最終話 俺らしさ 

「望月咲…?いやぁ先生聞いたことないなぁ…卒業生?」

そう言うと右手で頭を搔きながら、他の先生に彼女の事を尋ねていた。その困り果てている様子は冗談を言っている様には見えなかった。


「そう…ですか…」

彼女が急に現れなくなった。放課後だけならまだしも、午前中教室からもいなくなった。色々な先生に聞いても誰も知らない。まるでこの世界に初めからいなかったかのように、咲さんは綺麗に切り取られていた。


「あ。藤原!望月咲って生徒知ってる先生いたぞ!なんでも10年前に―ってあれ…藤原?」


「転校…って感じじゃないよな絶対。青木先生存在自体知らなかったし…」

色々な思考が頭を巡った。単に影が薄すぎて先生たちも認知していないんじゃないか。望月咲という名前がそもそも偽名なんじゃないか。最終的に俺が放課後体験していた事は全部夢だったんじゃないかという馬鹿げた結論に帰結しそうになった時、俺の上履きが丁度教室の入り口を跨いだ。


「なに難しい顔してんの?珍しいじゃん」


教室に入った瞬間、廊下側から聞きなれた声が聞こえてきた。紛れもない、彼女の声だった。


「え…咲さん…。その―学校休んでたんですか?」

教室から痕跡の一つも残さず消えたこと。先生たちが誰一人として彼女の存在を知らなかった事。聞きたい事は山ほどあったが、月並みな質問しか出てこなかった。


「あーまあ…休んでた…のかな。うん。休んでた!」

なんとも歯切れの悪い様子でそう答えた。いくら馬鹿で鈍感な俺でも、何か隠しているなと気付くのは容易だった。まるで子どもが悪いことをした時、それがバレそうな時の表情をしていた。


「あの…咲さん。何か俺に隠し―」

意を決して隠し事を聞こうとした矢先。被せる様に彼女が喋り始めた。


「今日はね。玲司と話にきた訳じゃないんだよね。別れを…言いに来たの」

「え…」

「さすがに気付いたでしょ?だって、私の存在みーんな知らないんだもん。どんだけ影薄いんだよって話!」

彼女と過ごした数日の放課後。どの放課後でも見せることの無かった精いっぱいの愛想笑いが俺の胸を突き刺す。


「別れって…なに、転校とかってこと?」

「違う」

「え、入院?体調不良で…とか?」

「違う」

「あ!分かった!留年だ!咲さん勉強できなさそうだもんね。今度俺がおし―」

「全部違う全然違う。この先も絶対当たることなんかない」


一人でいるときの沈黙は心強い味方なのに。二人でいるときの沈黙は二度と訪れないでほしい。そう思った。彼女と同じ空間にいるはずなのに、廊下と教室内で世界が分かたれているような感覚だった。


「私さ。もう死んじゃってるんだよね。十年も前に。だから怜司の大大大先輩ってわけ!私は優しいから敬語なんて使わなくてもいいけどね」


薄々気が付いてはいた。いくら俺が他人に無頓着だからって同じクラスメイトを認識していないはずはない。先生に聞いたって、誰も知りやしない。そんなクラスメイトを俺だけが認識している。誰が考えたってあり得ない話だ。あり得ない話だって分かっているけど―


「嘘。上手いんですね。何か意外だな」

受け入れたくなかった。この事実を受け入れれば全てが崩れてしまう気がした。


「…私もね。怜司と似てたんだよ。他人には無頓着で、だけど嫌われたくはないから、全部周りに合わせてた。最初は楽しかった。話も弾むし、みんな私のことを『いい友達』だと思ってたと思う。でもね、だんだんとバレ始めるんだ。自分の意見がないことに。そこから関係が崩れるのなんて一瞬だった―そして気が付いたら秋に会えないままこの教室で、怜司と話してた」

夕陽に照らされた窓枠が廊下を走る。そこに彼女の影は無かった。淡々と喋っている彼女の瞳には美しい宝石が浮かんでいた。


「なんで。何で俺なんかと話そうと思ったんですか?」

「私と似ていたからだよ。私と似ていたから、同じ思いを怜司にはさせたくなかった。私はもう死んじゃってるけど、怜司は元気いっぱい生きてるんだから。まだ取返し、つくよ?」

袖で目元を拭い、こちらににこりと笑いかけると、彼女は再びゆっくりと口を開いた。ああこれが最後の会話になるんだろうなと俺は薄々感づいた。


「怜司。怜司はさ、人生が同じことの繰り返しだと思ってるでしょ?朝起きて、学校行って、放課後教室で時間を潰して、家に帰る。この繰り返し。でも実際は全然違うの。昨日通学路にいた野良猫は今日いないし、いつもうるさいお調子者は今日は休みだし、放課後決まって飲んでいたホットレモンは今日売り切れだし―昨日と同じ日なんて二度と来ない。その尊さを、私は生きている内に知りたかった。だから怜司―」


彼女が顔を近づける。


「キミらしく生きて。自分を抑え込まないで。心配しないでも良い。私が憑いてる」


彼女はもうこの世にはいない、実体がないはずなのに。確かに彼女の―咲の唇の感触が伝わってきた。


「咲……」

「あ~!やっと呼び捨てで呼んでくれた!はぁ……もっと聞きたかったな……」


「バイバイ。怜司。」


最後にそう言い残すと。彼女は俺の視界から消えた。呼び止めようと廊下に出たが、もうそこには彼女の姿はなく、静まり返った廊下に俺がただ一人残されていた。


「俺らしさ…」


彼女と過ごした何日かの放課後。夢ではない現実の話。一人の時間も好きだったけど、二人で過ごすのも悪くない。そう思わせてくれた数日間。咲さんはもう俺には見えないけど、近くで支えてくれている。そんな気がした。




授業中睡眠をしていたせいか、意識がハッキリとしている。休み時間。グループでいるはずなのに、俺はいつもの様にいるのかいないのか分からない、そんな存在だった。

授業中夢を見た。放課後に一人の女性と他愛もない話をする夢。その女性は夢でこう言っていた。「放課後のキミのほうが、キミらしいよ―」と。


「あの…さ…今日放課後マックでも…どう?」


ああそうだ。彼女にお礼をしなくちゃいけないな。ちょうどポテトSサイズ分のお礼を。ドリンクには自販機のホットレモンでも、付けてあげようか。

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放課後ふたりぼっち 冬目 @syou_setuo

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