第32話 ◇剣聖ボーシュの誤算◇

 リッカの家から出てきた背の高い青年が、ドアを閉めると同時に家全体に結界魔法を展開する。


 それを見たボーシュは、眉をひそめた。

 結界魔法は、一見家の中のリッカを守るために見えるが、同時に自分たちの会話をリッカに聞かせたくないようにも受け取れる。


(まあ、こいつの本音を聞き出すには好都合か)


 そう思ったボーシュは、結界魔法には言及しないことにした。


「お前は……Sランク冒険者のトウジだな。がリッカになんの用だ?」


 ゴールデンロッドの髪とライムグリーンの瞳を持つ青年の正体など、ボーシュにはお見通しだ。マルグレブに来るにあたって、この地で活躍する主な冒険者の下調べくらいは終わっている。――――まあ、それでトウジが隠しているはずの王族の身分までわかるのは、彼くらいかもしれないが。


(こいつがリッカに絡んでいる可能性も考えなかったわけじゃなかったが……それでも、まさかパーティーまで組んでいるとは思わなかったな。……やはり、もう少し情報を得てから来た方がよかったか?)


 ボーシュがマルグレブに到着したのは、ほんの三十分ほど前。本来ならば、到着後は冒険者ギルドに寄り、挨拶方々最新の情報を得てから動くのがセオリーなのだが、ボーシュはそれらをすべてすっ飛ばしてリッカに会いに来てしまった。

 つまりそれほどリッカとの再会を待ち望んでいたわけで、それを邪魔してくる目の前の青年に対しては苛立ち以外感じない。


「リッカと私はパーティーを組んでいます。『なんの用だ?』は私のセリフですよ」


 なのに、腹立たしいその相手は冷静にそう返してきた。


(王族の身分を見抜いてみせたのに、慌てた様子ひとつ見せやしないなんて……本当に可愛いげのない男だな。ラフな格好なのにどことなく品があるのも気にくわない)


 トウジにしてみたら、可愛げなんて求められても嫌なだけだろう。

 半ば……というより、八割方は完全なやっかみだと自覚しつつ、ボーシュはトウジを睨みつけた。


「……ごちゃごちゃ難しい駆け引きは面倒だ。俺がお前に聞きたいのはひとつだけ。トウジ、お前はリッカをつもりか?」


 もしもそうなら放っては置けない。

 そう思いながら、ボーシュはトウジに問いかける。


 リッカは類い希なる才能の持ち主だが、それ以前にボーシュの教え子だった。彼女には自分の思うまま自由に生きて欲しいのだ。


 だからこそ、あれだけの才を知りながらも、ボーシュはリッカを無理に冒険者の道へと引っ張り込まなかった。


 もしも目の前の男がリッカの翼をもごうとするのなら、『剣聖』の名にかけても止めなければならない。


 しかしその決意に対して、返ってきたのは呆れ顔だった。


「リッカを囲う? そんなことできるはずがないでしょう。リッカの意に反するようなことをすれば、たちまちに八つ裂きにされますよ」


 馬鹿なことを言うなとばかりに、トウジはボーシュに向かってため息をつく。


「……ビィア? それはあの黒猫の幻影か? なんで猫の幻影なんかに、Sランク冒険者のお前が八つ裂きにされるんだ?」


 ボーシュは心底不思議に思って聞き返した。

 トウジは、ライムグリーンの瞳をパチパチと瞬く。



「……あなたは、を知らないのですか?」


「もちろん知っているさ。対象を限定せず実際に幻影を見せられる彼女の魔法は特別だ。使い方次第ではどんなダンジョンだって攻略できるだろう」


 幻影だからといって馬鹿にはできない。

 たとえば、目の前に自分よりはるかに強大な魔獣の幻影を出されたら、ほとんどのモノは逃げだしてしまうだろう。たとえそれが幻影だとわかっていても、まったく反応せずにいられるモノは皆無に違いない。

 そしてその僅かな隙さえあれば、相手を制するのは難しくないのだ。少なくともボーシュなら、それだけの『』をもらえれば確実に敵を倒してみせる。

 しかもリッカの場合、その幻影を不特定多数どころか魔獣にまで見せられる。

 幻影の種類だって、生き物ばかりではなく岩や川、乾いた大地や雪原などという環境にまで及び、戦いを有利に導くことなど造作ない。


「リッカ自身に攻撃力はないが、そんなもの周りが補えばなんでもない。お前だってそう思ってリッカとパーティーを組んだはずだ。……彼女の幻影魔法のすごさは、俺も十二分に認めている。だが、だからといって猫の幻影に八つ裂きにされるだなんて……どうしてそんな馬鹿なことを思いついたんだ?」


 ボーシュは真剣に問い質した。

 トウジは「……本当に知らないんですね」と、驚いたように呟く。その後、顎に手を当て考えはじめた。



「おい――――」


 その姿に不安を感じ、なおも問いかけようとしたボーシュの目の前に、ポン! と黒猫が現れる。


「っ! ……お前は、ビィア?」


 それは、たった今話題に出ていたリッカの幻影のビィアだった。リッカがまだ学生だったときに、ボーシュは見せてもらったことがある。


「ビィア!」


 トウジが大きな声を上げた。どこか焦ったように聞こえるのは気のせいか?


(幻影が現れたということは、リッカが外に出てきたのか? そんな気配はしなかったんだが)


 ボーシュは、リッカの姿を求めてキョロキョロと辺りを見回した。

 そんな彼の視線を遮るように、ビィアが宙を動く。そのこと自体は幻影なのだから不思議でもなんでもないのだが――――。


「おい! 邪魔だ」


 ボーシュがそう言ったとたん、ビィアの長い尻尾がバシッ! と彼の頬を


「うぉっ! ……っ!?」


 目を見開き、ボーシュは叩かれた頬を押さえる。


(痛い? いや、なんでだ? 今、俺はのか? ありえないだろう?)


 頭の中は大混乱。信じられない事態に茫然自失するのだが、そこをもう一発ビィアの尻尾が襲ってくる。


 ビシィッ!! と、さっきより大きな音がした。


「痛てぇっっ! ――――って、ちょっと待て! なんで痛いんだ? おかしいだろう!!」


 幻影に叩かれて痛いなんて絶対変だ。両手で両頬を押さえ、ボーシュは涙目で叫ぶ。




「……リッカの幻影は、できるんですよ」




 そこに、トウジの声が静かに響いた。

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