イルカと青空とルーズリーフ

さなこばと

イルカと青空とルーズリーフ

 明日になったら未来を知る、とイルカは言われたと思った。

 海を透かす陽射しがそそぐ、イルカにとって少し眠たい時間だった。

 明日、何があるかはわからないけれど。

 だから、イルカは恋について考えた。

 時計の両針が上を向いて合わさって、イルカは生まれたての恋をするのだ。


    ・・・


 午睡の気分をイルカは抱えて、海中から浮き上がった。

 上を見ればすっきりとした青空だ。

 風は強めだけれど海を荒らすほどではない。波立つ海原は太陽の光を反射してキラキラしている。

 目が回らなくてイルカは上機嫌だ。

 友だちの小イルカがすいすいと隣に並んできた。

――イルカさん、これからいつもの岩場で追いかけっこしようよ。

 イルカは少し気がかりなこともあったけれど、

――いいよ、小イルカ。遊ぼう!

 と言って、ふたりは体を一度ぶつけ合うと、泳いで五分くらいの岩場に向かった。



 岩場は陸に近いところにある。

 イルカと小イルカは息が切れるほど泳ぎ回り、疲れて波間にぷかぷか浮いていた。

 そこで小イルカが何かを見つけた。

――イルカさん、あそこの岩陰にペットボトルが流れ着いているよ。

 イルカは思わずはっとしたけれど、それを表には出さず、

――本当だね。危ないものかもしれないから、小イルカは下がってて。

 イルカはひとり、そろそろとペットボトルに近づいていく。

 ペットボトルは透明で、中には浸水しておらず、中身を確認することも簡単だった。

 そこには一枚の紙。

 外から見えるように紙はペットボトル内を一周していて、何が書かれているのかイルカにはわかってしまう。


 明日になったら未来を知る。


 今朝のものと同じことが書いてある。

 イルカが朝の散策に出ているとき、波間を漂っているのを見つけたペットボトルと同様だった。

 未来って何だろう。

 イルカは海で生まれて育ち、ずっと海暮らしだった。そしてこれからも変わらない毎日を送ると思っていた。

 それで、いつも幸せだったから。

 小イルカがおそるおそる近寄ってきた。

――大丈夫だった?

――うん。

 とイルカは答えてからふと思い立ち、こう聞いた。

――小イルカは、これから先に何かしたいことはある?

 小イルカはきょとんとしていたけれど、すうっと目を細めると、

――ボクは恋がしたい。ボクはまだおとなにはなれてないけど、早く恋をするようになりたい。

 イルカは少しの間じっと小イルカを見つめていた。でも、自分の中では答えは出なくて、ほとほと困ってしまった。

 恋。

 イルカは、その慣れない言葉をすんなりと飲み込むことができなかった。



 太陽が沈んで真っ暗になる頃には、イルカは集落へと帰っていた。

 帰り際に魚を食べたのでお腹は空いていない。

 友だちの小イルカはお母さんイルカにくっついていて楽しそうだ。

 夜の海は暗くて、ひとりでいると寂しくて心細い。

 あと一時間足らずで日をまたぎ、未来を知ることになる。

 イルカはあれからずっと、恋について考えていた。

 一緒にいて、子どもを作って……それは自分には縁がないような気がしていた。

 好きなことといえば、青空の下を波に乗ってみんなと泳ぐことくらい。

 イルカは仲間たちから離れてゆっくりと海面へと上っていく。

 今夜の海は穏やかだ。

 闇夜に覆われた海はどこか怖くて、イルカは怯えてしまう。

――ああ、すぐにでも朝が来てほしい、青空が見たい。

 イルカは気もそぞろなまま水面を遊泳していた。

 気がつくと、波打ち際が近くに迫っていた。

 座礁してはいけない。

 イルカは体の向きを反転させた、そのとき、


 ちゃぽん。


 と、水が跳ねる音を聞いた。

 イルカは音のした方向を見つめる。

 ペットボトルだ。

 よく見かける大きさのペットボトルが、波間に浮かんでいる。

 イルカはもしや、と思ってそろりそろりと静かに近づいていく。

 ペットボトルには一枚の紙が入っていて、そこにはやっぱり同じく、


 明日になったら未来を知る。


 と書かれていた。

 イルカは辺りを見回すけれど、ペットボトルを投げ入れた誰かは見つけられなかった。

 陸の明かりは弱々しく、真夜中だから目も利かない。

 でも、イルカにはわかった気がした。

 この言葉はきっと、誰かが誰か自身に宛てたメッセージなんだって。



 イルカは朝が来て上機嫌だった。

 雲の少ない青空、少し柔らかな陽射し、海も落ち着いていて、心穏やかに泳ぎ回ることができる。

 イルカが散策から戻ると、小イルカが勢いよく寄ってきた。

――イルカさん。ボクは考えたんだ、昨日の話のことを。

――昨日って、もしかして恋の話?

――うん、そう!

 小イルカがあまりにもうきうきして話すので、イルカはとても微笑ましい気持ちだった。

――ボクは、イルカさんのことが好きだよ!

 そう言って、小イルカはそのしなやかな体をイルカにぴたりとさせてきた。

 イルカは目を白黒させた。

 イルカにとって小イルカは親しい友だちだったからだ。

 でも、イルカもやっぱり小イルカのことが好きで、考え始めると途端に恋を否定できなくなってきた。

――イルカさん。イルカさん。好き! 好き!

 小イルカの無邪気なはしゃぎように、イルカは変な力が入っている自分が馬鹿らしくなってしまった。

 同時に、恋はこうやって始まるものなのかもしれない、とも思った。

――小イルカのこと、好きだよ。

――両想いだね!

 イルカの周りを小イルカはくるくると泳ぐ。

 そんな小イルカのことが一層可愛らしく見えてくる。

 昨日、思いの言葉を海に流した誰かに、イルカはこの今を伝えたくてたまらなくなった。


 ねえ、未来を知ったよ。


 イルカは生まれたての恋をする。

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イルカと青空とルーズリーフ さなこばと @kobato37

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