第7話 大団円

 その中で、一組の三角関係と呼ばれる四人であったが、そのことを、いちかにとっての、

「パートナーなのか?―

 それとも、

「下僕なのか?」

 というその人がいうのは、

「この男性をここで外せば、この人以外の三人で、三角関係ということでしたね」

 ということであった。

 なるほど、確かにウワサを聞いたことがある3人だった。あまりゴシップには、興味のない、つかさが覚えていたのだから、結構、巷ではウワサとしては、大きかったということなのだろう。

 それを思うと、他の組も興味をもって見ることにした、

 すると、もう2組で、

「おや?」

 と感じたものがあった。

 それは、つかさが、最初にこの紙を見た時、違和感があったものだった。

 というのが、2人1組でのペアになっていたからであり、このペアにもう一人組み合わせると、

「別の見え方があるからだ」

 ということを分かっていたということであった。

 それがどういうことなのかということを、つかさはすぐに分からなかったが、今の、

「調査結果から導き出された三角関係」

 というものを思い浮かべると、見えてくるものがあったのだ。

 今度は、その、

「力関係」

 というもので、力関係で、

「3人」

 というものを考えると、見えてくるものがあったのだ。

 しかも、それが、2つであること、

 そして、ちょうど、4人となるには、あと2組だということが大きかった。

 まず。そのうちに一組というものを考えてみると、

「一番最初に違和感を感じ、つかさにピンとこさせたもの」

 それが何かというと、

「三つ巴」

 の関係であった。

 それぞれの関係が、等間隔であり、それは、

「完全な正三角形を描いている」

 といってもいいだろう。

 それが、ちょうど4人の先生で、そういう意味では。

「この3組4人の関係としては、一番わかりやすい関係性だ」

 といってもいいのではないだろうか?

 この正三角形というものを考えると、

「すべての点が均等だ」

 ということになり、力関係は、

「三すくみの関係だ」

 ということになるだろう。

 その中には、教頭も校長のいるわけだが、

「教職の第一線」

 という意味では、ここではじかれるのは、

「校長先生」

 ということになるだろう。

 さて、もう一つの中には、つかさといちかもいる。

 そして、じゃあ、

「誰がはじかれるのか?」

 ということを考えると、実に難しい解釈であった。

 そこで考えられたのが、最初は、

「いちかとつかさ以外の二人の教師」

 だったが、それは、

「自分といちかは離れられない」

 と思い込んでいることから、これが一番難しかった。

 やはり、

「腹違いの姉妹」

 という結びつきが、

「離れるということはないだろう」

 ということを考えると、

「つかさといちかの関係は、切っても切り離せない」

 と考えた。

 しかし、ここまでの中で、それぞれ、

「三つの関係性というものがあり、その三つが、言葉で表すことができる、三つの関係と考えると、おのずと、もう一つが何なのか?」

 ということが分かってきたような気がした。

 というのは、あとの2つが、

「三角関係」

 と、

「三つ巴」

 というものであった。

「ではあと一つは何なのか?」

 ということを考えさせられるとすれば、それは、

「三すくみではないか?」

 と考えるのは、誰もが思うことであろう。

「三すくみと三つ巴」

 という言葉を、

「どこか似ている」

 ということで考えることもあるだろうが、

 実はまったく違うというものである。

「三つ巴というのは、それぞれに、力関係として、均等な位置でもその均衡が守られているというもの」

 であった、

 しかし、三すくみというのは、

「それぞれの方向に、強い力が掛かっていて、それが、方向をいつにしていることから、すべてに循環的な均衡が保たれている」

 ということで、そこに生まれてくるのが、

「それぞれが相手に対しての抑止力であり、力関係というよりも、その方向性から、お互いに、動けば終わりだ」

 ということを分かっているということである。

 それが、

「三すくみ」

 というものであり、基本的には。

「動いた方が終わりだということである。

 三すくみというのは、それぞれに、残りの二つに対して、優劣というものが、片方向ごとに、まったく逆に存在するということだ、

 つまりは、自分以外をA,Bとすれば、

「自分は、Aには強いが、Bには弱い」

 と言った考え方で、それらが、1回転する形で、形成されているというものであった。

 だから、その理屈から考えれば、

「先に動いた方が負けだ」

 というのは分かるというもので、

「それだけに、三者三葉に、動くことができないということになる。これを三すくみといい。それぞれに、呪縛があるといってもいいのではないだろうか?」

 という考え方であった。

 そう考えると、この中で仲間外れは誰かと考えると、

「私ということになるのかな?」

 と感じた。

 というのは、自分は、他の三人の中で、誰ともそんな力関係を感じたことがないだけではなく、

「いちかに対して、優劣という関係を感じたこともなかった」

 と考えれば、

「蚊帳の外」

 にいるのは、つかさだということが、一番もっともらしいことに違いないと思うのであった。

 それを考えると、ここでは、つかさを除いた三すくみが出来上がり、そして、別にはじかれた3人というのが、また、そこに存在する形になった。

 つかさは、そのことを小説に書いた。

「殺人予告」

 と思われたそのメモは、そこまで大げさなものではなかったが、かといって、簡単に無視できるものではない。

 それを思うと、つかさは、

「残りの三人は、どういう綱がりなんだろうか?」

 と考えさせられたのであった。

 三人の関係性を考えると、実際にピンとくるものではない。

 今度は、誰かをはじくわけではないので、選択肢も、考え直すということもできない。一種の、

「遊びの部分がない」

 という状態であり、それを考えると、恐ろしさがこみあげてくるというものであった。

 そんなことを考えてみると、

「自分の中には、遊びの部分がない状態で、何かに追い込まれているのかも知れない」

 と感じると、残った二人も、同じような関係ではないか?

 と感じられた。

 そこで、最初にできた、

「三つの関係」。

 つまり、

「三悪関係」

「三つ巴」

「三すくみ」

 という関係が、どこから結びついてくるものなのか?

 ということを考えると、

「遊びの部分がない」

 ということで、

「三すくみ」

 というものが一番、考えられるのではないか?

 と感じた。

 いみじくも、同じ輪の中ではないが、最近になっている、いちかは、別の三すくみの輪の中にいるではないか?

 それを考えると、

「遊びの部分があるいちかと、遊びの部分がない自分とで、何が違うのか?」

 と考えると、

「私は、父親の下で育てられたから」

 といえるだろう、

 見た目はその方がいいように思うが、これらの、

「三つが絡む」

 ということで考えると、

「一概に親と一緒の方がいいのかどうか」

 というのを考えさせられるというものだ。

 つかさは、それを考えながら小説を書いていたが、書いていることをそのまま文章にできているということで、

「しゃべりながら書いている」

 という感覚になり、この本が話題になる日も近いと思わせたのだった。


                 (  完  )

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三つの関係性 森本 晃次 @kakku

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