーラ。自分とシノ様は、そのような関係にはない。確かに彼女に感謝をしているし、彼女も自分を慕ってくれているとは感じるが、そういった関係にはない」
『慕うと、想う。その感情の間にどれ程の差異があるのか、議論の余地はないかい?』
「そもそも自分と彼女では、身分が違う」
『身分を気にするような女性が下級貴族の魔薬師を連れだって出奔するようなら、ストーリーが破綻していると僕は糾弾せざるをえないねえ』
口喧嘩では勝てないと悟り、クラウは渋面を浮かべる。
確かに、出会った当初は――結婚してくださいと申し込まれ、驚いた記憶がある。
しかし冷静に考えれば、貴族にとって結婚は政治戦略のひとつに過ぎない。シノが婚姻を申し出た理由は、クラウとの縁を形式上つなぎ止める戦略であり、また、ウィノアール家の名を捨てる決意を込めた宣言だったのだろう。
断じて、恋愛感情によるものではないだろうし、実際シノは最近クラウとの婚姻話を持ち出さない。
一緒に過ごし、ともに働いているという名目さえあれば、彼女は満足なのだろう。
『まあ、僕がつつきすぎるのも野暮かな。……でも、君だって彼女の魅力は分かるだろう?』
「それは、否定しない」
彼女は、クラウには持ち得ない沢山のものを持っている。
太陽のように明るい性格に、物事へ自ら打ち込んでいく積極性の高さ。
表情の硬いクラウに代わり、いつも楽しげに生活しながら――己の血筋に悩み、自分なりの答えを探そうと頑張っている姿には、共感とともに憧れを覚えるものだ。
彼女の側にて、荒んだ心が癒されたのは一度や二度ではない。
だから、慕っている……という表現は適切だと思うが、間違っても彼女に恋心のような、欲求に塗れた感情を向けているわけではない。
と、思う。
『……残念ながら、先は長そうだねぇ』
「君の想像する先は、決して訪れることはないから安心して欲しい、チェストーラ」
『そう口にする人間ほど、あとで手のひらを返すものだけどね。……祭事のほう、うまく潜り込めることを祈っているよ』
チェストーラが笑いながら、別れの挨拶を交わし――最後に、
『ああ。そういえば診療録改竄の件で係争している、ヴェーラ=ライラック嬢だけど、じつは前回の法廷に姿を見せなかったんだ。”緑派”の娘を叩くいい機会だと、”青派”の連中が騒ぎたてているんだけど……心当たりはあるかい?』
当然、クラウは知らないと回答した。
正直いまの話が出るまで、係争の件を忘れていた。
『了解。じゃあ、騎士様。お仕事頑張ってきてくれたまえ。遠く王都の地から、心ばかりの応援をしているよ』
「助言は感謝するが、誤解を招くような表現は辞めて頂きたい」
『嘘も続ければ、いつかは誠になるものさ』
導話はそこで途切れた。
チェストーラは相変わらずだと溜息をつき、けれど、月日が過ぎてもいつも通りな彼であったことに安堵したのも事実だ。
認めたくはないが、彼はよき友人なのだろう――クラウは薄く笑みを零しつつ、まずはアミッタに相談してみるかと席を立つ。
(何だかんだ、頼りになる友人だ。……機会があれば、お礼をしなくては)
この調子では、借りばかりできてしまうなと悩みつつ、クラウは足早にアミッタ薬局へと足を運ぶことにした。
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