第33話 ◇剣聖ボーシュの決断◇
「実体化……」
いやいやバカを言うなと、ボーシュは全力で叫びたい。
しかし、今現在感じている頬の痛みは現実で――――。
「……本当なのか?」
恐る恐るそう聞いた。
「嘘だと言えたらいいんですけどね」
諦めきったトウジの表情が、なにもかもを物語っている。
「本当ならとんでもないことだぞ」
「リッカはそう思っていませんよ。単にそういう『設定』なのだそうで……ちなみに実体化させた理由は『猫は毛並みが最高なので撫でられないとつまらないから』だそうですよ」
「そんな理由で、幻影を実体化なんてさせるんじゃないっ!!」
結局ボーシュは、全身全霊で叫んでしまった。
「まったくもって同感です」
トウジもうんうんと深く頷いている。
肩でハァハァと息を整えていれば、足下を黒猫がスッと通り過ぎた。
思わずビクッと震えてしまったのは、仕方ないだろう。
「とはいえ、現実はこのとおりです。リッカは、自分がどれほど規格外の魔法を使っているかの自覚もなく、息をするように創造魔――――もとい、幻影魔法を使っているんです」
ため息交じりのトウジの言葉に、ボーシュは頭を上げた。
「それは……リッカが危険じゃないか?」
珍しい力を持つ者は狙われやすい。しかも本人が無自覚であればなおさらに。
だからこそボーシュは、リッカが冒険者となったと知り、急ぎマルグレブまでやってきたのだ。その決断をしたときには、リッカの幻影魔法がここまで規格外だとは知らなかったにもかかわらず。
「危険なんてものじゃありませんよ。なにせリッカの力は、ビィアの実体化だけじゃありませんからね。――――幻影で生みだしたとんでもない魔法使いに地底湖を割らせたり、ダンジョンの砂漠エリアに雨を降らせたり……宝箱から小麦粉や野菜、園芸道具をポンポン出したりしているんですよ」
トウジのため息は、地の底よりも深い。
ボーシュは呆然とした。
(地底湖を割る? 砂漠に雨? いや、たしかにそれも気になるが――――)
「宝箱から小麦粉だと!? そんな馬鹿なことがあるか!」
さっぱりわけがわからない。なにをどうやったら宝箱に宝以外のモノを出させることができるのだ?
ボーシュの大声に、トウジはフッと微笑んだ。
「すべてそのときリッカが一番欲しいモノが出ただけですよ。リッカ曰く、ビィアの幸運を招く『設定』がいい仕事をしたそうで――――」
「そんなわけがあるか!」
ボーシュはまたも怒鳴った。この調子では、喉がかれてしまいそう。
トウジはまたまた深く頷いている。
「ともかくリッカは想像をはるかに超える力を持っているんです。今は俺がパーティーを組んで彼女を見守っているんですが……たぶんそれじゃ足りないと、ビィアは判断したんでしょうね」
トウジはどこか悔しそうに下を向いた。
その視線の先には、ぺたりと地面に座る黒猫がいる。
「ビィアが?」
「だからあなたの前で実体化して見せたんですよ。ビィアは……リッカの幻影たちは、剣聖ボーシュ、あなたにもリッカの守り手になってほしいと願っているんだと思います」
ものすごく不本意そうにトウジは言った。
「……は?」
黒猫が、トウジの言葉に同意するように「ニャー」と鳴く。
「バ、バカを言うな。それじゃまるで幻影が自分の意思を持って、自ら動いているみたいじゃないか!」
そんなことはあり得ない!
もしもそうだとすれば、リッカの幻影魔法が生みだすのは、実体化できるできないにかかわらず、幻影ではないということになってしまうからだ。
ギッと睨みつけた先にいるトウジは、今度は哀れむようにボーシュを見ている。
彼の形のよい口が開きそうになって、ボーシュは慌ててそれを止めた。
「待っ! ちょっと待て。………………お前、さっきリッカの魔法を言い間違いそうになっていたな?」
ボーシュは、いやなことを思い出す。
(こいつはなんと言っていた? たしか『ソーゾーマ』? ソーゾー? ……まさか! 創造か?)
ぶわっと嫌な汗が噴きだした。
トウジは爽やかな笑顔を浮かべる。そんな姿が、腹立たしいほどに様になるのが憎らしい。
「俺とリッカのパーティーは『幻影の支配者』です。加入申請はご自分でしてくださいね。……ああ、リーダーは俺ですけど希望があれば交替しますよ?」
そんなことを言いだした。
(……ここまで聞いたからには、もう逃がさねぇってことか?)
ボーシュは、心の中で唸る。
創造魔法の持ち主とパーティーを組むなんて、面倒事に引っ張り込まれる未来しか見えないが……しかし、その創造魔法の持ち主がリッカなのであれば、ボーシュに逃げる選択肢はなかった。
リッカは、ボーシュが見出したきらめく原石のような教え子なのだ。
……まあ、その原石は思った以上にものすごい宝玉だったようなのだが。
「――――リッカの魔法について知っているのは、お前以外に誰がいる?」
だからボーシュはそう聞いた。
「ギルド長のソーコーと俺の兄。あと、リッカが以前暮らしていたオリグレス王国の王は、言葉にせずとも察しているはずだと兄は言っていました」
トウジの兄は、この国マシュクの国王だ。
「……ああ。オリグレス国王の趣味は魔法神典の解読だからな。……あの王なら大丈夫だろう。知識と良識を兼ね備えている
ボーシュの言葉にトウジも頷いた。
リッカを追いだすなんていうとんでもないことをしでかした者がいる国だが、それも国王が過剰な干渉をしなかったためだと思われる。
「マシュク王も、オリグレス王と同じ意向だと思っていいんだな?」
「先ほど答えたとおりですよ。リッカの意に反するようなことをすれば、たちまちビィアに八つ裂きにされます。兄は、そんな無謀を冒すような愚王ではありません」
……ならばいいとボーシュは思った。
いろいろいろいろ……本当にいろいろ想定外ではあったが、自分のやることは変わらない。
「わかった。『幻影の支配者』に加入申請を出そう。リーダーはお前でかまわない」
「よろしく頼みます……ああ、いえ、もう仲間なのだから……よろしく頼むよボーシュ」
トウジが差しだした手をボーシュは握った。
「ニャー」と、機嫌よさそうにビィアが鳴く。
「ああ。そういえばボーシュ、あなたはどこに住むつもりなんだ? ……まさか、リッカと一緒に住むだなんて言いださないよな?」
ジロリとトウジが睨んでくる。
「それもいいかもしれないが……マルグレブの町の中心に適当な一軒家を借りるつもりでいる。追っ付け妻と娘も移住してくる予定だからな」
それもいいと言ったとたん繰り出されたトウジの拳を避けながら、ボーシュは飄々と答える。
「妻と娘?」
「ああ、最高の美人と俺に似てものすごく可愛い娘なんだ。……嫁にはやらんぞ」
鼻の下を伸ばし目尻を下げたボーシュの顔は、はっきり言ってだらしない。
「妻帯者だったんだな。………………まさか、それがビィアのお眼鏡に適った理由か? リッカの側に置いても安全な男を仲間に入れて……俺を牽制している? ……ひょっとして、俺がダンジョンでリッカをおんぶし過ぎたのが、悪かったのか?」
ビィアを見ながら呆然とするトウジ。
黒猫は、我関せずと大きな伸びをした。
契約解除された幻影魔法使いのその後 九重 @935
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