第6話 メモの正体

 だが、それが本当に殺人予告メモだったのだろうか?

 それを考えた時、つかさは、一つの言葉が頭をよぎった気がした。

 というのは、

「木を隠すなら、森の中」

 という言葉である。

 これは、

「探偵小説」

 などでもよく言われることであり、その発想を考えると、

「ウソを隠そうと壽時のテクニックであり、つまりは、たくさんの別の種類の中に、保護色のようなものでも使って隠してしまえば、まさか、そこにあるということを考えないだろうから、一番いい隠し場所だ」

 ということになるのだ。

 また、

「一番いい隠し場所」

 としては、

「探偵小説」

 などでいけば、

「一度警察が捜索したところは、基本的にはまた探すことはない」

 ということで、

「理屈を逆手に取る」

 という考え方で、敢えて、その場所に隠すということであった。

 または、

「隠さない」

 という方法もある。

 それは、前述のように、つかさが、いちかを表して考えたという、

「石ころのような存在」

 というものであった。

「目の前にあったとしても、それを誰も分かるわけではない」

 つまり、誰かがそこにはいるのに、誰にも気づかれないという不可思議な性質のものである。

 その性質というのは、

「彼女の中にある性格」

 からきているものだとすれば、その、

「石ころのような存在の正体」

 というものを、

「つかさが、一番知っているのではないか?」

 と自分で、感じていたのだった。

 つかさは、これでも、

「人のことを分かっている」

 と思っていた。

「それが自分の長所である」

 と思っていが、それ自体が実は、

「短所」

 というものであり、そのことを失念していたということを悪いのだとは、思っていなかった。

 失念というのは、

「分かっていないことを、意識していなかった」

 ということで、本来なら、

「そんなの当たり前じゃないか?」

 と思われることであるが、結果として表に出てくると、言葉としては、

「失念していた」

 ということで、

「あまりいい意味に使われることはない」

 といってもいいのかも知れない。

 そんなことを考えていると、

「いちかというのは、私の知っていることを、相手も知っていて、もし、お互いに知らないことがあれば、それは、失念という言葉で片付けられるという仲なのではないか?」

 と考えるのであった。

 いちかの正体というのを、どのように考えればいいのかを少し考えてしまうのだが、妄想が妄想を膨らませて、

「限りなく無限に近い」

 というところまで伸ばすことができるとするのであれば、

「以前母親が言っていた。父親の外で作った子供」

 ということになる。

 ということであった。

 もちろん、そんなことはないだろうし、そんなことを考えてしまうのは、モラルとして、許されないことなのかも知れない。

 しかしつかさには、

「どうせ、小説の中のフィクションだ」

 という思いがあった。

「そうか、だから私は、フィクションを書きたいんだ」

 と感じた。

 フィクションであれば、何をどれだけ書いたとしても、許されるというもので、

「勝手な妄想」

 ではあるが、

「限りなく無限に近い妄想」

 というものに思いを馳せることができるからだ。

「ノンフィクション」

 というものは、あくまでも、

「史実や事実に対して忠実である」

 ということから、

「間違っても、ウソを書いてはいけない」

 ということから、まずは、事実や史実、史実であれば、時代考証まで、しっかりしておかなければならない。

 その場合の史実というのは、

「歴史小説」

 というものであり、

「伝記」

 であったり、

「史実という意味での、事件や戦記録などの、ドキュメント」

 といってもいいだろう。

 そういう意味で、

「ノンフィクション」

 というのは、減算法であり、

「調べ上げた100に値するものから、いかに、絞って、スリムにしていくか?」

 ということになるのだ。

 逆に、

「フィクション」

 というのは、ノンフィクションとは逆で、加算法というものである。

 それを考えると、

「ノンフィクションというのは、限りなくゼロに近づけるものである」

 といえ、

「フィクションは、限りなく無限に近づけていく」

 というものであろう。

 ただし、二つとも、

「限りなく何かに近い」

 ということであり、あくまでも、その、

「何か」

 というものに、近づくということであり、達するということではないというのが、その結論ということになるのだろう。

 問題は、自分が妄想した、

「いちかが、自分の妹なのか姉なのか?」

 という、

「腹違いの姉妹だ」

 ということを小説の中で書くかということであった、

 そこで生きてくるのが、例の、

「殺人予告メモ」

 というものであり、あそこに書かれていた対になっているものとして、

「つかさといちか」

 というこの対に関しては、実は、

「腹違いの姉妹」

 ということだったのだろう。

 ただ、この際、

「腹違い」

 ということは関係ない。

 一縷の望みもないと思われるであろう、二人が姉妹だという、偶然の産物以外の何物でもない事実は、それこそ、

「よく言われている言葉通りだった」

 といってもいいだろう。

 それは、

「事実は小説より奇なり」

 というものであり、

「そこまで、難しいことだったのかも知れない」

 ということであった。

「事実というものが、何に対しても優先する」

 と考えているのは、つかさだけではあるまい。

 というのは、

「他の人にも言えることで、そもそも、これが基本として考えないと、根本的に何かを考えようとする時、これ以上の問題ではないのだ」

 ということになる。

 そんな、

「事実なのか、妄想なのか、自分でも分からない世界」

 というものの中で、妄想というものが、

「限りなく無限に近い」

 というもので、事実というものが、

「限りなくゼロに近い」

 というものだと考えると、前述の、

「ノンフィクション」

 そして、

「フィクション」

 というものに対しての発想だということを考えると、

「私が、考えているのが、妄想だとすると、本当に無限に近いところまで行っているのかも知れないな」

 と、勝手に思うのだ、

「百里の道は九十九里を半ばとす」

 という言葉があるが、これは、今回の、つかさが感じている妄想に対しての、

「一種の戒め」

 のようなものではないかと感じるのだった。

「妄想が悪い」

 というわけではないのだが、

「妄想というものを考え始めると、それ以上でも、それ以下でもないという発想が、どのように生まれてくるのか?」

 ということで、

「限りなく無限に近い妄想」

 というのは、

「どこまで行っても、妄想でしかない」

 ということになり、結果とすれば、

「何が限りなく近いものを証明してくれるのか?」

 という考えに結びついてくるような気がするのだ。

 そんなことを考えていると、

「父親が残した、殺人予告メモに書かれている自分たちは確かに、対であった」

 ということから、

「対が書かれているということの真実の証明であった」

 といえるのだが、それ以外のい人に関しては、どうであろうか?

 というのは、

「後から考えると、そこに誰の名前があったのか、今となっては思い出せない。」

 いや、そのメモを見つけたのは、確か、いちかの机の中にあったもので、時系列的に、小説を書いている時に、すでに、そのメモが存在していたのか?

 ということであった。

「殺人予告メモ」

 というものの存在は、それ以前に読んだ小説からの引用だと思うから、その発想があったのは間違いない。

 そのことについては裏付けというものもあり、

「自分が小説を書き始めたのは、この時に読んだ、殺人予告メモの書かれた作者の本を読んだからだった」

 ということが、意識の中でも、記憶の中にも、それぞれに存在していたからだ、

 これは、

「過去においても、現在においても、いえることだ」

 ということであり、これがそのまま未来に続いていくことだ・

 というものだった、

 ただ、実際には過去に伸びているものを、追い越していっただけであり、その現在が過去に変わった部分が、

「意識と記憶の両方に存在する」

 ということになり、その考えが、

「二人の中の、姉妹であるという事実と同じで、意識と記憶というそれぞれは、現在からみた、過去と未来ということであり、ひょっとすると、つかさといちかの間に、父親がいるというのと同じで、この殺人メモの中にも、別の誰かという存在が、蠢いているということなのかも知れない」

 と感じたのだった。

 メモの中の他の人はどうなのだろう?

 確か、12人が書かれていたような気がして、それが、何かの対になっているという認識があるわけではなかった。

 考えてみれば、こんなメモを、

「誰が書いたのか?」

 ということである。

 メモの内容を見てみれば、そこに書かれている名前は、生徒は自分たち、つまり、

「つかさといちか」

 しかなかった。

 それ以外はというと、

「確か、ほとんどが先生だったような気がするな」

 と思い、さらに思い出してみた。

 最初に書かれていたのは、

「校長と教頭」

 であった。

「なるほど、学校の、ナンバー1と、ナンバー2とでは、当然、対になっている」

 といってもいいだろう。

 そのほかは、確かに教師だった。

 中には、男女の組み合わせもあったが、狂歌という意味での共通点は、すべての教師にあるわけではなかった。

「社会科の先生と、英語の教師」

 というような組み合わせだったのだ。

 そういう意味では、

「逆に男女の組み合わせの方が多かったな」

 という感覚だったが、

 その男女の年齢差も、さまざまだった。

「若い教師同士」

「年配の教師同士」

 さらには、

「年配の男性教師と、若い女性教師」

 といった感じであろうか。

 その時に書かれていた教師の顔を思い浮かべると、

「どいつもこいつも」

 と思えてならなかった。

 この学校で、好きな教師がいるわけではなかったが、嫌いな教師がいるわけでもない。

 結局、

「学校には興味はない」

 と思っていたので、

「この学校で、先生のいろいろなウワサガある」

 というウワサは聞いたことがあったのだが、

「それが、どれほどのものなのか?」 というのは、興味がないだけに、自分の中でどうでもいいことだったのだ。

 ウワサの内容が、不倫関係であったり、業者との癒着など、

「ゴシップが好きな人には、飛びつきたくなる話題であろうが、だからといって、何かをできるわけでもないし、こちらは、生徒という立場なので、ウワサがあっても、何もできない」

 と言えるだろう。

 当然、内申書というものがある以上、先生に逆らうことなどできるはずもない。

 それを思うと、

「黙って見守るしかない」

 と思いながらも、情報だけは、耳を済ませて、冷静に聞いている人はいたであろう。

「ひょっとすると、あの殺人予告メモのようなものは、そういうゴシップネタに由来するのだろうか?」

 とも思ったが、

「だったら、なぜ、自分といちかの名前があるというのか?」

 ということであった。

 しかもである。

「いちかの方は名前があっただけではなく、メモが机の中にあったではないか」

 それを思うと、いちかのことを、再度考えてみる必要があるように思えたのだ。

「いちかと自分の関係に、その時には気づきかけていた頃だったような気がする」

 ということで、

「腹違いの姉妹だ」

 ということが、問題となり、ここに書かれていたのだろうか?

 それにしても、メモをいちかの机に入れておいたということは、それが、

「いちかの目に触れることを願って」

 ということであり、

「いちかなら、他言はないと思ったのだろうか?」

 そして、

「いちかには、知らせなければならないことだ」

 ということでの認識だったのだろうか?

 そんなことを考えてみると、

「いちかにとって、この事実をどのように考えればいいのか?」

 ということ。

 さらには、

「いちかのことだから、私にも知らせてくるんだろうな?」

 と感じたということであった。

 小説を書いているということは、以前のように隠さなくなったので、いい方に考えれば、

「私に、小説のネタを提供してくれた」

 と考えればいいのだろうか?

 ということであった。

 ただ、

「では、このメモを誰が何の目的で書いたのか?」

 ということの、

「誰が?」

 ということを考えると、もちろん、目的が分からなければ、誰かということも分からないと言えるのだろうが、逆に。

「誰かということが分かれば、その目的がはっきりするわけではない」

 ただ、

「どっちから攻めればいいのか?」

 ということが分かれば、突破口にはなるかも知れないということであろう。

 つかさは、これを、

「何かの悪戯」

 ということで、自分の小説のネタに使おうと考えた。

 実際に殺人事件を起こすかどうかは、未知数であったが、殺人事件というよりも、

「人間関係」

 という方に興味がある。

 今まで、あまりまわりの人のゴシップなど聞いてこなかったので、

「いろいろ推理するのも面白いかも?」

 ということで、今になって、考えるようになったのだ。

 どのような悪戯なのか?

 ということを考えていくと、

「やはり、ゴシップネタになりやすい人をピックアップして、そこで、名前をそこし記すことで、その人たちに疑心暗鬼にさせることで、今まで表には出ていなかった。

「叩けば埃の出るからだ」

 という形になるのではないか?

 と感じるのであった。

 そんな中で、いろいろ調べてみることにしたのだが、これを調べるのに、自分一人でできるわけもなく、

「調べてみる」

 ということを、いちかにしたのだが、いちかは、

「話に乗ってくることはないだろう?」

 と思ったが意外にも、話に乗ってくる雰囲気であった。

 何といっても、いちかは、

「自分の机の中に紙を入れられていた張本人ということで、最初から、関係者である」

 ということに変わりはなかった。

 それを思えば、

「いちかに話を振るのは、道理である」

 と思ったのだった。

「おもしろいわね。私も少し調べてみるわ」

 といちかは言ったが、考えてみれば、こんなに乗り気のいちかは初めてだった。

 ただ、一つ考えてみると、

「いちかは、最初から、自分の机の中に、手紙が入れられていたということを気にしていたわけではなかった」

 というのは、今までのいちかから考えれば、手紙を入れられていたなどとなると、

「何よ。これ。気持ち悪い」

 といって、中身を見ることもなく、くしゃくしゃにしていたことであろう。

 いちかには、

「嫌だと思うと、その内容がどうであれば、すぐに、破り散らすか、中身を見ることもなく、すぐに捨ててしまうかのどちらか」

 というところがあった。

「私には、いちかの、そんな性格というのが分からない」

 と感じたが、まさに、その通りなのだろう。

 いちかには、誰か、

「調査をしてくれる人」

 がいるようで、それが、いちかにとっての、

「パートナー」

 なのか、それとも、

「下僕のようなもの」

 なのか、つかさには分からなかったが、その人が調べてきたことによると、

「この中の2組、つまり4人は、一人が脱落することで、三角関係になるという公式になっているようだ」

 ということを見つけてきたのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る