第11話 新しい『日常』


 『家族ってのは良いもんだな』

 『ん?』

 

 シロが家に住み始めて少し経った頃。

 眠ったシロを膝に乗せて本を読んでいた俺に、少し離れた椅子に座っていたじいちゃんが唐突にそんな事を言ったのを何故か覚えてる。


 『その時はただ、鬱陶しいとしか思えなかった。けどこうして離れてみると、たまに家族の事を思い出す時がある』

 『酔ってるの?』

 『はは、そうかもな』


 手にした硝子杯グラスに入った氷をカランと鳴らし、ほんの少しだけ寂しそうな横顔で。


 『親はうるさい、姉弟なんて邪魔くさい。そんな風に思っていたが、……お前達を見てると少しだけでも仲良くしときゃ良かったかな、なんて思っちまうよ』


 じいちゃんの家族。

 その時はじいちゃんが異世界から来たなんて分からなかったから、漠然と、離れた所に暮らしているのかと……その程度にしか考えてなかった。

 あの時、もっと聞いて置けば良かったな。


 『ま、出来なかった事を悔いても仕方ない。出来る事をやるのが大切って事だ』


 硝子杯グラスをテーブルに置き、俺とシロの頭をそっと撫でる。


 『出掛けて来るからちゃんと修行してろよ?帰ったらまたビシビシやるからな』


 いつもの笑みを浮かべて、家を出て行くじいちゃんの背中を見送って……あの時、俺はその背中を見てどんな事を考えていたんだろう。

 今は思い出せない。



 ……何故なら。



 『やっぱ過去なんか振り返っても仕方ねぇ!俺達は今を生きてんだからな!!』


 何日か後に帰って来たじいちゃんが高らかにそう言っていた姿が強烈に印象深かったから。

 驚きで目を丸くした俺が、突然家の扉をバンッ!と開き、開口一番そんな事を宣ったじいちゃんに……冷ややかな目線を送りながら尋ねた。


 『なに……どうしたの急に?』

 『安心しろ!何が来ても、俺がお前たちを守る……絶対に……アイツから!!』

 『何言ってんの?』

 『何でもねぇ!ほら、修行するぞ?今日も張り切って鍛えるぞー!』


 聞いてもはぐらかされるばかりで何も答えちゃくれなかったけど……今思えばあの時位に再会したのではなかったのだろうか。

 じいちゃんの家族……姉と名乗った……あの女性。

 《魔王》アスミィ=オルタンシアと。

 ……五百神亜澄いおがみあすみと。

 


 「はぁはぁはぁ、くっ!?」


 ぉぉぉぉおおおおお!こえぇぇえぇぇぇぇえええ!

 身を屈めた俺の頭の上を風切り音が通過し、林立していた木を薙ぎ倒していく。

 躱した横目に映ったのは、鋭利な刃。

 これで手加減を目一杯してくれてる……らしいんだけど!そもそも自分が、人間との力量差が半端じゃない位あるのを分かってるんだろうかぁぁぁぁぁあああ!?

 死神の鎌を連想させる刃の発生元をチラと見やると、艶やかな髪を揺らし、端麗な顔を大きく歪め、褐色の麗人が……死の元凶が高らかに哄笑を上げていた。


 「ふはははははは!中々上手く避けるじゃないか!?これならもう少し上げても良さそうだなぁ!!」


 ギリギリだって!限界なんだって!?面白がってるんじゃねぇぇぇよぉぉぉ!!!!!!

 ニーズヘッグの拷問ごうもん──もとい訓練は、今回早くも三回目を迎えている。


 サヴラブが起こした騒動から二週間。


 決まった日に訓練はないものの、ニーズヘッグの気まぐれでしごかれている俺。

 訓練中に課せられたルールは特にないが、『種』の使用はなし……ってこれだけでも死を覚悟しなければいけない訳なんだが、ニーズヘッグの手加減が絶妙なのか今の所は死んでない。そう、今の所は……。


 「ほらほら!!もっと速度が上がって行くぞ!?考えろ、感じろ、死ぬ気で私に挑んで来い!!」


 こんな調子だから毎回死を覚悟しなくてはならないんだよぉぉぉ!!


 終了条件は三つ。

 一.俺の手にある剣『月詠つくよみ』でニーズヘッグに一撃入れる。

 二.彼女ニーズヘッグが終わりと判断する。

 三.俺が訓練の続行不可能になる。

 今回で三回目を迎えてる戦績は以下の通り。

 一回目──続行不可能。

 二回目──続行不可能。

 で……三回目の今、続行不可能寸前まで追い詰められてる!!

 俺に迫り来るニーズヘッグの愛剣『スヴァルフラーメ』は伸縮自在で、剣と言うより鞭の様だ。躱したと思えば直ぐに次の斬撃が迫り全く気を休める暇がない。

 一回目は『月詠』を双刀の『双月そうげつ』に変えて防戦一方のまま撃沈され、二回目は今回の様に走り回り跳び上がった所を叩き落された。

 防げず、跳べず、走り回って攪乱する事が手一杯な現状を打破するには……斬り込むしか道はない!?


 「は──ぁぁぁ!」


 視界が開けた所で、迫る一撃を渾身の力で弾く!!


 「お?」


 『スヴァルフラーメ』が遠ざかった一瞬、だがその貴重な一瞬でニーズヘッグへと駆け出し、帯袋から一つの直方体を取り出し、ニーズヘッグの足元に向って投げ付ける。

 『煙水晶(スモーキークォーツ)』──俺が自作してた道具の上位品と呼んで差し支えない。

 煙をその場に発生させる事ができ、俺が投げた『煙水晶』に入れられていたのは……火口に立ち込める火山煙。

 息をするだけで苦しくなり、煙自体が熱を持っている特殊な水晶だ。

 ちなみに、この原型となる火山煙自体は、たまに『ヘルバ』に来る行商人から購入するんだが……値段が割高。使い道が限られ、購入者が少ないから安いと思いきや、煙の保存は効かず、保存方法も普通じゃない事から値段は譲れないんだそうな。

 通常の『煙玉』よりも威力も費用コストも掛かってるが、考え無しにコレを放った訳じゃない。

 俺の姿をニーズヘッグが捕捉してる可能性があるのは恐らく、「熱」。

 じいちゃんから聞いた話、《竜》とは蛇が進化した姿ではないかとの仮説があるらしい。蛇の目に備わっている獲物を識別するのにつかわれるのが熱だと言うなら。

 熱感知で俺の姿を捉えてるのだとしたらこの煙は有効……だと良いな!?

 そうでなくとも視界ゼロ。俺が一撃入れられるとしたら此処しかない!!

 狙うのは死角!!!

 直線の進路を切り、彼女の左──武器を持ってない側面に躍り出る。ニーズヘッグの位置はその圧倒的な気配から手に取る様に分かってる!


 「【月輪がちりん】!!」


 攻撃は最大の防御とじいちゃん━━『最強』五百神灰慈も言っていた。その教えを履行すべく、俺が持つ最大の攻撃手段である巨大な円剣をニーズヘッグに向かって投擲した。


 「あっ」


 放った後で気付いたけど……これじゃニーズヘッグを真っ二つに!?


 ギィィィィン!


 耳障りな音が響き『月輪』がその動きを止められ、今も尚動きを阻害された何かを打ち破ろうと懸命に前進を試みている。

 あれは……盾?──確か、ニーズヘッグの尾もにもそんな変化があった。……って事はあの剣は彼女の尾?


 「私を切り裂けると思ったか?」


 その言葉と共に、俺が張った煙幕が吹き飛ばされた。


 「な……」

 なんじゃそりゃ!?


 仮面越しに一言呟き、後の言葉を飲み込む俺の目に映ったのは、『月輪』を阻む盾状に変化した『スヴァルフラーメ』と……黒く大きな……翼。

 魔法で吹き飛ばした訳でも無ければ、己が持つ殺気や闘気で消し飛ばした訳でもない。

 ニーズヘッグの背から生えた翼が、辺りを埋め尽くしていた熱煙を物理的に散らしたのだ。待て、待って……。

 俺の記憶が確かなら、竜の姿をしていた時も翼なんてなかった。あれって出し入れ可能な器官なの?!


 「《竜》は飛ぶものだろ?」


 俺の思考を読んだのか、ニヤっと意地悪く笑いながら嘯く。

 確かに俺が読んで来た書物にも大抵は翼が生えてる描写が殆どだったけど!?



 「今日は良い線を行っていたが……此処までだな」



 阻まれ続け、勢いが弱まった一瞬の隙に、盾から鞭状の形態に変化した『スヴァルフラーメ』が『月輪』を地面に叩き付けた。

 返す刀で俺に肉薄し、持ち主も同じ様に叩き付けようとその刃を打ち下ろして来る。その姿はまるで蛇。また意識を奪われて俺の負け?

 そう意識した瞬間。


 頭で考えるよりも。

 心が負けを認めるよりも。

 ━━身体が勝手に動いた。

 

 「なに?」


 そのニーズヘッグの呟きが間近に聞こえた。

 気が付けば直ぐ目の前には地面に縫い付けられた『月輪』。


 (拾ってる余裕は……ない!)


 剣に伸ばした手を、握り締め。

 真っ直ぐその先に居る彼女に拳を向け━━腹に衝撃が走った。

 へ?


 「今の動きは中々良かった。剣を拾う時間を捨て、武器が戻ってない私に向かって来た判断も良い。だが……忘れてないか?」


 俺とニーズヘッグにあった僅かな距離がいつの間にやら潰され零距離に。

 しかも俺の腹には、彼女の膝。


 「私にもお前同様、剣以外の手段がある事を」

 「ぐふ!」


 衝撃を認識した時には、身体がくの字に折り曲げられ、遥か後方に吹き飛ばされた。


 ドン!と轟音が響くと共に樹に打ち付けられ、焼ける様な痛みが腹に拡がっ痛ぇぇぇぇええっぇぇぇ!あっちぃぃぃ!涙が出て来た!?


 「──ふむ?意識を手放さなかったか」


 手放しそう!むしろ気絶した方が楽な痛さなんですが!?

 上から降って来るニーズヘッグの声に反応出来ず、無様にゴロゴロ地面を転がって痛みを紛らわせて居る。……と。



 「お主等……加減と言うものを知らんのか」



 ニーズヘッグと違う幼い声が、別の方向から俺達に向かって投げ掛けら──いっっってーーー!!!

 ヤバい全然痛みが引かない!ポーションポーションぽぉぉぉしょぉぉぉん!?痛すぎて考えが纏まらない!!

 慌てて『帯袋ポーチ』から青い液体の入った容器を取り出し、中身を飲み干す。俺の身体がその効果を意識すると痛みがスッと遠のいて行った。

 ……あー、死ぬかと思った……!!


 「……何故俺までその小言に含まれるんだ、ユグさん」

 「お主の為の訓練なんじゃから当たり前じゃろ」


 身体に残る痛みを押さえ状態を起こすと、此方に歩み寄って来る《神霊》ユグドラシルの姿が映る。

 俺の為って言うけど毎回死にそうになってるんだからな!?

 幼い顔に不満そうな皺を刻んで、俺に小言を告げた次の標的は、仁王立ちでユグさんを見ているニーズヘッグだ。


 「お主ももう少しやり方を考えよ!悪戯に森を壊されるだけではかなわんぞ!?」

 「そんな要請は一度も受けていない。私が言われたのはそこの小僧を鍛えろと言う事だけだ」


 何で鍛え方をもっと優しい方向に限定してくれなかったんだ、じいちゃん!

 もっと俺の身体と森を労わる訓練方法に変更して欲しいが、この唯我独尊の【悪竜】ニーズヘッグを説得する事なんて誰にも出来ない。

 と言う事は……俺が耐えるしかない……のか!?

 絶望的な事実を噛み締めてると、俺の剣を拾ったニーズヘッグがそれを放って来た。


 「ま、今日はこんなものにしておくか」

 「……?俺はまだ一撃を入れてないし、意識も失ってないぞ?」

 「ふふ、気分的な問題だ。生殺与奪の時は私が決める」


 言い方が怖ぇよ!?

 だが終わりと言うなら……やっと話しが聞けるか?ユグさんも居るなら丁度良い。つーか、痛みは引き切ってないし体力もまだ戻らない。帯袋から今日二本目の青ポーションと、緑色のポーション『スタミナ・ポーション』を取り出し、呷り飲んで立ち上がる……。


 「なら、二人に聞きたい事があるんだ」

 「ん?」

 「なんじゃ?」

 「じいちゃん……五百神灰慈は《魔王》を倒した……んだよな?」


 【最強】五百神灰慈。

 数多の神霊・竜と契約し、極大の魔法を以て魔王を倒し、この世界を救った英雄。

 けど……俺の脳裏に焼き付いた一人の女性。

 本人曰く、五百神灰慈の姉で《魔王》五百神亜澄。

 アスミィ=オルタンシアとも名乗っていたけど、俺はその人物が発した言葉が本当かどうか判断出来ない。

 けど……じいちゃんと共に闘い、こうして目の前に立ってる二人なら何か知ってるんじゃないのか?

 あれから、ユグさんともニーズヘッグともまともに言葉を交わすのは二週間振りだ。

 聞きたくてもニーズヘッグには毎回意識を奪われ、気が付いたら俺を転がしたまま帰ってるし、ユグさんは忙しかったのか全然会えてなかったし。


 「あぁ、【強欲】か。中々歯応えがあって楽しめた相手だったな」

 「いや、結構死闘じゃっただろうが。ハイジもエルもお主も終わった時には瀕死じゃったろ?」

 「いや、《魔王》の話し……だろ?【強欲】?」

 「? ハイジから何も聞いて居らんのか?」


 俺とユグさんの頭上に「?」が立つ。

 ユグさんが訳の分からない疑問で返して来るんだけど……。

 は?

 何、話が見えない……。いや、《魔王》と戦った事自体はじいちゃんから聞いた事あるけどさ。


 「イオガミハイジが《魔王》を討ったのは事実だ」


 ニーズヘッグが言葉を足してくるが……意味が分からない。

 《魔王》は討った。が、【強欲】って奴が《魔王》?もしかして、「ゴウヨク」って名前の《魔王》とかか?あ~、《魔王》って重い肩書が頭の中で飽和する!?

 ユグさんとニーズヘッグが顔を見合わせ、納得がいった様にニヤニヤしている。二人の顔から察するに、知らない情報を俺の目の前にぶら下げ、食い付く寸前で躱す気だろ!こいつら……完全にからかってんじゃねーか?!


 「勿体ぶらずに教えてくれ」

 「ふふん!そんなに乞われては教えぬ訳には行かないのう!」


 腹立つ~~!!

 乞うた訳ではないが俺の質問に答えてくれるんだからグッ!!と堪えな━━


 「ハイジが倒した《魔王》の名は……ガロン。表向きはこの世界に一人しか居らぬと思われてる様じゃが……その実、7人の《魔王》の一人──正しくは【強欲】のガロンじゃ」


 …………は?

 え、…………ちょっと待って。頭が追い付かない。

 《魔王》が……7人?じいちゃんが倒したのがその内の1人だとして……後6人も《魔王》が居るの?


 「この世界に存在する、特に凶悪な種族の中でも魔力が飛び抜けて高い存在……それが《魔王》だ」

 「ハイジも信じられなかったみたいでの……その後、行ってその存在を確認しておった」

 「……そいつらの所に?」

 「然様」

 「……知らなかった」

 「元々、《魔王》と言っても全員が世界を手に入れるだの、滅ぼすなんて考えを持ってはおらなんだ。ガロンの宣戦布告は暴走と言い換えられるかも知れんの」


 《魔王》を倒したまでは聞いていた。……正確には家にある『五百神灰慈英雄譚』で読んだ。

 が、そこから俺と出会うまでの話しを、じいちゃんは一切してくれなかったのだ。俺から聞いた時には無視をするか、別の話題を振るか……今考えれば、その《魔王》の中に姉……亜澄と言う名の女性が居たからか?

 そこら辺をじいちゃんに聞く術はもう……ない。


 「二人はそれに同行したのか?」

 「行った。だが、《魔王》はどいつもこいつも強い癖に腑抜けでな。こっちとの戦闘を避けようとしてきた。ハイジもそれには賛成だったのかそれを受け入れやがって……途中で飽きた」


 酷くつまらなそうに呟くニーズヘッグの目が怖い。


 「ハイジは《魔王》に訪問、ニーズヘッグは他の強者の捜索とバラバラじゃったと聞いておるよ」

 「ユグさんは?」

 「妾は戦闘なんて出来んし、こっちで待っておったわ」

 「……他の《魔王》の話しを、じいちゃんはしたのか?」

 「それがのぉ。……「話はついた」。奴が話したのはそれだけじゃ。その後は何も教えてくれんかった。『調査と言う事なら目的は果たした、脅威は特にない』とか言っての」

 「……そうか」


 結局、あの《魔王》を名乗った亜澄と言う女性が何者なのか……聞いても分からないって事か。

 本当に異世界から召喚されたのか、じいちゃんと家族だったって言うのは本当か、それが何故今になって現れたのか……。分からない事が多すぎる。何かサヴラブの時もこんな事を考えた気がするが、調べる方法が……あ、…………あの人に確認し忘れてた!


 「話、ありがとう。また今度ゆっくり聞かせて欲しい」

 「お前が次の訓練で意識を保っていられたらな」


 怖ぇよ!!次は……もっと激しくなるんじゃないだろうな!?

 ニヤニヤしてるニーズヘッグを直視出来ず、振り返り歩みを進めようとすると。


 「クロ」

 「ん?」


 ユグさんが何かを俺に放って来た。


 「今はそれしかないからな。当分は使うなよ?」

 「……分かった」


 中を確認すれば『種』が入っていた。三種二つずつ……。ニーズヘッグの様な強敵がそんなにホイホイ出ては来ないだろうが不安はある。

 ユグさんから貰った『種』を帯袋にねじ込み、俺は進路を『ヘルバ』へ。

 確か今日は、シロとリリーナが村に行ってる筈だから迎えに行くのと……エルさんならじいちゃんとの付き合いは二人よりも長い筈だし、何か聞いてるかも知れない。

 他人に話してるとも思えないが、聞くだけ聞いて置こう。

 じいちゃんが元居た世界の事を、じいちゃんの……家族の事を。



 「おい、【世界樹】ユグドラシル」

 「何じゃ?【悪竜】ニーズヘッグ」

 


 ◆◆◆◆◆◆



 「これは……酷いな」


 その惨状に、開いた口が塞がらない。


 「くろ……しろは……つよく……なかった」

 「アタシ、自分が最強なんて思っていた自分を殴りたいわ!」

 「もっとお役に立ちたかった……」


 三者三様の凹み方をしている。

 この有り様、手酷くやられたな。

 うつ伏せに倒れ、顔だけを俺に向けて己の非力を嘆くシロ。

 テーブルに突っ伏し、握り拳でワナワナ震えているティア。

 ソファに持たれ、虚ろな視線を下方に固定させるリリーナ。

 ……どんな鍛えられ方をしたらここまで心が圧し折れるんだ。3人が3人とも人目を惹くほど可愛らしいのに、今は人が目を逸らすほどの凹みっぷり。


 「ちょっとやり過ぎちゃったかしら~」


 そんな3人とは対照的な爽やかな笑顔をした犯人が、キッチンからお茶を持ってやって来た。


 「……エルさん、何をしたんですか」


 仮面越しに、エルさんをジトっとした目で見やる。


 「3人とも強くなっていたのよ~?シロちゃんは速いし、ティアちゃんは強いし、リリーナちゃんはしっかり周りが見れる様になってたし~」


 サブラヴの一件以来、俺達は強くなろうとしていた。

 理由はそれぞれ。

 俺の場合、皆を守れる様に……ま、じいちゃんにも釘を刺されたけど、俺一人で出来る事なんてたかが知れてるし、せめて肉体面だけでも強くならなければと思ったんだけど。

 強くなる事を願ったのはこの3人も一緒だった。

 ……今は心が圧し折れてるが。


 「で、ついね」


 ペロっと舌を出す、一児の母。

 要約すると……鍛える事を懇願され訓練を付け、実力の上がった3人を前に……エルさんの興奮も上がってしまい……援護をしていたリリーナを無力化し、シロより速く、ティアより強く、言葉の通り圧倒した。

 エルさん曰く━━『下手な魔物よりも~断然闘い甲斐があったのよ~』との事だ。それってかなりの誉め言葉と思うんだが、エルさんとの訓練で叩きのめされた3人に言葉を掛けても反応せずに、こんな有り様となってしまったと。


 「つまりこの惨状は、エルさんの仕業ですか」

 「そうとも言えるけど~!皆が強くなってるからいけないんだもん~!」


 だもんて……はぁ。


 「━━だそうだぞ、シロ。お前は強くなってる、比較対象がエルさんなら落ち込む事もないだろう」

 「しろ……つよい?」

 「あぁ」

 「たよりに……なる?」

 「もうしてる」


 表情は変わらない。が、尻尾がゆらゆら左右に揺れてるのは気持ちが持ち直した証拠だろう。


 「いつまでも落ち込んでるなよ、ティア」

 「ただ過去の自分を悔いてるだけよ」

 「ならこれから最強の自分に成れば良いだろ?エルさんの力は、娘のお前が一番知ってるだろうに」

 「……分かってるわよ!今に一対一でもママに勝てる様にするわよ!?」


 これだけ啖呵を切れれば大丈夫そうだな。……ティアの言葉にエルさんの目が光った気がしたが……気のせいだな、うん。

 で、だ。


 「……リリーナがそこまで落ち込む理由が分からないんだが」

 「だって、私、皆さんの足手纏いに━━」

 「いやいや」


 連携がしっかり取れる様になったのはリリーナの存在が大きい。好き勝手動く二人をフォローし、尚且つエルさんに認められる……そんな彼女が足手纏いな筈はない。それに━━


 「エルさんの言い方だとリリーナが一番先に狙われなかった?」

 「え?……あ、はい。私が一番狙いやすいから……」

 「考え方が逆なんだ」

 「……え?」

 「俺達がエルさんから教わった闘い方。先ずは……脅威と判断した所から潰せ」


 遠距離攻撃だったり、回復だったり。

 とにかく後に成れば脅威になる箇所から潰して行く。

 シロのスピードに因る攪乱、ティアの遠近距離攻撃。リリーナの支援を「脅威」とエルさんは判断し優先して狙った。それってエルさんに認められたも同然で、当の本人を見ると笑顔で頷いてる。


 「リリーナちゃんの魔法って~、闘ってる側からするとかなり厄介なのよ~。シロちゃんの加速になるわ~ティアちゃんを此方の懐に送り込んで来るわ~、二人に当てたと思った攻撃を防いで来るわで~……理由を上げたら沢山。証拠に二人は防御なんて全然考えてなかったでしょ~?」

 「だって、任せられるんだもん」

 「てきざい……てきしょ」


 言葉の使い方があってる!?

 シロのこの成長に一役を買ってるのも、恐らくリリーナだ。


 「師匠に認められて、二人に頼られて。リリーナが落ち込む要素は全くないと思うけど?」

 「……そうで……しょうか。だったら……嬉しいです」


 ようやく、リリーナの顔に仄かな光が差した。

 やはり女の子は笑っていた方が可愛いね、じいちゃん。


 「それで~」


 テーブルにお茶を人数分用意してくれたエルさんが、俺に座る様に促す。……ちょっと雲行きが怪しいぞ。


 「今日はあのメストカゲを叩きのめして来た~?ま・さ・か~、またボロ負けたんじゃないわよね~?」


 威圧感がとんでもない!?

 肉体的にきついのがニーズヘッグ。

 精神的に追い込んで来るのが【最恐】エルシエル=フリソス。

 内に外に、俺達の限界まで鍛えてくれているこの2人……性格の相性も良いのかと思いきや、まさかの犬猿の仲だった。


 「……何でそんなに仲悪いんですか」

 「だって~。一番の新参者に先輩風吹かされたら……ねぇ~」


 目が笑ってない。

 うふふ~っと声は笑っているがその目に敵意がみなぎってる。……昔何があったの?!

 ……いや、今日聞きたいのはじいちゃんの向こうの世界の事であってそこではない。

 単刀直入に聞いて素直に教えて貰えるか?そもそも、《魔王》が家に来たって……正直に言った方が良いのか?


 「え、えっとー。エルシエル様とハイジ様は長い間一緒に旅をされていたんですか?!」

 「ん~?ハイジが~この世界に来てから~、最初の仲間は私だったって言う位は長いかしらね~」

 「へぇ。……ねぇママ、ハイジさんの世界の話って聞かなかったの?」

 「そうねぇ~。便利な世界ではあったみたいよ~?殆どのものがスイッチ一つで済むし~、遠くに行くのに体力は使わずお金で行けるみたいだし~。でも~、魔法とか魔力なんて欠片もないって言ってたわ~」

 「ま、魔法がないのに遠くへ!?」

 「魔法や魔力がないって事は魔道具も作れないのかしら?でもスイッチだけで操作するものがあったって事?」


 俺の聞きたかった話の先端をリリーナとティアが開いてくれた!?彼女達の気遣いと好奇心が有難い!!この流れで……じいちゃんの家族の話に持っていけるか?

 今エルさんが話してくれた事は家でも良く愚痴ってた。


 何の為に食べ、何の為に稼ぎ、何の為に生きてるか。

 それを見失う世界と言っていた。

 じいちゃんも魔法なんて物は使えず、大勢の一般人の一人。倒すべき敵が見えないから目標や目的が見付けられない、退屈な世界だったとか。

 まぁ。利便性が発達していたのも、移動手段が充実していたのも、誰かが必死になってそれを考え出し実現させたのだから素直に凄いと思う。

 じいちゃんが言っていた「見えない敵」と闘い、それを打倒した人たちが居るからこその豊かさだったり、便利さだったり。

 でも、この世界に豊かさ・便利さを齎し、自由をくれたのは……それを退屈と言い前の世界を捨てたじいちゃんなんだよな。

 魔法を使い、魔術を調べ、魔導として道を作ったのはこの世界を……好きだったから……だと、良いな。


 「だからかしら~。ハイジが闘う時は生き生きしてたのは~。《魔王》と戦った時なんて~全員瀕死なのに笑いながら特攻してたのよ~!?」

 「「想像出来る」」

 「やはり……へんたい」

 「あ、あはははは……」


 俺とティアが意図せずシンクロし、出された菓子をほおばりながらシロが呟き、リリーナの乾いた笑いが妙に響く。

 切り込むなら此処か?


 「向こうの世界の……じいちゃんの家族の事は、何か言ってました?」

 「家族~?」

 「今まで一度も聞いた事がなかったので」

 「ハイジの家族……あ、何かお姉さんが居たらしいわよ~?」

 「へぇ、ハイジさんのお姉さんかー。どんな人だって?」

 「何でも~、やたらとハイジに干渉してくる人だったみたい~。頭が良くて、腕っぷしが立って、度胸もある。周りの人達から絶賛されていつも比べられてて嫌だった……みたいな事を言ってたわ~」

 「……その人の、名前は?」

 「何だったかしら~。えっと……たしか……あ~……アスミだったかしら~?」

 「…………」


 この前、家に来た《魔王》……やはりじいちゃんの血縁者っぽいな。


 じいちゃんがその姉を苦手としていて、情報を隠匿……出来れば抹消したいと思っていたんだろうか。

 やっと見付けた、的な事を言っていたし、じいちゃんはアスミさん?のことを周りにはあまり言ってなかった様子だし。

 それにしても。

 じいちゃんと同じ時期に異世界から召喚されたのか?それだったら最初からじいちゃんと行動を一緒にしてそうだけどエルさんの話を聞いてる限り、エルさんとじいちゃんの姉に面識はない様だ。


 「エルさんは、《魔王》を倒した後もじいちゃんと行動を共にしてたんですか?」

 「んーん~、その後は各自好きにしようって話になって私は故郷に帰ったわ~」


 最初期から仲間だったエルさんが知らないなら。

 じいちゃんが姉の存在を知った時期は、ガロンって《魔王》を倒した後。だからエルさんは知る筈もないか。

 気になるのは──じいちゃんと種族が違う事。

 俺が見た姿は確実に『悪魔種デーモン』だった。

 頭に生えた角、背中の翼……人には絶対にないものだ。異世界から召喚されたら呼び出された国の種族になるのか?だとすれば、じいちゃんの姉を名乗るあの人は悪魔種の国に?

 ……わからん。

 召喚魔法、それも異世界から誰かを招く魔法なんて、本にも載ってない知識だっての。

 考えても仕方ない事だが家に《魔王》が来たとなると後回しにも出来ない……あぁ、じいちゃんが生きてれば!

 ……いや、じいちゃんが居たら……前にあの人が家に来た時に、この辺りは━━。

 …………い、今はそんな事より、起こっている問題の方が重要だな、うん。



 「《魔王》は……やはり強かったんですか?」



 そんな問いを出したのはリリーナ。

 話に聞いただけではピンと来ないのは激しく同意出来る。ニーズヘッグやユグさんが言うには、じいちゃんのパーティーでさえ全員瀕死に追い込まれたらしいが。


 「強かったわね~。当時は私達もそんなに強くなかったし〜、その時は凄く強大に見えたわ~」


 ……………………。

 《魔王》一人に、じいちゃんの仲間が何人いたかは分からないけど、少なくとも──じいちゃん、エルさん、ニーズヘッグにユグドラシル……最低4人は居た。

 そうそうたる面子を瀕死にってどれだけの強さだったのか。

 ……ちなみに、えっと……今は……どうなんでしょう。


 「今なら一対一で良い勝負は出来るだろうけど~、それでも苦戦はするかしら~?」


 俺の頭の中の問いを聞いていたかの様に答えられた。

 何でもないような話に聞こえるが、暗に今はその当時とは比べ物にならない位強くなってるって事、なんだよな……。

 

 「もしまた《魔王》が現れたら~、今度は私一人で戦ってみたいわねぇ~」


 美しい過去を思い出すかの様に遠くを見つめ、ないとも言い切れない未来に思いを馳せるエルさん。

 魔王の実力も、エルさんの全力も、俺はまだ知らない。出来れば知る事なく平穏に暮らしたいが……嫌な予感が止まらない。

 それを感じたのは俺だけではなく、この場に居る子供たちは皆一様に、朗らかに微笑み自分の空想に浸る【最恐】に視線を釘付けられた。


 言えない……言えるわけがない。

 こんな顔してるエルさんに……「俺達の家に《魔王》が来ました」なんて。


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